第四章 神様との思い出
「どうしたのさ、学校の先生に怒られたような顔をして」
頬杖をついているエリーの隣に座って、その悩ましげな表情にコメントする。
天気はとても良い。雲も程よくあって、写真映えする理想的なロケーション。それとは対象的な曇り空が俺の隣のエリーの天気。
「そんな顔しているか?」
「エリーはすぐ顔にでるから」
自分の顔を疑うように触るけど、それじゃ多分わからないと思う。鏡があればそれを見せてあげたい。
おいしいものを食べればおいしい顔をするし、恥ずかしかったら真っ赤になって怒るし、
「ケイスケもそうだろう?」
「前にカズユキたちに言われた」
「何かあったの?」
「……最近観光客は多くても地元の人間があまり来なくなった気がしてのぉ」
「地元って言うと藤沢の人たち?」
「そうなんじゃが……正確には信仰が減ってきてる」
「それって江ノ島の神様を信じてもらえなくなってるってこと?」
「神様自体を信じてもらえなくなってきてる……と言ったほうがよいのかもしれんのぉ」
日本は宗教観が薄い国だと言われている。信じたって給料は上がらないし休みはもらえないし、景気は良くならないなんて考えてる人も多いと思う。それに宗教関係ではあまり良くないニュースばかり報道されるのもあってか、神様を信じられなくなっているのかもしれない。
俺の場合は、目の前にいる神様のことを好きになっちゃったのだから無条件に信じていることになる。
少し考えてたけど、何か決心でもしたように立ち上がって大きく伸びをして、
「ほれ、今日も私と撮ってくれるのだろう?」
「うん」
返事をしたものの、エリーが何を考えていたのか気になる。話している時にそれとなく聞いてみよう。
いつものようにエリーを連れてやってきたのは藤沢市観光案内所の隣にある公園のような場所。ゆっくり江ノ島を一望できる場所だ。木の丸太を模した椅子があって、そこに座ってボケーっと江ノ島を見つめるだけでも日が暮れる。
いい写真はいいロケーションからと思って、まずはここにしてみた。
さっそくエリーは丸太に座って江ノ島と水平線を眺める。
江ノ島と隣にある木造のレストランをバックに、さわやかな構図をもらう。
「エリー、ひとつ後ろの丸太に座ってもらっていいかな?」
「うぬ!」
俺の指示通りに座り直し同じように空と海と島へ目を向ける。
左からエリー、江ノ島の建物、展望台と並ぶような、空と江ノ島の緑と海が重なるような構図になるようカメラを構える。三分割法を意識した考えだ。
「エリーはいつも涼しげだよね」
「そうか? いつも暑いと思っておるが」
「あまり汗かいたりしてるのを見ないからさ」
「神だからな」
あ、そういう答えか。
もしかしたら人間とは体の構造が根本的に異なるのかもしれない。いつもサンダルはいて、結構な距離を歩いているのに足を痛めたりしないし、それ以上に人間離れした動きをするし。俺たち人間の常識が通じない相手なのだろう。
「コートを着てても平気だぞ。逆に冬でもこの格好でもいれるが――」
「それは見てるほうが暑苦しいからやめてね」
エリーの冬服姿も早く見てみたい気もするけど、今はいい。
「人間は軟弱じゃな」
「神様と比べないで――」
ふと空に見えた物に目を奪われ、口が止まる。
「なんじゃその顔」
「飛行機」
エリーと俺の見上げる空には短い線があった。たまに神奈川の上空を飛んでいるのは知っていた。でもあまり撮影する機会はないので、ここぞとばかりにシャッターを切る。
江ノ島の向こう側に行って、見えなくなるまで必死にその白い線を撮影していた。
「どういうふうに撮れたんだ?」
エリーがこっちにやってきてカメラのプレビューを覗く。
真っ青に塗ったキャンバスにただ白い線を走らせたような写真が何枚かあるだけ。人によってはつまらないと思うけど、俺はこういうのが好きだ。
「乗り物とか好きなのか?」
「うん。正確には動いている乗り物がいいかな。海の上を走る船とか、この辺をよく走ってる外車とか、高級車も撮りたくなるな」
「ケイスケお主かわいいな」
か、可愛い?
「な、なんで?」
「ん~、だって飛行機とかにはしゃぐなんて子供みたいじゃないか」
そういいながら背伸びをして俺の頭を撫でる。
男として『可愛い』と言われるのは若干複雑ではあるが、こうしてエリーに愛でられていると考えると悪い気はしない。
でも恥ずかしいことは確かなので抵抗はせずに目をそらすだけ。
「エリーは本とか読む?」
「読むぞ。四コマ漫画とかコンビニでよく立ち読みするぞ」
ああそういう読書か……。
「なんじゃ、期待はずれみたいな顔をして」
期待はずれというより的外れ。
これから向かう場所は、近代文学家たちの貴重な資料や実際に随筆していた原稿などが保存されている博物館のような場所だ。
それだけなら漫画ばかり読んでる俺やエリーを連れて行くのは場違いな印象もあるけど、そこは建物や庭にも歴史があり文学に興味が薄くても楽しむことができる場所だ。
由比ヶ浜駅を降りて、踏切を渡り山の方へ歩く。こっちは相変わらず観光客は少ない。どこにでもありそうな住宅街を歩いて行く。
長谷や鎌倉に繋がる通りの信号をわたって行くと、一軒家が立ち並ぶゆるい坂道。観光地とは思えない静かな住宅街を進むとコンクリートからタイルの道に変わる。
「鎌倉文学館?」
コンクリートとタイルの境界線に置いてあった立て看板をエリーが見つめる。
「なんじゃ、さっきは文学とか小説を読むかと聞いたのか」
「エリーは好きな小説とかあるの?」
「うぬ! 江ノ島を舞台にしたという小説を読んだぞ! なんでも映画化したそうじゃないか! 江ノ島の店にそんなポスターが貼ってあったぞ……ってなんじゃその顔は」
「はいはい、エリーは読書家ですね」
あまりにも自慢気にそういうことを言うのが可愛くて、その小さな頭を撫で回す。
「撫でるなー」
タイルの道に変わると頭上を木々が覆い、涼しさを感じる。
ここで足を止めてカメラを取り出す。
「ここから撮るのか?」
「うん、こういうロケーションっていいと思うから」
カメラの設定を終えると、木陰の中でも眩しさを感じるエリーの白い肌やワンピースを、ファインダーに入れていく。木々の隙間から入る光がエリーをキラキラさせている。
「エリー、可愛いポーズってできる?」
「抽象的な指示じゃな」
そうつぶやいて少し考えたエリーは、締め切りになっている門に寄りかかりこちらを見つめる。
「こんな感じでどうじゃ?」
俺はシャッター音で返事をする。
エリーは門の向こうに何かを見つけたような顔をして、関心の息を漏らす。
「あの向こうに洋館があるんだよ」
古都鎌倉の洋の文化。明治の頃に建てられ、戦前に改築された建物が今もなおこうしてひっそりと建っている。
それに感心しているエリーも何枚か撮って、
「それじゃあそこに行ってみようか」
タイルの道をまた進むと入場券売場があって、その向こうにはトンネルがある。
少女漫画にも使われた短いトンネル。そこをエリーが歩くのはとても絵になる。
「なんじゃまた撮るのか」
早く洋館が見たくてウズウズしてるけど、俺の写真に付き合ってくれるようだ。
トンネルの中をゆっくり歩いてくれるエリーを後ろから何枚か撮ったり、エリーを追い抜いて出口から撮ったりもした。
「おしとやか風……にできる?」
「わがままなやつじゃな。って、ケイスケお主、私のことをおしとやかじゃないって思ってるな」
「あ、いや、そうじゃなくて、そういうエリーも見たいなって思って」
「まあよい」
髪をかきあげて、まるでこの先の洋館の主は私だと言わんばなりの表情。おしとやかというより、お嬢様みたいになったけど、これはこれで。
エレガントに撮れたと思う。モデルもロケーションもいいと撮ってて楽しい。
好きなモノを足してもいいものはできないということだろうか。
「おおー、すごいところがあるものだの!」
エリーがいつの間にか俺より先に洋館の姿を堪能していた。
鎌倉文学館は観光客の言う『湘南地方』にあるとは思えないほど静かな場所だ。
お寺や神社がメジャーで、この場所がマイナーだからなのかもしれない。観光雑誌には当然載っているけど、一ページ使って大々的に紹介していることは少ない。
なので今日も近所の学校の女の子が風景のスケッチに来ているくらいで、全然人は居ない。騒いだりしないようすれば、思う存分撮影ができるというわけだ。
ただし文学館の中は撮影禁止なので使えるのは洋館の外とベランダ、奥の庭園。
それを踏まえて、このロケーションをどう活かすか考える。光源の位置からして、文学館をバックにしたほうが栄えると思う。
ちょうど芝生の真ん中で洋館を正面から見つめるエリーがいるので、それを後ろから撮ってみよう。
「エリー、ちょっとそのままにしてて」
「うん」
エリーにピントを合わせて、建物がボケるように調整。三分割法とかは考えずにど真ん中に配置して撮ってみる。
シャッターボタンを押そうと思った時、風で少しエリーのスカートが揺れてるのに気がついた。
みえ……いやいや、そういうんじゃない。
このスカートの揺れがいい演出になると思う。ちょっとタイミングを考えながら、今度こそシャッターを切っていく。
「もういいか?」
「OKだよ」
するとエリーはこっちを向いてから、ニヤっと白い歯を見せて体を大の字にして倒れる。ふわっと舞うスカートだけどやっぱり中は見えなかった。これも神様の力だろうか。
そうじゃない。
「エリー?」
「こんな整った芝生があるのだ。寝転がらなきゃ損だろう」
やってきた俺にご機嫌な笑顔を見せて、
「ほれ、ケイスケも転がってみるといいぞ。それとも、写真を撮るか?」
エリーに言われて気がつく。こういう場所だからできる写真の撮り方は、何もロケーションにこだわったものじゃない。こういう体制を取れる場所は文学館以外だと、稲村ヶ崎公園くらいだろう。
エリーに言われて気がつく。もうちょっと視野を広く持とう。写真を撮る人間ならなおさらだ。
俺もエリーに目線を合わせて、芝生がファインダーに入るんじゃないかって思う低さでエリーを覗く。
写真雑誌でもこういうのを見たことがある。いつか撮りたいなって思っていたやつと似てる。
「こうやってカメラマンを見てやったほうがいいか?」
体を横にして、人によってはセクシーに見えるポーズになるエリーだけど、エリーだとあまりセクシイにならない。可愛いけど。
「エリー楽しそうだね」
「ケイスケと一緒にいる時はいつも楽しいぞ」
エリーとしては特に意識して言ったつもりはないんだろうけど、俺にはすごい刺さった。悪意を微塵も感じない笑顔も眩しくって愛らしい。
こうしてエリーと同じように寝転がってるというのも、なんだかドキドキすることをしてるなと気がついた。余計に心臓音のテンポが早くなる。
「どうしたのじゃ?」
「あ、いや、なんでもない」
エリーはいつも以上にリラックスしてるというか、楽しそうだ。今日悩んでいたようなエリーの表情はなんだったのだろう。
考えすぎ、とエリーに大笑いされて背中を叩かれそうだけど、やっぱり気になる。
写真を撮らないといけないのにどうにも集中できない。そんな撮影が今日はこの後も続いた。
閉館時間も迫ってきたし、日も傾いてきたので今日はここまでにしておく。あとは、エリーへの『お供え物』だ。
「おや、駅に戻るのではないのか?」
「今日の『お供え物』がまだだったでしょ」
「ふむ。前にも言ったかもしれないが、別にもうよいのだぞ。私だって楽しくてケイスケの専属モデルをしてるわけだし」
と遠慮しつつも後ろにはパタパタと揺れるしっぽが見えた気がする。
「じゃあ、俺が食べたいから一緒に食べて」
「し、仕方ないのぉ」
エリーの手を取り日の傾く方向へ歩き出す。
観光地と言ってもちょっと観光スポットから離れればこういう道がある。鎌倉らしくおしゃれなカフェや趣味が高じて開いた小物屋、いかにも職人がいそうなお店などなど。
真っ直ぐ行くと『長谷寺』のある道に突き当たる。ここを右に曲がれば鎌倉大仏のある『高徳院』へ行けるけど、今日はどちらも行かない。何故かここだけ秋葉原のような感じのするおでん缶詰の自動販売機を気にしながら、駅のある左へ曲がる。
ここからは道が狭いので並んで歩けず、エリーは俺のTシャツの裾を引っ張って付いてくる。
「どら焼きが食べたい」
とエリーがつぶやく。さっきから『高徳院』に行くであろう観光客が手に持ってるからエリーもそう思ったのだろう。
「この先にあるよ。今日はそれにしようと思ってんだ」
「ホントか!?」
「もうちょっとだから」
「うぬ!」
外国人観光客向けの服屋とか、キャピキャピのアクセサリーが置いてあるお店、カフェを通り過ぎ、小物のお店の隣にある『どら焼き』の旗がある。
それを見つけるなり、エリーは俺を追い抜いてエリーがお店の中へ駆けていく。
俺も中に入ると、どら焼き好きのネコ型ロボットのような顔で、ショーケースに並べられたどら焼きを見て瞳の中のエメラルドを輝かせていた。
写真を撮りたかったけどお店の中なので我慢。
閉店時間ギリギリのようで、どら焼きはあまり置いてなかったけどエリーが食べたそうなものはあるみたいだ。
「どれにする?」
「迷うのじゃ……どれも食べてみたいのじゃが今月は……ぐぬぬ」
神様も懐事情が厳しいようだ。
「全部一個ずつください」
「で、どこで食べるのじゃ?」
お店は五時で閉まってしまうので外で食べることに。この辺だと公園は……。
「あっちの方に神社があるんだけど、そこにしようか。人も少なくて静かだし」
「ああ……すまぬ。神社は入れんのじゃ」
手に持ったかごで口元を隠し、歯切れが悪い言い方をする。
「苦手、とか?」
「じゃなくて、他の神々のテリトリーになるからのぉ。寺も同様に入れん」
神様にもいろいろあるようだ。人づてに聞いた話しになるけど、とある神社にお参りに行ったら、祀られている神様と仲の悪い神様の神社に行ってはいけないみたいな話もあるし、それに近いのだろう。
そういうお話なら仕方ない。他の場所といえば、
「じゃあ、海を見に行こうか」
「うぬ!」
今度は元気な返事をしてくれた。やっぱり海が好きらしい。
長谷駅から南に五分程度で海に着く。海に着くとちょうど五時になったみたいで、『夕焼け小焼け』が耳に入ってくる。
忘れられたブルーシートの上に座って早速、どら焼きの入ったカゴを開く。どれにしようかと楽しそうに迷ってるエリーを見ていると、
「ケイスケは甘いもの好きなのか?」
「きらいじゃないよ。テレビや雑誌に載ってた鎌倉のスイーツはだいたいチェックしてるし」
「誰かと行ってるのか?」
「ほとんどひとり」
「ということは、たまに誰か付いてくるのだな」
『ぼっちで寂しいやつじゃのぉ』と煽られると思ったけど、そこをツッコまれた。言葉のあやで出たものじゃなく事実だから言うけど、
「うん、写真部の友達、カズユキが彼女とのデートコースの下見のためにね」
前にも鎌倉撮影デートプランを考えてやったことがある。定番の鶴岡八幡宮からここ長谷駅周辺を経由して稲村ヶ崎の公園で夕日が見れるタイムスケジュールだ。そのおかげか、エリーとの撮影スケジュールも自然と頭に浮かぶ。
ミーコも俺のスイーツ試食についてくる時があるんだけど、ここでそれを言ってしまうとエリーが妬くと思うので黙っておく。
「鎌倉にも詳しいのだな」
「でもその知識はあまり役に立たないけどね」
デートプランを練れても他に役に立ったことがないからなぁ。
「そうか? ケイスケが詳しいおかげで私は楽しいぞ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「ケイスケ、お主はもうちょっと自信を持て」
「俺はまだまだだよ」
藤沢や鎌倉のいろんな場所を知ってたって、何の役に立つのかパッと思いつかない。カズユキはデートスポットを聞いてくるし、エリーとのデートにも確かに役には立っていると言ってもこれを仕事にできるかといえば微妙だと思う。
もっと写真が撮れたら自信が持てる気もする。でも今日も撮った写真は自分としてはまだまだ。モデルをしてもらっているエリーに申し訳がないくらいだ。
「ケイスケ」
返事をする前にどら焼きが口に押し込まれた。
「まったく……お主というやつは」
思考を読まれたのか、これ以上変なこと考えるなと言いたいのか。あるいは、今余計なことを考えてるより、そのキャパシティにどら焼き詰めてやるという感じか。甘すぎないあんこが脳みそに染み渡る。
でもそれ以上に考えないといけないこともある。
目の前でどら焼きを食べているエリーのこと。
夕日に照らされる白い肌がとてもキレイだけど、同時に儚くも見える。
「そいえば私の修行について話してなかったな」
と抹茶どら焼きの包装を解きながら、
「私には三つの試練が課せられている。ひとつ、現世の姿を得ること。ケイスケやミーコたちから私が見えるのだからこれはクリアじゃな」
俺には最初からエリーの姿は見えていた。これは自力でクリアしたのだろう。
「ふたつ、江ノ島に張られた私専用の結界を破ること。これもケイスケのおかげでクリアじゃな」
上機嫌そうにパクっと一口。まるで『ケイスケのおかげじゃ』という顔。
「三つ目は、一定の信仰を得ること。これが百六十年経ってもあまり進んでおらん」
「じゃあ、その三つ目が終わったらエリーはどうなるの?」
「そうしたら晴れて江ノ島の神々の一柱として名を連ねることができるな。じゃが」
「じゃが? もしかして、エリーがいなくなっちゃうんじゃ」
修行が終わったらエリーは俺の前から姿を消すんじゃないかと思った。高校生でいられるのが三年しかないように、エリーの修行もちゃんと時間または目標が設定されてる。それが達成された時、他の江ノ島の神様が人間から見えないように、エリーも俺の目の前から姿を消すんじゃないか。
「馬鹿者。今の信仰を数字にしてみた時、目標の数字の一割も進んでおらん。このままじゃケイスケが生きてる間に神社も立たん」
再び空いた手でやれやれのポーズ。
「って、なんつー顔しておるんじゃ」
俺がどういう顔をしていたのか鏡がないから分からないけど、寂しそうな顔をしていたんだろう。
エリーは頭に手を乗せていつぞやのように撫でてくれる。
「どう頑張っても、ケイスケが死ぬまでに『見習い』の称号はなくなりそうにない。ケイスケが死ぬまでずっと一緒にいてやるからな」
心底安心したというか、いずれ来るであろう今生の別れを想像しただけにショックが隠しきれなかったようだ。
「ケイスケは寂しがり屋じゃな」
「誰のせいでこうなったと思ってる」
エリーが急にそんなことを話すからだ。今朝の顔といい、今日のご機嫌な表情といい、まるでエリーの修行で何かあったような感じがする。
ただ、俺の話術じゃそれを聞き出すことができないし、人間の俺ではエリーに何かしてあげることもでない。
若干の不安と一緒にどら焼きを口に入れる。
◇
「ミーコじゃないか!」
「やっほー! エリーちゃんと、ついでにケイスケ」
なんで俺をついで扱いした。
江ノ島の西沿いを歩く下道。その入口付近でエリーがミーコを見つけて声をかけた。俺達の振る手と一緒に茶髪のポニーテールが揺れる。
エリーから声をかけるなんて随分と丸くなったなと思ったんだけど、
「今日もデート?」
「うぬ!」
「撮影だよ」
照れ隠しに言ってしまった。いやデートでもいいんだけど。
「ふ~ん、そう」
また何を考えてるのかわからない、いやらしいジト目のミーコ。目で、新しい噂のネタを見つけたとか思ってるんじゃないだろうな。
「エリーちゃん、あれからどうなの?」
「そうじゃのぉ。大して進展なしじゃ」
木陰の道を歩くふたりを見てて思う。なんだか普段から会って話をしてるような会話だ。
「ふたりともそんな仲よかったっけ?」
前に喫茶店にエリーを連れて行った時は、随分とミーコのことを敵視してたはず。それからエリーとミーコを会わせていない。なのでこの仲の良さはさっきから不自然というか、違和感というか。
「仲良くなったのよ。ねー」
「うぬ! ミーコはよいやつじゃ」
女の子って分からん。夏なのに『乙女心と秋の空』ってか。
先日のカズユキの話じゃないけど物語の間がすっぽぬけた感じ。ドラマで例えるなら、ヒロインと喧嘩してるシーンでCM入りしたのに、あけたら二人が抱き合ってたような。
「何があったんだ?」
例えばエリーがもう一度ミーコのバイトしてる『江のかく』に行ったとか。理由が思いつかない。
例えばミーコがナンパみたいにエリーに話しかけたとか。
俺と一緒に居ないときのエリーはなにをしているのか分からないけど、ふたりの性格からしてミーコから話しかけた説が濃厚か?
「ひ・み・つ」
「なのじゃ」
……女って分からねー。分かったら苦労しないか。
「ん? ケイスケ妬いてる?」
「妬くって、なんで女の子同士の友情にヤキモチ妬くんだよ!」
「ケイスケ~、ミーコに私を取られるんじゃないかとか思ったなー」
「お、思ってない!」
なんでエリーもノリノリなんだ。あと本当に思ってない。
「そんなケイスケなんて放っておいて。エリーちゃん例の件どうする?」
「うぬ! 例の件、頼むぞ」
「りょかーい。うまくいったら教えてねー」
「例の件?」
なんだかふたりで企んでることでもあるのか。
「ケイスケ~、あんた、自分がエリーちゃんの全てを知ってると思ったら大間違えなんだからね」
「な、そんなに自惚れてないぞ俺は」
「なんじゃ、ケイスケそんなことを思ってたのか? そう思ってくれるのは嬉しいが、まだまだじゃぞ」
「だから、そんなこと思ってないって」
「でもケイスケは前に、私のことをもっと知りたいって言ってたじゃないか」
ミーコが吹けない口笛を吹く。
「言ったけど」
被写体への理解は写真の完成度にも繋がるし、それ以上に好きな人のことはもっと知りたいって思うのは自然なことだと思う。
だがエリーの言ったことに素直に肯定したのは間違いだったかもしれない。ミーコは最高に楽しそうで、イキイキとした。明日はクラスでこの話題を持ち上げようと言わんばかりの笑顔を俺に向ける。女子にこの表現はどうかと思うが、一番適当な言葉が『いやらしい顔』だ。
「ケイスケってさ、見た目によらずクサイこと平気で言うよね」
俺はクサイセリフとか詩的な言い回しなんて思ってないんだが、他人からそう思われているならそうなんだろう。
なんだ自分、語彙力あるじゃないかと思いつつ今すぐ右にある手すりを越えて相模湾にダイブしたい衝動に駆られる。ここから海まで高さ十メートル以上ある。
「うぬ! とても素直なやつだ」
「ものは言いようね」
「私は、こういう性格してるからな。ケイスケが素直にいろいろ言ってくれるのは、その……嬉しかったりするのだぞ」
エリーまで顔を赤くする。なんだこの展開。
「はいはい、ごちそうさまでした」
蜂の巣をつついてたら、使い切れないほどのはちみつが出てきたような顔をして肩をすくめる。
島の南側にある『稚児ヶ淵(ちごがふち)』にやってくるのは久しぶりになるかもしれない。
日の高いうちは相模湾の向こうに小田原や熱海が見えて、もうちょっと涼しくなったら富士山とかも見えたりする。
「今日はエリーの行きたいところに行こうと思うんだけど、リクエストはある?」
「海の見える所がいい」
ということでやってきた。
場所を聞いたのはぶっちゃけた話ネタ切れというか、エリーの魅力を引き出す場所について悩んでいるからだ。ならいっそ本人にそれを聞いてみようということ。
今日は雲が多い。ときどき太陽が雲に隠れて涼しいし、光も強いのでいい感じ。
自分で行きたいと思っていた場所だからか、エリーは一段と元気そうだ。
「ほっ!」
エリーが凸凹した岩に出来た水たまりを飛び越える。水たまりに反射する光をさらに乱反射させるロングの金髪。揺れるスカートを見て、
「エリーってそういう服好きなの?」
カズユキが以前に『金髪美少女に純白ワンピはアルティメットウェポン』とかよく分からない褒め方をしていたのを思い出す。たとえはともかく、似合ってるから俺も好きだ。
「涼しいし動きやすいからな」
くるくると歩きにくい岩場を踊るように歩いて行く。対して俺は滑ってこけないように慎重に岩を踏んでいく。
シャッタスピードを上げて軽やかなエリーの動きを撮っていく。動いている被写体を撮るのは好きだけど実は苦手だ。それでも、こういうところにいい絵が生まれる気がして挑戦している。うまくいってないと思うけど。
「ケイスケはどんな衣装が好みじゃ?」
「んー、ファッションについては疎いからなぁ」
服の種類だってぱっと名前が出てこない。それに女の子の中でどういう衣装が流行っているのかとかは、カズユキやミーコとの雑談の中でしか出てこない。
「何かリクエストがあれば着てやろうと思ったのだが」
「思いついたらね」
カズユキみたいに彼女にこういう服を着せれば似合うというのが、現状の俺には思いつかない。女性物のファッション雑誌でも見れば思いつくのだろうか。そんな度胸はない。
本じゃなくても、実際にここにいる人たちを見ればいいのではと思うこともある。でもこの時期は行き交う女の人が水着とか、ホットパンツとか、露出が多くてマジマジと見てられないというのもある。そんなことをしてたらセクハラや盗撮で交番行きだし、その前にエリーの手によって相模湾に放り込まれるかもしれない。サメはいないけどそろそろクラゲの時期だ。放り込まれたらただでは帰ってこれないだろう。
「でも俺は今のエリーの服、かわいい思うよ」
そんなわけで現状これ以上にエリーに似合う服が思いつかない。冬になったらどんなファッションになるのか楽しみではあるけど、エリーは夏の女の子って印象が強い。
「そ、そうか……可愛い、か?」
「うん」
返事をしてから思った。こういうやりとりがクサイというのだろう。
照れ隠しというか、エリーのことを見てられなくなって、顔を背けた。あつい。
俺とエリーの間に変な沈黙が流れる。
波の音や子供の声、トンビの鳴き声にカップルの話し声が、夏の暑さと一緒に俺に『何恥ずかしがってるんだ』と言ってくる気がする。
「そ、そうだ。エリーは着てみたい衣装とかある?」
エリーがいくら神様見習いだといっても女の子だ。古今東西種族を問わず女の子というのはおしゃれに興味があるはずだ。
エリーはまだ赤い頬をこちらに向けて、
「旧日本海軍の服とか」
「はい?」
思わず聞き返した。エリーの口から予想だにしない単語が出てきたのだ。『旧日本海軍』って単語カズユキからも聞いたことないぞ。
「イギリス海軍の衣装といえば分かるか?」
俺が混乱しているのか言葉を変えてくれたけど、より一層理解できなくなった。イギリス海軍って……。
あ、いや待てよ。前にカズユキの持ってきたアニメのイラスト集にそんなうんちくが書いてあったような。そのうんちくが載ってたページのイラストは、
「セーラー服か」
「うぬ!」
自分の出したなぞなぞを解いてくれたのが嬉しそうな表情で頷く。『セーラー服』という単語があるんだから最初からそう言って欲しかった気もする。
「着てみたいの?」
「ケイスケと一緒にでかけたときによく見るじゃろう? 可愛いなと思ってたのだ」
俺の通う高校がセーラー服だから、あまり可愛いとかそういう気持ちを持ったことがないんだよなぁ。カズユキは『ブレザーがいい。異論は認めない』とか言ってるし、その良さを教えてくれる人がいない。
「ケイスケは見たくないのか?」
首を振る。
見たくないわけがない。エリーならよっぽどクソダサなコーディネートでもなければ、どんな服でも似合うはず。
それにエリーと一緒に学校生活ができたらどれだけ嬉しいか。授業どころじゃなくなりそうだけど、絶対楽しいことになると思う。
今は夏休みだから、こっそり連れて行きたいという気持ちもあるけど、用事もないし、なんて言って連れて行けばいいか分からない。
今は妄想の中だけ、エリーを自転車の荷台に乗せて登校している。
さっきまでいた『稚児ヶ淵(ちごがふち)』の直ぐそば。富士山の地下にもつながっていると言われている洞窟。通称岩屋。
入り口で料金を払ってロウソクを受け取る。しゃもじのような木の板にロウソクを置いて、紙で包んで前の方だけを照らせるようにした肝試しとかで使われそうなやつだ。
岩屋の中は夏だというのにとてもひんやりしてて、ロウソクの火が暖かく感じる。
「久しぶりに来るなぁ」
「いつ以来じゃ?」
「多分、小学生」
「前に迷子になったとか言っておったの?」
「よく覚えてるね」
あの頃のことはもう殆ど覚えてなくて、言ったという記憶だけある。先日、海に落ちた――エリーに助けてもらったけど――時にここで迷子になったことだけは断片的に思い出したけど、小学生のときの記憶なんてこんなものか。
「当然じゃ。私もケイスケのことはたくさん知っておきたいのじゃ」
顔をそらす。
こういうことは言われるとすっごく照れるけど、嬉しいんだな。
ちらっとエリーを見るととても上機嫌そうだ。
「流石に何年も前のことだし、詳しく覚えてないんだよなぁ」
「私は覚えておるぞ」
「えっ?」
この『覚えてる』という言葉が、エリーの百六十年の神生(じんせい)のことだと思うんだけど、それにしては違うニュアンスで言った気がしてならなかった。
「これだから人間は……」
偉そうな事を言って、空いた手でやれやれのポーズ。人間じゃなくて俺を馬鹿にしたような言い方。
最初は蛍光灯がついてるんだけど、段々とそれが設置できないのかロウソクがないと歩けない暗さになってくる。
「ケイスケ、手繋ぐか?」
最近は何も言わなくても繋いでるエリーの手だけど、通路が狭く並んで歩けないだろうと思って離していた。エリーも当然それは分かってるようで何も言わなかったんだけど、
「どうして?」
だから改めて聞いてくるのが不思議だった。
「怖くないか?」
「大丈夫だよ」
ここで迷子になってトラウマにでもなってるのかと心配してくれたのだろう。
「今はもう大きくなったし、この時期は人が結構行き来してるからさ」
あの時迷子になったのは、大人が入れない立ち入り禁止の場所に入ったからだと思う。今の俺の身長だとそこには入れない。
エリーくらいの身長だったら余裕だろうけど。
「おいケイスケ、今私のことチビだと思ったろ」
エリーって読心術使えるの? 神様ってそんなにすごいの?
「思ったな。後で覚えてろよ」
「いやいや思ってない思ってない」
「確かに私は人間年齢で換算したとき、だいぶ小さいと思う。だが、この姿がもっとも現世に適した体なんだ。仕方ないだろ」
「べ、別にエリーがもっとナイスバディだったらいいなとか思ってないし」
「思ってたな! ケイスケお主の持ってるエッチな本はみんなボインボインだとミーコから聞いているぞ」
なんでミーコはそれを知ってるんだよ。貧乳派のカズユキに買わせたから買うところを目撃されるという心配もないと思ってたのに。
「それは関係ない。っていうかあまりうるさいと声響くよここ」
「むぅ……」
俺達の間抜けなやりとりが他の人に聞こえてないことを祈る。
先に進んでいくと、『江島神社発祥の地』と書かれた看板がある。
江島神社は、江ノ島に来て仲見世通りをまっすぐ、鳥居をくぐってさらに真っ直ぐ、階段をのぼるとある神社だ。ここに降臨してもらった神様が今は神社の方に祀られているのだろう。
「ここってエリーとも関係があったりする?」
エリーも江ノ島の神様だから、少し気になった。いろいろな話を聞いたけど、エリーのことや神様のことはまだまだ知らないことだらけだ。
「そうじゃのぉ。神々の国からやってきてからしばらくはここで修行したしなぁ」
「ってことはここがエリーの家ってことになるの?」
「そうとられると結構違うんじゃが……家というより実家って言ったほうがいいのかな。天界に居た頃は自我もなかったし」
説明するのが難しいって言い方。人間の言葉では説明できない世界が神様にはあるのだろうか。
「ということは家が別にあるの?」
「私の場合は神社がまだないから、小さなほこらのようなのがある」
見習いだからだろう。でもちゃんとそういう場所があるんだな。
「じゃあ今度からはそこにお供え物持っていけばいい?」
「いやいい」
「なんで?」
「……ケイスケと一緒に食べたい」
ロウソクの火が急に強くなった気がする。
「おいしいものでも、ひとりで食べても味気ない。いつも食べてる『お供え物』がおいしいのは、ケイスケが一緒にいるおかげだって……分かったから」
やばい、エリーになんて声かければいいか分からない。
ただ、今とてつもなく嬉しい。
「さ、まだ先はあるんじゃ。ゆく――」
エリーが急に足を止めた。
「なー」
子猫だ。真っ白なのに目の周りに黒い模様があって、まるでメガネをかけているような変な猫。
「なんじゃ、またお主か」
「知ってるの?」
「いつぞや、仲見世通りで迷子になっておったのじゃ」
思い出した。まだエリーと知り合ったばかりの頃にエリーが抱きかかえてた猫だ。この猫とのやり取りで『お供え物』をすることを思いついたんだ。
「また迷子になったのか。仕方ないのぉ……一緒に来るといい」
そう言って左手にロウソクを持ち替えで、空いた手で猫をだっこする。
「エリーって猫と喋れるの?」
「喋れんぞ。常識的に考えてみろ」
そもそもエリーの存在が非常識、というツッコミは飲み込んで、
「だって今話をしてたように見えたから」
返事をするようににゃーと鳴く子猫。いや分からないし。
「この子は普通の猫じゃないぞ……いや、模様じゃなくてだな」
俺が猫の顔を覗きこんでるとすぐに俺の思っていたことを否定。やっぱり心が読めるんじゃないか?
「私と同じ『神様見習い』じゃ」
自分でも間抜けだと思う顔をした。それを見てか『どうだすごいだろう』と言わんばかりに鳴く子猫。
「江ノ島は修行地じゃからのー。それは人間も神々も同じじゃ」
そうだとしても、なかなか信じられない。エリーだって神様に見えないんだから。
「動物から神々になるには、まずは妖獣にならいといけないんじゃが、この子はまだまだ普通の猫と大差ないからのぉ。だからこの場所はまだ早いぞ」
エリーがそう言って聴かせると返事をする子猫。俺には普通の猫にしか見えない。子猫のしっぽが猫又みたいに二本あれば納得できるんだけど……。
「日本にはいろんな神様がいるんだなぁ」
「江ノ島に猫が住むようになってから、猫のために神々が必要になったのじゃ」
猫のための神様か。アニメ映画にはたぬきの神様も出てきたし、猫の神様が猫をまとめててもおかしくはないか。
「じゃあ、この子も信仰をもらってるからこの世界に居られるの?」
「んにゃ、最初から神々として生まれた私と違って、この子は猫から神々になったから『猫』としては行きていけるぞ」
余計にわからなくなった……。
「でも人間と違って、猫はちゃんと神様を信じてくれるからのぉ。時々羨ましいって思うぞ」
「なー」
「なんじゃ、私もちゃんと信仰されてるから安心しろって? 人間はよく猫のことを気まぐれと言うけど、私から言わせれば人間のほうが気まぐれじゃぞ」
と呆れ気味に言うエリー。でも俺に向かって言っているわけじゃないようだ。
神様にもいろいろあるのだろう。
◇
土曜日は夕方までバイトで遅くなるので写真撮影はなしになっている。
その代わり一週間ほど撮り溜めしていた写真を一気に現像する日だ。家のパソコンには編集ソフトが入ってないので、わざわざ学校まで行っている。
バイトを終えてお店のシャツの上から学校のシャツに着替え、お店を出る。お店の前には旅館がある。そこに何故か俺の通う学校のセーラー服を着た金髪の女の子が寂しそうなポーズで立っていた。後ろを向いていたので顔までは分からない。
なんで学校の制服? それも金髪だ。俺の学校に海外からの留学生なんて居たっけ? でも俺は金髪の女の子をよく知っている。いやまさか、
「おっ、ケイスケ! 待ったぞ!」
肩にかけてたカメラケースがずり落ちた。
「え、エリー?」
「うぬ! 我こそは『江里能売(エリノメ)』ぞ」
神様は偉そうに、
「待ちわびたぞ」
「いや、うん。待たせたね……」
「いま来たところじゃ」
どっちだよ。
「なんじゃ、デートの待ち合わせはそういうやりとりが決まりなんじゃないのか?」
「どういう決まりなんだ?」
「ミーコが言ってたぞ」
あいつの入れ知恵か……。エリーとミーコで俺が知らない間にどういう話をしているのか、気にはなるが怖くて聞けない。
「ところで! 何か言いたいことがあるのではないか?」
「その制服どうしたの?」
「ミーコに借りたぞ」
またあいつか。いくらエリーが可愛いからって、着せ替え人形にでもする気か。エリーもエリーで前に着てみたいと言ってたしノリノリなんだよなぁ。
片手で頭を抱えながら仲見世通りの坂を下る。
「他にも言いたいことがあるのではないか?」
「どうして制服を?」
「ケイスケの学校に行くためじゃ」
先日エリーとミーコが話してた『例の件』とやらはこれだったのか。
「条件として、ケイスケが撮った私の写真をよこせと言っておったぞ」
「制服姿を?」
「うぬ」
やっぱり着せ替え人形かよ。制服ならともかく、メイド服とか巫女服とか持ってこなければいいが……。最近はコスプレ衣装もレンタルできるとかカズユキが言ってたからな。
妙に上機嫌なエリーを見てそれを考えていたけど、
「どうしたのじゃ」
……それもちょっと見てみたいと思った。神様がメイドとか巫女とか使える仕事の格好をするのは正直おかしいけど、絶対に似合う。ミーコの見立ては間違っていない。
例えばメイド服。フリルのたくさんついたエプロンドレスに、メイドカチューシャをつけて『ほら、紅茶を入れてきたぞ』と言う姿。金髪というのもあって中世ヨーロッパの風景がよく似合う。
例えば江島神社に居る巫女さんのようなあの衣装を着て、神社の境内を掃除する姿。神様だけど神様より神々しい巫女の完成だ。
先日『服のリクエストに答える』みたいなことも言ってたし、コスプレさせたら可愛いかもとか想像したらなんだか目を合わせられなくなって、
「ちょっと先に自転車取ってくる」
逃げるように駐輪場から自転車を回収。自転車を押して早足でエリーと合流。
エリーは弁天橋の前で待っていた。夕焼けに照らされ、海風になびく金髪に、新しい洋服を買ってもらった嬉しさが隠しきれてない表情が、とても愛らしかった。
いい絵だ。自転車を一旦止めて、カメラを構える。
「ようやく撮ってくれるのだな」
にこやかに笑うエリーの表情が撮れた。
「撮って欲しかったの?」
「まあ、そんなところだ、うん」
ということは違ったのか。じゃあどうして欲しかったんだろう。
「まあよい。学校へ行くのだろう? 漫画を読んでたら自転車に乗りたくなったのじゃ。乗せてくれ」
「二人乗りはダメだよ」
弁天橋を渡った先には交番もあるし、なにより危ない。
「んじゃあ、押して行ってくれ」
サドルにひょいっと乗る。神輿をしろってことか。
「分かりましたよ神様」
運動部が帰り支度を始める頃、俺らは夕陽に照らされた学校にやってきた。エリーのスリッパをどうしようかと思ったけど、制服同様ミーコのやつを使えばいいやと思った。
職員室から鍵を借りて部室にやってくると入るなりエリーは、
「なんじゃ面白そうなものがないのぅ」
「写真部に何を期待したの?」
まあいいやと棚の雑誌を適当に取ってペラペラめくりだす。でもそれ、カズユキが置いていったアニメ雑誌……。
パソコンの電源をつけて椅子へ腰掛ける。エリーを乗せた自転車を押したからか、ちょっと疲れた。
カズユキが置いていったであろううちわを長テーブルの上から拝借すると、そのしたにチラシがあった。
『藤沢アマチュア写真コンテスト』と書かれたチラシ。応募期間は今月半ばまでで、九月の頭から藤沢にある文房具屋の上にあるミュージアムに展示されるらしい。
写真コンテストみたいなのは江ノ電や鎌倉市でもよく開催されているので、毎年チェックしている。江ノ島や鎌倉などロケーションの良い場所なだけに、どれもプロが撮ったような写真ばかりで俺が応募なんて身の程知らずと言われてもおかしくない。ため息とチラシを置いてディスプレイに向き合う。
パソコンが起動すると早速データの移動を始める。その間に、
「どうして学校まで来ようとしたの?」
「せっかくセーラー服を着たんじゃ、ついでにケイスケが通ってる学校を見てみたかったのじゃ」
なんだそれ。
「あとは……そうじゃのぉ。ひと夏の思い出作り」
するとずいずいと俺の前にやってきて、図々しく俺の膝に座る。ひとまわり小さいからエリーの頭がちょうど俺の顔の前に来て、キレイな金髪が俺の鼻をくすぐる。超いい匂い。
確かに前から魅力的に感じていたし、不意打ちで頭をなでた時には前髪とか触ったこともある。
でもこうして滝のように伸びた後髪に触れたことはない。
前のカフェでのやり取りを思い出す。俺に触らせてやってもいいと言ったけど、結局ほめ方が気に食わなかったのか、触らせてくれなかった。
そのせいか、エリーの髪を無性に触りたい気持ちがずっと残ってる。
鶴に戸を開けるなと言われても開けてしまったおじいさんのように、玉手箱を開けるなと言われても開けてしまった浦島太郎のように、俺も触るなと言われた髪に触りたい。
匂いを嗅ぎたいとか、頬ずりしたいとかそんなプレイにも近いことを望んでるわけじゃない(例として出した地点で、そういう欲求があるとかそういうのは考慮しないこととする)
純粋にその髪を、エリーを愛でたい。
ドキドキしてきた。この熱をどうにかするには、川に手を付けて冷やすしかない。
そんなことを言い訳に手を伸ばす。エリーを自転車に乗せて汗をかいた。そして脱水症を起こしそうだ。だから水を求めて川を見つけたら手を伸ばすのは当然。
そう、当たり前なのだ。
触ろうとしたその時に、
「ケイスケ、お主は昔江ノ島の岩屋で迷子になったことがあるって言っておったろう?」
「う、うん」
急に話しかけられて驚く。現実に戻された感じ。
「そのときにケイスケを岩屋の入り口まで案内したのは私だ」
「えっ!?」
俺の膝から降りて、
「あれから成長してないと思ったな? 神様が人間と同じように成長するわけがないだろう」
いやそんな神様の成長のスピードとか知らないし。
そうツッコミを入れる前にエリーの小さい体に抱きしめられた。
綺麗な金髪、透き通るような白い肌、そして再び感じられるこの優しい匂い。あの時のことを思い出して、もう一度じっくり確認すると分かる。同じ人だ。
「あの日ケイスケに信仰してもらったおかげで私はここに居られるし、ケイスケとも再会することができた」
優しく俺を包む手でボサボサの髪を梳くように撫でてくれる。
今日は妙に優しいな。
「ケイスケは私のことが好きか?」
「そりゃ……もちろん」
「歯切れが悪いのぉ。もう一回崖から落ちるか? そうしたら素直に言ってくれるかもしれないからな」
「いや、それは遠慮したいんだけど」
走馬灯を録画できるなら考えるけど、次は怖いかもしれない。
「じゃあ言ってくれ」
「……エリーが、好きだよ」
「うぬ」
満足そうに返事をするエリー。言われるのが嬉しいのだろう。
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