第十四話
「……えっと……なにかな?」
部屋のベッドの横で体育座りをしながら、じっと
「んー? 別になんでもないよ」
白はゆるゆると頭を振り、自身の膝の上に乗せている叶光おすすめの絵本へと視線を落とす。
「そう……?」
叶光は首を傾げつつも頷くと、文字の列へと視線を戻した。
再び訪れた静かな空間の中。ページを捲る音だけが室内に響く。
一ページ、二ページ、三ページと捲り、四ページ目に突入しようとしていた叶光は再度顔を上げた。
叶光と白の視線がばちりとぶつかり合う。
「…………あのね、白。なにか話したいことがあるなら私は聞くよ? だからそんなにじっと見つめないで」
困ったように笑む叶光に白は少し考え込むような素振りをしてから、これ、と両手で絵本を広げてみせた。
「食べてみたい。……キミ、作れる?」
こてんと首を横に倒した白が広げている絵本のページには、小さな子供が大きなパンケーキを笑顔で美味しそうに頬張っているイラストが描かれている。
「パンケーキ……? 作れるよ。白は食べたことがないの?」
「ない。博士と一緒にいたときは和食ばかりだったし」
叶光は手元の本を閉じると、じゃあ、と勢いよく立ち上がった。
「一緒に作ろう!」
「一緒に……?」
目をぱちぱちとさせながら叶光を見上げる白。叶光は、うん、と大きく頷く。
「一緒に作ったほうがきっと楽しいよ」
「ふーん……わかった。ボクも作る」
白の返事に叶光は満足げに微笑む。
「でもその前に調理場とか食材を使ってもいいか聞いてみないと……」
「
「あっ、そうだったね」
朝から外に出て行った銀河を思い出した叶光はうーんと一つ唸ってから、じゃあ、と言葉を続けた。
「
「そうだね」
銀河のいない間は狼琥がここ
狼琥を探すべく部屋から廊下へと出た叶光と白。
まずは狼琥の部屋を訪ねてみようか、と足を進めようとした二人を、おい、と呼び止める声が後ろから降ってくる。
「こんなところでどうしたんだ?」
その声に振り返った叶光と白の二人へと近づいてきたのは
脇に本を抱えて不思議そうな顔をしている紅真は珍しく眼鏡を掛けていて。そんな紅真の姿に、叶光は一瞬相手が誰なのかわからなくなる。
「えっ……あ、紅真! 眼鏡なんて掛けてるから誰かと思っちゃった」
叶光の言葉に紅真は、ああ、とシルバーフレームの眼鏡を外す。
「本を読んでいたからな」
ふっと軽く笑ってから、それで、と続ける。
「お前たちはこんなところでどうしたんだ?」
そう問うた紅真に叶光はなにかを思いついたかの様子で、あっ、と声を上げた。
「ねえ、紅真も一緒に作ろうよ!」
「作る……? なにをだ?」
瞳を輝かせ、楽しそうにしている叶光に紅真はきょとんとしている。
「パンケーキだよ。食べたことある?」
白は叶光の言葉に付け足すようにして問う。
「まあ、幼い頃にな。……だがなぜいきなりパンケーキなんだ?」
「白がね、食べたことないから食べてみたいって」
叶光の説明に紅真は、ふむ、と腕を組んだ。
「そういうことか。……わかった。俺も手伝おう」
「本当に? よかったね、白!」
叶光は声を上げて喜ぶ。すると少し離れた先にあった部屋の扉が勢いよく開かれた。
「――てめえらっ! さっきからなに騒いでいやがる! うるせえぞっ」
声を荒らげ、自室から姿を現したのは狼琥で。その表情は不機嫌そうに歪められている。
そんな狼琥の様子を気にする素振りもみせずに、叶光はにこにこと駆け寄って行く。
「狼琥くん! 丁度よかった! 今から狼琥くんのところに行こうかと思っていたの」
「おっ、おう……なんだよ?」
叶光の勢いに押されているのか。狼琥は引きぎみに問い返す。
「調理場と食材を使わせてもらいたいんだけど……ダメ、かな?」
「あ? 別にいいけど……なにを作る気だよ?」
「白と紅真と一緒にパンケーキを作ろうかと思って」
パンケーキと聞いて狼琥は、へえ、と興味を示した様子で叶光を見下ろした。
「オレも腹が減ってきたところだったんだ。好きに使わせてやるからオレの分もよろしくな」
「狼琥くんも一緒に作らない?」
「あー? オレはパス! 食うの専門だからな」
面倒くさげな狼琥に叶光は、そっか、と落とした。
「……ねえ、早く行こうよ」
くいくいとセーラー服の裾を引っ張る白。
「うん! 行こうか」
叶光は笑顔で頷くと、三人を連れて調理場へと向かった。
集合スペースの奥にある調理場。
叶光と白と紅真の三人は食材を前にして立っていた。
「……狼琥のやつ、本当になにも手伝わない気だな」
紅真は眉を寄せながら呟く。
狼琥は先ほどの言葉通り調理には参加せず、出来上がったものが運ばれてくるのを扉の向こう側で待っているようだ。
「ま、まあ……無理に参加してもらうのも悪いし……ねっ?」
叶光は紅真を宥めるように笑い掛ける。
「そんなことはどうでもいいから早くやろうよ」
白の言葉に叶光は、そうだね、と頷いてボウルを手前に引っ張った。
「えっと……まずは卵をここに割るんだったかな。白、できる?」
「できるよ。こうでしょ」
白は卵を一つ手に取ると、ボウルの角に力よくぶつけた。
「あ……」
びしゃりという音を立てながら割られた卵。中身の半分がボウルからはみ出して零れ落ちる。
「なにをしている。それでは力が強すぎるだろう? いいかみていろ。卵とはこうやって割るんだ」
紅真は白の前から卵を一つ奪い去ると、こんこんと軽い音で卵をボウルの角で叩く。そしうして親指と親指に力を加えて殻を割った。
「あ…………」
ぱかっと割れた卵は無事にボウルの中へと落ちたものの、余計な殻までもが一緒になってしまっている。
「殻は食べられないよ」
「……わかっている」
冷静な口調の白に、紅真は気まずげな様子で視線を逸らす。
「ふーん。それならいいんだけどね」
「なんだ? なにか言いたげだな? 言いたいことがあるのならばはっきりと言えばいいだろう」
いつも通り無表情な白と、むっとした顔の紅真の視線がぶつかり合う。
「ま、まあまあ……こういうこともあるよ」
叶光は困ったように笑いながら、ボウルの中の殻を外へと摘まみ出して捨てていく。
「――なあ、まだできねえの?」
そんな中。不意に調理場の扉が開かれ、狼琥が顔を覗かせた。
「ごめんね。まだ卵を割っている段階で……」
叶光の言葉に狼琥は目を見開かせる。
「はあ? まだそんなところかよ。そんなんじゃ、夕食の時間になっちまうぜ?」
呆れたようにため息を吐きながら叶光たちの元へとやってきた狼琥。
台の上に零れている卵や、ボウルの中に浮かんでいる殻をみてなにか察したのだろう。あー、と声を漏らした。
「……おい、叶光。てめえは卵を割っておけ。んで、紅真は砂糖と小麦粉と……牛乳はないから代わりに水の分量を測れ」
「わかった!」
「あ、ああ……」
狼琥の指示に叶光と紅真が動き始める。
「……ボクは?」
白は首を横に倒しながら問う。
「てめえは材料を混ぜる係りだ」
「うん」
白はホイッパーを掴むと、叶光が割った卵のボウルを受け取り混ぜ始める。
「……砂糖入れるぞ?」
紅真が卵の中に砂糖を入れれば、白はそれを再び掻き回す。そうして、水と小麦粉も同じようにして混ぜ合わせた。
「――終わったよ」
白の言葉に狼琥は一つ頷くと、ボウルを取り上げる。
「焼くのはオレがやってやるから、てめえらは皿の準備でもしておけ」
コンロの前に立った狼琥は、白が材料を混ぜ合わせている間に用意していたフライパンに、レードルですくった生地を上から流し込んだ。
「わあ、美味しそう!」
調理を開始してから一時間。漸く出来上がったパンケーキを目の前に、叶光は瞳をきらきらとさせながら声を上げていた。
「……確かにこれは美味そうだな」
叶光の左隣に座る紅真が感心したように、お皿の上のパンケーキを見つめる。
「まっ、オレが手伝ってやったんだから当たり前だな」
狼琥はうんうんと満足げに頷く。
「……ねえ、もう食べてもいいの?」
フォークを握りしめている白に叶光は首を縦に振る。
「うん。温かいうちに食べちゃおう!」
叶光の言葉を合図にそれぞれが手を動かし始めた。
叶光も他の三人に続くようにしてパンケーキを一口サイズに切って、ぱくりとかぶりつく。そうすれば、ほんのりとした甘さが叶光の口の中いっぱいに広がり、表情がだらしなく緩んだ。
「美味しいね」
にこりと話し掛ける叶光に、白はもぐもぐと小動物のように口を動かしながら頷いた。
「……なんだか懐かしい味だな」
綺麗な動作でパンケーキを口にしていた紅真は、ぴたりと手を止めてなにかを思い出すかのように目を細めた。
「懐かしい?」
不思議そうに紅真をみる叶光。
「ああ。……俺がまだ幼い頃に母親がよく作ってくれてな。これを食べていたらなんとなくそのときの味を思い出した」
「そうだったんだ。お母さん……かあ…………」
叶光の頭の中に浮かんだのは
しかしその人は叶光の母親ではなく、全く関係のない人物だった。それを思い出して叶光は悲しげに俯いた。
「……私のお母さんは誰なんだろう」
ぼそりと独り言のように呟かれた叶光の言葉に、狼琥が視線を寄越した。
「覚えてねえのならそれでもいいだろう? オレも親のことなんか覚えてねえし」
「……狼琥くんも覚えていないの?」
目を瞬かせる叶光に狼琥は、ああ、と頷く。
「覚えてねえよ。……まあ、あの塔で生活を始めた前後の記憶自体があんまりねえからな」
狼琥は平然とした態度で答え返す。
「そう、なんだ……」
「そんな顔するなよ。オレは別に自分の親のことなんかどうでもいいしな」
複雑そうな表情の叶光に対して、狼琥は軽く笑ってみせる。
「……ほら、そんなことよりもさっさと食っちまおうぜ」
狼琥はそう言って何事もなかったかのように残りのパンケーキを食べ始めた。
狼琥に続けるようにして叶光と紅真も手を動かし始める。
そんな中。白だけは眉間に皺を寄せて一点を見つめたまま動こうとしない。
「……白?」
不思議に思った叶光が白へと声を掛ける。
そうすれば、白は少し驚いたように肩を震わせた。
「あっ……なに?」
「白が食べてないみたいだったから……もうお腹いっぱい?」
「いや、大丈夫。まだ食べられるから」
白はパンケーキの切れ端にフォークを突き刺し、口の中へと運んでいく。
「それならいんだけど……」
白の様子に引っ掛かりを覚えつつも、叶光は白から意識を逸らしたのであった。
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