四章:約103枚
眠れ、鎮まれ、よみがえれ
「頭はやめたまえ、頭は。ボクだって思考や理性の大部分は脳に依存しているんだぞ?」拳骨を落とされた所をさすりながら、フィティアンは文句を垂れた。まあそれはそれで、と一息つき。「さて、キミの仕事に取り掛かろうじゃないか」
「……やめましょうよ、その話は」
そら来たぞと思いながら、サイゴは渋面を作る。だがフィティアンは許さない、何かを期待するようなニヤニヤ笑いで、座り込んだままのミリヤを指さす。
「そこのお嬢ちゃんは、依頼を取り下げるんだろう? ならいいじゃないか、とっととハーネラくんとミンチメイカーを殺して来たまえ」
呆けた様子だったミリヤが、泣き濡れた顔を上げた。
「気が早いですよ。彼女はまだ取り下げるとは言ってません」
ぴしゃりと断られて、フィティアンは不満気に唇を尖らせ、腕を組む。
「どういう、ことですか」
幽霊のようにふらりと立ち上がり、金髪の少女は鎮伏屋に詰め寄った。見開かれた緑の目が、鋭い光の刃を宿して怒りを露わにしている。
「どうしてサイゴさんが、お父さんを殺さないといけないんですか!?」
少女にコートの裾を掴まれたサイゴの斜め後ろで、少年医師は端的に答える。
「それが鎮伏屋本来の仕事だからさ、お嬢ちゃん。そもそも、ちょっと考えれば分かるだろう? 野良のマインドなんて放っておけるワケがないじゃないか!」
「そんな」
「
少し考えてサイゴも説明した。
「
「そして、我々お抱えの、マインド殺しでもある」
とどめのように
「じゃあ、それって、つまり」
彼女が覚えた、眼の奥に突き刺さる嫌な予感は、即座に的中した。
「キミがこのままサイゴくんへの依頼を取り下げる、イコール、ボクが彼に二人を殺してこいと命じるってこと」
「あくまで、〝優先権〟はお嬢さんに、ありますけど、ね!」
嗜虐的なほどはっきり言い切るフィティアンに、サイゴは言葉の一つ一つを強調して補足した。この少女はヤケになってあんなことを言っていたが、本当にもう父親のことがどうでも良くなったなどと、彼は考えていない。
何より、まだ、この自分の仕事は終わってない。そのはずだ。
◆
ニフリートらがクリニックを後にすると、裏口から何体かの追っ手が放たれたが、申し訳程度の追撃を終えるとすぐに撤退していった。あの少年医師は、これ以上自分のナースワイトを失いたくないのだろう。
隠れ家があンだ、と言うベムリの後ろをついて走ると、景色がごうごうと唸る色付きの風に変わった。体が勝手に動いて、どうしたのかと思えばもう障害物を避けている。ワイトの、フィラメントがもたらす反射神経の賜物。
気が付くと、工業地帯のあばら屋が目の前にあった。ベムリが気取ったしぐさで『いらっしゃいませ』とお辞儀する。
一瞬の間に、どれほどのスピードでどれだけの距離を移動してきたのか。自分の体が持つ力に頭が追いつかなく、ニフリートは夢でも見てるような気分だ。
『ア、いけね。ニーちゃん、ちょいと待ってな』
ひょい、と木板が腐っていそうな平屋の玄関に立ち、ベムリはゆっくりと扉を開ける。戸板は元の色が何か分からないほど、苔むして淀んだ緑色をしていた。腐った湿り気と、生きてはいない何かが蠢くいくつもの気配が漂ってくる。
『よーしよしよしシシシシシ……てめーらおとなしくしてんだぞ。お客さんだァー』
機械の声にドスを効かせ、なだめるように話しかけながらベムリは中へ入り、二度三度辺りを見回すと、最後にくるりと一回転して『
言われるまま踏み入ると、外に居た時より更に強い腐敗臭とカビ、ホコリの悪臭が鼻をつく。その中に、はっきりとマカル・インセンスが漂っていた。
破れたソファの影に、カーテンの後ろに、ベムリの足元に、そこかしこにワイトらしき物が居る。一、二体は還死剤切れで、死体に戻ってしまっているようだが。
「なんだこりゃ……こいつら、手懐けて番犬に飼ってんのか?」
『ソ』少し得意気にウィンクする。『見てな』
ベムリはこちらに近寄ると、ニフリートの目の前に人差し指をつきつけた。その爪がじわりと黒く染まり、ちろちろと蛇の舌のように色を伸ばす。ベクターだ。
『面白いンだぜ。こいつを突っ込むと、こっちの考えを直接フィラメントにぶっこめる……
「そいつはスゲェな」
自分が知る限り、ベムリはゴーストやフィラメントに関するプログラミング知識は皆無だったはずだ。ニフリートは自分の指先を見つめた。
一体どうやるんだと聞こうと思いきや、言葉より早く、爪の先からベクターの黒い糸がずるりと伸び出す。ぎょっと驚いた瞬間、それは引っ込んだ。
『ホラな、ニーちゃんも出来んじゃん!』
ケラケラと嬉しげに言うベムリに、ニフリートは咄嗟に返事出来なかった。だが黙っている訳にもいかない、伝えるべきことをまず話そうとする。
「……お前、こいつを使うのはもうやめとけ」
『ア?』
「体も、頭も、もたなくなっちまうぞ。記憶が虫食いだらけになって――」
弟が目の前で壊れていく。妻が、クオナが自分の知らぬ所で年老い、死んだように、ベムリもああやって朽ちつつあるのだ。だが果て切ってしまう前に、また話せてよかった。今ならまだ、間に合うのかもしれない。
『ハ』どこか捨てばちに、ベムリは息を吐いた。『分かってらい、わっかってらい、そンなの。なァ、ニーちゃん、オレはもう駄目なんだァ……』
「やめろよ」
耳を塞ぎたい気持ちで止めるが、ベムリは続けた。
『だから、オレ、ニーちゃんとミリィちゃんだけは、何とか……アー、ミリィちゃんはクオナと一緒に、サヴォンリンナだっけ……なら、まだダイジョブか』
もはやベムリの中には、十六歳のミリヤの記憶は無かった。彼にとっては十三年前に別れて、それっきりなのだろう。自分もやがてそうなるのか。
「なあ、ベムリ……俺も肝心なことばっかり忘れちまってる。だけどな、さっきのお前の言葉で少し思い出してきてんだ。話せよ、お前が知ってること全部」
『ウン』
子供の頃のように素直な声音でうなずいて、ベムリは一人がけソファに腰を下ろした。ワイトの目には廃屋の暗闇でも、ホコリとカビが舞う様がはっきりと見える。
二人がけのソファにどかっと座り、ニフリートは親友が話しだすのを待った。その背後には、擦り切れたカーテンと、割れ硝子の窓があり、窓の外には廃工場がある。
何十年も昔に動かされなくなった建物は、巨大な金属ゴミがそそり立っているようだ。そのてっぺんに、隙間に、闇に紛れる格好で、数体のワイトが潜んで、彼ら兄弟の様子を遠くからうかがっていた。その包囲網は、静かに、確実に迫っている。
数分が過ぎ、いつまで経っても口を開かない弟に、ニフリートは不安になってソファを立った。
「……ベムリ? 寝ちまったのか?」
間の抜けたことを言っていると思いながら、首をひねりつつ近づく。ワイトが眠るはずはない、しかし、それにしては動かなさ過ぎる。
その顔を覗き込んだ時、精神に怖気が走った。何の力も入ってない表情、光のない目。筋肉が弛緩し、だらしなく開いた口から舌と歯が覗いている。まるで。
(ただの、死体じゃねえか)
「おい、つまらねえ冗談してんじゃねえぞ!」
胸ぐらをつかみ、持ち上げる。ワイトの筋力はそれを軽々と為すが、手に伝わる重さとバランスは、〝人間〟の手応えではなく、およそ七○キロ前後の肉と骨。
空っぽだ。それはニフリートが知る、弟で親友の、ベムリ・リンドではなく、ベムリだった物だ。人の顔だったものが、眼や鼻や口を備えただけの
――これが俺たちの正体か。
本当はとっくに死んでいるはずなのに、何かの間違いで心と体が動いてしまっているに過ぎないことが、暴かれた姿。視界の端に、還死剤切れでくたばったワイトを捉える。次はいつだ? 自分はいつ死体に戻り、ベムリは人間に戻る?
血の代わりに体を巡る
『ァ……、んだよ、ニーちゃん。苦しいじゃねェの』
ヂヂー、ヂヂー、とやや耳障りなブザー音を背景に、甲高い機械の声が呼びかけた。はっとして手元を見れば、そこに眼を覚ましたベムリがいる。
「……生きてんじゃねえか」
『とっくの昔に死ンでんだけどなァー』
ケラケラと笑う姿に心底安堵しながら、ニフリートは弟の体を降ろした。ベムリはややバツが悪そうに、二度三度首を巡らすと、ソファを立つ。部屋の隅、比較的綺麗な小型冷蔵庫があった。中の物を取って戻ると、一つ投げて寄越してくる。
『還死剤、ちゃんと飲まねェとな。オレら内臓全部あるからよ、胃に収めときゃ、それで足りるみたいだぜ。皮下注射はお好み次第……』
受け止めた手の中のアンプルを見ると、薄ピンクの液体と、「
「……さっき、お前死体に戻りかけてたぜ」
同じようにアンプルを噛んで開けながら、ニフリートは苦々しく言葉を絞り出した。一気に
「多いのか、ああなっちまうのは」
『アー……よっく覚えてねえけど、多分』
やや言いにくそうにベムリは首をすくめた。
『最近、ヒデェんだ。記憶がぶつぶつ途切れててよ……ちょっとヤバイよな。ヒヒ……マ、仕方ねえや……オレ、もうギリギリだからよォ。でも、今は調子がいい。途中でまたおかしくなっちまうかもしれねェケド、聞いてくれよ、ニーちゃん』
青い湖面にさざなみを立てながら、ベムリの瞳は理性の色を見せていた。真っ直ぐにニフリートを映して、真理のように澄んだ決意を浮かべている。
「ああ。まかせろ」
そう請け負った兄に向けて、ベムリはおぞましい事実を語り始めた。
◆
オウナス川には人魚が泳いでいる。癌で余命宣告された女優が、安楽死と、自身の遺体をマーメイド型のワイトにすることを望んだからだ。生まれ変わった彼女が川へ放たれて以来、少しずつ後追いのマーメイド・ワイトたちが合流していった。
傾きかけの陽が差し込む水面――本来そこを覆っている雪と氷は、人魚保護会のボランティアによって入念に砕かれ、一年を通して彼らの姿を見ることが出来る。
冷水から半裸の美男美女が顔を出し、視線の先に天国を見ているような笑顔を浮かべて、橋を行く霊柩車に、自動車に、人に、ワイトに、トナカイに手を振る姿は、観光ガイドでも有名だ。その様を、ミリヤは欄干に肘をつきながら眺めていた。
傍らでは、路肩に停車した霊柩バンに背を預けて、サイゴが控えている。手には
ひとまずの宿へ送る途中、彼女が車を止めてくださいと言い出して、もう十五分ほど川を、あるいは人魚たちを眺めている。十一月の風は冷たいだろうに、発作的に飛び込まないかとサイゴは気が気ではない。おそらく大丈夫だろうとは思うが、不安に少しやきもきしながら、彼はクリニックでの会話を思い返していた。
彼女は
肘の隣、欄干に置いたままだったココアの缶を開け、ようやくミリヤはそれに口をつけた。「あの」と、ためらい気味に言葉をこぼすと、(あなたに言っているんですよ)と説明するように、自信なさげなしぐさでサイゴの方を振り返る。
「どうして死のうと思ったのか、なんて。訊かないんですか」
寒風に晒されたシャンパンゴールドの髪が、血の気を失った少女の顔を縁取って揺れていた。時刻は夕方には早いが、辺りは既に日が落ちる一歩手前、空からは容赦なく夜の冷気と薄闇が流れ落ちていた。もうすぐ川の水面も、完全に闇に沈む。
「死ぬ理由なんて、人それぞれでしょう?」
ここで泳ぎ続ける人魚たちのように、と彼は橋の下を一瞥する。
「他人にとってはそんなことで、と思う理由でも、当人にとっては真剣で深刻な動機です。それは決して他人の価値観で計っちゃいけない。だから僕が訊いても、意味はなさそうだ、と思ったので」
残り少なくなっていたアンコールをぐっとあおり、サイゴは一旦言葉を切る。
「それとも、訊いて欲しかったですか。お説教して、そんなことで死ぬな、なんて言われたかったですか?」
無関心さと憂鬱の間を行き来する己の声音を聞きながら、サイゴは自嘲を覚えた。どうやら、僕はえらくセンチメントになっているぞ、と。
ミリヤはしばらく「それは……」と口をモゴモゴさせた後、「図星、かもしれません」と認めた。彼女が目を泳がせると、緑の瞳は熟していない果実が転がるようで、心もきっと同じなのだろう、とサイゴは思う。青い心のままミリヤは語る。
「でも、その、別にいいんです。聞いてもらわなくて。私が死のうと思った理由なんて、きっと凄く怒られちゃうぐらいくだらなくて。本当に死にたいって思ってるような、辛い人たちに悪いな、って……お父さんが怒るのも当然」
彼女の繰り言に対し、サイゴは少し考えて、別の言葉を投げかけた。
「なにも自分が死ぬ理由ぐらい、黙って自信を持っておいてもいいんじゃないですかね。何でも卑下しちゃいけない、死ぬ時は堂々と死にましょう」
真面目くさった顔でそう教える青年に、少女ははぁ、と分かったような分からないような様子で頷いた。少しその顔を面白く思いながら、サイゴは人魚たちを指す。
「そういえば、知ってますか? お嬢さん。この川は夜に近づくと、人魚たちに水の中に引きずり込まれて、仲間に加えられてしまうって噂があるんですよ。人魚はもともと、溺れ死んだ人間の生まれ変わりですしね。観光ガイドには載ってませんが、ここに身を投げてしまう人は多い。……今なんて、ちょうど良い頃合いでしょうね」
えっと硬直するミリヤに、「風邪引きますよ」と霊柩バンへ戻るよう、サイゴは促した。運転席に乗り込み、
冬のインゴルヌカは、とにかく日が落ちるのが早い。夕日が痕跡一つ残さず逃げ出した夜闇の中を、霊柩バンは走っていた。向かうのは、当面のミリヤの宿泊場所、サンタズホステル・ アロラ。そこへ向かう道すがら、サイゴは昔語りを始めた。
「僕には、妹がいたんです。ミリヤさんが今朝聴いたピアノのCD、ツヅキ・ナツクサ。彼女ですよ」
「夏草」は母の旧姓だ、詳しい経緯は知らないが、離婚したらしい。
「インゴルヌカに行くため別れた時、あの子はまだ四歳で、それっきりです。多分、もう僕のことなんて覚えてないんじゃないかな。向こうの家じゃ、兄貴なんて最初からいないか、小さい頃に死に別れたって扱いでしょうし。今さら会いに行ったりするのも、無理です……今度はインゴルヌカに戻れないかもしれないので。でも、僕に家族が居るとしたら、一方的な気持ちだけど、妹だけが、そうなんです」
珍しく仕事以外のことで饒舌に語る鎮伏屋の言葉を、ミリヤは沈黙の内に飲み込んだ。喪服の黒い膝の上、白い指でココアの缶をもてあそびながら、耳を傾ける。
「僕は、妹がどんな風に成長して、どんな人生を送って、今ピアニストをやっているのか、何も知らない。でも、だからかな。ミリヤさんを見ていると、妹にも、こんな歳の頃があったんだなって」
不意に、助手席を見やるサイゴと、顔を上げたミリヤの視線が合った。
「だから、お嬢さんみたいに、若くて頑張ってる女の子が死にたい、なんてのは。僕個人としては哀しいことだと思いますけどね」
「それは」
柔らかな微笑を浮かべるサイゴに対し、戸惑うように声を震わせながら、ミリヤはしばらく逡巡した。いくつかの言葉を吟味した末に、問う。
「……どうして、サイゴさんは『死にたくない』って思えたんですか」
「誰も『生きろ』とは言ってくれませんでしたからね」
僕は基本的に生き汚いんです、と鎮伏屋は付け加えた。
「でも、ひとつだけ。インゴルヌカでうっかり自殺なんてしようものなら、十中八九は死体を拾われて、ワイトにされちゃいますよ。五体満足か、バラ売りかはまた別ですが。その点はご承知で?」
しばらく人形のように固まった後、ミリヤはぎこちなく首を振った。顔が青い。「あ、やっぱり」とサイゴは生ぬるい声で、予想に違わぬ反応を認めた。
「死に場所を選ぶときは慎重にしましょう。冠婚葬祭は大事ですよ」
「いえ、もう死にたいとか思っていませんから! ……ワイトになるなんて、そんなの、絶対いや」
「では、ニフリートさんのことはもういいんですか?」
つまり、鎮伏屋への依頼もまた、取り下げになるのか。サイゴが改めて確認すると、ミリヤは自分自身に対する失望と落胆を露わに、たちまち暗い顔になった。
「私、ダメですね。強くなるって言ったのに。あの時、半分はお父さんを引き留めたくて、半分は諦めかけて、あんなこと言っちゃって。……なのに、お父さんは本当に私を置いていっちゃった」
またもサイゴは、事を性急にしすぎたと反省した。まだ彼女は心の整理がついていないのだ、せめて一晩待ったほうがいいのだろうが、ニフリートたちの状況はあまり良くない。ひとまずは、ミリヤをなだめる言葉を口にする。
「まあまあ、ニフリートさんだって、本気で貴女をどうでもいいとは思ってませんよ。でなきゃ、あんな風に怒らない」
ただ頭を冷やすのに時間はかかるかもしれない、とはサイゴは続けなかった。
「あ!」
こちらの様々な思案を他所に、ミリヤは何かを思いついて、座席から腰を浮かせかけ、天井に頭をぶつけそうになった。
「お父さん、ベムリと一緒に行ったなら、また殺し合いになって……」
「いえ、それは大丈夫じゃないでしょうか」
言葉を途中で遮られ、ミリヤは「え?」と呆けた声を漏らした。
「彼は、ただ本当に、ニフリートさんやお嬢さんを助けたかっただけかもしれない、と僕は思うんですよ」
不快げに眉をしかめて、ミリヤは反論した。
「どういうことですか? 相手を殺して、それで何から助けられるって言うんですか」
「お嬢さんがさっき、自分で言ったじゃないですか。
――〝ワイトになるなんて絶対嫌〟だ、と」
息を呑み、口をつぐみ、ミリヤはそれ以上余計なことを言うのを諦めた。
「ベムリはお嬢さんを、ワイトにしないことが目的だった。彼がミンチメイカーとして人を殺して回ったのも、その死体を執拗に破壊したのも、被害者がゾンビ化してよみがえるのを恐れたからじゃない。誰かが……ロトボア博士が、ワイトとして利用することを防ぐためだったとしたら?」
車窓の向こう、雪明かりとライトアップに照らされたロヴァニエミ駅が、闇の中に浮かび上がっている。ここから一キロも行けば、ホテルに到着だ。通りでは、下半身をトナカイの四肢と繋いだサンタクロース・ワイトが子供にお菓子を配っている。
「彼は自分とニフリートさんがいた
ベムリの名が聞こえて、ミリヤは外を見た。通り過ぎた街灯テレビが、ミンチメイカーとしてべムリ・リンドの氏名と顔写真を公開している。続く被害者たちの名前。
「アンニヒラトル実用化の壁は、必要なだけのフィラメント密度が得られないことでした。今の技術では、ワイトへの導入量にはどうしても限界がある。理論上、生体に導入すれば更に密度を上げることが可能ですが、それでは対象の身がもたず、死んでしまう……。でも、もし幼い子供に、少しずつ少しずつ、それを植え付けることが出来たら? あの論文とは別に、そんな仮説を立てたのもまた、ロトボア博士です」
そこまで言われれば、ミリヤにも想像がついた。博士は、自分の養護施設で、子供たちを使った人体実験をしていたのだ。
「じゃ、じゃあ。生きたままフィラメントを入れられた人たちは、それが自分の子供にまで遺伝してしまっているんですか?」
おそらくそうでしょう、とサイゴはうなずく。
「お嬢さん、言ってましたよね。ワイトが近づくと体の中がゾワゾワする――それはニフリートさんと先生が出会った時、互いに感じていたものと同じ。フィラメント同士の共鳴です。生きているから、まだお嬢さんのフィラメントは眠ってますけどね」
二度、それでも足りず三度と、ミリヤは大きなため息を吐いた。ココアの缶をホルダーに置いて、肩や二の腕をせわしなく触り、自分の体を抱きすくめてうつむく。ウソよ、とすすり泣き寸前の声に、サイゴは淡々と告げた。
「別にお嬢さんが死んだとしても、それで自動的にワイトになる、なんてことはないから安心してください。そのまま埋葬されれば、安らかに眠れるはずです。ワイトの素材としてとても向いているだろうというだけで、貴女はアンデッドじゃない」
けれど、ベムリとニフリートは違う。彼らはおそらく、どこかの時点でロトボアの計画に気づき、命を落とした。ミリヤを誘拐しようとしたのも、ニフリートやベムリをおびき寄せる餌というだけでなく、彼女自身が欲しかったのではないか?
既に霊安課のマキールには、グラナッティオメナ出身者について調べてみると面白いことが分かるのでは、と伝えておいた(ベムリの正体や、ニフリートの存在は伏せているからそういう言い方になる)。施設の子供たちがロトボア博士にとっての実験体なら、彼らは定期的に不自然な失踪や死を遂げているだろう。
「さて、ここからだ、ミリヤお嬢さん。先生はきっと二人を追い詰めるよう手を回しているだろうし、僕みたいな彼らお抱えのアンダーテイカーは一人じゃない。ロトボア博士の一味は霊安課に任せるとして、貴女はどうしますか?」
サンタズホステル・ アロラが目の前に見えてきていた。彼女をここに送り届けたら、サイゴは一旦事務所に戻らなくてはいけない。ココアと、エヴァ49のマカル・インセンスが香る車内に、沈黙の雲が広がった。
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