がらくた声の訴え

 喫茶・カレンデュラで待ち合わせたミリヤに、ベムリは熱烈な歓迎を見舞った。キスの雨あられ、体が浮くほどハグし、彼女を抱えたままくるくると数回転。他人に触られるのは嫌だと言っていたが、彼女はその範疇ではないらしい。ミリヤも遠心力でフラフラになりながら、左右の頬にキスを返した。

 その際に、「ベムリさん、体が物凄く冷えてますよ?」と心配げに言う。

「やっぱり、その格好が良くないんじゃないですかね」

 サイゴも思わず口を出した。ベムリはさすがにもうタンクトップ姿ではなかったが、今の格好はロング丈のテーラードジャケット一丁。首元はマフラーを巻くでもなくアスコット・タイ。インナーもセーターなどではなく、ただのシャツと見える。

 十月のインゴルヌカでしていい格好ではない、やせ我慢か、「寒さ消し」だとしたら大概だ。日中とはいえ息も白くなるのに。

「ベムリさん、もしかしてゾンビなんですか?」

 不意にミリヤは訊ねた。サイゴは既に刺青を確認しているが、今のベムリは手袋をしているので、彼女には判別できない。

『ア、憶えてねェよな? ガキんちょの頃から、オレはゾンビだよ。でも別に、寒さを消してるワケじゃないぜ……まァー、ガキの頃は寒いのが苦手だったがね』

 話しながら三人は入店し、ボックス席に陣取る。とりあえず珈琲を三つ。注文を待つ間、改めてサイゴはベムリとミリヤのやり取りを観察した。

 ベムリは奇妙な男だ……今ひとつ、サイゴには不信感がある。

 地下中華街を出てサイゴの車で移動する時、今席に座って対面のミリヤと話している時、ふらふらと前後に体を揺らす様は、薬物中毒者を思わせる。妙にふわふわとして、地に足が付いていない印象だった。

「そういえばベムリさん、老けませんね……本当に四十ですか?」

『よく言われる言われる。ミリィちゃんはクオナと瓜二つだなァー。学生時代を思い出す……懐かしい、懐かしい。ハハ、平和過ぎて笑えら……』

 ベムリとミリヤはしばらく、互いの近況を話し合っていた。と言うより、ベムリがほとんど一方的に、ミリヤとクオナのことを根掘り葉掘り聞いている形だ。

 サイゴは本題を切り出すタイミングをうかがいながら、珈琲に口を付けた。ぬるい……さっき持ってきてもらったばかりなのに、これでは屋外に放置したみたいだ。

「このお店、寒いですね」

 ミリヤが自分の肩や腕をさすりながら言う。サイゴは「暖房が壊れてるのかな」と同意した。客の中にも、ウェイトレスを捕まえて文句を言っている者がいるようだ。ベムリだけが『そーぉー?』とヘラヘラしていた。何だか知らないが、本当に寒さには強いのかもしれない。

『オレ、結構あったまって来たンだがなァー』

「あ、ほんとだ、さっきは氷みたいだったのに」

 ベムリの手を触ってみて、ミリヤは驚いていた。サイゴはとうとう「ところで、お話をお伺いしてもよろしいですか?」と切り出す。

『アー……そう、そう。ニフリートのこと聞きたいンだってな。ミリィちゃんよ』

「はい」

 ミリヤの目元にきゅっと力がこもり、明らかな緊張を浮かばせる。ベムリは人工声帯の調子を確かめるように、チョーカーの位置を少し直した。

『あいつは死んだよ。十三年前、クオナがミリィちゃんを連れて行った日にだ。オレが逃げろって言った』

「ベムリさんが? どうして? あの日に何があったんですかっ」

 身を乗り出すミリヤに、ベムリは両掌を向けて制した。

『ままま、落ち着きなよォー。オレもどこから話したらいいか分っかンねェんだから……大事なことさ、ミリィちゃん。オレはみんなを助けたいんだ……』

 助けるとは何からか、そう訊きたいがサイゴは黙った。ベムリは白い金髪を掻きつつ、言葉を選ぶように語る。甲高い機械の声。

『ンン……あいつは、そう、ワイトにされたんだ。多分特殊な。養豚場の豚さ……最初からクソジジイはそのつもりだった……オレや、オマエや、みィんな……みんなを……ッヲ』

 ベムリは喉を押さえた。革チョーカーのスピーカーが一瞬ノイズを発する。ざらつく砂嵐の中から、ベムリは絞り出すようにその名を告げた。

『ハイパーボリア……! ハイパーボリア、インダストリィィ……。そいつ、の、研究所。きっとあいつの体はそこなンだ』

 ミリヤが何か聞きたそうに、隣の通路側に座ったサイゴの顔を見た。鎮伏屋として期待されているようなので、解説する。

「ハイパーボリア・インダストリ、老舗のワイトメーカーですね。シェア率は業界第二位の大手です。そんな所が、違法なワイトを? ニフリートさんに喪失者ロスト登録の記録はありませんし……」

『――そうだッッ!!』

 爆発的怒声。ベムリはテーブルを叩き、陥没させた。上に乗っていた三つのマグカップは倒れて中身をぶちまけ、一つは床へ落ちて転がった。

 店中の視線が三人に集まる。だがベムリは止まらなかった。身を乗り出してミリヤの肩を両手で掴み、激しく揺さぶる。

『言っただろ養豚場の豚だっ・て! オレもオマエもアンタもみんなもヤツにはそうなんだ! そうなんだ! だから逃げなくちゃいけねェんだよ、ミリィちゃん。あいつは、あいつは、あいつが、起こされちまう。どろどろだったんだよ……終わらねェんだよ……だからだ、だ、だ、だから、だから早く早くは、くはやく、はく、はく、はははははははは、あははははあ! あひっひ、っひひひひひ!』

 サイゴはベムリの手首を掴んで捻り上げた。あっさりと抵抗なく、それはミリヤの肩から離れる。ベムリは笑いが止まらない様子で、人工声帯はそれをうまく拾えず、言葉にならない高音を上げていた。サイゴが胸を押して軽く突き飛ばすと、ベムリは珈琲で濡れたテーブルに突っ伏した。

『駄目なんだよ……早く逃げねェと駄目なんだよ……逃げろよ……逃げろよ……逃げろよ……にげろにげろ……逃げろ……逃げて……クオナ……ニーちゃん……』

「お、お客様……。大丈夫ですか?」

 ウェイトレスがおそるおそる近づき、サイゴは苦い顔で首を振る。ミリヤは傍らで自分の肩を抱き、小刻みに震えていた。その背を軽く叩き、サイゴは無言で励ます。

「こちらの方は病院に連れて行きます。ご迷惑をかけて申し訳ありません」

 サイゴは席を立ち、横からベムリの肩に手をかけた。薬中のたぐいならば説明してくれればいいものを、と胸中でチェンに文句を言う。

『オレに触るンじゃねえっ!』

 ベムリがサイゴの手を払った。がばっと上げた顔、涙マークの刻まれた頬が珈琲で濡れている。

『みィんなそうだ……話聞いてくれねェんだ……ミリィちゃんもそうか……オレ、頭おかしいもんな。うん。わかってるよォ……分かってるわかってる、ヒヒ。でも、ほら、オレ、正気が残っているうちに、何とかしてぇぇんだ。ああ、神さま……同じじゃ駄目だ。同じになっちゃ。同じ、な、なな、同じじゃ、恐ろしい……酷いことになるんだ……酷い事に……』

 サイゴは溜め息をつくと、今度は両手でベムリの肩と腕を掴んだ。

「行きましょう、ベムリさん」

『ああもう、面倒くせェ――ッ!!』

 ベムリはサイゴをくっつけたまま立ち上がり、テーブルを蹴っ飛ばした。支柱が折れてひっくり返り、ミリヤに天板が被さる。同時に腕を振ってサイゴの体を浮かせると、一回転のち床に叩き付けた。とっさにサイゴは掌で床を打って受け身。ベムリの足を掴む。その時ベムリは天板を踏みつけようと足を上げたため、これにバランスを崩した。銃声。店中で悲鳴が上がる。

 ベムリの手には、いつの間にか硝煙を吐くマカロフ拳銃が握られていた。彼が体勢を崩したため、弾は天板の下で震えるミリヤではなく、窓ガラスを貫いて通りのどこかに着弾。辺りが騒然となった。

 サイゴは両腕でベムリの右足を抱え込んで持ち上げる。ベムリは背筋力だけでバランスを取り、体を折るとサイゴに頭突きを喰らわせた。目の中に火花が散り、よろめいてベムリに振りほどかれる。次いで腹部へ拳の一撃、サイゴは思わず体を曲げた。無防備にさらした背中に抉られるような肘打ち。崩れ落ちたサイゴは体を踏まれ、ベムリが再度引き金を引く音を聞いた。

「ベムリさん! もしかして、ベムリさんなんですか!? お父さんを殺したのは!」

 天板から這い出たミリヤが、半ば涙声で問うた。ベムリの動きがぴたりと止まる。重たい沈黙。やがてベムリは、穴の開いた水袋のように、力ない声で言った。

『オレだって……オレだって、殺すつもりだったンじゃねェよ……』

「――なんてこと!」

 ミリヤの声はまるで悲鳴だった。目の前で父親を殺されたかのような。

『だから逃げてくれよ、ミリィちゃん! それとも今から、逃げるかい……このインゴルヌカから、クソッ、の、の、の……かっ……どこか……っ』

 サイゴは手足に力を込め、隆起する背筋をジャッキ化して起き上がった。存在を失念していたのか、ベムリが完全にバランスを崩す。サイゴはその手から拳銃を奪って、厨房の方へ投げ捨て、マウントポジションを取った。側頭部にフック、顎にストレート、ハンマーじみたパウンドを見舞う。

 一拍の静寂。店員も客も逃げ、店内に残っているのはサイゴたちだけだ。ベムリの青い目が、憑き物が落ちたような静けさでこちらを見上げた。

『あンたァ、ミリィちゃんを守れるか……ニフリートを、助けられるか……』

「なに?」

『どうなンだよォ……早く答えろよォ……』

 ひやりとした気配。初めてニフリートの写真を見せた時とよく似てる。本能的に飛び退ると、サイゴが一瞬前までいた空間を鉤爪が切り裂いていた。地下闘技場で、ピエロのコスチュームと共にベムリが使っていた凶器! それが、テーラードジャケットの袖口から伸びていた。

『出来ねェンなら邪魔すんな死にやがれ』

 地下チャンピオンはネックスプリングで跳ね起き、鉤爪を引いて突きの準備動作に入る。サイゴの脳裏に、ボンデージワイトを惨殺したピエロの姿が蘇った。下腹部が冷えるような感覚を押し殺し、ファイティング・ポーズで睨み合う。銃は携帯して来てはいるが、取り出す隙に付け込まれそうだ。

 ベムリは手首をスナップさせると、反対側の袖口からも鉤爪を伸ばす。ぎらつく四連の刃が左右に一対、二匹の蛇が鎌首をもたげるがごとく、サイゴを睨んだ。

 殺人道化の顔面を濡らしていた珈琲は、激しい動きでほとんど流れ去っている。だがその前髪に一筋だけ、黒い滴が残っていることにサイゴは気づいた。それも今、重力に引かれて毛先から離れようとする。

 一滴が宙に放たれ、サイゴが仕掛けた。ベムリもだ。

 サイゴは身を沈めながら鋼の嵐に突撃した。四方八方に危険な切れ味の風を感じる。右袈裟、喉、太もも、左目、眉間、様々な箇所へ殺気が冷たく打点。サイゴは身をかわし、ベムリの手首を叩き、時にはあえて浅く傷を受けながらそれを捌いていく。シュレッダーに放り込まれたような気分の数十秒間。サイゴの目が最適の角度を捉える。ここだ! 突き込まれようとした鉤爪、その真横をサイゴは掌で打った。

 どんなに鋭くても、刃物の側面はただの金属板だ。ベムリの体が傾ぎ、サイゴはその顎を蹴り上げる。……が、当たらない! ベムリは自ら回転、重心移動で立て直し、その流れでサイゴの脇に強烈な回し蹴りを見舞った。自動車に追突されたような衝撃にサイゴの体がすっ飛ぶ。ワイヤーで引っ張られたように、店内の奥まった席付近から、一瞬にして入り口近くまで。

 サイゴは鉢植えに激突し、ベンジャミンの幹を折って止まった。飛びかける意識、それを引き留めようとあがく、呼吸も忘れて。全身の関節はガタガタ、酸素は全て肺から叩き出され、サイゴの体は動かない。

 ゾンビの痛覚OFFはあくまで痛みを消すだけ。ダメージまではどうしようもない。水中のような感覚鈍麻に浸されながら、彼はベムリが近づくのを認識する。悠然とした足取り、猫科の歩みだ。

『アー……駄目だ駄目だ、騒ぎになっちまった。うん。マズイ。こんなつもりじゃなかったンだがなァ』

 機械の声は、幾分平静さを取り戻しているようだった。店のすぐ外にはかなり野次馬が集まっており、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。

『アンタ結構やるね。オレ、帰るわ。ミリィちゃん、元気でなァー……ハハハハ』

 かしゃん、かしゃん、と小さく音を立て、ベムリは鉤爪を袖の中に収納した。サイゴはふざけるなと言いたかったが、声は出ないし退いてくれるのはありがたい。どうせ、いつでもこちらを殺せると思っているのだろう。実際、ピンボールのように床を水平に吹っ飛ばされた時は死ぬかと思った。

『イヤーあったまった、あったまった。ごちそーさん』

 二重の自動ドアをくぐると、ベムリは細く長く、白い息を吐いた。集まってきた野次馬は、携帯電話やスマートフォンのカメラを向けつつ、彼が出てくるとわずかに後ずさる。ベムリは焦らず距離を詰めた。瞬きする間に、一番前に立つうっかり者の正面へ。吐息のかかりそうな距離に、迂闊な男は思わず唾を呑む。

 次の瞬間、ベムリは高々と跳び上がって、うっかり者の頭上を越えていった。その先に続く野次馬の群れへ自由落下。

「痛ぇっ!」「きゃあ!?」「こっち来るぞ!」「捕まえろ!」

 密集する人々との頭と肩を、ベムリは飛び石のように渡り始める。その足首に手を伸ばす者もいたが、蹴っ飛ばされて転倒した。人間と言うよりは、猫か何かの身軽さだ。やがて人垣の層も途切れ、最後の一人に。ベムリはその背中を踏み台にすべく、力いっぱい蹴りつけて跳んだ。くるくると回転ジャンプで更に距離を開ける。

 その時、ベムリの着地予想地点にバイクが走り込んできた。IZh・ユンカー350cc。車輪が付いた鋼鉄製の棺桶を牽引し、脇には鉈や小型のチェーンソーといった凶器をぶら下げている。

『もらったァ――!』

 ベムリは飛び蹴りでバイカーを退かすと、ハンドルを掴んで倒立、勢いを殺すと車体にまたがった。∨型2気筒エンジンがかかったままのそれを制御し、即座に発進。大きく曲がった車体の遠心力を受け、リア部に鎖で繋がれた棺桶が振られた。

 そして地面に転がった不運なバイカーの側面に激突。その衝撃で棺桶の蓋が開き、中の荷物がこぼれ落ちた。悲鳴が上がる。

 それはベムリの暴虐に対してでは無かった。荷物の正体――まだ流れる血も生々しい、人間の右腕と、中年女性の生首、ついでに袋詰めの氷を見たためだ。

死体強盗グールズだ!」

 野次馬が叫んだ時には、ベムリは走り去っていた。鎖はいつの間にか解いていたようで、角の商店にぶつかった棺桶が数メートル先に残されている。

 バイク・グールズ。インゴルヌカ市内を機動力のあるバイクで巡回し、事件や事故があると警察・救急が駆けつけるよりも早く到着することを旨とする。そして死体があれば、牽引する棺桶に詰めるのだが――中には、まだ息のある怪我人をさらって殺す凶悪な者もいる。当然ながら、路面で苦悶する彼に、野次馬たちの反応は冷淡だ。


 警察車両と救急車が駆けつけ、通りはすっかり物々しい様子だった。サイゴたちはその渦中、カフェテラスに設けられていた席で腰を下ろしている。

「一人逃して一人捕まる、一挙両得とは中々いかないな」

 現場に到着したマキール・ビューケット刑事は、サイゴとミリヤに微笑した。死者の番人、法の番犬、静かに正義への忠誠心を滾らせた金髪碧眼の色男。

 サイゴは少し年上の友人に、「僕は命あっての物種」と返す。その後ろでは、怖い顔をした警官たちに囲まれて、バイク・グールズが応急処置を受けていた。あのグールズには、霊安課モーグの厳しい取り調べが待っているだろう。

 インゴルヌカ市警〝霊安課れいあんか〟、その職務は死体保護法に基づく死体泥棒・違法ワイト取り締まりだ。霊安課刑事のマキールに至っては、実家が葬儀屋という「筋金入り」でもある。というのも、アンダーテイカーという職業自体、ワイト黎明期に多発した死体泥棒に対し、墓守りたちが自警のため武装したのが始まりなのだ。

 致命傷こそ無いものの、サイゴの格好は酷いものだった。ジャケットの裾はズタズタ、体中に鉤爪で付けられた浅い傷があり、流れた血が凄惨な印象を作っている。見えない所にはアザも出来ているはずだし、肋骨もヒビが入っていそうだ。

 その隣、ミリヤはぼろぼろと泣きっぱなしで、危険な目に遭わせたことを謝罪するサイゴの言葉も聞こえていないようだった。

「ベムリさん……、いえ、ベムリ。あの人がお父さんを……」

 サイゴがマキールに事情を説明していると、やっと気が済んだのか、ミリヤの独り言が意味のある物に変わる。緑の瞳はいまだ虚ろながら。

「あの喉の傷……きっとお父さんに反撃されて出来たんだわ」

 そうだろうか? サイゴは疑問に思ったが、興奮しているミリヤにはとても告げられなかった。例えば、最初に殺そうとしたのはニフリートの方では、などと。

「ベムリ・リンドは我々インゴルヌカ市警が必ず逮捕いたします。しばらく警護も付けますし、近所のパトロールも強化しましょう。ご安心ください」

「はい……はい……はい……」

 ミリヤはまたぼろぼろと涙をこぼしながら、上の空でマキールに返事をした。本当に、怖い目に遭わせてしまった……サイゴの胸が痛む。怪我人が自分なのが幸いだ。

「にしてもなんだ、お前体重いくつだっけな」

 マキールに問われて、サイゴは一瞬考え込んだ。

「最近計ってないからなあ、まあ相変わらず八十前半だったと思う」

 サイゴは東洋系にしては大柄で、身長が一八〇になる。腕も足も首も特別太くなく、一見中肉だが、外見と裏腹に筋骨の詰まった体だ。

「それを、蹴り一つであれだけ吹っ飛ばしたって?」マキールはカレンデュラの店内を指さした。その距離三メートル以上。「本当に人間か、そいつ」

「ゾンビだから多少の無茶は利くさ」サイゴは、考えていた仮説を口にした。「でなけりゃ、違法なUD義肢か」

 人体移植用に切り売りされるワイトの臓器や手足は、UD臓器・UD義肢として、インゴルヌカの医療観光を支える重要な産業だ。これらは基本的に還死作動剤アンザナテジックだけで処理され、フィラメント処理は禁止されている。

 ワイトは還死作動剤とフィラメントで動く。前者が血液とすれば、後者は筋肉・神経・骨格を担う部分だ。人形の内側に存在する操り糸と言ったところか。

 この万能神経は活動電位を発生させ、脳波を絞り出し、死んだ筋肉を動かす。それが植え付けられることは、自前の物とは別に筋肉と骨格が追加されるようなものだ。人工筋肉としても研究されており、必然的に筋力や頑丈さは上がる。

 だが、フィラメントが生きた人体に入ると、最悪死に至りかねない。それでも、高機能な臓器や四肢を求めて、フィラメント入りのUD臓器が製造・密売されることもある。こうした違法UD移植も、霊安課の取締対象だった。

「ネジの飛んだ人体改造マニアとかかね。ありえない話じゃない」

 マキールはサイゴの仮説に同意した。

「チェンが知ったら怒るだろうね」

「なんだ、お前またあの闘技場行ったのか。もう懲りたと思っていたが」

「仕方がないんだよ、中々手がかりが無かったんだ」

 会話はそのまま、他愛ない雑談に流れた。サイゴはベムリについて、もう一つ別の仮説を立てている。そちらこそ本命の説だったが、マキールには言えない。


 その日の夕方、ベムリの顔写真がニュースで流れた。ミリヤが提供したアルバム写真、どれもこれも朗らかな顔で写っていたが、一番無愛想そうなやつを選んでいる。それでもピースサインなんかしているから、今ひとつ締まらない。その横、少しだけニフリートの肩と腕が写り込んでいた。

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