第六話

「……どういう……こと?」

 振り絞るかのように紡がれた疑問の声。

「詳しく説明してくれるか?」

 叶光かのみに続くようにして銀河ぎんがが促せば、びゃくは小さく頷いた。

「さっきも話した通り、ボクは博士にキミのことを任された。理由までは聞けなかったけど、博士はキミをJusticeジャスティス側の人間から隠すために第一都市だいいちとしに落としたんだ」

 白は博士とのやり取りを思い出すかのようにゆっくりと言葉を繋げていく。

「その時にキミの頭の中にあるメモリーが上書きされた」

「メモリーの上書き……?」

「記憶の改ざんだよ。今のキミが持っている記憶という情報は、全て博士によって作られたものだってこと」

「えっ……ち、ちょっと待って!」

 声を上げて目を見開く叶光は否定するように頭を振った。

「私の記憶が全部作られたものって……そんなはずない! だって私はずっとお母さんと一緒に暮らしていて……それは本当のことで……」

「その人はキミの母親じゃない。第一都市に派遣されている博士の助手で、夕緋ゆうひさんって人だよ」

「夕、緋……?」

 叶光の声が震える。

 助手だと告げられたその名前。それは叶光が、母親だと信じて疑わなかったその人と同じものであった。

「夕緋さんも博士から連絡を受けてキミを隠す手助けをしていた。キミの傍にいても不自然にならないよう、博士は夕緋さんを母親として傍に置くことにしたんだと思う」

 間を置くことなく、さらさらと流れるように説明を続けた白はそこまで言い終えると口を閉ざした。

「……そう、だったんだ……」

 白の口から語られた真実に叶光は力なく言葉を返すと、涙の膜で覆われた瞳を足元へと落とした。

 歪む視界でつま先を見つめる叶光の脳内に浮かんだのは、母親と共に過ごした日々のこと。数日前までは確かにそこにあった幸せが、他人に作られた偽物であったという事実は叶光の心を苦しめる。

「……叶光」

 気遣うような声色で叶光の肩にそっと手を添えたのは紅真こうまだった。

 下から覗き込むようにして叶光の瞳を見つめる紅真に対して、叶光はぎゅっと唇を噛んだあとぎこちない笑みを返して顔を上げた。

「…………ねえ、白? 他に……他に私が知らないことってあるのかな?」

 叶光は真っ直ぐに白を見据える。

 真実を知ることは叶光にとって怖く、そして苦しいことだろう。自分が今まで信じてきたものを崩されていくのと同じことなのだから。しかし、叶光は今それを必死に受け止めようとしているのだ。

 それにここまで知ってしまった以上、見て見ぬ振りなどできるはずもなかった。

「他に?」

 目を瞬かせる白に叶光は、うん、と一つ頷く。そうすれば白は考えるように目線を斜め上へと向けた。

「――なあ」

 そんな二人の間を割って入るかのように声を上げたのは狼琥ろくだ。

 今まで黙って話を聞いていた狼琥は眉間に皺を寄せて白を見遣る。

「さっきから第一都市がどうのとか言ってるけどよ、その第一都市っていうのはなんだ?」

「ああ、それは俺も気になっていたところだ」

 狼琥の言葉に銀河が頷きを示す。

 叶光と紅真も意見は同じなのであろう。二人の視線の先はしっかりと白を捉えている。

 四人分の視線を一身に浴びた白は、ああ、と短く発すると変わらぬ表情で続けた。

「それなら、こことは違うもう一つの世界のことだよ。二つの世界には偶発的に発生する時空の歪みがあって、その先に繋がっているのが第一都市」

「はあ? もう一つの世界ってなんだよそれ」

 馬鹿にしたような声を上げる狼琥に対して、白は至って冷静に答えを続ける。

「だからこことは別に同じような世界がもう一つあるんだよ。ボクたちがいるここ第二都市だいにとしと同じような世界がね」

「それじゃあ、今まで私がお母さ……夕緋さ、んと生活をしていた光之町ひかりのちょうがある場所がその第一都市ってこと?」

 言葉に詰まりながら問うた叶光に白は、そうなるね、と肯定してみせた。

「でもそんな話は今まで聞いたこともないぞ」

 訝しむ紅真に白は、当たり前だよ、と続ける。

「これは旧政府から続く機密事項。上層部の人間と一部の研究員にしか知られていないことだし。それに発生した歪みの中に落ちたら、普通は空間を移動している途中で消えてなくなっちゃうからね」

 白の発言にその場にいた四人の目が大きく見開かれた。

「お、おいおい……それは随分と物騒な話だな」

 銀河は引き攣った笑みを浮かべる。

「えっ? でもそれなら私はどうして……?」

 若干顔を青くさせながら、ぱちぱちと瞬きをする叶光。

 白の話が本当のことなのだとすれば、叶光も今この場にはいないということになるだろう。しかし、叶光は現にこうして存在しているのだ。

「ボクにもわからない。だけど博士が大丈夫だって……キミなら消えてなくなることはないんだって、そう言っていた」

 白は僅かに表情を難しいものへと変える。その表情からして白の言葉は本当なのであろう。

「それなら夕緋っていう博士の助手はどうなんだ?」

「あの人は特別。ただ一人の成功例だから。……でも、もうこっちに戻ってくることはできない」

「それはどういう意味だ?」

 眉を寄せて問うた銀河に、白はゆるゆると首を横に振った。

「ボクも詳しいことは聞かされていない。ボクが知っているのは夕緋さんが実験に成功したことと、もう戻ってはこれないってことだけ」

 白の話を聞き終えた銀河は、そうか、と腕を組んだ。

「こうなったら島浦しまうら博士を探し出して、直接話を聞くしかなさそうだな」

 銀河は少し困ったように頭の後ろを掻く。

 そんな銀河の様子を横目でみながら叶光は白に、あのっ、と声を投げた。

「私の記憶……って元には戻らないのかな? 白から色々なことを聞いたのに、私はまだなにも思い出せないでいる。白が言う『上書きされた』って記憶のままなの」

 不安げに瞳を揺らす叶光を白は静かに見つめる。

「なにかきっかけがあれば思い出すこともあるんだろうけど、どれくらいの時間がかかるのかはわからない。博士がいれば思い出させることもできるんだろうけど……」

「……そっか」

 叶光は肩を落とす。

 銀河の言う通り島浦博士を探し出すしかないのだろう、と叶光はそう考える。

「それなら紅真に話を聞けばいいんじゃないか?」

 思い付いたように声を上げた銀河。

「紅真に……?」

「ああ、そうだ。紅真は叶光が記憶を上書きされる前の知り合いなんじゃないのか?」

 銀河が紅真へと目を遣れば紅真は、ああ、と小さく頷いた。

「お前が知っていることを話して聞かせれば、叶光の記憶を戻すきっかけになるかもしれないだろ?」

 なるほどな、と一言発した紅真はその視線を叶光へと向ける。

「……聞いてみるか?」

 静かに問うた紅真に叶光はゆっくりと頷きを返した。

「…………俺とお前は同じA塔で育ったんだ」

「A塔……?」

 聞き慣れないそれに思わず首を傾げる叶光。

「俺たちが閉じ込められていた実験施設のことだ。AからCまであって、能力の高さで振り分けていたようだな」

 紅真の話を聞いて叶光の顔が曇る。

「それじゃあ……私もなにか能力を持っているの?」

 ああ、と肯定する紅真に叶光は自身の手のひらへと視線を落とす。

「能力を持っていることは確かだろう。だが、俺にはお前がどんな能力を持っていたのかまではわからない。被験体同士での情報のやり取りは禁止されていたからな」

 そうなんだ、と言って手を下ろした叶光に紅真はゆっくりと話を続ける。

「俺たちはA塔の中でも比較的に優秀だったこともあり、検査や訓練などの時間以外は共に過ごすことも多く、出会ってから八年間は大事に至ることなどはなかった」

 過去を思い出しながら語る紅真はほんの僅かだが、柔らかい表情をみせた。そこから察するに、塔での生活も嫌なことばかりではなかったのだろう。

「……そして三年前のあの日。いつものように訓練を終えた俺たちは書庫へと向かっていた。そこで警報が鳴ったんだ」

「旧政府襲撃事件……か」

 ぐっと眉を寄せた銀河が小さく呟いた。紅真はそれに対して、ああ、と短く返すと先を続ける。

「突然のことに驚きながらも、これはチャンスだと思ったんだ」

「チャンス?」

「ああ、そうだ。騒ぎに乗じて塔から抜け出せるチャンスだと、な。だがそう考えていたのは俺たちだけじゃなかった」

 紅真はそこで一旦言葉を区切ると、そうだろう、と狼琥へ投げ掛けた。

 紅真からの投げ掛けを受けた狼琥は短く息を吐き出すと、徐にその口を開く。

「警報が鳴り響いたあとは塔に閉じ込められてたやつらでごった返していたぜ。我先に抜け出そう、ってやつらでな。それに加えて反政府の連中から逃れようとする職員たちとで揉み合い押し合い……まさに地獄ってやつだ」

 当時のことを思い出してか、狼琥は顔を顰めた。

 狼琥の話を聞き終えると紅真は再び叶光へと向き直る。

「……そんな中で俺と叶光は一緒になって抜け出そうとしていたんだ。だが、混乱の最中で俺の手はお前から離れてしまった」

 紅真は拳を作り、それを力いっぱいに握る。そんな紅真の姿を見つめながら叶光ははっとした。

「それって昨日話してくれた……?」

 昨晩、紅真が叶光を部屋へと案内したときの出来事を思い出す。

 手を離したことを後悔していた、と。三年間必死になって叶光を探していたと、紅真はそう言っていた。

「ああ、そうだ」

 昨晩と同じように紅真は真っ直ぐに叶光を見据えて金色こんじきの瞳にその姿を映す。あのときはその力強さに顔を俯かせて逃げてしまった叶光であったが、今回は違った。

「……ずっと探してくれていたんだよね?」

 紅真と同じように叶光も瑠璃色るりいろの瞳で真っ直ぐに映した。

 そうして、ありがとう、と言葉にすれば紅真は予想外のそれに驚いたような表情を浮かべる。

「紅真の話を聞いても、やっぱりまだなにも思い出せない。だけど……紅真がずっと私を探してくれていたってこと、なんだか嬉しい」

 昨日までは紅真の話を聞いても戸惑うばかりの叶光であったが、なぜだか今は少し違っていて。自身の変化に内心驚きつつも、叶光は思ったことを素直に伝えた。

 そんな叶光に対して紅真は大きく頭を振ると、戸惑った様子で口を開く。

「責められこそすれ、礼を言われる資格など俺には……」

「お前は本当に堅物だな。こういう気持ちっていうのは素直に受け取っておくものだぞ?」

 横から割り込むようにして入ってきた銀河は叶光へと視線を寄せ、なっ、と同意を求める。叶光はくすりと笑みを漏らし、首を縦に振る。

「そ、そうなのか……わかった」

 困ったような顔つきで紅真が頷いた。

「……さて、と。ひとまず今はここまでか」

 これ以上の進展は望めそうにないと判断した銀河は、沈めていた腰を黒革から浮かべる。

 そんな銀河の動作に続けるようにして四人も腰を浮かして立ち上がった。

「俺は島浦博士の居所を探ってみる。しばらくは留守にすることも多いと思う。ここのことは狼琥、お前に任せるからよろしく頼む」

「了解」

 狼琥は片手を軽く上げ、ひらひらと振りながら返答すると扉の取っ手に手を掛け一番に部屋から出て行く。

「紅真、お前は叶光の面倒をみてやってくれ。叶光にとっちゃあ不慣れなことも多いだろうからな」

「言われずともそのつもりだ」

 銀河は紅真の返事に、そうか、と白い歯をみせて笑う。

「じゃ、俺はさっそく情報集めに出掛けてくるわ」

「お気を付けて」

 紅真の肩を軽く叩いて背を向けた銀河に叶光が後ろから声を掛ける。そうすれば銀河は顔だけを振り向かせて、叶光とその隣に立つ白を視界に捉えた。

「おう。お前らはここを自分の家だと思って好きにやっていてくれ」

 銀河はそれだけ伝えると、部屋の扉を開き情報収集へと向かった。

 そうして部屋に残されたのは叶光と紅真と白の三人。

「……とりあえず、俺たちもここから出るか」

「うん、そうだね」

 切り出した紅真に同意を示す叶光。白もこくりと小さく首を縦に振る。

 紅真を先頭に三人は揃って部屋を後にしたのであった。

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