第五章 いとしの神様

 雲ひとつない青空、エリーは暑さ対策か麦わら帽子をかぶっている。たったそれだけだけど、いつもとは違うエリーに俺のテンションがちょっと上がる。

「似合うか?」

「とっても」

 そんなおしゃれなエリーに加えて、いい写真はいいロケーション。そう思って次に選んだのは、バスケ漫画とかで使われた『鎌倉高校前駅』にやってきた。

「この駅一度来てみたかったのじゃ!」

 電車を見送ってすぐに駅からは出ずに海を一望。

 視界というファインダーいっぱいに、海と空を入れるエリーを横から一枚。

「やっぱり気になってた?」

「うぬ!」

 ここは『関東の駅百選』にも選ばれ、アニメや漫画だけじゃなく、アーティストのプロモーションビデオにも使われることが多い。

 電車が行って、人が少ないうちに何枚か写真を撮ってからようやく駅を出る。

 エリーが景色を楽しみながら歩くのを追いかけるように撮影していくと、カンカンカンカンと踏切の音が聞こえてくる。

 鎌倉方面からやってくる江ノ電、風で麦わら帽子が飛ばされないように抑えるエリーの自然なポーズ、舞い上がる金髪、映画のワンシーンのような写真が撮れる。

 もう一度挑戦しようにも江ノ電は通りすぎてしまった。金網越しの線路だけが、ファインダーに入る。

「ケイスケ?」

「ああ、ごめん」

 エリーに手を握られてボケーっとしてたのに気がつく。

 この駅の周辺はお店が殆ど無い。名前通り学校があって、あとは住宅ばかりだ。それでも俺たちのように写真を撮りにやってくる人が多いのは、この踏切のおかげかもしれない。

 鎌高前の踏切は、渡ったら目の前に海があるような感じがする。実際に踏切と信号を超えたら海に行ける。

 それだけではなく、ここからは江ノ島も見えて江ノ電も通る。この周辺を使ったアニメが多くある理由はそういう、様々なシチュエーションでおいしい構図や風景が楽しめるという理由がある。

 そんな中、たくさんのカメラマンやスマホを構える観光客のいる場所を素通り。

「お? ここで撮らないのか?」

 エリーは不思議に思ったようだ。俺ならこんな場所を見逃すわけがないと思っているはず。

 この場所の難点としては車通りが多いので、気をつけて撮影しないと迷惑だし危ない。エリーにあまり危ない思いをさせたりしたくないというのと、エリーと一緒に他の人を入れたくない。

「もっといい場所があるんだ」

 と首を傾げるエリーの手を取る。踏切のある十字路をまっすぐ、自転車で登るのが億劫になる熱いアスファルトのS字坂を登る。

「『七里ヶ浜シーサイド通り』」

 エリーが読み上げた案内があるけど、本当に住宅街しかないので観光客はほとんど通らない。値段の高そうな住宅が並ぶだけ。

 でもここから見える江ノ島や、海の見える風景は住んでる人を羨むほどだと俺は思っている。

 早歩きでエリーの前に出てカメラを構える。エリーは俺がカメラを構えると、そのレンズの先には何かあることに気がついたのか、登ってきた坂を振り返る。

「おお!」

 驚きの声とともにシャッターを切る。エリーの振り向いた先に江ノ島と海を治めることができた。

「ケイスケはどういう調べをして、こういう場所を見つけるんだ?」

「ここは漫画とかに出てくるからね。それをきっかけに行ってみて、あとは自分で歩く」

 ここはカズユキと一緒に見てたアニメに出てきたスポットのひとつだ。それをきっかけに場所を知ったんだけど、こういう構図とかは実際に行ってみないと見つからない。

 あまり人に知られてないスポットを見つけるのも、いい写真を撮る工夫だと勝手に思っている。

「まだ登るのか?」

「うん、まだまだいい景色はたくさんあるよ」

 またエリーの手を取り、坂道を登り出す。人もあまりいない、車も殆ど走らないけど、海の音が聞こえるには遠い、そんな道。住むのは難しいけど、こうして誰かと一緒に歩くことは簡単。

「なんじゃその顔」

「ん、ちょっと頭痛が」

 どういう顔をしたのか分からないけど、頭痛でしかめっ面にでもなったのかもしれない。

「風邪でも引いたか?」

「かもね」

 あとでエナジードリンクでも買おう。翼が生えるやつ。

「あまり無茶はするなよ」

「ん、ちょっと気になる程度だから大丈夫だって」

 先にある上りと下りのY字路を上りの左へ。またSになっているその道はキレイな住宅の屋根の向こうに海が見える。

 左右を確認して車道を横切る。

「キレイなものじゃな」

 草に足元をくすぐられながら、ガードレールから身を乗り出すように海を望む。右を見れば江ノ島、相模湾を高いところから眺めるにはいい場所だったりする。

「写真撮るよ」

「うぬ」

 車が来てないことを確認しながら、良い構図を練り始める。海とエリーと遠くの江ノ島をうまく抑えられて、かつバランスのいい構図を考える。

 なんだか頭痛がひどくなってきたな。少し体もだるくなってきたし、

「おいケイスケ、顔が青いぞ」

「へっ」

 エリーがずいずいと俺の前にやってきて、俺を見つめる。な、なんだ、それに心なしかドキドキもしてきた。

「今日はこのくらいにしておこう。帰るぞ」

 と俺の手を引き来た道を戻る。なんでか、抵抗する力が入らない。


「ごめん、ちょっと休む」

 駅の改札を通ると近くのベンチへ直行。思ったよりしんどくなってきた。

「やっぱり大丈夫じゃなかったではないか」

「……ごめん」

 返す言葉がこれしか思いつかない。だるいし脳みそ回らないし。

「症状を言うてみよ」

「頭痛い、だるい、喉乾いた」

「待っておれ」

 スタスタとエリーが視界からいなくなった。チャラチャラとお金の動く音がして、ガシャンと物が落ちる音。

「ほれ、ちょうど冷えてたスポーツドリンクがあったぞ」

「ありがと」

 水滴の付いたペットボトルを受け取り、蓋を回す。その程度の力は残ってた。

「熱中症じゃな」

「ご明察。よく分かったね」

 神様とは無縁そうな病気なんだけどね。

「私をなんだと思っておる」

「神様」

「そうじゃ。それ以上に、ケイスケの恋人だ」

 呆れながらそう言って俺の横に座った。

「ほれ、少し横になるといい」

 されるがまま、暑さを感じさせないひんやりとしたエリーの太ももに頭をあずける。前にもこんなことあったな。

 波の音と、エリーの太ももと。違うのは空が青じゃなくて蒼なことと、海も見えることかな。

「ここでしばらく休んだら大人しく帰るのだぞ」

「わかりました、神様」

「よろしい」

 海と空を見ているのも疲れて、目を閉じる。波の音と、たまに走る車の音がちょうどいい子守唄になってきた。

 踏切の音がするけど、しばらく電車に乗れそうにないな。


    ◇


 昼飯を食った後もだるかったので、雨をやり過ごすようにダラダラと布団に潜っていた。

 食後で眠いからかふわふわした感じだ。海に落ちた時もこんな感じだったな。

「うぬ! おかまいなく、なのじゃ」

 あのときもエリーが居て、俺を助けてくれたって言ってた。

「ケイスケ、入るぞ……寝とるのか」

 そんなこともあって俺たちは付き合ってるわけで、

「まったく……私のために頑張ってくれるのは分かるが、もうちょっと自分のことも考えてほしいものじゃ」

 昨日はいろいろとやり過ぎたみたいで、熱中症でこんな状況、

 ボフっと俺のベッドに何かが乗った音がした。薄めを開けるとこの湿気の中でもサラサラの金髪が見えて、

「エリー!?」

「おじゃましておるぞ」

「なんでここに?」

 上半身を起こしてエリーと目線の高さを合わせる。

「病人を見舞いに来てはいかんのか?」

「そうじゃなくて、俺エリーに家の場所教えたっけ?」

「ミーコに聞いたぞ。ほれ、見舞いの品も預かっておる」

 とテーブルの上に翼が生えるエナジードリンクが置かれる。

「ったくあいつは……っ」

 いつもどおりあいつに文句のひとつも言おうと思ったけど、頭痛ぇ。

「ほれ、病人がでかい声を出すな」

 そう言われてしぶしぶ横になる。エリーの金髪が近くにあって、触りたい衝動にも駆られたけど我慢。

「エリーは大丈夫なの? 俺と一緒だったのに」

「神々の体の構造が人間と一緒だと思うなよ」

「それは失礼しました」

 やっぱり人間と同じ風邪とか病気はしないってことか。まあ、海にダイブして遊ぶほどには体が頑丈ってことか。手を繋いだときの感触を考えるとそんな風には思えないけど。

「心配せんで寝ておれ。私も部屋の物色はしないでおいてやるから」

「俺が健康だったら、漁る気まんまんだったのかよ」

「当たり前じゃ、『えっちな本の確認は彼女の義務』だとミーコが言っておいったからな」

「……あいつの言うこと、いちいち信じないほうがいいぞ」

 エリーは人の言うことを素直に聞く子だから、ミーコとしてはいじりやすいのだろう。

「まあせっかく来てくれたし、エロ本探しをしなければ好きにしてくれていいぞ」

 エリーには見つけられない場所に隠してあるし、俺も見てるから大丈夫だと思う。見つかると二階にあるこの部屋の窓から投げ出される。巨乳の本が多いからな。

「うぬ!」

 いつもの元気な返事をすると、俺の本棚の漫画を眺める。手に取ったのはよさこいを題材にした、俗にいう萌え漫画だ。

「なんじゃ、女の子ばっかり出てくるぞこの漫画」

「まあそういう漫画だからね」

 俺よりもカズユキが好きなやつだ。

「ケイスケこういう趣味があったのか」

「多分エリーの考えてるのは誤解だと思うんだけど、その漫画は鎌倉を舞台にしてるから集めてる」

 そのよさこい漫画もそうだけど、その隣の少女漫画もそうだし、上の棚にずらりと並ぶバスケ漫画もそう。俺の漫画選びは非常に偏ってる。

「確かに、この絵は弁天橋じゃな。江ノ島も映っとる」

「でしょ」

「こっちもそうか?」

 次に手にとったのは合唱を題材にしたアニメのコミカライズ版。昨日行った場所が出てくる。

「こっちは男の子も出てくるのぉ」

 それも戻して今度は雑誌の棚へ。風景写真とポートレートの定期購読してる雑誌が一種類ずつ並んでて、特集が気になった単発買いの雑誌がそのしたに雑多に並ぶ。

「写真はこういうのを参考にしておるのか」

 そう言って一冊取り出し、ベッドの前に座る。エリーの頭が、横になっている俺のちょうど前。

 雨の日はよく髪が大変なことになると悩む女子が多いとミーコに聞いたことがある。でもエリーの髪は湿気の影響をまるで受けてないようにサラサラに見える。

 ちっちゃい頭からベッドに伸びている金髪は、まるで黄金の国ジパングの金の流れる川だ。マルコポーロがそんなことを書いたわけじゃないけど、そんな感じの川が俺の前に流れてる。

「どうしたのじゃ?」

「あ、いや、その……」

 熱のせいかいい言葉が出てこない。正直にエリーの髪に見とれてたというべきかごまかすべきか、

「なんじゃ、私の髪が気になるのか?」

「あ、うん……じゃなくて、うん」

「触るか?」

「えっ?」

「撫でてもいいし、梳いてもいいし、匂いを嗅いでもいいし、食べてもいい。あ、切るのはやめてくれよ」

 食べるのはいいのにか。食べないけど。

 付き合う前だったかな、嫌いそうだったこの髪。先日触ろうと手を伸ばしても触れなかった髪。そして『私の機嫌をうまくとれたらご褒美に触らせてやる』とまで言った髪。そのご褒美ということだろうか。でもエリーのご機嫌を取るようなことしたかな。写真は撮ったけど。

 上流から砂金を流した川のようなロングヘアーを好きにして良いと言われた。でも急に一億円渡されて『今日中に使いきれ』と言われたようなのと同じ感じで、どうしたらいいか悩む。

「じ、じゃあ、触るよ」

 まずは優しくしてみよう。

 頭を撫でたりしたときには触れたことがあるけど、こうして後ろ髪に触れるとその肌触りの良さを改めて感じる。とても暑い日に冷たい水に触れたような感じ、って比喩するのがいいのか。もっといい褒め方があるかもしれないけど、やっぱりこれが限界。写真では表現できるんだけどなぁ。

 くすぐったいような、甘い声が聞こえた。

「エリー?」

「気持ちいいから続けて」

 ……匂いも嗅いでいいって言われたし、いいよね。

 その日本の神様も嫉妬しそうな髪をすくって鼻に近づける。どういうシャンプーを使っているのか分からないほど、表現するのに適当な言葉が思いつかないほどのいい匂い。正直これを感じながら寝ることができたらどれだけ幸せかとか、くだらないことを思ってしまうほどだ。

 幼い時、俺を助けてくれた神様の匂い。

 このまま眠れたら心地いいかも――

「ん?」  

 エリーが何かを見つけたような声を出して立ち上がった時『あっ』と声を出しそうになったのをこらえた。

 でも金の川は無慈悲にも俺の手から流れてしまった。

「なあ、これ――ってなんじゃその顔」

「今俺どういう顔してた」

「ご主人にかまってもらえない犬の顔」

「マジか」

「ケイスケ、前に私のこと犬みたいって思ってなかったか? その台詞、そっくりそのまま返すぞ」

 思ったけど言ってないから台詞じゃないし、返ってこない気もするけど、まあいいや。

「で、どうしたの?」

「これもカメラか?」

 俺の机の上にある半ばオブジェとかしたカメラ。コンパクトデジカメくらいの大きさで、デザインはフィルムの頃のカメラみたいなレトロな感じ。

「うん、俺が子供の頃使ってたトイカメラ」

「ということはカメラなのか」

「そうだね。今も使えると思うよ。ちょっと貸して」

 エリーから受け取ると電源を入れてみる。

「うん、充電すれば使えるね」

 電池の表示が真っ赤だけど、今でもちゃんと使えるようだ。

「これ、借りてもいいかの?」

「寝顔を撮らなければいいよ」

 エリーならやりそうだ。用途は分からないけど。

「なんじゃ、撮らせてもらえないのか」

「恥ずかしいし」

「以前に私の変顔を撮りまくった奴がよく言う」

「可愛かったから撮った」

「もっといい表情があっただろう」

「多分それも撮ってるから安心して」

「じゃあ、また今度貸してくれ」

 さっき読んでた雑誌に影響されたのだろうか、本当に気まぐれな神様だな。付き合う前のことだけど、難しいからやめたって言ってたのにな。

 すると今度はさっきの漫画の棚から自転車漫画に手を移して一巻から読み始めた。

 さっきと同じようにベッドの前に座ってるけど、金の川は流れてこなかった。


    ◇


 目を開けるとエリーの頭と、テーブル上に散らばった漫画の数々。

「起きたか?」

「もしかして寝てた?」

「うぬ。寝言で、寂しそうに泣きながら私の名前を呼んでおったぞ」

「マジで?」

「だから、私も『おおよしよし怖くないぞ。この江里能売(エリノメ)』がついておるからのぉ』と頭をなでてやったぞ」

 やべぇ。当たり前だけど寝言だからそんな記憶ねぇ。それにそんな夢も見てない。こればかり言い訳できないか。直前までエリーの金髪に触りたくて仕方がない発作みたいな状況だったし、今思うとマジで俺は変態かそうでなければ狂ったかと思う状況だったし、

「冗談じゃ」

 してやったりという表情のエリー。

 ちくしょう、この前江ノ電で寝てた時に寝顔のひとつでも撮っておけばよかった。この屈辱をはらしたい。

「じゃ、そろそろ私は帰るぞ」

「あ、うん、ありがと」

 とは思うものの。エリーは俺のために来てくれたのだ。それはとてもうれしかったし、なんだか体調も良くなった気がする。

 好きな人と一緒にいると寿命が伸びるとか聞いたとこあるけど、それと似たような感じで、体調の回復も影響するのだろうか。

 素直に例を言った俺にエリーは白い歯を見せて、

「うぬ。元気になったらまた来ると良い」

 部屋から出ようとするエリーを

「送るよ。調子もだいぶ良くなったし」

「大丈夫じゃ。病人なのだから大人しくしておれ」

「分かったよ」

「待っておるぞ――」

 ほっぺに触れた柔らかいもの、この雨の日でもいい匂いのする金髪が俺の目と鼻の先まで近づいて、文字通り『ちゅ』という音がしたわけだ。

 ……俺、今なにをされた?


 ようやく正気に戻って、ミーコの差し入れのエナジードリンクを飲もうと思った時、ベッドの上に光る何かを見つけた。

 髪の毛。

 さっきまで騒がしくしていてようやく静かになったというのに、俺の鼓動と思考はまたうるさくなってきて、今さっき帰ったのにまた会いたくなってきた。

 その気持を抑えるべく、エリーの長い髪の毛を凝視する。

 匂いをかいで見る。いい匂いはしない。一本だけだとダメなのか、あのいい匂いはエリーの匂いなのか。

 でも一本だけでもサラサラなのが分かる気がする。この髪に包まって寝てもいいと思える。匂いもあって最高の寝心地だろう。

 いやいや妄想にふけってる場合じゃない。

 喉が乾いたのでミーコの見舞いのエナジードリンクを飲もうとすると、

「うん?」

 缶の下に便箋がある。エリーからの手紙なんだろうけど、今更なんだろうか。



 ごめんな、ケイスケ。

 多分この手紙を読んでいるとき、ケイスケには私が見えなくなっていると思う。

 ちゃんとお別れを告げようと思ったけど、最後の瞬間までケイスケと楽しい時間にしたかった。

 だからさよならは言わないで行こうと思う。

 ケイスケがエリーと私とのことを呼んでくれるの、すごい好きだ。

 だからもう一度会うことができたら、そう呼んで欲しい。

 また江ノ島に信仰が戻った時に、会えたらいいな。



 すぐに着替えて玄関へ、江ノ島へ走った。雨は上がってたけど、滑って転けそうになりながら自転車に乗って、チェーンを千切る勢いで漕いで、今さっき出て行ったエリーを追いかけた。

 でも江ノ島に着くまでにエリーを見つけられなかった。

 じゃあいつもの場所にいるんじゃないかと思って、東の防波堤へ。暗い空の下、荒れた海を横目にエリーを探した。

 暗い中、思い出すのは幼いころ岩屋で迷子になった時のこと。あの時助けてくれたのはエリーだという。でも今はそのエリーが居ない。江ノ島の中だって、目を閉じて歩けるほど覚えている。

 エリーの行きそうな場所を探す。灯台のところ、ヨットハーバー、下道、天気が悪く進入禁止になっている岩場も入って探した。

 今日は家に帰ったのだろう。そう言い聞かせて家に戻る。

 トイカメラの充電は忘れた。


    ◇


 次の日も、いつもの場所にエリーは居なかった。

 当然だ。先日居なくなってしまうことを告げられたばかりだ。二日やそこらで戻ってくるわけがない。

 今日はもちろんエリーを撮るつもりでカメラも持ってきていたが、使うことはないかもしれない。

 ベンチへ座って、エリーがいつも見ていた景色を眺める。

 別に女の子にフられるのは初めてじゃない。中学生の頃に人並みに恋愛はしていたし、ムカつくほどミーコにからかわれたのもよく覚えている。

 ひと夏の恋、なんて言えば聞こえはいいけど、そういう思い出にはできない喪失感がある。

 少し前にエリーが難しい顔をしていたのは、これが理由だったのかもしれない。あのときもっと突っ込んで聞けばよかったかもしれない。熱中症で倒れたりしなければ何かしてあげられたかもしれない。

 後悔してもしょうがない。過去を振り返るなら、エリーが俺の前から姿を消す理由となった信仰について、話をしていたことを思い出そう。

 防波堤を歩く。波の音が程よく寂しさをかき回してくれる。

 エリーいわく、俺が江ノ島に感じている気持ちが信仰だという。その時もそうだけど今回もよく分からない。

 神様にとって信仰がエネルギーになっているというのはなんとなく理解はしたけど、じゃあ信仰ってどうやって増やしているのか。

 エリーはどうやってこの世界にいるためのエネルギーを得ていたのか。

(ケイスケはそのカメラで撮った写真を何人か、いろんな人に見せているな。そこで私のことを知ってくれたりした、そういうのが信仰になる。ケイスケは私の信仰集めを知らずのうちに手伝ってくれたのだ!)

(得られた信仰は微々たるものだが、神々にとって大切な信仰をくれたこと、感謝しておる)

 エリーの言葉を思い出して、視線がコンクリートから相模湾に移り変わる。

 もしかして、エリーの写真をたくさんの人に見てもらえたら信仰になる。他になにか言っていなかったかな。トンビの鳴き声を聞きながらエリーとの思い出のページをめくっていくと、

(江ノ島の事好きっていうのは、私のことを好きだって言うのと同意義なんだぞ。分かってるのか?)

 こんなことを言われたことがある。

 つまり、江ノ島の魅力を伝えることができる写真を沢山の人に見てもらえたら、エリーの信仰も戻るのかもしれない。

 そいえば先日エリーが部室に来た時、写真コンテストのチラシがあった。期間もまだ過ぎてないはず。

 うろ覚えの情報を確認するためにチラシが置いてそうな場所へ行こう。まずは、江ノ島の観光案内所だ。弁天橋を渡ってすぐのところにある。

 江ノ島の地図や湘南地方の無料雑誌に混じってチラシはあった。締め切りが一周間後。発表は始業式の日。次の日からは藤沢の本屋の六階で行われ、ネットにも公開されるという、うろ覚えの情報も間違ってない。

 うじうじ悩んでいてもしょうがない。エリーのために、エリーとまた江ノ島を歩くために写真を撮る。

 人に見せるのが怖いとかそんなことは言ってられない。

 あの時、岩屋でエリーが俺を外に連れてってくれたように、俺もエリーをまたこの世界に連れ出してあげたい。

 それ以上にエリーに会いたい。その髪にもう一度触れたい。またお供え物をしたい。またエリーの写真が撮りたい。

 もう一度、その名前を呼びたい。


    ◇


 今まで自己満足だった写真撮影だったけど、エリーのためにいい写真を撮るということとなれば真面目に勉強する必要がある。

 家にあった雑誌を全て読みなおし、マンガやイラスト集などにあるいい構図を見なおしたり、日本語対応していない写真投稿サイトのアカウントを作り、上手い人はどういう写真を撮っているのか見てみたり、写真家の集うSNSを覗いたり、ネットにアップされている写真撮影講座も全て読んだ。

 そして今までの倍以上の枚数を撮影するようになった。

 風景撮影時でも今まで持ち歩かなかった三脚を持ち歩き、早朝の日の出を撮ったり、夜の江ノ島を撮影したりもした。

 それでも、前みたいに熱中症にならないように気をつけたりもしてる。体を壊してしまったら写真も撮れないし、またエリーに心配されてしまう。

 寝込んでも金髪は触らせてもらえないのだ。


    ◇


 土曜日の夕方、バイトが終わって写真の現像のために学校の部室に行くと、先客が居た。

 本人からすれば一仕事終えて戻ってきたような感覚なのだが、俺からすればどこかのイベントから返って来たような顔。今秋放送開始の文字が書かれたアニメのうちわを、パタパタさせるカズユキ。

 机の上にはアニメのキャラが書かれた紙袋。本当にどこに行ってきたのか。

「ケイスケか。パソコンなら待っててくれ、今始めたばかりなんだ」

 パソコンの画面にはデータの移動中という文字と残り時間。

「なぁ、うまい写真ってなんだ?」

「唐突だな」

 移動待ちの間、暇そうにしていたから聞いてみた。

「コンテストにエリーの写真を出してみようと思ってね」

「いくら薦めてもコンテストに参加したがらなかったケイスケが……どういう風の吹き回しだ?」

 あまり意外そうじゃない言い方だな。

「うん、まあ……」

 エリーの信仰のためになんて言えないけど……なんて説明したものか。

 少し考えてカズユキは、

「あくまで俺個人の意見だが、モデルの子にしろ風景にしろ『その魅力を表現した写真が』いい写真なんじゃないか」

 魅力を表現。当たり前なのかもしれないけど、難しいこと。俺の写真の課題でもある。

「あとは『世界観』っていうとピンと来ない言葉かも知れないが……実際に見てもらったほうが早いな」

『世界観』って国語の授業にも出てくるか分からない単語に首を傾げた。

 カズユキは新しくフォルダを開いて自分のフォルダを表示させる。中にはコスプレをした女の子の写真がずらり。

「こういうのとか」

 ゴシックロリータっていうんだったかな。そんなフリフリドレスを着た女の子が、洋風の城にありそうな階段からこちらを見下ろしている写真が出てくる。

「チャコはこういうゴスロリ衣装が似合うもんで、こういうロケーションで撮影したことがある。つまり、モデルの魅力を引き出すためにロケーションを用意した」

 俺達のいる世界とは別の世界にも思える写真。こいつの好きな漫画とか、RPGのような雰囲気を感じさせる。

「つまり、モデルがきれいに見える場所で撮影することが重要ってこと?」

「そんな感じ」

 どうしたら江ノ島がいい場所であることが伝わるかってことか。

「写真っていうのはデザイン的に考えれば構図が全てかもしれないが、俺は進んでいく連続した映像の一瞬を切り抜いたものだと思ってる。だから前後に物語があったり、フレームの外には世界が広がってる」

 また詩的な表現だな。こういうクサイことをいうやつだっけ?

「お前の写真を例にすると、エリーちゃんがお菓子を食べてる写真があっただろう? あれの前後にはお菓子を買うところや食べ終えた後『美味しかった』っていうシーンがあったと思うんだ」

「……俺、そのときの話したっけ?」

「いや、写真を見れば前後が想像できる。そういう物語があったからあの写真はよかったんだ」

 まじかよ。カズユキのことを甘く見すぎていたみたいだ。

 こいつの写真はコスプレイヤーさんのポートレートが多い。そこにはそのアニメの衣装着た人が居て、その作品がバックにある。アニメの衣装じゃなくても、その衣装には作った過程、撮影の際にイメージしたシチュエーションがある。

 そういうことを加味して今の話をまとめると、

「つまり、前後やフレームの外にも続きはあるから、それを想像させるような写真が人の目や心を惹きつけるんじゃないかってこと?」

「だな。まあ考えは人それぞれだからあくまで参考にな」

 物語か……。そんなこと全く考えたことなかったなぁ。

 そもそもどうして江ノ島が好きになったのか。子供の頃にエリーに助けてもらって、江ノ島に神様がいるなんてことを信じるようになって、そんなことがあったからだ。

 実際に神様は居て、好きになって、もちろん江ノ島のことももっと好きになった。

 そんな物語を表現するような写真か……。

「なあ、エリーちゃん居なくなったってマジか」

「はぁ!? お前、なんでそれを!?」

 誰かに話したとかそんな覚えない。っていうか居なくなった理由だって説明できないのだ。

「……手紙があった。雑誌に挟まってたんだが」

 そいえば前にここに連れてきた時、エリーはカズユキの置いてったアニメ雑誌を読んでた。

「なんて、書いてあったんだ?」

「『わけあってケイスケのそばから居なくなってしまう。寂しがり屋のケイスケのことをよろしく頼む』って。ミーコにもそんなこと言ってたらしい」

「だから、俺は寂しがり屋じゃないって……」

 まったく……エリーは俺のことどう思ってるんだ。

「なぁ、エリーちゃんは戻ってくるのか?」

「もしかしたら連れ戻せるかもしれない」

 確証はないけどな。かと言って何もやらなければエリーは本当に戻ってこない。そんな気がする。

「事情はよく分からんが、そのためにコンテストに写真を出すのを決心したんだな」

「ああ」

 強く頷く。察しがよくて助かる。

「俺にできることは写真を見てアドバイスしてやることくらいだ。だが可能な範囲で協力するから何でも言ってくれ」

「なら、江ノ島の神様にお願いをしておいてくれ」

 もしかしたら協力してくれるかもしれない。そんなこともちょっと思ってる。

「ここで神頼みかよ。ラノベの主人公だったら『神なんぞに頼らねぇ。俺はこの手でエリーを連れ戻すんだ』くらい言えよ」

 鼓舞するように軽口を叩く。残念ながら俺は小説や漫画の主人公にはなれないし、なるつもりもない。だから堂々と神頼みする。

「エリーは神様だから、同じ神様の力が借りたい」

 エリーが『自称神様見習い』だというのはカズユキにも言ってるしな。

「……エリーちゃんってお前にとってどういう存在?」

「いとしの神様だ」


    ◇


 どうやらミーコも事情を知っているらしい。あいつも心配してるだろうし、少し話をしてやらないといけない。

 ちょっと重い話になるし、仕事中に行くのは躊躇った。なので日も沈んだ時間にやってきた。

「あら、ケイスケ……やっぱりひとりなんだ」

 夜の撮影用に三脚を担いだ俺を見てしんみりした顔になる。どういう顔をしてよいのかわからないんだろう。

「エリーがいなくなったのは、知ってるな」

 頷く。

「意外と元気なのね」

「エリーのためにすることもあるし、落ち込んでもいられないからな」

 カズユキもそうだったが、ミーコも俺以上にショックを受けてる気がする。ふたりからすれば事情も分からずに突然居なくなったわけだし、仕方がない。

「先日制服を貸した時に『私は近々居なくなると思う。そのときはケイスケのことよろしく頼む』って。詳細は教えてくれなかった」

「だろうな……」

 信仰が減ってきて存在できなくなったとか言っても信じてもらえないだろうからなぁ。何か聞かれたら故郷の国に帰ったと言うつもりだ。 

「ねぇ、エリーちゃんは戻ってくるの?」

 見たこともないミーコの不安な表情。こいつはこいつでエリーのことかわいがってたし、俺の思っていた以上に仲が良かったんだと思う。

「戻ってくる。俺がどうにかする」

 担いだ三脚を持つ手に力が入る。根拠がなくても今はこれしかないし、誰になんと言われようとどうにかするって決めた。

「そう……」

 そんな俺の考えが伝わったのかいつもの落ち着いた表情になるミーコ。

「ケイスケ、あんたかっこ良くなったわね」

「そうか?」

「ええ。今のケイスケ見たら、エリーちゃん惚れ直しちゃうかもしれないくらい」

「なっ……」

 こいつさっきまでマジで落ち込んでたのに調子が戻るなり何言ってやがるんだ。

「多分だけど――」

 また真剣な表情になり、

「エリーちゃんはケイスケのこと待ってる。わたしにできることはないかもしれないけど、がんばって」

「おう。うまくいくように、ミーコからも江ノ島の神様にお願いしておいてくれ」

「なにそれ」

 もしかしたら江ノ島の偉い神様が助けてくれるかもしれないからな。

 それだけ頼んで撮影に戻ろうと思っていたら、

「そうだ、ケイスケ」

 思い出したようにミーコが呼び止める。

「あと、エリーちゃんが戻ってきたらお願いしてた写真、よろしくね」

「……おう」

 

    ◇


 休憩しにいつもの防波堤までやってくる。いつもと変わらず、涼し気な波の音や頬を撫でる優しい汐風が心地いい。

 ベンチに座って感傷にひたるというか、単純に思い出に逃げているだけかもしれないけど、ここにいると落ち着く。

 もちろんエリーは居ないんだけど、風景や風、音が『エリーは見えないだけでここにいる』って言っている気がしてならない。妄想かもしれないけど。

 そんなことを考えているからか、撮る写真も風景というよりポートレートのような構図をしてる。エリーがここにいたら、ここでこういう表情をしてるんだろうなとか考えながらシャッターを切る。

 あとはやっぱりカズユキのアドバイスのおかげだろう。

 江ノ島には歴史があって、人が住んでいて、いろんな人がやってきて、その場所には物語が生まれる。写真や絵はそれを切り取ったり写したりしているから、面白い。

 何年も江ノ島や鎌倉や藤沢の街を撮影してきたのに、それにようやく気がついた。

 エリーを撮った写真はどれも、エリーとの物語だった。だからいい写真だったんだろう。

「エリー、また君が撮りたいよ」

「なー」

 俺のボヤキに返事をした声、というより鳴き声。

「君は前に岩屋であった子猫……の神様見習いだっけ?」

 俺の言葉も分かるのか返事が聞こえた。逆に俺はこの子の言葉が分からないけど、このメガネみたいな模様は間違えない。他にこんな子猫は見たことがないし。

「また迷子か?」

 首を振った。違うらしい。

「遊んで欲しいのか?」

 また首を振る。

 っていうか俺はなんで子猫と意思疎通ができてるんだ。普通の猫じゃないのは知ってるけど、俺も普通の人間じゃなくなったのか?

 子猫は俺の足元をスリスリしてくる。やっぱりかまって欲しいのか? さっきのは勘違いか。そう思って抱っこしてみると、ふるふると放してほしそうに首を振る。

 おろしてあげると階段の方まで駆けて行き、

「なーなー」

 俺を呼ぶように鳴く。どうしてほしいのか。

 とりあえず、猫についていくと今度は階段を降りていく。子猫にしては運動神経良すぎだろう。まるでエリーみたいだ。

 階段を降りると今度は人の歩く道へ。俺が追いつくのを待っている。

「あー子猫だー」

「可愛いー、ほらこっちおいで~……あらら」

 俺以外にもかまったくれそうな人が居たのに、それをスルーして弁天橋の方へ歩いてい行く子猫。

 やっぱり俺を呼んでいる。

 行き交う人を避け、子猫を追いかけて、いつの間にか弁天様の像がある噴水までやってくると、

「あれ?」

 西日に照らされる海を見て思わず声を出す。

 弁天橋の東側はたまに潮が引いて、本州から島まで歩けるようになるのは知っている。でもついさっき海の写真を撮った時、満潮でまったく道ができる気がしなかった。急にこんなに潮が引いたのは不自然だ。

 そんなことを考えている間に、子猫は手すりの隙間からジャンプして潮が引いて出来た砂道へ降りる。

「ちょっと、そっちは危ないよ」

 俺も手すりを登って砂道へ。

 猫は意外と危機管理ができる動物だ。高いところからジャンプしても着地でないような高さからは降りない。同じように波にさらわれて溺れるような場所へは行こうとしない。そもそも猫は水にかかるのを嫌う。

 あの子は特別だからなんだろうか、それとも俺をあそこまで誘導しようとしているのか、海という大量の水を怖がらずに歩いている。

 明るい海の間を走って子猫を追いかける。日が傾いて来たからか結構眩しい。

 このまま行っちゃうと本州に行ってしまう。狭い江ノ島で迷子になるくらいだから、本州まで行ってしまったら大変だ。

「ほらー、そっち行くと危ないよー」

 もうすぐ人の多い海岸まで行ってしまう。そうなると助けるのにまた一手間だ。

 子猫が立ち止まった。今がチャンス、

「やっと捕まえ……」

 ようやく違和感に気がついた。

 西日は弁天橋で遮られるのでこの砂道は日陰になるはずだ。なのに妙に明るい。

 この感覚は前に、海に落ちたのをエリーに助けてもらったと同じような感じ。

 まるで日本じゃない、テレビで見た絶景のような、ファンタジー小説の海底都市みたいな、透き通る海があった。

 俺がその海に見とれているとその隙に江ノ島の方へ駆けていく。俺も追いかけようとしたけど、振り向いたその足は動かない。

 見たことのない江ノ島の姿があった。

 透き通る水と、蒼穹と、人々と神々たちの島。

 足は動かないけど自然にカメラを構え、気がついたらシャッターを切る音がした。プレビューも見ずに、撮影時の設定も変えずにただただ、夢中になってシャッターを切る。

 この不思議な光景はいつまで続くか分からない。

 神様見習いの子猫を追いかけてやってきたら不思議な世界に迷い込むという、不思議の国のアリスのような物語を残したい。

 江ノ島にはいろいろな神様が居て、金髪の綺麗な可愛い神様見習いがいて、こんなに不思議な事が起こる面白い島なんだって、それを表現したかった。

 写真には物語がある。この写真は俺とエリーと江ノ島の物語だ。

 不思議な光景は一分位だっただろうか。日が傾き、空が暗くなっていくのとともにいつもの江ノ島へ戻っていった。潮が引いて出来た砂道も海に沈んでいった。

 その道はまるで神様が見せてくれた希望の轍だったのかもしれない。

 橋を渡って江ノ島に戻る。行き交う人達がさっきの光景の話をしている。みんなあの透き通る海を見ていたみたいだ。

 俺だけが見た光景ではないということにちょっと安心する。写真をたくさん撮ったのに全部幻覚でしたでは笑えない。

 その光景が一番良く見える場所へ案内してくれた子猫は、橋を渡った先で俺を待っていた。一言声をかける様に鳴くと、どこかへ走って行ってしまった。

 あの子への『お供え物』はどこにすればいいのだろうか。猫缶でも持ち歩いて、また見かけたらお供えしてあげよう。

 また自然とやってきたいつもの防波堤。さっきの写真を確認したかった。

 設定を細かく見てなかったけど、思いの外綺麗に色が出ていた。見たままの海と空と江ノ島がちゃんと保存されていた。そんな不思議な光景を思い出しながら、次の写真を表示するボタンを押していた――んだけど、手が止まる。

 手を止めるように命令した写真は、不思議な景色の中で砂道がちょうど写真の中心になるようになっている写真。

 夢中になって撮った割には意外といい感じに撮れてるなと思って手を止めたわけじゃない。手を止めたあとにそう思った。

 空と海の青や、江ノ島の緑、建物や雲や砂の白に溶けこまない色があったから。

 希望の轍の上に金色がある。

 正確に言うと長い金髪の女の子が、こちらに微笑んでいる。

「エリー……」

 見間違えるはずもない。俺のいとしの神様がそこに写っていた。

 次の写真を確認してもエリーは写っていない。本当にこの一枚だけだ。

 どうしてこの写真だけに写っているのか分からないし、どうやって写ったのかも分からない。

 ひとつ分かることは、これをコンテストに送りたいという気持ちだけだった。

 作品名は……。


    ◇


 コンテストに写真を送ってから二週間。始業式の日になってしまった。今日は学校が終わった後直行で藤沢に結果を見に行くつもりでいる。

 あれから江ノ島を撮り続けたけど、あの不思議な現象を見ることはなかったし、エリーをもう一度ファインダーの中に入れることはできなかった。

 他のコンテストにも応募するつもりで写真は撮り続けているし、実際に何箇所か応募している。

 朝、学校に行く前だ。母に頼まれて新聞を取りに行くと、ポストの上に筒が置いてあった。学校の卒業式にもらうようなやつだ。

 送り主は藤沢の写真コンテストの事務局。まさかと思って開けてみる。

 ……初めてこの日は学校をさぼろうと思った。


 学校には向かわず、カメラも持たずに家を飛び出した。立ち漕ぎでロードバイクを追い抜くような気迫で江ノ島までやってきた。

 先日までと比べて人が少なく、海の家を撤去している音が聞こえ、なんとなく寂しさも感じるけど今はそれどころではない。

 いつもエリーと出会ういつもの場所へいかないと行けない気がした。

 エリーがいなくても、このことを報告したい。俺の写真が認められたことを伝えたい。

 でももし、そこにエリーが居たら、なんて言葉をかけようか。『ありがとう、エリーのおかげだ』とか『やったよエリー』とか『会いたかったよ』とかいろいろ思いつく。

 いつもの場所に自転車を泊め、まだ暑さの残る島をダッシュして、東の防波堤へ。波の音が聞こえる階段を登る。

 海風になびく黄色がそこにはあった。

 彼女はベンチに座り、変わらない相模湾を眺めていた。

「遅かったのぉ」

 ワスレナグサの色をした目がこちらに気がつく。

 居なくなった人の情報で一番最初に忘れるのが『声』だと言われているけど、俺はその波のような声を忘れたことはなかった。

 まだまだ強い日差しの中、涼し気な笑顔で俺を見つめる彼女に、考えていた言葉を全て失っていた。

 でも手紙に書いてあった彼女の好きな呼び方をしたいと思う。

「エリー……」

「なんじゃその顔は」

「俺、今どんな顔してる?」

「何千年も会えなかった恋人と再開したときの顔じゃ」

 力いっぱいエリーに抱きついた。

「一ヶ月も離れてなかったじゃろう……まったく」


 エリーに抱きしめられ、迷子になったとき以来の大泣きをしたあと、ようやく疑問に思っていたことを口にする。

「あの現象はエリーが起こしたの?」

「んにゃ、あれは猫じゃ」

「ねこ?」

「ケイスケ、前に岩屋に迷い込んでいたこ~んな顔をした猫を覚えておるか?」

 指でメガネのような形を作って表現するエリーに頷く。

「ケイスケの目的を知った猫が、今までのお礼にって協力してくれたのじゃ。さらにそれを知った偉い神々までもが少し力を貸してくださったというわけじゃ」

 情けは人のためならずではなく、情けは猫のためならずというわけか。江ノ島は猫が多いけど、こんなことになるとは思わなかった。

 今度募金もしておこう。

「さらにじゃ。江ノ島の神々に『私が早く戻ってくるよう』お願いをしておったやつがおると聞いておる」

 カズユキとミーコか。ホントにお参りしてくれるとは思わなかった。

「私たちは思った以上に大切にされているようじゃな」

「うん」

 あのふたりにはまたお礼をしないといけないな。

「あのとき、神様が不思議な現象を起こした時はエリーもあそこにいたの?」

「そうじゃの。ケイスケが写真を撮ってるのを見ておったぞ」

「じゃあ、あれはやっぱりエリーだったんだ」

 見間違えるはずはないけどこれでようやく確信した。そしてそのおかげでこうして賞を取ることができた。

「佳作、作品名『アイランドオブE』」*タイトルこれでいいかな?

「音読しないでよ」

 文章を書いている人が、自分の書いた文を音読されるのが恥ずかしいって聞くけど、それがなんとなく分かった。写真のタイトルだけでも随分と恥ずかしい。

「あのときの私はどうだった?」

「とても綺麗だったよ。多分、今まで一番綺麗に撮れた」

「その写真、見たいぞ」

「明日見に行こう」

「今日はいいのか?」

「展示会は明日からなんだ。あと、今日はエリーと一緒にいたい」

「ホントに寂しがり屋じゃの」


    ◇


 学校サボった理由は適当にごまかしたけど、二人ほどちゃんと理由を説明しないといけない奴が居る。

「ふ~ん、それで昨日サボったのね」

 エリーが戻ってきたのを説明するなりいつもの調子に戻るミーコ。調子のいいやつだ。

「よかったな」

「おう。ふたりが神社にお参りしてくれたおかげでもある」

「お、おう……ホントに神様が願いを叶えてくれたん、だよな?」

 そうカズユキに返すけど、やっぱり首を傾げる。俺も、あまりに人間の認識を超えたことが起こりすぎてて理解が追いついてない。

「んじゃ、ケイスケ~約束の写真を……」

 くっ、やっぱり忘れてなかったか。

 わざわざコンビニで印刷してしぶしぶ持ってきていた。俺からすればこいつに、いや誰にでもそうだけどエリーの姿を安売りしたくない。

「ほら。あまり見せびらかすなよ」

「ありがとー」

 早速開けて見るのかよ。

「おおっ、これはこれは」

「かーわーいーいー」

 ミーコに渡したのは、エリーが学校に来た時に部室と廊下で少し撮影をした物だ。夕陽に照らされる金髪がキレイだったのと、神様には縁のなさそうな俗世の場所だけあって、ノリノリだったエリーのテンションが印象的だった。

 今思うと、エリーは俺と過ごす残り少ない時間を楽しみたかったのかもしれない。

「おいケイスケ、俺にもデータよこせ」

「断る。お前彼女いるだろ、金髪が欲しかったらウィッグとかでどうにかしろ」

「そうじゃねーんだよ」

「じゃあなんだよ」

「悔しいけど、俺よりうまいんだよこれ。モデルやロケーションがいいっていうより、気持ちが伝わるんだよ。お前、ホントにエリーちゃんのことが好きなんだな」

「そうね~、わたしもケイスケの写真たくさん見てきたけど、こんなにかわいい写真撮るようになったのね」

「……ありがと」

 あまりにべた褒めされるので、言葉に詰まった。とりあえずお礼を言うだけはできたが。

 するとふたりは笑って、

「ほら、今日はコンテストの結果見に行くんだろ。早くエリーちゃんを迎えに行けよ」

「あ、そうだったの。ごめんね、引き止めちゃって」

「あ、ああ。じゃあまたな」


    ◇


 俺たちは藤沢にある本屋の六階で行われてるコンテストの作品展示を見に行った。 展覧会は本屋に買い物に来た人たちがついでに見に来ることもあって、地元のいろんな人が見ていた。

 そんな中俺の写真を見つけた。

 表彰状にもあったように佳作として展示されていた。隣には、次点としてなんでこれが賞を取れないのか分からない出来の写真が、一緒に飾られている。その写真と並んでいると、まるで自分の写真ではないみたいに感じる。

 でもそれは紛れも無く俺が撮影した写真で、そこには今左手を握ってくれてる神様がとてもキレイに写っている。

「おいケイスケ、何を泣いているんだ」

 もう二度と出ないだろうと思っていた変な声がもう一度出た。

 エリーに言われて右手で目元をこすると、確かに濡れていた。

「なんでだろうな。俺もわかんない」

 そうエリーに笑って返すけど、その顔はぎこちなかったかもしれない。どうにもいつもどおりにできない。

「『八月に起こった不思議な現象の写真を、いい場所で抑えた写真です。さらにモデルさんも素敵な笑顔を見せてくれています。タイトルの『E』は江ノ島のEとモデルさんの名前のEなのでしょう』そのとおりじゃ」

 目が潤んで読めなくなった俺の代わりにエリーが審査員コメントを読む。

 一度は『下手くそ』と言われ、他人に写真を見せるのが怖くなった俺が、市の小さなコンテストとはいえ次点。応募総数は分からないけど、しっかりとした評価をしてもらえたことがうれしかった。

 会場を出るまでエリーは何も言わず俺の手を握ってくれていた。


 藤沢で遊ぶことも出来たけど、結局俺達の居場所は江ノ島だ。ふたりでそんなことを思った。

『えのすい』の目の前にある歩道橋。人通りが少ないけど、西側から江ノ島を眺められる良いスポットだ。

「本当にケイスケはいろんなところを知ってるな」

「まあね」

 なんとなく人の居ない場所に行きたくてここに来た。

「こういう場所を写真にしたくなるのじゃな」

「うん。だから江ノ島は好きだ」

 前に江ノ島に対する好意はエリーに対する好意だと言っていた。それを分かってこの言葉を伝える。

「またこの景色が見られるのはケイスケのおかげじゃ。感謝しておるぞ」

「俺はまたエリーに会いたかっただけだよ」

 エリーの頭を撫でる。こうしてエリーに触れられるのが今はとても嬉しい。

「ケイスケ、前に使ってたカメラじゃが、今度持ってきてくれるか?」

「いいよ。撮りたくなった?」

「うぬ。私も江ノ島のこともっとたくさんの人に知ってもらいたい。そのために写真を撮りたいのじゃ」

 エリーの場合はまた消えてしまわないために、江ノ島のために、写真を撮るのかもしれない。でもこうして俺の同じ趣味に興味を持ってくれるのは素直に嬉しい。

「一度は夏をあきらめたが、ケイスケとケイスケが撮った写真のおかげでまだまだここに居られる。やっぱりケイスケには感謝じゃ」

 心底嬉しそうなエリーの声を聴くと俺もよかったと思う。

「ケイスケ、まだ言ってなかったことがある」

「えっ、何? 改まって」

 この期に及んでまだあるというのか? もう俺の頭のなかはいっぱいいっぱいだ。

「私を綺麗に撮ってくれて、ありがとう」

 西日に照らされる優しいエリーのその言葉を俺は聞きたかった。エリーが俺の写真を素直に褒めてくれた。

 今日の結果でも十二分に満足している。俺の幼いころのトラウマを払拭させ、自信を持たせてくれるほどの結果だった。

 でもエリーのその言葉が、言葉にならないほどに嬉しかった。

 いろんな感情が、津波のように押し寄せてくる。

「なっ、ちょっと!? ケイスケ?」

 堪らずその気持ちでエリーのことを抱きしめていた。今エリーがここにいることだけでも俺にとっては幸せだ。

 この子は俺の神様だ。

「ありがとう、君のおかげだ。大好きだ、エリー」

 もしエリーがホントにどこか遠くへ行ってしまっても、俺は君のしてくれたこと、君のいたことを絶対に忘れない。

「……ケイスケの願い。叶えてやったぞ」

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アイランドオブE 雨竜三斗 @ryu3to

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