第十一話
朝食を終えた
――ページを捲り始めて一時間ほどが過ぎた頃。
叶光は視界の端でなにか光るような物を捉え、その顔を上げた。
「……なんだろう?」
窓際に置いてある二人掛けのソファー。叶光は徐に立ち上がると、黒の革張りへと近づく。
座面の隅っこできらりと反射するように光るそれを手に取った。
「これ、どこかで……」
シルバーチェーンが叶光の指先からしゃらりと零れ落ちる。
叶光はシンプルなロザリオをまじまじと見つめながら記憶を辿っていく。
そう、それはつい最近目にしたはずだ。でもどこで――と、頭を回転させていた叶光はばんっと勢いよく開かれた扉にびくりと肩を揺らした。
飛び上がるようにしてそちらへと振り返った叶光。
その先にいたのは、どこか必死な様子で呼吸を荒くさせている
「ここら辺にオレの――」
そこまで口にした狼琥は、叶光の手の中にある物の存在に気が付いて目を見開いた。
「てめえっ、それ!」
「えっ……?」
眉間に皺を寄せた狼琥は黒のワークブーツを踏み鳴らし、返せ、と叶光の手の中からシルバーのロザリオを強引に奪い去る。
「あっ、それ……狼琥くんのだったんだね。どこかで見たことあるなって思ってたんだけど、なかなか思い出せなくって」
僅かに驚きをみせつつも、緩く笑う叶光に狼琥はばつが悪い顔で、あー、と呟く。
「……その、悪かった。てめえがこれを拾ってくれていたんだろう? ……助かった」
「別に気にしていないよ。……大切な物なんだね、それ」
叶光は狼琥の拳の中に収められているロザリオに目を向ける。そうすれば狼琥は声音を和らげ、ああ、と深く頷いた。
「これはオレの大切なやつから借りている物だからな」
優しげな表情を浮かべる狼琥。それは普段の狼琥からは想像もつかないようなもので。叶光は思わず心臓を跳ねさせる。
どきどきといつもより速く音を刻む左胸にそっと手を当てて、そうだったんだね、と叶光は柔らかく返す。
狼琥はロザリオを首へと掛け直しながら、そうだ、となにかを思い付いたかのように声を上げた。
「多分聞いても無駄だとは思うんだけどよ……
「1350……?」
首を横に倒す叶光に狼琥は、被験体の管理番号だ、と答えたあと残念そうに肩を落とす。
「……やっぱり知るわけねえか。って、その前にてめえは塔にいた頃のことも覚えてねえんだもんな」
「力になれなくてごめんね」
叶光が申し訳なさそうに眉尻を下げれば狼琥は、いいや、と頭を振る。
「てめえが謝ることじゃねえよ。……オレも、もう半分諦めてるくれえだしさ」
狼琥は力なく視線を落とした。
「……どうして?」
「そいつと会ったのはもう随分と昔の話だ。生きているのか、それとも死んじまっているのか……それさえもわからねえ」
胸元に光るロザリオをそっと握りしめる狼琥に叶光は、もしかして、と僅かに声を大きくさせる。
「そのロザリオの人が……?」
「ああ、そうだ。外に出てからの三年間……ずっと探してきたけど、手掛かりすらみつからねえ。これだけやってもみつからねえとなると、もう潮時なのかもしれねえな」
そう顔を上げた狼琥の瞳があまりにも悲しげで。
「ダメだよ! 諦めるなんて……そんなのダメだよ。……大丈夫。きっと見つかるよ! 私もなにか思い出したらすぐに狼琥くんに知らせるから。ねっ?」
いつになく弱気な狼琥の態度に、思わずそんな言葉が口を衝いて出ていた。
狼琥は目を見張り、しばらく無言で叶光を見つめたあと、ふっと小さく笑みを零した。
「……まさかてめえに励まされるとは思わなかったぜ」
「ごめん……余計なこと言ったよね、私」
「いや、そんなことはねえよ。……ありがとう、な」
狼琥は少し照れくさそうに口元を緩める。
叶光は狼琥の言葉を受け取って、嬉しそうなに頷き返したのであった。
夕食の時間が近づき、集合スペースには自然と人が集まり始めていた。
それぞれが自分の定位置へと腰を下ろし、周りの仲間と会話を楽しんでいる。もちろんその中には叶光と
数日前まで距離のあった紅真と狼琥と白の三人も少しずつではあるが、叶光を通して確実に距離を近づけてきている。叶光はそんな変化を感じ取り、密かに喜びを感じていた。
「――なあ、おい。
新たに部屋へと入ってきた仲間の一人が声を張って周囲へとそれを伝える。そうして間を置かずに開かれた扉から銀河が、よっ、と顔を覗かせた。
「銀河さん! おかえりなさい」
叶光は銀河の姿を確認すると笑顔でその帰りを迎える。
「いやあ、ちょいとばかし遅くなっちまった。実は途中でっ」
叶光たちの座るテーブルへと歩み寄り、なにやら理由を説明しようとしていた銀河の声が不自然に途切れた。
「――ちょっと銀河! そこ邪魔よ」
不意に聞こえてきた高い声が銀河を押し退ける。
おい、と言う銀河を無視してその声の持ち主が狼琥の隣の席――叶光の目の前へと静かに腰を下ろした。
「ただいま、狼琥」
にこりと綺麗な笑みを狼琥へと向けた少女。胸元まである
「なんだよ。もう帰ってきたのか?」
狼琥は普段と同じように面倒くさげな態度で少女を見遣り、そのまま銀河へと移す。
銀河は紅真の向かい側にどかりと腰を落として狼琥と視線を合わせた。
「帰る途中に偶然、
少女――水蘭は不機嫌そうな面持ちで、だって、と銀河を見上げる。
「わかってる、わかってる。だからそう睨むな」
銀河は困ったように頭を掻いて、ちらりと叶光を映す。
そんな銀河の視線に気が付いた叶光は、不思議そうに小首を傾げる。すると銀河はどこか申し訳なさそうな表情で笑った。
「……ねえ。あなたよね? 銀河が新しく拾ってきた子っていうのは」
そうして緊張した面持ちで、はい、と答えた。
「初めまして。叶光です」
「私は水蘭よ。そっちの子はあなたの連れでしょう?」
水蘭は叶光の右隣へと視線を移すと、あら、と小さく言葉を漏らす。
「オッドアイなのね」
「だったらなに? キミには関係のないことでしょ」
白の言葉に水蘭は、まあそうね、と返すと再び叶光へと視線を戻す。
「……はっきり言わせてもらうけど、私はあなたたちを信じられないわ」
真っ直ぐと射抜くような視線を受けた叶光は言葉を詰まらせる。
「おい! お前……それはどういう意味だ?」
テーブルを叩いて勢いよく立ち上がった紅真の口調に怒気が混じる。
水蘭はそんな紅真を恐れもせずにゆったりとした動作で見上げた。
「彼女は本当の記憶を失っているらしいけれど、その記憶を取り戻したとき……彼女が私たちの敵になることもあり得るわ。だって彼女はあの場所にいたのでしょう?」
美蘭は、それに、と続ける。
「そっちの子の話した内容がどこまで本当かなんてわからないし」
「……なにそれ。ボクが嘘を吐いているって、キミはそう言いたいの?」
「そう受け取ってもらって構わないわ」
水蘭の冷ややかな眼差しを受け止める白は表情を消し去り、美蘭のその姿を瞳に映す。
「お前は叶光のなにを知っているというんだ? 叶光が敵になるようなことはありえない。今日初めて会ったばかりのお前が憶測でものを言うなっ」
「……それなら紅真は彼女が政府の塔にいた理由を知っているの? 知らないのでしょう? 紅真が言うそれだってただの憶測じゃない」
互いに睨み合い、声を荒らげる紅真と水蘭。
そんな二人の間に銀河が、おい、と割って入る。
「そこまでにしておけ。……お前の言いたいこともわからなくはないが、叶光の気持ちも考えてやったらどうだ?」
銀河は水蘭を宥めるようにその肩へと手を乗せる。けれど水蘭は首を横に振り、いいえ、と強く否定して叶光へと向き直った。
「……いい? 銀河はお人好しだから弱くてかわいそうなあなたを見捨てられずにいるようだけれど、あなたをここに置いておくメリットなんて私たちにはないのよ」
捲し立てるようにして最後まで言い切った水蘭のその言葉に、叶光の心は大きく動揺していた。
水蘭の言ったことはその通りなのだ。この世界での記憶もなく、戦えるだけの力もない。ないものだらけの叶光。それは叶光自身も十分に理解していたことではあるが、こうも真正面から突きつけられてしまうとどうしようもなくなってしまう。
「ねえ、なにか言うことはないの?」
冷めきった表情の水蘭に叶光の手が震える。
早く答えなければと焦れば焦るほど、叶光の頭の中は真っ白になっていくのだ。
「――あのよ」
不意に口を開いたのは狼琥だった。
「こいつをここに置いておくのはもう決まったことなんだよ。それを今更ああだこうだ騒いで……うぜえんだけど」
狼琥は鬱陶しげに水蘭へと言葉を投げつける。
「でもっ……でも、狼琥だってこんな価値のない厄介者をここに留めておくなんて反対でしょ?」
僅かに動揺した様子で狼琥に同意を求める水蘭。
そんな水蘭に狼琥は不愉快そうに眉を顰めた。
「……こいつの――叶光の価値を決めるのはてめえじゃねえよ」
そう声を低くさせた狼琥に、水蘭はぐっと息を呑む。
「――もういいわっ! どんなことになったって私は知らないから!」
ガタンと勢いよく椅子から立ち上がった水蘭は去り際に叶光を鋭く睨みつける。
「あっ……ま、待ってください!」
叶光が引き留めるのも無視をして、水蘭はこの場から立ち去った。
乱暴に閉められた扉を見つめる叶光に、銀河は気遣うような視線を向ける。
「……悪かったな。あいつの言ったことは気にしなくてもいい。ここから出て行くなんて考えなくていいんだぞ?」
「銀河の言う通りだ。お前が出て行く必要などない」
紅真は銀河に賛同してうんうんと頷く。
「でも……」
叶光は俯いた。
「……水蘭にとって『政府』っていうものは旧も新も関係なく憎悪の対象でしかないからな。そんな場所にいたお前らのことが気に食わないのだろうよ」
銀河は、だが、と続ける。
「俺はな、叶光の力になってやりたいって思っているんだ。だから今更お前を追い出すなんてこと絶対にしないさ」
銀河の優しさを感じ取り叶光は顔を上げる。
それからどこか迷ったように瞳を揺り動かし、ゆっくりと口を開いた。
「……ありがとうございます。すごく、嬉しいです」
今度は素直に受け入れた叶光に銀河は白い歯を見せて、さっ、と手を叩いた。
「もう飯の時間だろう? まずは腹ごしらえだ」
銀河の言葉に、それまで息を潜めるように一部始終を見守っていた仲間たちが一斉に動き出す。
ワゴンに乗せた料理を
叶光はもやもやとした気持ちを心の中に抱え込みながら、目の前に置かれた美味しそうな夕食に手をつけるのであった。
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