第十話
ふわりふわりと揺れる意識の中で、
一面を白で統一された部屋の真ん中。頑丈な椅子に座らされている叶光は白衣を着た五人の大人に囲まれている。
その中の一人が叶光に向かってなにかを発すれば、叶光は僅かに頷きをみせて右の手を動かした。しかしそれは叶光の意志によるものではない。体が自然と動いているのだ。
「おおっ! これは……」
なにかに触れた右手が熱を持つ。
「今までにないタイプのようですね」
「これは壊さないように気を付けて扱わねば」
「無理はさせずに上手く引き出そう」
大人たちが口々にそう言い合う。
叶光は一番近くに立っていた大人を見上げた。
そうすれば、その人物は優しげな笑みを作って口を開く。
「……よかったな。お前は今日からA塔だ」
叶光は首を傾げた。
どこかで聞いたことのあるような台詞。けれどそれをどこで聞いたのか、本当に聞いたことがあったのか。ふわふわとした意識の叶光に、それを考えることはできそうにない。
そうして叶光はまたこの夢の世界から現実へと引き戻されていくのであった――。
――
特にすることもなかった叶光は、集合スペースで昨日書庫から借りてきた童話を読んでいた。
ページを捲りしばらくした頃。
僅かに黄色みを帯びた本の用紙に暗い影が落ち、叶光はついと顔を上げる。
「……あっ、
暗い影の正体は紅真だったようで、紅真は叶光の横に立ち、本を覗き込んでいた。
「なんだ、本を読んでいるのか」
「うん。昨日
叶光は開いていた本を閉じてそれを両手で軽く持ち上げると、紅真に見せる。
「狼琥と……か?」
紅真は僅かに眉を顰めた。
「私に手伝えることを探してくれたみたい」
嬉しそうに笑う叶光に紅真は複雑な表情で、そうか、と口にした。
「それで、紅真はどうしたの? 私になにか用事?」
首を横に倒して問えば紅真は、ああ、と思い出したかのように頷く。
「昨日外に出たときに住民区の人間からこれを買ったんだ」
紅真は手に持っていた透明の丸いガラス瓶を叶光の目の前へと置いた。
「わあ! 綺麗! これって飴玉だよね?」
赤、青、黄、緑――と様々な色をしたビー玉サイズの飴玉が、瓶の中いっぱいに詰め込まれている。
叶光はそれを両手で包み込むと顔を綻ばせて紅真を見上げた。
「お前に、と思ってな。甘いものは嫌いじゃないだろう?」
紅真は叶光の隣の席へと腰を下ろし、テーブルに頬杖をつく。
「うん! 大好き!」
元気よく頷き返す叶光に紅真は頬を緩めた。
「ここでは甘いものは出ないだろう? それなら日持ちもするし、丁度いいかと思ってな」
叶光は、ありがとう、と微笑む。
「ほら、ちょっと貸してみろ」
紅真は叶光の手からガラス瓶を受け取ると、固く閉まっている蓋を緩める。
「一つ食べてみたらどうだ?」
そう言って叶光のほうへとガラス瓶を傾けた。
叶光は、うん、と頷いて中から赤い飴玉を一粒取り出すと、口の中へと放り込む。
「あっ、いちご味だ!」
舌の上でころころと飴玉を転がして久しぶりの味を楽しみながら、叶光は紅真からガラス瓶を受け取る。そうすると叶光はそれを紅真のほうへと傾けた。
「紅真もどうぞ」
飴玉がガラス瓶のふちにぶつかり、からりと涼しげな音を立てる。
「……そう、だな。俺も一つ頂くとするか」
紅真はふっと笑うと、叶光が選んだものと同じ色を指先で摘まみ上げた。
「美味しい?」
叶光は紅真の
紅真は口の中にある飴玉のその味を確かめ、ああ、と緩やかに頷く。
頷いた紅真に叶光が、ふふっ、と声を漏らせば二人の間には穏やかな空気が流れる。
そんなほのぼのとした空間に、ガチャリと扉を開く音が響いた。
割り込むようにして入ってきたその音に、叶光と紅真は同時に目を向けた。
「――
開かれた扉から現れた珍しい組み合わせに、叶光は僅かに目を見張りながらも、すぐに表情を柔らかいものへと変える。
「……偶然そこで一緒になったんだよ」
言いながら狼琥はずかずかと荒い足取りで部屋の隅にある段ボール箱へと近寄ると、中からペットボトルの水を二つ取り出した。
「ほら」
狼琥は一つを白へと手渡す。
「どうも」
素っ気ない返事でペットボトルを受け取った白。
狼琥は特に気にした様子もみせず、叶光の斜め前の席にどかりと腰を下ろした。
「……んで、てめえらはなにをしてたんだよ?」
狼琥は向かい側に座る二人を視界の中に入れ、軽い調子で問う。
「これ! 紅真が買ってきてくれたの」
叶光は飴玉の詰まったガラス瓶をテーブルの中央へと置く。
「……これ、なに?」
叶光の右隣に座った白が興味深げに中身を覗き込む。
「飴玉だよ。これ、綺麗だよね! 白も食べる?」
叶光の言葉に、白は不思議そうに小首を傾げる。
「これって食べ物なの?」
白の発言に、叶光と紅真と狼琥の三人は目を丸くさせた。
「……飴玉、知らないの?」
「うん。知らない」
白は素直に答えると、ガラス瓶に手を伸ばす。
そうして瓶の中から青色の玉を一粒摘まんでまじまじと見つめたあと、それを口に含んだ。その直後。ガリッという音を立てて飴玉を噛み砕いた。
「あっ……」
叶光は小さく声を漏らした。そんな叶光の声にも気が付かずに、白は飴玉をがりがりと咀嚼をしてごくりと飲み込んだ。
「……硬い。それに不思議な味がする」
難しげに眉を寄せる白に狼琥が盛大に吹き出した。
「マジかよ! 面白すぎだろ」
声を上げて笑う狼琥。その意味がわからない白は不愉快そうだ。
「ろ、狼琥くん! そんなに笑うことないじゃない。……ほら、紅真も!」
叶光は自分の左隣で小刻みに肩を揺らし、口元を手で覆っている紅真を注意する。そうすれば、紅真は少し気まずげに咳払いをした。
「……あのね、白。これは噛み砕くんじゃなくて、口の中で溶かしながら食べるの」
叶光は新たに一粒取り出して自分の口の中に入れると、こうやって、と飴玉を転がしてみせる。
「……こ、う?」
白は叶光を真似て、もごもごと口を動かす。
その度に飴玉が歯に当たってカラカラと音を鳴らしている。
「そうそう! そんな感じだよ」
にこにこと頷き返す叶光に白は、なるほどね、と納得した様子だ。
「……そうだ! 狼琥くんも食べる?」
叶光は狼琥へと視線を向ける。
「ガキじゃあるめえし、オレはいらねえよ」
「ええ、そんなの関係ないよ。美味しいのに……ねえ、紅真」
叶光が話を振れば紅真は、ああ、と深く頷く。
「そうやって恰好を付けているほうが余ほど子供っぽくみえるぞ」
「うるせえ!」
ふんとそっぽを向く狼琥。そんな狼琥の姿を見ながら叶光はふと疑問に思ったことを口にした。
「そういえば……みんなって何歳なの? 私はね……あれ? 私は………」
そこまで言って叶光は考え込むように口を閉ざした。するりと出てくるはずの数字。それが出てこなかったのだ。
「ん? どうしたんだ? 確かお前は俺の一個下だから十七だろう」
「あっ! そうそう。私は十七歳! なんだかど忘れしちゃったみたい」
なぜそんな簡単なことを忘れてしまったのだろうか、と叶光は妙に思いながらもあははと明るく笑ってみせた。
「なんだ。同い年だったのかよ」
あまり興味もなさそうに呟いた狼琥に叶光は、そうだったんだ、と嬉しそうに微笑んで白へと視線を移す。
「白は?」
「ボクは十五だよ」
「少しだけ離れているんだね」
叶光はそう言って再び狼琥へと顔を向けた。
「それじゃあ、銀河さんは? 狼琥くんは知っている?」
「三十代後半くらいだったな。確か」
叶光は、へえ、と声を上げてどこか嬉しそうにうんうんと頷く。
「やけに嬉しそうだな?」
「……なんだかこういう風に知らなかったことを知れると距離が縮まったような気がして、それが嬉しいなあって」
叶光の言葉に紅真は優しげな声色で、そうか、と目を細めた。
「……ふーん。キミはそんなことが嬉しいんだね」
横で叶光を見つめながら、一人呟いた白は徐に立ち上がった。それに気が付いた叶光が白を見上げる。
「ボクはそろそろ部屋に戻る。やらなきゃいけないことがあるから」
白のその言葉に狼琥も同じく立ち上がった。
「オレも戻って少し寝てくるわ」
大きなあくびを漏らして、じゃ、と背を向けた狼琥。
「そう? それじゃあ、二人ともまた夕食のときにね」
小さく手を振って白と狼琥を見送る。
残された叶光と紅真の二人は、夕食が開始されるまでの時間を他愛のない会話で過ごしたのであった。
――夜も更け、そろそろ寝ようかとしていた叶光は来客を知らせるノック音に、はい、と小さく返して扉を開いた。
「ちょっといい?」
扉を開いたその先に立っていたのは白で。白は叶光の返事も待たずに室内へと上がり込む。
「こんな時間にどうしたの?」
叶光は小首を傾げる。そんな叶光の目の前に白は、これ、と手を突き出した。
「……これって白の……?」
手渡された物体と白の左手首に嵌められている物とを交互に見る叶光。
白は左腕を胸の高さまで上げて小さく頷く。
「ボクのと同じ。だけど少しだけ違う」
「同じだけど違うの?」
叶光はぱちぱちと瞼を上下させて不思議そうに問う。
「それはボクの物より簡単に扱える。キミの感情に反応して自分自身を守れるようにしてあるから」
「ええっ! そんなことができるの? すごい!」
叶光は感嘆の声を白へと放つ。
「でもキミのそれは簡単に扱える分、防げる威力も弱いし耐久性もない。負荷が掛かりすぎると壊れて使えなくなっちゃう……まあ、無いよりはましってやつかな」
「そうなんだ……でも、ありがとう!」
これで自分の身は自分で守れる、と考えて叶光は少し安心する。
叶光は電子バンドを右手首へと嵌めてから白の物へと視線を向けた。
「白のはどういう仕組みで動いているの?」
「ボクの? そうだなあ……ボクのは、光の流れに集中して、それを集めて形にするって感じかな」
説明を聞いただけでも難しそうだとわかるそれに、叶光は眩暈を起こしそうになる。
白と同じ物を叶光が扱うということは不可能に限りなく近いであろう。
「どんな感じなのか想像もできないけど、それをやっちゃう白ってすごいんだね」
「別に。感覚を掴めば誰にだってすぐにできるよ」
白は謙遜しているという風でもなく、本当にそう思っているようだ。
「……じゃあ、ボクの用事はそれだけだから」
くるりと体を反転させた白に叶光は今一度、ありがとう、と言葉を送った。
「うん。……おやすみ」
「おやすみなさい」
部屋の扉がゆっくりと閉じられる。
叶光はそれを確認すると、静かにベッドの中へともぐり込んだのであった。
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