十
警視庁刑事部捜査一課の
深夜、デスクで疲れ切った体を休め、今日一日のことを振り返る。デスクに置いてあった一枚の写真を眺め、溜息が出た。
「なんだっつーんだよ」
その写真には、今朝八王子市の廃工場で発見された得体の知れない生物の死体が写されていた。剣崎自身、この現場へと足を運んで実物を見た。薄緑色の四角い体のお腹の辺りから大きな口が開いており、無数の歯が凶々しく生えていた。その口には、鉄の資材と木材が貫かれ、地面にはその生物の血と思われる緑色の液体が広がっていた。
生物の真下には、血がほとんど付いてなかった。何かがあった証拠だが、形や大きさからして、一人の大人がその生物の真下にいたと考えられる。その生物を殺したのも、そこにいた者だろう。鉄の資材と木材からは二人の指紋が検出されている。指紋の一つは小さく、子供の者と考えられる。どちらの指紋についても、警察には心当たりがあった。連日の事件から二人の人物像が自然と浮かび上がる。
事の発端は、日野市で起こった男子中学生四人への傷害事件だった。中学生の供述は信じられないもので、警察でも一部の者にしかその全容は明かされていない。話によると、一人の女の子が突然獣の姿となり中学生四人へ襲いかかったという。最初にその話を聞いた時は馬鹿げた話だと思ったものだが、中学生四人には確かに何かの爪痕が残っており、信じられない話であったが、警察内部でも情報統制をし、慎重に捜査が進められることとなった。獣になったと言われているその女の子は、外見にかなり特徴があり、小学五年生の塚原心結だとされている。事件当時、塚原の側には友達がいて、日野警察は後日その子へも聞き込みを行なったが、「何が起きたのかわからなかった」との一点張りで有力な情報は得られなかったという。
塚原を容疑者として警察に連行しようと自宅まで警察が向かったが、塚原の母親は殺害されており、当の塚原は行方不明に。そして、近辺で立て続けに六件の殺人が起こり、さらには日野市にいるはずのないオオカミの斬殺死体が発見された。
ここまでは、獣になれるという塚原が最重要容疑者とされたが、ここから事件はさらに信じられないものへと発展した。
八王子の駅前に突如現れた薄緑色の生物。その生物に一人の警察官が殺害されたところを多数の歩行者が目撃している。現場は混乱に見舞われ、警官隊が到着した時にはその生物の姿はなかった。わずかな目撃証言から獣とその生物が対峙し、警官隊が到着する直前に獣が一人の男を抱え、逃げて行ったという。この事件からマスコミも大騒ぎで、未確認生物の登場としてニュースを独占している。
日野市での一連の殺人は、塚原よりも謎の生物が行なったという考えが警察内で有力となった。またわずかながらも獣の姿が目撃されていたことで、塚原は塚原でやはり捕らえるべき人物と判断された。
そして今朝、謎の生物の死体発見である。生物を殺したのは、資材からの小さな指紋と一連の流れから考えてやはり塚原が有力である。もう一つの指紋は、現在行方不明になっている丑澤健吾巡査長だと考えられている。というのも、生物の死体発見現場の近所に丑澤の自宅があり、このタイミングで行方不明になっているからだ。なぜ丑澤が行方をくらませたのか、それはまだ不明だが、塚原が一緒にいることが関係していると推測できる。
謎の生物が死んだことで、事件は終息に向かうかと思われたが、夕方にまた事件が起きた。それもまた丑澤の自宅の近くで。
謎の女と獣が対峙していることを、近隣住民が見ていた。辺りの壁は壊れ、銃声音も聞こえたという。女と獣はその場から立ち去り、その後に近くの山では小さな火災が発生していた。
火災と言えば、埼玉でもその事件の前に原因不明の火事があったらしい。
何が起こっているのか、剣崎自身頭の整理がつかなかった。それは、警察組織も同様でとにかく何かしらの情報を得るためにも、塚原と丑澤の確保が最優先事項だった。
煙草に火をつけ、机に両肘を突き重い瞼を閉じた。すると間もなく廊下を走る音が聞こえ、こちらに近づいてきた。
「こんどは何だ・・・」
剣崎はボヤいた。走ってきたのは部下の一人だった。ここ数日同じ様なことが何度もあり、その度に理解不能な事態を告げられていた。もうそれにも慣れてきて、大概の報告には動じなくてもいい頃だった。
「剣崎主任!」
部下は息を切らしながら、一枚の紙を剣崎に見せてきた。
「これを・・・!」
剣崎は咥えていた煙草を落とした。
「なんだ、こりゃ・・・」
その紙には、新たな理解不能な光景が写し出されていた。
滋賀県の多賀サービスエリアで最後の休憩をとった。時刻はもう深夜三時を過ぎている。
大阪まであと少し。健吾は眠い目をこすりながら、トイレへと向かった。
心結と美女はといえば、眠くならないのか平気でずっと起きている。せめて美女だけでも寝てくれたら、どうやって逃げ出すかの算段が立てられるのだが。どの道同じ車に乗っていては、逃げることもできないので大阪に着いてからが勝負というところだろう。
途中のサービスエリアで美女を置き去りにして、逃げようかと思ったが、さすがに美女は心結から目を離さなかった。
自然と二人の距離は近くなるのだが、心結が相変わらず美女に興味深々だった。
「魔法使いね・・・」
敵の目的が何であれ、心結は敵の本陣に連れて行かれるというのに、気楽なものだった。心結のクールな一面しか見てなかったので、あのはしゃぎっぷりには少々面を喰らった。
何より数時間前まで殺し合いに近い戦いをしてたのが嘘かのように、心結は美女にベッタリである。
二人が仲良くなって、逃がしてくれないかとも期待したが、美女は鉄の精神で完璧に仕事をこなすことにプライドがあるらしく、すぐにその期待は消え失せた。
トイレを出ると、待ってるはずの二人が見当たらなかった。
「へ?どこ行った、あいつら・・・」
「ねぇ、戻ろうよー」
「嫌じゃ。わしは腹が減った」
心結と美女は、サービスエリア内のフードコートへと来ていた。
「トイレくらい待ってあげたらいいのに。すぐ終わるのよ」
「わしがなぜあの男を待ってやらねばならん。わしはわしのしたいようにする」
健吾、慌てるだろうな。と、心結は思った。
心結は健吾を一人で待とうとしたが、美女が一緒に来るように言ったのでそれに従った。魔法使いのようなこの美女を見て浮かれてしまい忘れがちだが、自分は今捕らわれの身だということを自覚した。
どこかで逃げなければいけないのはわかっていたが、健吾と打ち合わせはできていない。
この美女と話していると、敵同士だということをついつい忘れてしまう。
最初車の中に、美女がいた時は敵意を抱いていた。なんせ、玲奈とウォルを殺した奴らの仲間だ。
しかし、美女が言うには仲間というより殺し屋として雇われの身で、それ以上でもそれ以下でもなさそうだった。心結を捕まえる理由さえわかっていない。
美女が奴らの仲間でないのなら、心結の中に芽生えたのは出会った時からずっと気になっていた美女の炎を出す能力への好奇心だった。心結は、基本友達がいなかったので、本をよく読んでいた。魔法使いが出てくる本も大好きで、黒ずくめの怪しげで不気味なその姿に、心結は親近感を覚えたものだ。
とは言っても実際に出会った『魔法使い』は、健康的な小麦色の肌の美女で、不気味さとはかけ離れた存在であったが、その美貌は心結を憧れさせるには充分だった。
魔法が使えて美人、まさしく心結にとって理想の人物像だ。いつかこんな女性になりたい。心結は、まじまじと美女の姿を見ていた。
私も髪を括ろうかな?
「アレを食う」
美女が立ち止まって指を差したのは、カルビ丼豚汁セットの絵だ。美女の見た目とは裏腹に、がっつりとしたメニューだ。
「シユウ。この星で物を食うには、金がいると男から聞いた。金は持っておるか?」
「うん、あるよ」
心結は健吾からもらっていた自分の財布を取り出した。
「券売機は・・・と。あった」
券売機に千円札を入れ、食事券を購入した。その券を店員に渡し、二人はテーブルに腰を下ろした。深夜だけあって、フードコート内は少数の利用者しかいなかった。
「どれくらいで、飯はできるのじゃ?」
「たぶん、すぐだと思う」
玲奈がご飯を作らなかったので、外食は慣れたものだった。
「お姉さんって、名前あるの?」
「む。名前か。一応あるにはあるが、この星の言葉だと言いにくいぞ」
「そーなの?じゃあ何て呼ぼうかな。お姉さんっていうのもなぁ・・・」
「好きに呼べば良い。その『お姉さん』でもわしは構わぬぞ」
「うーん・・・」
心結は、さっき通りがかったお土産コーナーで見かけた名前をふと思い出した。
「ひこにゃん!」
「ひこ、にゃん・・・?」
美女が思わず身を反らす。「ひこにゃん」とは彦根のご当地キャラの名前だ。
「イヤじゃ」
「え?」
「他の名前にしてくれ」
「えー!いいじゃん、ひこにゃんで!かわいいのにー!」
美女は困ったような顔で、目を逸らす。
「では、せめて、にゃんはとってくれ・・・」
「ひこ?」
「うむ、それならまだ良い」
「オッケー!じゃあヒコで決まり!健吾にも教えてあげなきゃー!」
憧れの存在を「お姉さん」では味気なかったので、ひとまず名前を呼べることが嬉しかった。
「はなせ!よぉー!」
近くのテーブルに座っていた若い男性が、突然大声を上げた。かなり酔っているようだ。もう一人のシラフの男性が酔っ払っている方を抑えている。
「やめとけって!子連れだよ」
シラフの男性が、苦笑いで諭すように言った。
「うるせぇ!知るか!あんなガキがいるような歳じゃねえだろうよ!」
酔っ払いの男は、もう一人の男を振り払い、心結達のテーブルに向かって走り出した。
男は二人のテーブルにドンッと手を置いた。
「お姉さん、ちょっとおれと飲まない〜?奢るよ〜」
「なんじゃ?キサマ」
「ちょっとやめなよ!」
心結は声を荒げた。
「あん?」
男は心結の姿を見るやすぐに不快な顔をした。
「おい!このガキ見てみろよ!気持ちわりぃ!なんだ、この髪!」
なんだかこういうこと言われるの久しぶりだ。心結は、気にも止めず男を睨みつけた。
「やめとけって!」
もう一人の男が酔っ払いを掴む。酔っ払いはもう笑っていた。
「ひひひ。ほら見てみろよ。気持ち悪いだろ。妖怪みてぇ!」
酔っ払いは、心結の顔を払い吹き飛ばした。背中が地面に激突し、一瞬息が止まる。
「ば、ばか!暴力はマズイって!」
「妖怪退治だよぉ!あはははははは!」
心結は払われた方の頬を抑え、男を睨みつける。と、ヒコが立ち上がった。
「おい」
ヒコが、酔っ払いの手を掴みねじり上げた。
「いててててっ!な、なにすんだよぉ!」
「そやつは大事な取引先の客じゃ。勝手に傷つけるでない」
男の手を掴んでいない方のヒコの手から炎が出た。
マズイ。
「死ね」
「ダメ!」
心結はテーブルに飛び乗り、ヒコの燃える手を抑えた。熱い。
ヒコは驚いて、すぐに炎を消した。
「シユウ!何をする!?」
「ダメなの!」
心結は、ヒコの手を掴んだまま叫んだ。
酔っ払いは片手をヒコに掴まれたままで、さっきまでの威勢はすっかり消え失せ、目には恐怖の色を浮かべていた。もう一人の男も信じられない面持ちで、ヒコを見て怯えている。
「おぬし、こやつに殴られたのじゃぞ。憎くないのか!?」
「憎いよ!ムカつく!殺してやりたい!でも殺しちゃダメなの!」
気付いたら目から涙が出ていた。
「殺しては、いかんだと?」
「そう!こんな最低な奴でも殺しちゃダメなの?人間の命を、簡単に奪ってはいけない!」
「シユウ・・・」
ヒコは厳しい目を心結に向けた。
「それはおかしいぞ。おぬし、わしと戦った時は、わしを殺そうとしたじゃろう?わしを殺しては良くても、人間を殺してはならんというのか?」
ハッとした。確かに自分はあの時、ヒコを殺すつもりで戦った。
「それは人間にとって、都合のいい台詞じゃ。人間は人間以外の者を平気で殺すが、人間は殺してはいけないという。わしは人間のその考え方を知っておるが、筋の通らぬ話は大嫌いじゃ」
心結には言葉がなかった。何で人間を殺してはならない?
「おぬしがわしを殺そうとした理由は想像がつく。じゃがその理由と、今目の前にいるこのクソみたいな男を殺そうとするわしの理由に、大きな違いがあるか?」
「・・・たしかに、ヒコの言う通りよ。私はあなたが人に危害を加える者だと知っていたから、敵だから、殺そうとした。この男も私に危害を加えたから、あなたが殺そうとする理由に大して変わりはないわ」
「そうじゃろう。だから、わしはこの男を殺す」
心結は、またヒコの手を強く握った。ヒコの目を見る。
「でも殺さないで!」
ヒコは目を丸くした。二人の男は、恐怖で身を震わせている。
「私が間違っていたわ!ヒコがこの男を殺したい理由もわかった。でも殺さないで!何でかはハッキリと言えないけど、ヒコに殺して欲しくないの!」
涙が頬をつたる。ヒコは、男の手を離した。
「行け」
ヒコは下を向きながら、男に言った。
「行け。わしの気が変わらぬ内にな。今回だけは、見逃してやる」
二人の男は、声を出しながら外へと逃げ出して行った。
「おい!」
健吾の声だ。
「やっと見つけた。勝手にどっか行くとか勘弁してくれよー」
健吾が近づいてくる。泣いている心結の様子を見て、異変に気付いたようだ。
「あれ?どうかした?」
心結はヒコの手を離した。
「ありがとう、ヒコ」
「別に例を言われるようなことはしておらん」
ヒコは、不機嫌そうに言った。
「えっと、どしたの?」
心結は、ハッとして周りを見た。店員と客が目を丸くして、こちらを見ている。一部始終すべて見られていたようだ。
「健吾!すぐ出発しなきゃ!」
「お、おう」
「む!シユウ!わしのメシは・・・」
「それどころじゃないの!」
心結は、健吾とヒコの手を掴み走り出した。
三人が去った後も、フードコート内はしばし沈黙が続いた。
EBE しる @e0601227
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