第二十一話
その数日間。叶光はまだ一度も深影とは会っていない。
仕事で忙しくしているのか。それともあの日の出来事のせいで叶光と顔を合わせづらくなっているのか。理由は不明であるが、深影が叶光の部屋に訪れることはなかった。
「……ねえ、
いつものように食後の紅茶を楽しんでいた叶光は、向かい側に腰掛ける風音へと視線を向けた。
なんでしょうか、と視線を合わせた風音に、あのね、とどこか言いづらそうにしながら言葉を続ける。
「深影さんと少しお話がしたくて……お部屋まで案内してほしいんだけど……ダメかな?」
叶光からそんなお願いされるとは思っていなかったのであろう。風音は目をぱちぱちとさせた。
「……それは構いませんが、貴方の口からそんな言葉が出るとは驚きました」
風音は正直に思ったことを口にしながらも、快くそれを承諾した。
「ありがとう」
叶光はにこりと笑顔を乗せてお礼を述べる。
風音は静かに腰を上げて、では、と続けた。
「早速ですが伺いましょうか」
返事も待たずに一人扉へと歩みを進める風音。
叶光は慌てたようにティーカップをソーサーへと戻し、風音のあとへと付いて行くのであった。
風音に案内され辿り着いた部屋の扉の前に。叶光は一人緊張した面持ちで立っていた。
この場所まで一緒にきた風音は案内を終えると、叶光を置いて自室へと戻ってしまった。そのため叶光は今ここに一人でいる訳なのだが、どうにも緊張してしまいなかなか扉を叩くことができずにいる。
やはり帰ってしまおうか。そう考えながらも、せっかくここまで案内してもらったのだから、と思いとどまる。
この数日。叶光はずっと考えていたのだ。姉である
幼い頃に離ればなれになってしまったとはいえ、叶光にとってはただ一人の家族であった里愛。大切なその人はなぜ死んでしまったのか。叶光はどうしてもそれが知りたかったのだ。
蒼氷にも訊ねてみたのだが『深影くんから直接聞いたほうがいいよ』と返されてしまい、色々と悩んだ結果。今こうして、深影の部屋の扉の前へと立っている訳なのであった。
叶光は一度大きく息を吸い込むと、意を決して眼前の扉を叩いた。
「あの……私です」
扉の向こう側に聞こえるように少し声を張り上げる。
深影の返事を待ってみるが、一向に返ってくる気配はない。
「……聞こえなかったのかな?」
叶光は眉尻を下げながら呟くと、再び扉を叩く。
「あのっ! 深影さん、いますか?」
先ほどよりも声を張り呼び掛ける。けれど、答えは同じもので。
叶光は困ったように扉を見つめた。
そうして少し考え込んだあと、よし、と小さく声に出し頷くと、扉の取っ手に手を伸ばす。
勇気を出してここまできたのだ。深影と会って直接話を聞くまでは帰らない、とそう決意した叶光は図々しくも部屋の中で待たせてもらうことにしたのだ。
「……お邪魔します」
静かに扉を開いて室内へと足を踏み入れる。
叶光の部屋よりも広いそこには、高級そうな白地のソファーにガラスのセンターテーブルが置かれており、その向こう側には重圧感のあるオフィスデスク。
叶光はそれらを見て回るようにゆっくりと足を動かす。
ソファーの後ろを通り、デスクの前まで立ち止まった叶光は、ふとその奥にある部屋の存在に気が付いた。
「まだ奥があるんだ……」
何と無しに奥の扉へと近づいた叶光は、それをゆっくりと押し開く。
扉の向こう側には家具といった物はなにもなく、薄暗い部屋の真ん中に淡く光を放つガラスケースがぽつんと置かれているのみ。
「……なんだろう?」
ガラスケースの正体を調べるべく、叶光は一歩前へと踏み出した。
一歩、二歩、三歩と距離を縮めていくに連れて叶光の表情が硬くなっていく。
「ど、どういうこと……」
ガラスケースの前で足を止めた叶光は、僅かに声を震わせた。
棺のような形をしたガラスケース。その中には叶光の記憶にある姉――里愛が眠っていて。里愛を囲むように、数え切れないほどの花たちが添えられているのだ。
まるで生きているかのような姿の里愛。けれど、そんなはずはない。蒼氷も里愛の死については認めていたのだから。
叶光はあまりの衝撃に足を動かすこともできず、ただその場に立ち尽くして眠る里愛を見下ろしていた。
「――見てしまったんだな」
不意にそんな声が響き、叶光は勢いよく振り向いた。
「み、深影さん……」
薄暗い室内の入口で、叶光を真っ直ぐと捉えている深影。その表情は普段叶光に見せているものとは違い、冷めているようなもので。
「ご、ごめんなさい! 勝手に入ってしまって」
叶光は思わず頭を深く下げていた。
深影はなにも言わずにただ黙って叶光の隣へと肩を並べると、
怒らせてしまった。叶光はそう思い、今一度謝罪の言葉を口にしようと息を吸い込む。――と、その瞬間。深影は、似ているだろう、と囁くように口にした。
「……えっ?」
予想もしていなかった深影のその言葉に、叶光は目を瞬かせる。
深影は叶光から視線を外すとガラスケースの中の愛里へと移した。
「俺にはたまにわからなくなるときがある」
言いながら自身の左手をガラスケースの上へと乗せれば、深影の薬指に嵌められていたシルバーリングがカツンと小さな音を鳴らす。
「わからなくなる、ですか……?」
「お前があまりにも里愛と似すぎていて……どちらが本物なのか、なにが正しいのか……わからなくなる」
どこか悲しげに瞳を揺らす深影に、叶光はなにも答えることができずに顔を俯かせる。
「……きっと今の俺を見たら里愛は悲しむのだろうな」
深影は自嘲するような笑みを浮かべた。
そうして、お前は、と叶光へと視線を戻す。
「俺に聞きたいことがあるのではないのか? 蒼氷が言っていた。お前が色々と知りたがっている、と」
「あっ、それは……」
叶光はどこか迷うように視線をさ迷わせたあと、静かに口を開かせた。
「……愛里お姉ちゃんが、その……どうして亡くなってしまったのか……その理由を知りたいんです」
叶光は深影の顔色を窺うようにちらちらと視線を向けて確認する。
深影はそんな叶光を見下ろしながら、里愛は、と眉を寄せた。
「……旧政府の連中に殺されたんだ。お前をやつらに奪われたと知り、追い掛けて行った里愛はそのままやつらに……殺された」
「そ、そんな……」
「旧政府に逆らえば殺される。それをわかっていながらも、里愛は追い掛けずにはいられなかったのだろう。俺が駆けつけたときには……もう息をしていなかった」
その当時を思い出してか。深影は悔しげに拳を握り、顔を歪ませている。
「……私のせい、なんですね」
連れ去られた叶光を追い掛けて殺されたという里愛。それは叶光が捕まらなければ起こり得なかったこと。
叶光は自身のせいで姉が殺されてしまったのだという事実に、大きなショックと罪悪感を感じていた。
「いや、それは違う。全ての原因は旧政府の連中にある。お前が気に病むべきことではない」
ゆるゆると首を横に振り否定する深影に叶光は、でも、と声を上げる。そうすれば、深影は叶光の頭の上に軽く手を乗せて悲しげに微笑んだ。
「……もうこの話は終わりにしよう。今更こんな話したところで、俺にはお前……里愛という存在が必要だということは変わらないのだからな」
そう言って叶光から手を離した深影は体の向きを変え、扉へと歩き始める。
叶光はなにか言いたげに深影の背中を見つめるも、結局言葉にすることはできず。深影の後に続いて足を踏み出したのであった。
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