第五話

「いいか! お前らよく聞け。俺たちの新しい仲間の叶光に白だ」

 叶光かのみびゃくの間に立つ銀河ぎんがが、二人を一歩前へと押し出す。

 前には大きめのテーブルと、それに備え付けられるようにあるパイプ椅子。そこに座るのは十数人の男たちと紅真こうま狼琥ろく

 男たちは興味津々といった様子で叶光と白に注目を寄せている。

 紅真は叶光へと柔らかな視線を向けているが、狼琥のほうは興味なさげに窓の外を映していた。

「よ、よろしくお願いします」

 叶光はぺこりと小さく挨拶をする。

 白は無言のままであったが、叶光の真似をするように白い頭を下げた。

 ――朝食の時間だと紅真に誘われるがままにこの部屋へとやってきたのは今から五分前のことだった。

 階段を下り、ガラス張りの扉の部屋へと案内された叶光と白。叶光がこの部屋を訪れるのは二度目だ。一度目は昨夜狼琥に水をもらったとき。

 どうやらここが仲間たちが集まり使われる部屋のようだ。

 扉を開けた紅真に続き、中へと足を踏み入れるとすぐに銀河に捕まった。待っていたぞ、と軽い笑みを向けた銀河は叶光と白の腕を掴むと、なんの説明もなくホワイトボードの前へと引っ張り出した。そして冒頭へと至る訳だ。

「色々と手助けしてやってくれな」

 銀河の言葉に目の前の男たちはみな笑顔で頷き、よろしくな、などといった歓迎の言葉を投げた。

 叶光は今一度頭を下げる。

「それじゃあ、お前たちも座って飯にしてくれ!」

 白い歯をみせながら叶光と白の背中を軽く叩く。

 はい、と返事をしてから視線をテーブルのほうへと移すと、その視線が紅真のものとぶつかり合う。

「叶光の席はここだ」

「あっ、うん!」

 叶光は紅真の元へと小走りで駆け寄った。

 少し遅れてやってきた白と共に空いている席へと腰を下ろす。叶光は紅真の隣へ。白は叶光の隣へと。

 二人が席に着いたタイミングを見計らって、一人の青年が朝食を乗せたトレイを二人分運んできた。トレイの上には野菜スープとロールパンが二つ。それと水の入ったペットボトル。

 青年はそれを叶光たちの後ろから静かにテーブルへと並べ置いた。

「ありがとうございます」

 叶光が微笑を送れば、青年は僅かに頬を赤らめる。

「いいえ。ごゆっくりどうぞ」

 青年はそれだけを言うとそそくさと奥へ引っ込んで行った。

「今の人は?」

「食事係の者だろう」

 隣でスープを啜る紅真に尋ねればなんとも味気ない答えが返ってくる。

「名前はなんていうの?」

 続けて問うてみれば紅真はスプーンの動きを止め、思案するように視線を左上へと向けたあと叶光へと戻した。

「……記憶にないな」

 平然と言ってのける紅真に叶光は目を丸くさせる。

 同じ場所で暮らしている仲間の名前を覚えていないとは一体どういうことなのだろうか。そんな思いを巡らせながら、ぽかんと口を開けている叶光の斜め前から聞こえてきたのは小さなため息だった。

満澄みすみだ。それくらい覚えておけよな」

 声の主へと視線を向ければそこにいたのは狼琥で。狼琥はテーブルに肩肘をつき不機嫌そうな顔でパンを齧っていた。

 叶光は狼琥の姿を目で確認すると、あっ、と小さく声を漏らす。

「狼琥くん! おはよう」

 元気に挨拶をする叶光に狼琥は面倒くさそうに、チッと舌打ちを返した。

 そんな狼琥の態度に紅真の眉間には深い皺が刻まれる。

「……おい。挨拶くらい返したらどうだ?」

「てめえに指図される謂れはねえよ」

 紅真と狼琥が睨み合う。

 叶光はそんな二人を目の前に、どうすることもできずに困った様子だ。

 その一方で白はというと、我関せずとばかりに一人黙々と食事を進めている。

「お前らはまた喧嘩をしているのか。血気盛んなのはいいが、食事の時間くらいは大人しくしていたらどうだ?」

 四人の元へと姿を見せた銀河は呆れ顔だ。

「こいつが絡んできたんだよ」

「俺はお前の態度の悪さを注意したまでだ」

 狼琥と紅真が再び睨み合いを始める。

「はいはい、お前らの言い分はわかったから大人しく飯を食え! それで食い終わったら、お前ら全員俺の部屋に集合な」

 銀河の発した言葉に疑問を口にしたのは叶光だった。

「なにか大切なお話でも?」

「まあ、そんなところだな」

 肯定した銀河に叶光は、わかりました、と静かに頷く。

「それならなるべく早めに済ませる」

 叶光に続いて口を開いた紅真は中断していた食事を再開させるべく、スプーンを持つ右手を動かし始めた。

「面倒くせえな」

 悪態を吐きながらも周りと同じように手を動かし始めた狼琥に銀河はふっと笑みを零すと、それじゃあよろしくな、と残して自室へと戻って行ったのであった。


 銀河が自室へと戻ってから十五分程の時間が過ぎた頃。

 叶光、紅真、狼琥、白の四人は、最上階にある銀河の部屋へとやってきていた。

 ガラステーブルを囲むようにして配置されている黒革のソファーに、それぞれが好きなように腰を下ろしている。

「……んで、話ってなんだよ?」

 二人掛けソファーにどかりと座り込んでいる狼琥が、上座に着いている銀河へと徐に視線を投げた。

「少し昔話でもしようかと思ってな」

「昔話……だと?」

 訝しがる紅真に銀河は、ああ、と一つ頷いてから叶光へと向かって口を開く。

「俺や狼琥。それに紅真やここで生活を共にしている仲間たちに関係のある……な」

 銀河の言葉に狼琥と紅真の顔が強張った。

 狼琥はなにかを思い出したのか苦虫を噛み潰したような顔で胸元のロザリオを強く握りしめ、紅真は眉を寄せて膝の上で拳を作るとそれを睨みつけるように見つめている。

 そんな二人の様子を横目で見つつ、銀河は後を続けた。

「叶光はここのことをなにも知らないようだからな。この話がなにかのヒントになるかもしれない」

「ヒント……ですか?」

 銀河を真っ直ぐに見据える叶光。

「ああ。聞いてみるか?」

「……はい」

 銀河の問い掛けに、叶光は緊張した様子でこくりと頷く。

「……今から三十八年前のことだ――」

 叶光の答えを確認してから銀河はその口をゆっくりと開き、静かに語りだした。


 今から三十八年前。旧政府管轄の下で人体兵器実験が開始された。

 対象となるのは五歳から十五歳までの子供たち。集められた子供たちは政府が無理やり連れ去った子が大半であったが、中には金に目が眩んだ親によって売られた子もいたという。

 そうやって集められ被験体となった子供は、旧政府が保有していた実験施設へと送られた。

 施設で行われていた実験とは、本来人々が持っているといわれている特性を引き出し、覚醒させるというもの。覚醒者はランク分けされ、より強い兵器となるための訓練が日々行われていたという。

 当然のことながら、旧政府によるそれらは住民たちから強い反感を買った。

 しかし、権力者たちでかためられていた旧政府に反発するということは、安定した生活を手放すということ。誰もがそれを躊躇し、見て見ぬ振りを通すしかなかった。

 そんな横暴ともいえる振る舞いが二十年以上続き、漸く旧政府へと立ち向かう者が現れた。それが銀河だ。

 旧政府の在り方に不満を持つ者や、実験施設から逃げ出してきた者たちで集まり、反政府組織が出来上がったのが今から十五年前のこと。始めは少なかったその人数も、二年後には二百を超えるまでに拡大されていった。

 そして今から三年前。ある事件が起こる――反政府組織過激派による旧政府への襲撃だ。

 これにより旧政府は敗退。その後、過激派のリーダーが中心となって新たな政府を立ち上げる。それが今この世界を仕切っている新政府――


「……Justiceジャスティスだ」

 銀河の低い声が静かな室内に大きく響き渡る。

「ジャス、ティス……?」

 今まで一言も発さずに銀河の声に耳を傾けていた叶光が小さく呟いた。

「その名の通り『正義』だ。正義の名の下にこの世界を再構築する者の集まり……とでも言えばいいか」

 顎に片手を当て難しそうな顔で説明をする銀河に、狼琥が苦々しい口ぶりで続ける。

「正義、だなんて笑っちまうぜ。やってることは旧政府のやつらと大して変りもしねえくせによ」

「それは、まだ人体実験などが行われている……と、いうことですか?」

 恐る恐るといった様子で問う叶光に、首を横に振って答えたのは紅真だ。

「いや、やつらのおかげで俺たちは解放され、人体実験は廃止された。……だが、住民たちはみなデータで管理されている。なにをするのにもやつらの許可が必要になり、食料から生活に必要な物まで全てが新政府管理の下だ」

「えっ……?」

 紅真の言葉に、叶光はこれでもかというほど目を大きく見開く。

「俺たちは解放されたって……それってつまり……」

「……俺と狼琥は旧政府の実験施設にいた」

 衝撃的ともいえる紅真の告白に叶光は言葉を失った。

 だが、これで説明がつくことがある。紅真や狼琥が使う不思議な能力――あれは、旧政府の人体兵器実験により無理やり引き出されたものなのだ、と。

「能力を扱うやつらはみんな過去に施設で実験を受けた連中だ。俺は能力者ではないが、ここにいる仲間たちの中でも何人かはいるな」

 そうなんですか、と悲しげに俯く叶光。

 紅真や狼琥の境遇を考えると、叶光は心が痛くなった。

 そうして、それと同時に今いるこの世界が自分の知る世界とはあまりにも違うという事実に戸惑が込み上げてくる。

「……叶光、お前は……」

 呟くように口にした紅真。それに答えるように叶光は静かに顔を上げた。

「……いや、なんでもない」

 なにかを言いたげな瞳で叶光を見つめた紅真は思い直したように頭を振った。

「――ところで、だ」

 銀河は一度言葉を区切ると、白へ視線を向ける。

 この部屋へとやってきてから未だ一言も発していない白に、困ったような顔つきで銀河は続けた。

「……白。お前は政府に属する人間、じゃないのか?」

 白へと投げ掛けられた疑問。それは疑問というよりも、なにか確信を得ているようなものに近かった。

「どういうことだ」

 狼琥が低く唸るような声で白へと視点を定める。

 白はなにも答えない。ただ無表情に銀河を見つめるのみだ。

「お前の左手首にあるそれは旧政府の研究員が開発したものだろう? 違うか?」

 銀河が顎をしゃくって指したそれに、叶光、紅真、狼琥の視線が集中する。

 白は自身の左手首に巻かれている壊れかけの電子バンドに右手で軽く触れ、ゆっくりと頷いた。

「てめえっ……政府の人間だったのかよ!」

「なんの目的で叶光へと近づいた?」

 今にも飛びかかりそうな勢いの狼琥と、腰にある刀へと静かに手を掛けた紅真。二人の鋭い眼差しが白へと突き刺さる。

「……確かに、ボクは政府の研究室にいた。だけど、ボクはキミたちの敵じゃない」

 白は徐に叶光へと視線を移す。

 叶光は不安そうに瞳を揺り動かしながらも、その視線をしっかりと受け止める。

「彼女を手助けすることが、今のボクがやるべきことだから」

 ぶれることなく真っ直ぐに叶光を見つめるその瞳からは、嘘や偽りといったものは感じられない。

「てめえのその言葉を馬鹿みてえに信じろ、っていうのか?」

 噛み付くように吠える狼琥に、白は無機質な表情を向ける。

「別に信じてもらえなくてもいい。キミがどう思おうがボクの目的は変わらないから」

 淡々と返した白に狼琥はギリリと歯を鳴らした。

 そんな狼琥の様子に銀河は小さくため息を零すと、待て、と止めに入る。なんだよ、と不愉快そうに銀河を睨みつける狼琥に、まあまあ、と宥めるような笑顔を向けてから銀河は口を開いた。

「理由を教えてはくれないか? お前が叶光の手助けをする理由を」

「それは……」

「なにも知らない状態では俺たちもお前を信じてやることができない。だがな、それさえわかれば信じてやることもできる」

 言い淀む白に、銀河は優しく言い聞かせるように語りかける。そうすれば白はなにかを迷うように小さく瞳を揺り動かして考えるような素振りをみせた。

「……白、私も知りたい。教えて?」

「…………わかった」

 しばし間をおいたあと、白は叶光の言葉に背中を押されるようにして重い口を開いた。

「博士……から頼まれた。彼女をJustice側の人間に接触させないようにボクが見張り、そして危険が迫れば上手く逃げられるように手助けをしてほしい……って」

「博士っていうのは誰のことだ?」

 銀河の質問に白はなにかを思い出すかのように、ゆっくりとその名を紡ぐ。

「――島浦玄徳しまうらげんとく。それが博士の名前」

 白の口から出た名前に、銀河は僅かに驚きをみせる。

「島浦玄徳といえば研究員の中でもかなり優秀な人物だという話を聞いたことがあるな」

 銀河の言葉に、いつも無表情な白のその表情が変わった。

「そうだよ。博士はすごいんだ。博士はボクの知らないことをたくさん知っていて、ボクにもそれを教えてくれるんだ」

 口角を僅かに上げ、自慢でもするかのように語る白の瞳は輝いているようにみえる。

 そんな白の変化に気が付いたのか。銀河は、そうか、と頬を緩ませた。

「それで、その島浦博士は今どこにいるんだ?」

「……博士は……」

 途端に白の表情が曇る。

 そのまま顔を俯かせ、足元へと視線を落とすとぼそりと呟くように発した。

「……わからない」

「わからない?」

「半年前に彼女のことを任せられてボクは博士と別れたんだ。それっきり連絡も取れなくなって……だからボクにもわからない」

 ゆるゆると首を横に振った白の瞳はどこか悲しげにみえる。

 銀河は、なるほどな、と小さく頷くとちらりと叶光を見遣り、じゃあ、と再び白へと問い掛けた。

「半年前までは島浦博士と叶光は一緒に居たってことだな?」

 銀河の問い掛けに、叶光は僅かに身を乗り出すようにして白の答えを待つ。叶光だけではなく紅真や狼琥も白の答えを待ち望んでいる様子だ。

 白は叶光へと視線を向けると、そのまま銀河へと移す。

「……多分そうだと思うけど」

 どこか自信なさげに紡いだ白。

「多分……?」

「それはどういうことなんだ?」

 不思議そうに首を傾げる叶光に続いて銀河が疑問を口にする。

「それは半年前のあの日まで、ボクは彼女の存在を知らなかったから。博士に呼ばれてA塔に行ったらそこに彼女もいたから……だから多分」

「ふむ……そうか」

 白の説明を受け、銀河は難しそうな表情で腕を組んだ。

「……ねえ、本当にそれって私なの? 私にはそんな記憶はない。島浦博士って人のことだって知らないよ」

「間違えなくキミだよ」

 叶光の真剣な眼差しを見返しながら断言した白に、叶光の瞳が揺らぐ。

「どうして? どうしてそう言い切れるの?」

 不安定に揺れる瑠璃色るりいろを見つめながら、白は静かに口を開いた。

「ボクはずっと見ていたから。博士がキミを第一都市へ落とすところも、その後のキミの生活もね」

 落ち着き払った様子の白から発せられた言葉。それは叶光の心を大きく動揺させたのであった。

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