ハレルヤ、よみがえりの時

 インゴルヌカは川に面した都市である。街を横断するオウナス川にはロウソク橋という鉄橋がかかり、クリスマスヨウル期間に突入した現在は、きらめくイルミネーションに飾られている。その背景では、ひらりひらりと夜空に架かるオーロラが、緑から赤、赤から紫と色を変えながら、抑揚のついた繊細な動きで踊っていた。

 季節は冬、十一月――ベムリの一件から二週間ほどのち、サイゴは事務所でミリヤに報告した。

「お嬢さん、ニフリートさんの居場所が分かりました。オークションハウス・ギギーコートです。競りにかけられる前で良かった」

 対面のソファに座る金髪の少女は、「なぜそこに?」と短く返す。組み合わされた両の指は、強く力を込められて、色を無くしていた。地に足がつかない不安な顔。

「ベムリが言っていた、例の会社。ハイパーボリアですよ」

 ハイパーボリア・インダストリ。その名はギリシア神話に由来する……「北風の彼方」を意味する理想郷・ヒュペルボレイオスだ。ゴルゴン三姉妹が棲まう地であり、勇者ペルセウスに彼女らが打ち倒されてのちは、平和な不死の島となった。社章にもゴルゴンの首と、ペルセウスの剣がデザインされている。

「ベムリ?」ミリヤは眉根を寄せた。「あんな人の言うことなんて……」

「僕もベムリ自身は信用しません」

 むくれる喪主の少女に、サイゴは軽く肩をすくめて見せた。

「けれど、彼が語った内容には調べる余地がある。そもそも、他に手がかりもありませんしね……実際は大当たりだから、ほっとしましたよ。万が一リサイクルショップに流されていたら、ニフリートさんの行方を掴むのは難しいところでした」

「リサイクルショップって、ワイトも取り扱うんですか?」

 怪訝そうなミリヤの顔を見て、はたとサイゴは気づいた。改めて、このお嬢さんは市外の人間なのだと思う。ネクロポリスの文脈が通じていないのだ。

「ワイト・リサイクル・ショップは手や足、臓器といったパーツ単位でワイトを販売します。手足や臓器だけでも、移植用として大人気ですから」

「UD臓器ですね」知ってる知ってる、とミリヤはうなずいた。

「そうです。で、違法ワイトは身元を割られないために、あえてバラ売りにしてリサイクルに流すという手段もよく取られるんです。普通は、破壊されたワイトの残骸を買い取ったりしてますけど」

 サイゴの経験上、ニフリートはバラ売りよりも、五体満足のままにした方が商品価値が高いタイプだ。いかにも壮健で年齢もそこそこ、鍛え上げられた筋肉、均整の取れた手足、それに容貌。もっとも、死亡時の損傷がよっぽど酷ければ別だ。

 ……ベムリならば死に方も知っていたかもしれないが、あの男は行方をくらませたまま音沙汰が無い。

「話を戻しましょう。あの会社、以前僕は業界二位と説明しましたが、もっと言うと最近、業績不振なんです」

 ハイパーボリアはここ数年、伸び悩みが続いていた。シェア率第一位のアンサタ社には、年々大きく水をあけられるばかりで、経営陣は焦りを感じているともっぱらの評判だ。そのハイパーボリアを調べていると、面白いことが分かった。

「つい最近、この会社は研究開発部門の一部を閉鎖したそうです。そして中止されたプロジェクト群の中に、次世代型ワイト開発計画〝殲滅者アンニヒラトル〟という物が」

 ベムリは言っていた、〝ワイトにされたんだ。多分特殊な〟と。

「ニフリートさんの体が、新型の開発素体に使用されたとすれば、ベムリの発言とも合致します。ハイパーボリアはアンニヒラトル計画を凍結した後、研究費用を回収するため、資産の売却を行いました。製造したは良いが、結局物にならなかったワイトや、新種の還死剤、フィラメント、またはフィラメントに書き込むための制御モジュールやプラグインの数々を放出……その受け皿となったものの一つが、ギギーコートのワイト・オークションというワケです」


 その翌々日――サイゴは喪服姿の女性二人を伴って、コスキカツ歓楽街のオークションハウス・ギギーコートを訪れていた。

 一人はミリヤ、おっかなびっくり葬式にやってきた黒衣の天使。もう一人は、つば広帽とベールで顔を隠した長身の女性。羽織ったケープの背中には、ワイトメーカー・アンサタ社のロゴとエジプト十字アンクのマーク。

 この女性はエヴァネッセンス49、サイゴが所有する戦闘用ワイトだ。ヴィクトリアン朝の喪服ドレスは、時代がかった不死者の風格。

「お待ちしておりました」

 正面ロビーでは、片眼鏡の担当者がにこやかに出迎えた。サイゴが彼と会うのは二回目だ。前回来た時は、マキールが一緒だった。ワイト・オークションに、喪失者ロスト無登録の違法ワイトが出品されたとなれば、ギギーコートの信用はガタ落ちだ。

 それを防ぐために鑑定人がいるのだが、ハイパーボリア側は偽の登録書類を用意していたらしく、ギギーコートはそれを見抜けなかった。

 という訳で、ビューケット刑事はハイパーボリアを強制捜査するための証拠を集め、サイゴは目当ての違法ワイトを引き取り、後は内密に。そういう約束になった。

「こちらへどうぞ」

 サイゴたちは担当者に案内され、エレベーターで地下へ降りた。暖房のない通路は、息をすると鼻の奥がくっつくような感触がある。鼻孔が凍りかけているのだ。

 気温は屋外と大して変わらない、おそらくマイナス十八度か二十度。湿度が違うからか、ホッカイドー出身のサイゴには、故郷の方が厳しい寒さに思えた。この土地は降雨量が少なく、乾燥しているため、雪の積もり方も彼のふるさととは比べものにならない。本格的に雪が根付くのは、一月から二月になる。

 目的の部屋は通路の突き当たりだ。担当者はそこで場を辞した。

 部屋の前には、これで目当てのワイトを運べと言うことだろう、搬送台車が一つ置かれている。サイゴが使っている車は、後部座席に棺桶を積み込める霊柩バンだ。エヴァ49と、あともう一、二体ぐらいは乗せられる。

 ミリヤはじっと安置所の鉄扉を見つめた。緑の瞳が霜付きそうなほど、目を見開いてしばらく動かない。やがて決心したように、白い息を一つ。

 扉に手をかけ、押す。

 壁も床も打ちっ放しのコンクリートという殺風景な部屋。中央には手術台のような金属のテーブルがあり、その上に棺桶が置かれていた。

 壁一面には、取っ手の付いた小さな扉が幾つも並んでいる。サイゴたちが来る前に、その死体用冷凍庫から目当ての一体を取り出し、棺に納めて置いたのだろう。サイゴは灯りを点けて棺桶に近づいた。ミリヤとエヴァ49がそれにならう。

 棺桶の蓋にはハイパーボリアのロゴマーク、そして「KALPEA RATSASTAJA-Ⅸ」の文字列が刻まれていた。

「カルペア・ラツサスタヤ(青ざめた騎士)……父のことでしょうか?」

「黙示録ですね、ワイトとしての名前でしょう」危うく商品名、と言いかけて訂正する。「仏教式ブッダライスースで失礼しますが」

 と、サイゴは数珠を取り出し合掌、「NAMU……」と、まじないのような祈りの文句を短く唱えた。続けて「開けますよ」と断りを入れる。

 錠を解く音が、弔い人と喪主の鼓膜を寒々と叩いた。

 ずっしりと重たい蓋、それでも開いて確認しなければならない。棺はゆっくりと口を開き、死の世界の扉のように、色なき彼岸の空気を吐き出す。

 暴かれた寝所の中、白い拘束衣を着せられた男が眠っていた。胸の前でファラオのように腕を交差させ、今にも目を覚ましそうだ。

 十三年も前に死に、今も変わらぬ姿を留めたニフリート・ハーネラの死体。それが棺桶内部のクッションと、太ももまで伸びた頭髪に包まれている。

 ミリヤは声もなくそれを眺めていた。瞬きもせず、凍り付いたように。白く曇る吐息と、シャンパンゴールドの髪がその横顔を縁取り、彼女を幽界の住人じみた儚さに見せていた。その胸にどんな思いが去来しているのだろう。

 考えながらサイゴはニフリートの頬に触れ、死体とは思えない感触に思わず手を引っ込めた。ワイトの肌は通常、ひどく乾燥し、蝋のようにすべすべしている。

 だがニフリートのそれはほどよく湿り気を持ち、生きている人間に限りなく近い。なるほど高級品か、とサイゴは胸中つぶやいた。おそらく、皮膚に分泌用フィラメントが通わされている、特注品にのみ見られるタイプだ。

 白人、露西亜系、成人男性、健康状態極めて良好。記録上の享年は二十八歳、死因は胸部銃創による失血と呼吸器系損傷と推定。髪の色・明るい金髪、瞳の色・深緑、身長二メートル一〇センチ、体重一三六キロ。毛髪、爪、歯、各種臓器(性器含む)、皮膚、骨、全て生前のまま欠品無し。胸部銃創は治療済み。他、額に古い打撲痕始め、全身に新旧の銃創・切創・刺創痕が何点か。

 サイゴは前回、担当者から渡された鑑定資料の内容を思い返す。エヴァ49もハイグレードなワイトだが、ニフリートの鑑定額は更にその倍、戦車並みの数字だった。

「髪が長いわ」

 白昼夢でも見るような声で、ミリヤがぽつりと言った。心をどこかに置いてけぼりにしてしまったように。

「毛や爪は、部分的に生きていることがありますからね。保管されている間、伸びるに任せていたんでしょう。人の髪が伸びる平均は、一ヶ月に一センチ。十三年間伸びっぱなしなら、ニフリートさんの髪は今一五〇センチ半はありますね」

 そう、とどうでも良さそうにミリヤはつぶやく。悲しんでいるのか、怒っているのか、彼女の中で様々な感情が絡み合っているようだった。

「それに、首筋に何か刺さってる」

「覚醒用の針電極です。ワイトを起動するために使うやつですね。棺桶の側面をずらすと、ハンドルが隠れているからそれを引っ張って使うんですよ」

 ミリヤの言葉に一つずつ答えながら、サイゴは彼女にどう慰めの、あるいは励ましの言葉をかけようか考えた。

 人が死に、家族や親しかった者が後に遺される。受け容れるにせよ、受け止めるにせよ、遺族の反応はそれぞれに異なる、それぞれ個別に起こった固有の出来事だ。

 サイゴはこの仕事を続ける中で、一つ一つの弔いに立ち会ってきた。そこに、生きたまま葬られる死者はいない。体だけここにあろうと、死んだ者は、その魂は決して戻っては来ないのだ。

 ……サイゴが考え込んでいたその時、

『ヤァ、ヤァ、ヤァ♪、 ハーレルゥ~ヤッ!』

 鉄扉がひしゃげて跳ね開いた! 侵入者は黒い涙のタトゥーと、ボイスチェンジャーを通したような声の持ち主。

「来たか!?」

 サイゴは即座に戸口の侵入者を、ベムリ・リンドを見とがめた。白い吐息とともに陽気な声が返る。

『ヨーホー! ニフリート起きてるぅー?』

 ベムリはスチャッと片手を上げて挨拶するが、逆の手には銃身を切り詰めたセミオート散弾銃・サイガ12を持っていた。今日はピンストライプ柄のスーツとコートだったが、またその袖口には鉤爪を隠しているのかも分からない。この部屋まで通路は一本道だ、どこかで担当者とすれ違っていないとおかしいのだが……。

「ここまでどうやって?」

『通せんぼするおっさんが居たから退かしてきたぜェ』

 それにしては銃声が聞こえなかったなと思いながら、サイゴは懐からリボルバー拳銃を抜いた。スミス&ウェッソン.44マグナムが、安置所の電灯に鈍く光る。

「また殺したのね」

 ミリヤもベレッタ・ナノのコンパクトな銃口を向けて、ベムリを睨みつけた。

『ミリィちゃんに怒られると、オレ哀しいなァ』

 ベムリはしょんぼりした顔になった、かと思えばニッコリして、サイゴに向かって拍手する。その仕草は、舞台に登ったコメディアンのように白々しい。

『ま、それはそうと鎮伏屋の兄ちゃん、アンタやっぱりニフリート見つけてくれたね。いやあ、助かったよ。あの会社結構ヤバかったんだな、ヒヒ……』

「それが仕事だからね。エヴァ、戦闘準備!」

 エヴァ49はケープをひるがえし、四本腕に三挺の短機関銃・イングラムM11を構えた。右脇の下からもう一本、左脇の下からもう一本、それぞれ腕を生やす異形の姿。

 少女が小さく息を飲む。びっくりするだろうと思って、サイゴは事前に複腕を見せて説明していたが、緑の瞳には嫌悪の濁りがあった。

 彼女とサイゴは当然エヴァ49の攻撃対象には入っていないので、必然的に全ての銃口は闖入者へ向けられる。

『邪魔なワイトだなァ……』ベムリは臆することなく肩をすくめた。『別にイマ、殺しゃしねェよー……。ホントだって……』

「誰があんたの言うことなんか!」

 今にも引き金を絞りそうな声で、ミリヤは八つ当たり気味に叫んだ。その言葉に、ベムリは胸を突かれたような顔をする。

『ちくしょう』

 人工声帯が、くしゃりと歪んだ音をこぼした。凍て付くような青い瞳が、波打つ湖面のように揺れる。右目の下に刻まれた涙のタトゥーを、本物の涙がつたうかに見えたその寸前、ベムリの表情が憤怒の相に変わった。

『ああそうさ! 誰もオレの話なんざ聞いちゃいねェンだッ! だからアンタらは天国で見ておきな、ホントのところってヤツをよォ!!』

 銃口が火を噴き、エヴァ49がミリヤを庇って12ゲージ弾を浴びた。彼女は現在、エヴァ49の最優先保護対象だ。し損じたベムリは、やはり袖口に隠されていた鉤爪を伸ばす。右の散弾銃でエヴァ49に、左の鉤爪でサイゴに、それぞれ狙いを付けた。

 ワイトを相手にするならば、拳銃と短機関銃では力不足だ。だがベムリの〝正体〟に確証が無い以上、ギギーコートにこれ以上火器を持ち込むのは難しい。

――今手元にある物で対応するしかない。第一目標はミリヤの安全、ニフリートの確保はその次とサイゴは位置づける。

「お嬢さん、棺桶の影へ。あれは結構頑丈です」サイゴはミリヤを奥の方へ逃がし、前へ出る。「エヴァ、Go!」

『邪魔なンだよ! ワイトごときが!!』

 エヴァ49は胸から黒い蒸気を上げながら一斉射。狙いにくい片手撃ちを三手同時並行だが、ワイトならではの腕力で反動を抑え、確実に火線を集中する。ベムリはスライディングで弾丸の下をかいくぐり、滑りながら腰溜めに発砲。エヴァ49の脇腹が吹き飛び、ゼリーのような青い緩衝材がこぼれた。

 ベムリはぐらつく女ワイトに足払いをかけ、転倒させながら跳ね起きる。がら空きになった正面棺桶に向かって跳躍。サイゴが横合いから発砲するが、その時には開かれた棺桶上に着地していた。

 左右それぞれの足で棺の縁を踏みしめて、ベムリは死者の顔を覗き込む。

『久しぶりだなァ、会えて嬉しいぜニッフィーちゃん!』

 棺桶の斜め後ろ、しゃがんでいたミリヤが小さく悲鳴を上げた。立て直したエヴァ49は片膝立ちになり、その背を撃つ、撃つ、撃つ。空けている一本の腕で、次々と弾倉マガジンをリロードし、途切れることなく連射を見舞う。

 そして、サイゴとミリヤは続く現象を目にした。ベムリの背中から血が噴き出し、宙で黒く揮発して煙をたなびかせるのを。濃厚に広がるマカル・インセンスが鼻孔を突き刺すのを感じながら、サイゴは納得した。初めて会った時、ベムリは汗ではなく、この匂いをコロンで消したかったのだ。生きた人間の振りをするために。

『痛ェ! 痛くないけど痛ェ! ハ! ハ! ハ!』

「ワイト――ベムリ、お前、やっぱりか」

 サイゴもミリヤも、ベムリが白い息を吐いているのを見ていた。ワイトは冷血動物と同じように、体内でほとんど産熱が出来ない。代謝が止まっているのだから当然のことだ。肺呼吸もしないから、通常、ワイトが白い息、つまり温かく湿り気のある呼気など、出せるはずが無い。

 だが、体が冷たければ温めれば良い、熱いシャワーでも浴びればしばらくは保つだろう。カレンデュラでは、店内の暖房から熱を食い尽くしたのだ。

『ア、気づいてた?』

「お前が老けてない理由が分かったよ、〝マインドワイト〟さん」

 生前の人格や記憶をそのまま保持して動くワイト――死者復活リザレクション

 それはかつて研究を禁じられた分野であり、その産物であるマインドもまた、禁忌の存在だ。だが、サイゴは知っている、この世界にはわずかながら、マインドワイト/第二世代オブリヴィオンが、その研究が生き残っていることを。

「サイゴさん、どういうことですか? ワイトは人間みたいに、しゃべったり、考えたり、生きてるみたいにはしないんじゃ、なかったんですか?」

「その例外が、マインドですよ、お嬢さん。違法中の違法だ」

 現在、すべての第二世代は存在しないことになっている。インゴルヌカ市外でも、マインドがかつて造られたことは一応知られているはずだが、ミリヤのように少しアンデッドに疎ければ、知らないのも無理はない。市外市内の区別なく、ほとんどの場合は自我を持つワイトの存在など、誰も念頭に置かない物だ。

『第二世代と一緒にされちゃ、たまンねェなァー』

 嫌そうに呟くベムリの右目に、サイゴは狙い澄ました一撃を当てた。少量だけ用意しておいた、対還死サクセット弾。死者の操り糸フィラメントを断ち切るはさみサクセット

 第二世代のような低密フィラメント体ワイトは、頭部を破壊すればほとんどの機能を停止してしまう。だが……

『一緒にすンな、つっつただろうがよォーッ!』

 撃ち返される鉛弾を、床を転がって避けるサイゴの前に、エヴァ49が割り込んだ。

 踊るように床を蹴り、ベムリの胴にドロップキック。冷凍庫の扉に体を叩きつけ、つま先の仕込み刃で串刺しにする。刃の接続部を靴からリリースし、エヴァ49は優雅に着地した。残された刃を抜こうともがくベムリに至近距離で掃射、掃射、掃射。室内がむせ返るほどの黒い蒸気に満たされ、ミリヤが悲鳴を上げる。

「エヴァ!?」

 悲鳴に重なるようにサイゴも叫んだ。還死剤の蒸気の中、エヴァ49の白い喉を四本の鉤爪が貫いている。ベムリは傷口を引きちぎって脱出しながら、今度は逆にエヴァ49を床に叩きつけ、串刺しにした。彼もまた鉤爪を捨て、距離を取る。

 首を押さえられた人体は、大幅に自由が制限される。エヴァ49は銃口を自分の首へ向けた。三挺一斉射、床ごと肉と骨が抉られ、硝煙と共に弾け飛ぶ。エヴァ49は自らの頭部を掴んで、ひと思いに捻り切った。おびただしい還死剤が揮発して、凄惨な自己破壊をわずかに隠す。

 黒い蒸気の薄曇りの中、マズルフラッシュが閃いた。エヴァ49は二本の腕で一挺の銃を構えながら、戦闘を再開した。三本目で頭を押さえ、四本目でワイト用医療ステープラーで首を繋ぎ直している。くびきを逃れ、応急処置しながらの射撃だ!

『イーいワイトじゃねェの……健気で妬けるねェー、鎮伏屋ァ』

「ああ、実に素敵な相棒だよ」

 苦々しく答えながら、サイゴもまたベムリに向けて撃ち返した。サクセット弾が途切れるまでに、この男を止められるだろうか。


 ミリヤは目の前で繰り広げられる戦いを、呆然と固まって、見守ることしか出来なかった。棺桶を乗せた台の下、身を縮めて流れ弾やベムリがこちらへ来ませんようにとひたすら祈る。あの男は悪魔なんだわ、と彼女は呪わしく思った。父を殺し、自分を殺そうとし、今もサイゴとエヴァ49を相手に暴れている。

 ベムリは父の遺体をどうするつもりなのだろうか? ふとした疑問に、なぜかサイゴに教えられた〝覚醒用の針電極〟を思い出す。ミリヤは、ベムリが父の体を持ち去るにしろ、この場で破壊するにしろ、決して渡したくはなかった。

 だが、一〇〇キロを超える体を自分一人で抱え、銃弾が飛び交うこの部屋を突っ切って出るなど不可能だ。……それならば、父に自分で歩いてもらえば良い。

 ミリヤは低く腰を上げ、そろりそろりと棺桶の横へ移動した。側面を手探りし、切れ目が無いか探ると、すぐそれは見つかった。上にスライドさせると、「VAROITUS!注意」「Vaarallisuus危険」などの表示や、黄色と黒のストライプに囲まれたグリップハンドル状の器具が現れる。

 ミリヤはそれを握り、少し考えた。ニフリート……顔も人となりもまるで記憶にない父親だが、サイゴからの定期報告でその人生を聞くにつれ、彼女は思慕の念を募らせていた。それが無理なのはもちろん分かっているが、会って話をしてみたい。どうせワイトとして葬ってしまうはずなのに、罵迦ばかなことを考えてしまう……。

 けれど、ここには父の体がある。かつて生きていた時とほとんど変わらない綺麗な姿で、しかも目覚めさせることが出来るのだ。

 死体が動く。死者がよみがえる。戦慄とも愉悦とも恐怖ともつかない震えが、一瞬ミリヤの背筋を走り抜けた。父が動くことが怖いのか、嬉しいのか、自分自身でも判断のつかない感情に駆られ、ミリヤは一息にグリップを引く。破裂音がして、棺桶の中に横たわる死体が一瞬跳ねた。だが、それだけだ。

「お嬢さん!? 何をしているんですかっ」『おい、ミリィちゃん!?』

 戦闘を一時中断し、男たちが同時に叫ぶ。ミリヤはそれらの声を無視して、もう一度グリップを操作した。さっきよりも強く――引く!

 今度は棺桶ごと死体が跳ねた。棺がテーブルの上で少しずれ、やがて、動き出す。内部に納められた死体が、右へ左へ体を動かし、揺らし出したために。

「おとうさん」

 自分は何をしてしまったのだろうか。分からないが、多分ばかなことだ。けれど、こんな、死体が動くなんてこと、インゴルヌカでは、ネクロポリスでは日常的に起きていることではないか。

 ミリヤの心はそれこそ電気で麻痺したかのように、ゆっくりと半身を起こすニフリートを無感動に見つめていた。世界に薄い幕がかかったような感触。

 ニフリートの首筋、針電極が抜け落ちた箇所は、かすかに黒い煙を立てていた。瞑目するように閉じられた瞼が持ち上がり、翡翠のような深緑の瞳が現れる。その眼球はサイゴと、ベムリと、傷ついたエヴァ49を映し出したが、瞳その物は何も見つめていなかった。長すぎる髪は静電気を帯びて、ふわりと神秘的にたなびいている。

 ニフリートの体は、両腕が不自由な状態のまま器用に立ち上がり、台の上からひょいと跳び降りた。拘束衣の下半身、袋状のそれに包まれた足で床に着地。ベムリが散弾銃を取り落とした。

『ああ、ニフリート、ニフリート……ニフリイイートッ!』

 ほとんど泣き叫ぶような絶叫を上げ、ベムリはその場に崩れ落ちる。ニフリートは何も答えない、ほとんどのワイトは会話能力自体無いのだ。肺呼吸をしていないのだから、声が出るはずもない。ただ彫像のように、そこに立ち尽くすばかり。

 サイゴは武器を部屋の隅へ蹴飛ばし、ベムリに銃口を突きつけながらニフリートの様子を観察した。

 びくんと、再び電気ショックを受けたように、ニフリートの体が背を反らす。もどかしそうに拘束衣の中で両手を動かし、しばしその場で身悶え始めた。ぶちぶちと繊維が切れる音がしたかと思えば、袖に縫い付けられた革ベルトが、次に袋状の袖がちぎられ、その手が自由になる。同時に足を包む袋も、内側から引き裂かれた。

「エヴァ、ニフリートさんを捕まえてくれ!」

 異常を感じてサイゴは命じたが、エヴァ49は損傷で動きが鈍っている。駆け寄り、その体に手をかける寸前、ニフリートは入り口めがけて逃げ出した。

 そのコース上には座り込んだままのベムリ。目もくれずそれを跳び越し、ニフリートの体が鉄扉の向こうへ消える。

『ニーちゃん!』

 ベムリは鉤爪を袖に収納し、即座に後を追った。サイガ12ともう一個の鉤爪は置いて行く。ミリヤは一人、「何が起こったんですか?」と呆けたように問うた。

「誤作動です」

 平坦な声でサイゴは答えた。

「あれは確かに覚醒用の電圧機ですが、普通はいきなり使わない……強制的に叩き起こされて、制御モジュールが手近な行動パターンを実行したんでしょう」

 説明しながら、サイゴはエヴァ49の損傷を確認する。ミリヤの行動も、ニフリートの体がよりにもよって逃走を始めるのも、彼には誤算だった。おそらくベムリも同じだろう。完全な事故だった、だが、このままでは鎮伏屋の名折れだ。

「とにかく、追いかけましょう」

「は、はいっ!」

 二人と一体は廊下を戻る途中、壁にもたれて気絶しているオークション担当者を発見した。側頭部にアザを作っている。ベムリはあくまで「退かした」だけで、殺すのも面倒だったということだろう。もちろん、氷点下の廊下に放置しておけば凍死してしまう。サイゴは担当者を背負い、フロントまで一旦連れて行った。

 まったく、なんて日だろう――奇しくも、サイゴとミリヤとベムリは、それぞれまったく同じことを考えていた。


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