第二十四話

「――狼琥ろくくん!」

 叶光かのみは悲痛な叫び響かせ、どさりと床に倒れ込んだ狼琥の傍へと駆け寄りその体を支えた。

「み、深影みかげくんっ……!」

 後ろから聞こえてきた蒼氷そうひの声に視線を深影へと移せば、同じように床に倒れ込む姿が見える。

 どういうことなのか、と混乱する叶光の耳元で狼琥が苦しげに息を吐いた。

「……か、のみ……」

 苦痛に顔を歪めている狼琥の瞳に先ほどのようなギラつきはない。

「しっかり……しっかりして! 今治してあげるからっ」

 叶光は狼琥の腹部へと両手を翳した。

 蒼氷の火傷を治したときの感覚を思い出しながら神経を集中させる。

「……あ、あれ? どうして……この間はちゃんとできたのに!」

 今にも泣き出してしまいそうな顔で必死に手を翳すも、あのときのような光は出現しない。

 どうして、と戸惑う。そんな叶光の後ろから届いたのは動揺したようなざわめきであった。

「ど、いうこと……なんだ?」

「……なんで?」

 紅真こうまの言葉に蒼氷が続ける。

 そうしてびゃくが震える唇で、博士、と呟いた。

「お、おいおい。博士って……」

 銀河ぎんがは目を丸くさせながら入口に佇む人物を見つめる。

 黒のスラックスに白いワイシャツ。その上から白衣を纏い、白髪まじりの深緑色ふかみどりいろの髪を後ろで一つに結んでいる男性。その風貌から全体的にくたびれた印象を受ける。

「……ああ、そうじゃ。ワシが島浦玄徳しまうらげんとく

 男性――島浦はベレッタ92の銃口を真っ直ぐと向けたまま、ゆっくりと頷いた。

 突然現れた島浦に叶光は言葉を発することも忘れ、ただ愕然とその姿を瞳に映す。

「なぜっ、貴様がっ……! あのとき殺し、た……はず……」

 深影は息も絶え絶えに言葉を絞り出した。

 島浦は、ああ、と思い出したかの様子で愉快げに目を細める。

「あれはダミー……偽物じゃ。外見を変え、ワシの持つ全ての情報を組み入れた……もう一人の島浦玄徳、というところかのう。……どうじゃ? まるで本物のようだっただろう?」

 自慢げに語る島浦に、白が悲しげな瞳を向けた。

「……どうして? どうしてそんなことをしたんですか?」

「どうして、か……そうじゃなあ……」

 島浦は少し考え込むような素振りを見せたあと、徐に口を開かせた。

「……この世界に絶望しているから、とでも言うべきか……」

「絶望……?」

 白は眉を寄せて呟く。

「ああ、そうじゃ。……その理由は違えど、君も絶望していたはずじゃ。異なる色を持つせいで両親から気味悪がられ、政府に売られた……そんな自分の人生に」

「それは……」

 淡青色たんせいしょく躑躅色つつじいろのオッドアイ。白はその異なる色を不安定に揺り動かして俯いた。

 黙り込んでしまった白に代わり、銀河が一歩前へと踏み出す。

「……そうだったとして、だ。狼琥や深影を撃ったこと……それに今こうして俺たちにそいつを突きつけている理由はなんだ?」

 そいつ、と島浦が握るベレッタ92に目をやり、静かに問う。

「厄介な相手を潰しておくというのは基本じゃろう? それに君たちにはここで大人しく見ていてもらう必要がある」

「大人しく……見ている、だと?」

 紅真は顔つきを険しいものにする。

 島浦は、ああ、と頷くとどこか遠くを見つめるようにして口を開いた。

「…………時の終焉を、な」

 その不穏な言葉に、叶光は不安げな表情を浮かべて呟く。

「時の終焉……?」

 叶光がそれを発した直後。

 ゴォという地鳴りのような音と、なにかが爆発する音とで建物を振動させた。

「……始まったのう」

 感情の読み取れない声で島浦は呟く。

 その間にも建物は揺れ続け、遠くから、そして近くからと爆発の音が鳴り続ける。

 叶光は、きゃ、と小さな悲鳴を漏らして戸惑ったように体を丸めた。

「くそっ……なんだ、よっ」

 狼琥は咄嗟に叶光の腕を取り、自身の胸元へと引き寄せる。

「地震……いや、爆発か?」

 銀河は低い姿勢を取り、今の状況を判断しようと辺りを見回す。

 紅真、白、蒼氷の三人も銀河と同じように姿勢を低くさせ、周囲に目を配らせる。

 そんな中。苦しげな息を吐きながら体を起こした深影が、射抜くような視線で島浦を捉えた。

「……貴様っ、なにをした」

 島浦は深影へと視線を向けると薄く笑った。

「旧政府がもしものためにと用意していた起爆装置を発動させた……それだけじゃ」

 島浦のそのとんでもない発言に、その場にいた者たちは息を呑んだ。

「なぜ……そんなことを……」

 紅真は信じられないといった様子で島浦を凝視する。

「……なぜ? 理由なら先ほども話したじゃろう。ワシはこの世界に『絶望している』と」

「そんなことが理由になどなるか!」

 怒鳴る紅真の横で白はぐっと眉を寄せて島浦を見つめた。

「博士は言っていましたよね。深影さんが彼女の力を使って第二都市を滅ぼそうと計画している、って。でも……これじゃあ、まるで……」

「ワシが世界を滅ぼそうとしているかのようだ、と……白はそう言いたいのじゃろう?」

 島浦の言葉に白は静かに頷いた。

「ち、ちょっと待ってよ!」

 そう大きく反応を示したのは蒼氷だ。

「深影くんはそんな計画なんて立てていないよ」

 そうだよね、と深影に視線を送る蒼氷。

 深影は不愉快そうに眉を顰める。

「そのような嘘でやつらを釣ってなにをっ……しようと……」

 深影の言葉に島浦は短くため息を吐くと、ゆるゆると首を横に振った。

「今更その話をしたところで、もはやなんの意味もないこと。……まあ、仮初の幸せへと逃避することで自我を保ち、妥協していたような生温い君には到底理解できぬことじゃろうな」

 島浦は叶光へと徐に視線を移す。

「長年の夢も……あと一歩というところで手が届かなかった。『時』を変えるには『時』が足らなかったのじゃ」

 島浦は墨色すみいろの瞳をどこか悲しげに揺らした。

 それから苦しげに表情を歪め、ぐっと自身の胸元を掴むと崩れ落ちるように膝をつく。

「は、博士……?」

 様子のおかしい島浦に白が恐る恐る声を掛ける。

 島浦は白の呼び掛けに答えることはなく、激しく咳き込みながら口元を押さえた。それと同時に、ドオンと一際大きな音と強い振動が建物全体に響き渡った。

 床や天井には亀裂が走り、高くぶら下がっていたシャンデリアが叩きつけられるように落下する。

「おっ、おいおい……ここにいたら不味いぞ! 早く外へ避難してしないと全員ぺしゃんこだ」

 銀河の言葉にそれぞれがはっとした様子で動き出す。

「狼琥くん……立てそう?」

「なんとか、な」

 叶光の腕を借り、痛みに顔歪め立ち上がろうとした狼琥の横に紅真が立つ。

 紅真は叶光の反対側から狼琥を支えて立ち上がらせた。

「急ぐぞ」

 紅真の言葉に叶光は頷いたあと、あっ、と声を漏らして振り向く。

 叶光の視線の先には深影がいて。その深影の隣には蒼氷と、意識のない風音を背負う銀河の姿。

「どうかしたのか?」

 前へと向き直った叶光は、もう大丈夫、と首を横に振った。

 紅真は、そうか、と納得すると中央で立ち尽くしている白に視線を移す。

「おい、白。なにをしている? もう時間がないぞ」

「……う、うん」

 こくりと首を縦に振り、叶光たちの元へと走り出そうとした白の後ろから、無駄じゃ、と島浦が呟いた。

 今にも崩壊しそうな建物で、島浦は床に膝をついたまま叶光たちを見つめる。

「……今頃この外は火の海。……全ての起爆装置を発動させたからのう。生きている者もいるかどうか……」

「そんなっ……」

 叶光は悲痛に顔を歪ませた。

 島浦は疲れ果てたような表情で叶光に目を向ける。

「……ワシにはもうこうすることしか残っていなかったのじゃ。自らの手でこの絶望に幕を閉じることしか」

 そう言って島浦が瞼を閉じた直後。頭上でなにかが崩れるような音が聞こえた。

 叶光ははっとして顔を上向ける。その瞬間。大きなコンクリートの塊が叶光たちを押し潰そうとするかのように振り落ちてくる光景が叶光の目に飛び込んできた。

 声を出すことすら忘れ、動きを止める叶光。

 そんな叶光の様子に逸早く気が付いたのは狼琥であった。

「――あぶねえっ!」

 そう声を上げて叶光の腕を掴む狼琥。

 しかし、コンクリートの塊はもうすぐそこまで迫っていた。

 止めるだなんてことはもちろんできない。けれど、逃げるだなんてそんな余裕もなく、狼琥は叶光を守るかのように自身の腕の中へと強く閉じ込めた。

 狼琥の腕の中で叶光はぎゅっと目を閉じる。

 もうダメ、とそう諦めかけたとき。――大丈夫よ、と叶光の頭の中でどこか懐かしい声が聞こえた。

 その声が聞こえた瞬間。体の内側から燃えるように熱いなにかが湧きあがってくるような感覚を覚え、叶光は苦しげに顔を歪ませた。

「叶光っ……!」

 狼琥の驚くような声が叶光の耳元で聞こえる。

 叶光はその呼び声に反応するかのように、薄っすらと目を開けた。

 目を開けて一番に飛び込んできたのは眩しいくらいの白色。次に目を丸くさせる狼琥。叶光はぼんやりとした表情で狼琥を見つめながら微笑んだ。

「大丈夫だよ」

 そう言って叶光は再び目を閉じる。

 なにが大丈夫なのか、それは叶光にもわかってはいない。けれど、自然と口がそう動いていたのだ。

 叶光はこの場から意識が遠ざかっていくのを感じながら、ゆっくりと思い出す。

 以前、夢で見た数々の出来事。それはただの夢なのではなく、幼い頃の記憶――叶光が失っていたものであったのだということを。

 そう思い出し、そうして叶光の意識はぷつりと途切れたのであった。

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