死者再殺観劇

 その通りの雰囲気は、地下鉄の駅構内に似てるが、より暗く汚い、陰鬱な場所だ。

 ロヴァニエミ地下街。旧インゴルヌカの名を冠する、この都市のはらわたにして、根の部分。先の大戦で町並みのほとんどを破壊されたロヴァニエミは、その後そこにやってきた還死学アンザナトスの研究者団によって買い取られ、インゴルヌカ市として再建された。研究者団のメンバーはゾンビを多く擁し、〝自我マインドワイト〟も属していたと言う。彼らはここを死者のための都ネクロポリスにしようと呼びかけた。

 その時代に作られた工場や研究所は、今も地下に残されている。更には違法合法問わぬ建築によって拡張を続け、日々その複雑怪奇さを増していた。あらゆる怪異と悪徳の温床と化した地下は、市民登録を許可されなかったモータルや、重大な規定違反を犯した還死学者・死体活性技術者、狂人、殺人鬼、様々な日陰者が暮らしている。

 いわばスラム街。そこに店舗を構えるアングラなワイト・ポルノショップは、まさしくド変態どものるつぼだ。『当店はあらゆる性的嗜好にリスペクトを払っております』――欺瞞的な広告と看板。もちろん、サイゴはそんな場所に個人的な用はない。

 ミリヤ・ハーネラの依頼からひと月半。合間合間に別件の仕事もこなしつつ、サイゴはニフリートの経歴を調べ上げた。なにぶんミリヤからの情報が少ないので、本当に死亡もしくは失踪しているか確認する所から始めなければならなかったのだ。

(しかし、彼もグラナッティオメナの出身か……)

 ミンチメイカーの被害者たちと、ニフリートの共通点。彼は件の殺人鬼の犯行が始まる遥かに昔、十三年も前に消えている。ただの偶然、全くの無関係かもしれない。それでも、サイゴはどことなく引っかかりを覚えていた。

(まあ、それは保留しておこう。確実なのは、彼が十三年前に失踪したことだけ。生存の可能性は消えてないが、今は彼が死亡したと仮定しよう)

 写真や調査の結果からすれば、ニフリートはかなり肉体的資質に優れていた。こうした死体は歓迎される。多くの違法ワイトは身元を隠すため、そして美しく見せることで商品価値を上げるため、加工の際に美容整形が行われた。だが、元が美丈夫だとあまりそういう手間をかけないこともあるのだ。あるいは生前の顔付きを、買い手が気に入る場合だってある。ニフリートならば、おそらく整形されずに売られる。

 サイゴは、想定される買い手の所を地道に回り続けた。

 一つは、因戈爾恩岡インゴルヌカ雑伎団。観光では定番のスポットで、中華街の一角にある。ここの団員は高い技術を誇るが、同時にワイトの曲芸でも有名だった。あいにくと空振りだったが……。もう一つは、性産業向けにワイトを売りさばく業者。これは長年経験を積んだ彼にも、気が重くなる仕事だった。

 こうした暗部を見続けると、現代のソドムとゴモラ、悪徳のバビロンと、インゴルヌカを非難する側の言い分もうなずけてしまう、とサイゴはつくづく思う。

「それに比べりゃ、ここなんてまだまだ健全だよな」

 紙コップの鴛鴦茶ユンヨンチャーをすすり、サイゴはほっと一息つくようにこぼした。

打倒把やっちまえ!」」「殺死把ころせー!」「王八蚕こんちくしょう――ッ!!」「不是个儿相手にならねえよ!」

 金網張りのリングと、全席立ち見の観戦席は、蒸し暑いと錯覚するほどの熱気に包まれている。薄汚れたコンクリ壁には「要銭不要命命はいらんが金は欲しい」と書かれた横断幕。

 立ち上るタバコと大麻の煙は、換気扇での排出が間に合っていない。白く霞んだむせ返るような空気を、リングのスポットライトが切り裂いている。

 観客のほとんどは亜細亜系の顔立ちだった。〝林鵙鶲剧院ピトフーイ・シアター〟、ここは地下の中華街エリアに作られた、闇の闘技場にして賭博場なのだ。

 インゴルヌカにはワイトのみで構成されたスポーツチームもあるが、人間と競わせることはしない。だが、ここは人間とワイト、あるいはワイトとワイトの闘争を見せ物にしつつ、違法な賭け試合もやる。

 ヒトの形をしながら、ヒトの力を超えた物――〝ワイトが戦うところを見たい〟。原始的な欲望に、都市の闇がオマケ付きで応えた結果だ。

 リングでは、ボンデージ風の衣装に身を包んだ巨漢と、リングコスチュームにアレンジされたピエロ衣装の男が戦っていた。前者がワイトで、後者が人間だ。最初、人間の選手はもう二人いた。だが一撃二撃でそれぞれ吹っ飛ばされ、一人は金網ごと場外へ。倒れて血を流し、動かなくなったそれを、係員がどこかへ運んでいった。

 こういう場所で戦うのは、よほどの命知らずか、さもなくば命を握られた債務者だ。どっちにしろ、死んだ時は体を闘技場に売るのが大抵の契約になっている。

 ワイトには人間のように、一撃で動きを止める弱点がない。倒すなら全身を破壊し尽くす必要があるが、個人が白兵戦でそれを行うのはかなりの熟練を要すだろう。

 対ワイト戦のセオリーは、「倒す」のではなく「止める」ことなのだ。

 それをひっくり返したのが、今リング上で踊るあのピエロだった。リングネームは何と言ったか……サイゴが知るのは、ザフ・ボジルという氏名。一年半ほど前、突如現れた闇闘技場のチャンピオン。白を基調とした衣装のピエロは、両の腕に長い鉤爪状の刃物をたくわえている。元来はワイト用に開発された近接武装だ。

 ピエロはそれまで劣勢に見えた。追い詰められては股下をくぐったり、頭上を回転ジャンプで飛び越えたりして、狭いリングを逃げ回る一方。他の二人がボンデージワイトに殴殺される間もそうしていた。だが、ついにワイトがピエロの足首を掴む。彼の体は軽々と振りかぶられ、床か金網かに叩き付けられる前動作に入った。

 と、ピエロが体を捻り、いかなる柔軟さを発揮してか、ワイトの革拘束具に覆われた肩上で倒立。両の手は肩に置かれているのではなく、鉤爪をワイトの首筋に刺して自分の体を固定している。次の瞬間、ピエロの全身が竜巻のように回転した。ごきり、と妙に大きく頸椎が折れる音が場内に響く。観客席が息を呑んで沈黙した。

 異様に赤い体液が噴き出し、薄暗いリングと白いピエロを濡らす。狙い澄ましたように鮮烈なコントラスト。

 ワイトの体を流れるのは、血液ではなく基礎還死剤ベースアンジーだ。全身を循環し、死んだ体の腐敗を止め、状態を維持する。薬品の鮮やかすぎる赤色は、まるでスプラッター映画の血糊だ。だがそれもごく一瞬のことで、薬液は空気に触れるとたちまち黒く劣化し、煙を立てて揮発していく。闘技場内にマカル・インセンスが強く立ち込める。

 その血が人間のものでなくとも構わないのか、静まりかえっていた観客が沸いた。

 リング上に着地したピエロは、引きちぎったワイトの首を抱えていた。黒革のマスクに覆われた顔は、生きた人間ならばどんな恐ろしい苦悶の表情を浮かべていることか。首を失ったボンデージワイトの体は、まだよろよろと動いている。

 ピエロは生首を高々と掲げてみせると、ウェディング・ブーケのようにそれを場外へ放り投げた。観客がまたも沸く。

「サービス精神旺盛だなあ」

「だから人気なんだよ、ご同輩タワリシチ

 サイゴの独り言に、隣り合った観客が馴れ馴れしく言った。「不錯,你説得對なるほどね」とだけ返して肩をすくめる。対ワイト戦闘において、頭部への攻撃はあまり意味が無い。つまり首をもいだのは、あくまでパフォーマンスだ。

 生身の人間でありながら、あのピエロは、ワイトの解体ショーを提供できるだけの余裕と戦闘力がある……人間離れした男だ。

(これが他所なら、生け贄用ワイトを使った八百長、で片付くんだがなあ)

 もう四、五年ほど前になるが、サイゴもここのリングに上がったことがあった。探していた死体が、闘犬として飼われていたからだ。オーナーのチェンに乗せられ……サイゴも事務所を独立したばかりで若かった、反省してる……ワイトとの一騎打ちをさせられるハメに。死ぬかと思ったが、サイゴは勝利を収め、依頼を達成した。チェンに気に入られたのは、その副産物だ。

 オーナーは真に強い者が好きだった、人間だろうとワイトだろうと。だから、八百長は許さない。ワイトに書き込まれた戦闘プラグインは実戦用、リング上だろうと脚本に則った演技などしない。本気の、殺気のこもった攻撃を、あのピエロは生身で捌き、戦っている。

 リングはもはや、ピエロの一方的な解体ショーだった。最初に死んだ二人は、このための前座に過ぎない。ボンデージワイトの胴体からは臓器が摘出済みで、緩衝材クッションが詰められているだけだが……手足が一つ一つ落とされていくにつれ、観客たちのボルテージは天井知らずに上がっていく。

 サイゴは全て終わるまで観る気を無くして、一旦外へ出た。カップに残っていた鴛鴦茶には、ワイトの血飛沫が混じって、不気味な黒い模様が出来ていた。還死剤は液体中では揮発しない。サイゴは眉をしかめて、残りを側溝に捨ててしまった。

 これから、あのチャンピオンに会わなくてはならない。ここの闘技場にニフリートはいないが、ピエロはどうも彼のことを知っているらしいのだ。


彩呉ツァイウーか、入りたまえ」

 流れる血どころか、尿まで氷のように冷たそうな声音。それに応じて、サイゴは支配人の執務室に入った。入り口正面、三つ揃いを着込んだ中国紳士が、チェンだ。

 その傍らで壁にもたれる、タンクトップ姿の白人青年がザフのようだ。汗が気になるのか、オーデコロンを吹き付けている。白塗りのメーキャップを落とした顔には、右目の下に刻まれた黒い涙マーク。これだけはメイクではなく、タトゥーらしい。身内の不幸にでも見舞われたことがあるのだろうか。

 そこでサイゴは気がついた。リング上ではメイクと衣装で分からなかったが、ザフの素顔はいくつもの写真で、ニフリートと共に映っていた人物とそっくりだ。

 メイクを落として素顔になっても、常に狂騒する隙をうかがうピエロの印象。間違ったサービス精神の犠牲者を探して、空回りしたお節介に寂しさを募らす。

ヘッラミスター・ボジル。初めまして」

 サイゴは名刺を差し出した。それを受け取り、ザフは耳障りで機械的な声を出す。

『へぇー、大哥にいちゃんチンフクヤ? へぇー、ヤパニライネン?』

 ヂヂーヂヂー、というブザー音を背景にした合成音声。機械とはいえ抑揚も付いており、ボイスチェンジャーを通してしゃべっているみたいだ。

 ザフはニヤッと笑って、自分の喉元を指さした。そこには、小さなスピーカーが付いた革のチョーカー。その下には、乱雑に縫合された切開痕らしき物が見える……人工声帯を使っているらしい。

『あ、この声な。怪我しちまって。喉をスパァーッて。大した不便はねェよ、大したこたナイ、大したこと……』

「彼は私ではなく、君に用があるそうだ。ここの闘犬にお目当てはいないらしいからね」チェンは椅子にかけていた上着を取って、すっと腰を上げた。「私はここらで退散するよ、彩呉ツァイウー。次の仕事もある」

 サイゴはオーナーに会釈して見送ると、ザフに握手を求めて手を差し出した。だが、腕を組んで拒否される。首の動きに合わせ、ほとんど白に近い金髪が揺れた。

『悪いね、握手は出来ないんだ。他人に触るのも、触られるのも嫌いでね。レイプされたのさ。……ア、まさか信じた? それとも、拳でよけりゃキスするかい?』

「いえ、遠慮しておきます」サイゴは肩をすくめて断った。

 まさか本気で殴りはしないだろうが、万が一ということもある。一連のジョークを機械のような声で聞かされるのは、妙な不安感があった。

 限界まで引き絞られた弓と矢、それがザフに対する第二の印象だった。細身だが、筋肉を詰め込まれた体に対してもそうだし、今にも弾けそうな緊張感を漂わせた雰囲気に対しても、そう感じさせる。危険な手合いだ。

『で、オレに用ってのは?』

「この方をご存じですか」

 部屋は暖房が効いているが、タンクトップでよく寒くないものだ。

 ゾンビの数少ない非人間的特徴――温感痛覚の任意ON/OFF。ザフの手には刺青があり、彼もまたゾンビであることは明白だ。とはいえ、冬のインゴルヌカで迂闊に寒さを消すと、凍死しかねないのであまり感心は出来ないが……。

 サイゴはミリヤから預かった写真を手渡した。にやけたザフの表情が、真剣なものに変わる。凍て付く湖面のように青い眼が、鋭くサイゴを見つめた。

『……ニフリート・ハーネラだ。ナンデ写真、持ってンだい……』

「娘さんが探しています」

 ザフが発するひやりとした気迫――もしや殺気ではないかと思えるそれを受け流しつつ、サイゴは返す。すると、即座に敵意は消え、笑顔にひるがえった。

『へぇ! ミリィちゃんが?』

 昔のSF映画に出てくるような、ロボットじみた声。それが、豊かな感情を躍動させているのを聞くのは、少々不気味だった。

『懐かしいなァー、今四つか五つじゃ……アー、そうか、十三年か。そうかそうか、年頃だなァ。クオナそっくりになってンのかなあ……』

「ミリヤさんをご存じなんですか」

 やはり、と思いながらサイゴは確認する。ザフはパサついた猫毛の髪を踊らせ、はしゃぐように両手を叩いた。

『ご存じも何も! オレはあの子のおしめだって変えたことあるンだぜ、まあ二回ぐらいだったケド。オレとニフリートは幼馴染みで、そうさ、ともだちだったんだ』

 幼馴染み? サイゴからすれば、ザフはニフリートよりかなり年下に見えた。少なくとも十、二十歳は離れているだろう。

『ともだちだった……生涯の。海賊みたいに、お互いの血を交換した義兄弟さ。いやそういうごっこ遊びをな、ガキの時にやったんだけど。腕をちょいと切って、傷口くっつけて、酒の代わりに炭酸水。バカみたいだけど、楽しかったよ。いつだって。でもあいつは……』

「お亡くなりに?」

 促すように言葉を継いだサイゴに、ザフはうなずく。眉間にしわを寄せ、どこか苦悩するような表情で。あるいは深い悲しみ。

『そうだ……十三年も前の話さ。あいつはくたばった。オレもこんなになった。何もかも悪い方へひっくり返っちまった』

「何があったんですか」

『それをここで話せってか?』青い瞳が燃え上がってサイゴを睨んだ。ザフの声音が、合成音声なりにドスを効かせる。『ミリィちゃん呼んでこいよ、これはオレたち家族の問題さ。そうだ、オレはミリィちゃんに会いたかったんだよ、サヴォンリンナに行くってクオナは言っていたしな。そこにいれば大丈夫だと思ったんだが……ナア、来てんだろ? インゴルヌカによ!』

 ミリヤがいなければこれ以上話さないつもりらしい。サイゴはそれを承知して、ミリヤに連絡することにした。携帯を取りだしたところで、ザフが身振りで止める。

『おっと! いけねえいけねえ、オレね、ザフってのは偽名なのよ。本名はベムリ。ベムリ・リンドってんだ。ミリィちゃん、三歳じゃ覚えてナイだろな……』

「わかりました」

 偽名は別に驚くことではない。こんな場所の選手だ、サイゴも予想していた。

 ミリヤに通話が繋がる。ニフリートの友人に会ったこと、彼女が来てくれなければ話す気がないらしいこと、事情は分からないが人工声帯を使っていることを伝え、待ち合わせの店を決める。

 さすがに、彼女を地下中華街にまで足を運ばせるわけには行かない。サイゴはザフ改めベムリと二人して、地上の駐車場まで歩いて行くことになった。

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