挙句の果てへ


「ショウよ」


 夜空から言葉が降ってきた。力強い声と共に一本の手が差し伸べられると、力なく垂れているショウの腕を掴んだ。


「今までよくぞ頑張った。だが、言ったはずじゃぞ、お前さんは一人ではないと」


 この声。ショウの目の前には懐かしい顔があった。あの老人、蕪村だ。


「蕪村さん、来てくれたんですね」

「うむ、だが、今のわしは蕪村ではない。お前さんには見えるはずじゃ。わしの瞳の奥にいる言霊が」


 ショウは蕪村の瞳を見た。そこに宿った気配は一気に大きくなり蕪村の体全体を包む。


「これは……これは、芭蕉」

「そうだ、芭蕉だ。待たせたな、宗鑑殿。あの時の決着、今こそつけようぞ」

「望むところだ、宗房」


 大きな水音を立てて二人の体が川に落ちた。一旦沈み、再び浮かび上がると、芭蕉は言霊の力を込めて己が言葉を大声で放った。


「この声を聞く蕉門の方々よ、我は今から我が最期の発句を以って吟詠境に入る。集え、そして我に力を貸せ。我と共に宗鑑と相見えん」


 蕪村とショウは天を仰いだ。雲ひとつない夜空に向けて二人の言霊の発句が響き渡る。


「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る!」


 * * *


「今の音は」


 住職が叫んだ。一緒に川岸を探していた父つぁんは、大きな水音が聞こえた川面に目を遣った。人の頭のようなものが二つ浮いている。


「人だ。まさか、ショウ」


 父つぁんは目を凝らした。ひとつの頭はショウのように見えるが、もうひとつは坊主頭だ。


「きっとあの岩場から落ちたのでしょう。しかし、どうして」


 父つぁんはすぐに服を脱ぎ始めた。落ちた理由も、誰と一緒に落ちたのかも、父つぁんにはどうでもよかった。とにかくショウである以上、助けるのが先決だ。


「住職さん、消防に連絡してください」

「わかりました。君はどうします」

「助けます。泳ぎには自信があるんです」

「そうですか。でも無理はしないように」


 そう言うと住職は寺へ引き返した。父つぁんはパンツ一枚になるとズボンの両裾をしばって川に入った。いざと言う時、浮き輪の代わりにするのだ。

 水に入って救助するのがいかに危険か、父つぁんは承知していた。無理をせずゆっくりと二人に近づく。幸い川の流れは遅く父つぁんはすぐに二人の近くまで泳ぎつけた。二人は気を失っているのか、顔を仰向けにしたまま身動きもせず流れに任せている。


「これなら助けられるかも……」


 父つぁんは腕に力を込めて、二人に向かって泳ぎ出した。


 * * *


「これは……」

 コトは感じていた。間違いなく芭蕉の言霊の気配と声だ。

「芭蕉翁が現れた、そして我らを呼んでいる」

 既に開かれた吟詠境の発句は寿貞尼にはすぐにわかった。

「芭蕉翁、今、参りますぞ」

 地に座ったまま寿貞尼は発句を詠んだ。


 * * *


「芭蕉翁!」


 ソノが眠りから覚めた。夢でも見たのかと思った。だがこうして目覚めても芭蕉の気配が感じられる。夢ではない、現実に何かが起きているのだ。


「コト先輩!」


 リクの声が聞こえた。傍らを見ると、自分同様目を覚ましたリクがコトの布団の上に座り込んでいる。ソノは驚いて体を起こした。コトの布団は空だったのだ。


「コトちゃん、どこへ!」

「ソノさん、いいかな」

 襖の向こうから声がする。ソノは慌てて立ち上がると襖を開けた。目を覚ましたライとセツが立っている。

「ソノさん、大変だ。ショウと父つぁんがいないんだ」


 ライの切羽詰った声を受けて、ソノも悲鳴に似た声をあげた。


「コトちゃんもいないのよ」

「コトさんも!」

 四人には何が起こっているのか全く把握できなかった。ただ芭蕉が現れて自分達を呼んでいる、それだけは間違いなかった。

「みんな、外に出よう」


 ライに言われて四人は外に出た。晴れ渡った夜空を仰ぎ、四人は芭蕉の気配を感じる。いなくなった三人よりも、今、芭蕉が吟詠境に姿を現している、その事実の方が四人には大きかった。芭蕉に会えばショウ達のこともわかるだろう。去来は決断した。


「参ろう、芭蕉翁の開かれた吟詠境へ」

「うむ、少し遠いが四人の力を合わせれば行けるだろう。其角殿、怪我の具合はよろしいか」

「心配御無用、許六殿。去来殿の手当てのおかげですっかり治っておる。それよりも嵐雪殿、発句はわかっておろうな」

「無論」


 四人は互いの意志を確認しあうと、手を取り顔を見合わせ、芭蕉の待つ吟詠境へ向かう発句を詠んだ。


 * * *


 遠景は霞のようにぼやけ、現世とも思われぬ光景の中、満月と夜空の星々に照らし出された一面の枯野に立つのは七人。あれだけの力を使いながら全く衰えを見せぬ宗鑑と、芭蕉を中心にした寿貞尼と四人の門人達が、胸の中に燃える炎をたぎらせながら、静けさの中で対峙していた。

 芭蕉は目を閉じて去来の胸に手を当てていた。やがて目を開けると宗鑑に向き合った。


「ふっ、宗匠のみができる門人との記憶の共有か、便利なものだな」

 宗鑑の言葉に芭蕉は黙って頷く。

「ならば、わかるであろう。我が望み、この国への希望が。宗房、お主はどう思うのだ。わしのこの考えは間違ってはおらぬであろう」


 芭蕉は首を横に振る。顔をしかめる宗鑑に芭蕉は言う。


「宗鑑殿、物も人も変遷していくのは世の習い。それを無理に留めようとするのは川の流れを堰き止めようとするのと同じぞ。そなたとて連歌の有り様を変えたではないか」

「そうだな、確かにわしは俳諧連歌なる新しきものを作った。だが万葉より続く歌の心を忘れたことはなかった。今の世はどうだ、そんな心を持つ者がどれだけおる。我らの言葉も心も、そして我ら自身もやがて忘れ去られよう。それでも良いのか」

「それが今の世ならば、甘んじて受け入れるのみ」


 芭蕉の頑なな返事を聞いて宗鑑はため息をついた。


「変わらぬのう、宗房。どうやらわしらは互いに互いを認めることはできぬらしいのう」

「そのようですな」


 いきなりだった。芭蕉の言葉が終わらぬうちに宗鑑は詞の業を使った。


「現し身!」


 七人全員が宿り手の姿に変わった。宗鑑がほくそ笑む。如何に反抗しようとも現し身を詠まれた吟詠境では、蕉門の俳諧師達は手を出せない。これで己が負けることは決してないはずだ。宗鑑は余裕の笑みを浮かべながら、姿を現した芭蕉の宿り手を眺めた。


「ふっ、思った通り蕪村に宿りおったか。だが残念だったな。その宿り手の命はほとんど尽き掛けておる。現し身が詠まれたこの吟詠境では、最早、発句の一つも耐えられまい。さて、宗房よ。これからどうする」

「知れたこと、宗鑑殿があくまで禁詠を使うのなら、力づくでも阻止するのみ」

「できるのか、現し身が詠まれた吟詠境で」


 挑発的な宗鑑の言葉を受けて、芭蕉は門人達を見回し、大声で命じた。


「蕉門の方々よ、何をしておる。宗鑑の言霊を奪い尽くすのだ」

「お待ちくだされ、芭蕉翁」

 去来は芭蕉に向かい合うと、戸惑いながら意見を述べた。

「現し身が詠まれておるのですぞ。宗鑑の言霊を奪っては、宿り手の身がただでは済みませぬ」

「それがどうしたと言うのだ。我らの大儀の為には致し方なかろう」


 去来は絶句した。芭蕉の口から出た言葉とは思えなかった。


「宿り手を、ショウ殿を見捨てろと仰るのですか!」


 無言で頷く芭蕉。それを見た其角が大声を上げる。


「見損ないましたぞ、芭蕉翁」


 今度は其角が芭蕉に向かい合った。怒髪、天を衝いたその形相は、般若の面でもつけたかのようだ。


「我らの宗匠の言葉とは到底思えぬ。かつての宿り手の命を見捨ててまで、宗鑑を討つ大儀がどこにある。出来ぬ、この其角には断じて出来ぬ。破門だ、この場で其角を破門して下され」

「そうじゃ、其角殿のお言葉通りじゃ」


 許六もまた芭蕉に向かい合うと、其角の怒りが乗り移ったような激しい口調で言い放つ。


「宿り手は我らの言葉に共感し、我らに力を与える存在。それを見捨てることなど人倫にもとる振る舞いでござろう。いかに宗匠のお言葉とて、この許六、容認できかねまする」

「其角殿、許六殿……」


 荒ぶる其角と許六を眺めながら、去来は無理もないと感じた。ショウを救いたい、ただその一心で杜国と共に戦ってきたのだから。


「嵐雪はどうだ、宗鑑の宿り手を見捨てられぬか」


 芭蕉の問い掛けに嵐雪は真っ直ぐな眼差しで答える。


「芭蕉翁、我ら過去の者達の都合で今の世の人を粗末に扱うのなら、それは宗鑑殿と同じです。ショウ殿を見捨てようとなさる芭蕉翁に宗鑑殿を非難する資格などありません」


 芭蕉は頷くと寿貞尼を見た。寿貞尼はただ悲しそうな目で芭蕉を見詰めるばかりである。


「芭蕉翁、何を考えておいでなのですか」


 最後に尋ねた去来には何も答えず、芭蕉はもう一度門人達を見回した。


「ならば、わし一人で宗鑑の言霊を奪おうとすれば、方々は如何なさる」

「言うまでもなき事」

 其角が許六が嵐雪が去来が、そして寿貞尼までもが芭蕉の前に立ち塞がった。

「どうあってもお止め致す!」

「ははは宗房よ、情けない宗匠もあったものだな。門人達はもはやお主には従わぬぞ、ははは」


 宗鑑の嘲笑にも似た大笑いを聞きながら、芭蕉の顔は満足げであった。


「それでよい、それでよいのだ。方々の変わらぬ蕉風の志、しかと見定めさせてもらった上は、もはや何の迷いもない」

 芭蕉は両手を組むと、天を見上げて声を上げた。

「蕪村殿、そなたの業、使わせていただきますぞ。現し身の中でも宿り手を生かし続けるそなたの業を」


 この言葉に、宗鑑の顔色が変わり、同時に門人達の顔色も変わった。去来が問う。


「芭蕉翁、では、これまでの問い掛けは我らを試されていたと……」

「左様。宿り手への恩義が吟詠境に満ちておらねば、この業は効かぬ。方々の宿り手を想う心、確かめさせてもらった」

「ぐぬぬ……」


 失望の闇に落ちた宗鑑は数歩後退し、希望の光に照らされた門人達は一斉に向きを変え宗鑑と相対した。一同の目には消えかけていた闘志が再び燃え上がり始めている。


「そうはさせぬぞ」

 宗鑑はすかさず「無季」と叫ぼうとした。が、

「……こ、これは」


 出なかった。無季の詞が出なかった。宗鑑は体を強張らせて手を口に当てた。


「ようやく気づかれましたか、宗鑑殿」

 去来が静かな声で言った。

「宗鑑殿の無季の業、既に奪われております」

「奪われて……まさか、杜国か」

「左様。奪霊の光に取り囲まれた今わの際に、杜国殿は我が心に直接話し掛けられたのです。『我が本意は繋離詠を奪うことではない、無季の業を奪うこと』と。それは我らの次の戦いに向けた、杜国殿の心遣いでした。あの時、星が二つ落ちてきた意味を考えれば、容易く気づけたはず。油断されましたな、宗鑑殿」

「くっ、杜国め、小癪な真似を」


 宗鑑は両手を組んだ。守れぬのなら攻めればよい。直ちに季の詞を発しようとした、その時、


「無季!」


 寿貞尼の束縛詠が宗鑑の詞を止めた。すかさず、両手を懐に入れようとするも、いつの間にか背後に回りこんだ嵐雪に両腕を掴まれた。


「宗鑑殿の手の内は全てお見通し。短冊は使わせませぬ」

「ぐぐっ」


 為す術なく自由を拘束された宗鑑の前で、芭蕉は意識を集中している。その身にまとわりつく言霊の力はやがて淡く光を発し始めた。

 去来は目を見張った。これ程までに強力な師の言霊の力を見たのは初めてだったのだ。現し身を詠まれた吟詠境でこれだけの力を使われては、生身の蕪村の体はひとたまりもないはず。去来は堪らず芭蕉に声を掛けた。


「芭蕉翁、お待ちくだされ、これでは蕪村殿が……」


 去来の言葉はそこで止まった。心の中に直接蕪村の声が聞こえてきたからだ。


 ――よいのだ、去来よ。わしはこの詠唱の為に、この発句を詠む為に、この身を長らえてきたのじゃからな……


「菜の花や月は東に日は西に」


 芭蕉の発句が吟詠境に響き渡ると、いきなり辺りが真昼のような明るさに変わった。同時に枯野が一面の菜の花畑になっている。


「あれは」


 夜空を見上げた去来は驚きの声を上げた。天の中空に浮かぶ満月の隣に日が輝いている。


「月は東に、日は西に!」


 更に発した芭蕉の言葉に操られるように、月は東へ落ち、日は西へと落ちていく。この世ならぬ情景に一同はしばし息を飲んだ。そして月と日が地平に隠れようとした時、


「菜の花!」


 芭蕉の大音声と共に地の菜の花が一斉に浮かび上がり、光を放ちながら散り散りに消えた。光の収まった吟詠境は元通り、満月と星の輝く枯野になっている。


「これは……これはどうしたことだ」


 去来は己が姿を見た。現し身を詠まれる前の姿、いや、本来の去来の姿に戻っている。そして少し離れた場所に己の宿り手ライが立っている。去来とライだけではない。七人の言霊と七人の宿り手が、全て吟詠境に姿を現しているのだ。


「現し身破り……宿り手との繋がりを断っても尚、言霊が吟詠境に留まる業か。まさか完成させていようとはな」


 苦々しくつぶやく宗鑑。だが、自身も封印詠を破る業を完成させていた以上、当然予期すべきことであった。


「迂闊であったわ。だが、これで終わった訳ではないぞ」


 己に掛けられていた無季の業は既に消えている。宗鑑は両腕を掴まれたまま季の詞を発した。


「寒風!」


 嵐雪と宗鑑の体に冷たい風が吹きつける。たまらず手を離した嵐雪を置き去りにして、風に乗った宗鑑の体は十三人から離れた地へと運ばれた。


「方々、全ての言霊は宿り手から離れた。最早、我らの言霊の力と宿り手の命に繋がりはない。今こそ存分に宗鑑を打ちのめさん」


 芭蕉の呼び掛けに其角が雄叫びを上げる。


「宗鑑、覚悟せい。これは我ら四人を苦しめた仕返しじゃ、春泥!」


 其角の足元から泥水が吹き上げると、宗鑑目掛けて襲い掛かる。季の詞で応戦しようとする宗鑑に寿貞尼が業を使う。


「無季!」


 すかさず短冊を取り出し、迫る泥水に向けるも、現れたのは小さな葦の茂み。泥水の勢いは防ぎきれず、宗鑑は泥に塗れて押し流される。


「もはや満足な短冊が残ってはおらぬか」


 それでも立ち上がる宗鑑に今度は許六が叫ぶ。


「牧童殿の仇、今こそ討たん。槍遣初!」


 季の詞と共に現れた槍を構えると、許六はその穂先を回し始めた。速さを増していく槍の先端に空気の渦が出来ていく。許六が叫んだ。


「野分!」


 槍の先から一陣のつむじ風が放たれた。野の枯れ草をなぎ払いながら吹き付けてくる暴風に、宗鑑は右手を差し向ける。しかしそこから放たれたのは穏やかな春風でしかなかった。ほとんど威力を削ぐことも出来ぬまま、暴風をまともに身に受けた宗鑑の体は宙高く舞い上げられ、地に叩きつけられた。


「うう……」


 うつ伏せの体を起こし立ち上がろうとするも、足にも腕にも力が入らない。うずくまったままの宗鑑に今度は嵐雪が叫んだ。


「そしてこれは杜国殿への仕打ちの返礼、霜の花!」


 宗鑑の体を冷気が取り巻いた。短冊を取り出す気も失せた宗鑑の法衣が白く凍りついていく。待ち兼ねたとばかりに去来が刀を抜いた。


「宗鑑殿、ショウ殿はその何十倍も苦しんだのだ。その辛さ、思い知られよ、炎天!」


 去来が振り下ろした赤みを帯びた刀身から一陣の熱風がほとばしり出た。凍りついた宗鑑の体は熱風を浴び、法衣は所々焦げ、その顔は煤で汚れた。四人の門人の業を見届けた後、芭蕉は左手を高く挙げ、右手の杖を地に突き立てると季の詞を発した。


「星流る!」


 夜空の星のひとつが強く輝くと、地に向かって落ち始めた。立とうともせず、地に座ったままの宗鑑はその星の光をまともに浴びた。吟詠境全体が光に包まれ、やがてその光が消えてしまうと、芭蕉と寿貞尼、それに四人の門人は既に戦意を喪失している宗鑑の元へゆっくりと歩み寄った。


「我が繋離詠を奪ったか。宗房、お主の勝ちだな」


 力なく呻く宗鑑を芭蕉は見下ろした。それは歴戦の俳諧師ではなく一人の哀れな老人にしか見えなかった。


「宗鑑殿、繋離詠を奪われた今となっては、望みを叶える事もできぬはず。このまま己が言葉に還り、二度と宿らぬと約束されるなら、その言霊、奪わずにおきましょう」


 芭蕉の言葉を宗鑑は鼻で笑った。最後の最後までお互いわかり合えぬなと思いながら。


「宗房よ、その様な申し出をわしが受けるとでも思うのか。そうまでして生き長らえようとは思わぬわ。我が身の処し方は弁えておる」


 宗鑑は両手を組んだ。既に縛りを解いていた寿貞尼は再び業を使おうとしたが芭蕉が止めた。


「宗鑑はいづくへと人の問うならば」

 宗鑑の体の周りに靄が立ち込め始めた。次第に濃くなる靄の中から声が聞こえる。

「言霊の業は確かにわしが作り出したもの。だが、わしは言霊を俳諧連歌に応用したに過ぎぬ。言霊は万葉の時代から存在する。そしてこの国の有り様に不満を抱いている言霊もまた多く居るのだ。蕉門の方々よ、お忘れなき様にな……」


 靄はその濃さを次第に増していく。やがて宗鑑の姿が全く見えなくなる程に靄が濃く立ち込めた時、宗鑑の唸るような声がした。


「ちとようがありてあの世へと言え」


 そう言い終わった瞬間、たちまちのうちに靄は消え去った。そしてそこにはもう宗鑑の姿はなかった。


「宗鑑殿、自らの業で己の言霊を消されたか」


 そうつぶやく芭蕉の心に嬉しさはなかった。俳諧の祖である偉大な人物と遂にわかり合えなかったことが唯一の心残りであった。


「蕪村さん!」


 ショウの声がする。見れば蕪村が地に横たわっている。芭蕉達が駆けつけると蕪村の姿は薄くなり始めていた。


「蕪村殿、しっかりなされよ。今、わしの言霊の力をそなたに分け与えよう」


 芭蕉の言葉に蕪村は力なく首を振った。


「それは無用じゃ、芭蕉翁。既にわしの肉体は寿命を迎えておる。どんなに言霊の力が強くても、逆宿り身の業を使った者は肉体が滅べば言霊も消える、力を貰っても意味がない」


 芭蕉は顔を曇らせると、もう何も言わなかった。蕪村は力なく顔をショウに向けた。


「ショウよ、お前さんを見ていると昔のわしを思い出す。俳諧のことなど何も知らぬ若かりし頃、わしもお前さんと同じく芭蕉翁の宿り手となったのじゃ。芭蕉翁と共に過ごした時は決して長くはなかったし、何の力も与えてはくださらなんだ。じゃが、その後わしは己の力のみで言霊の業を手に入れたのじゃ。のう、お前さんよ。芭蕉翁の言霊を宿して、お前さんのこれまでの頑張りが手に取るようにわかった。よく成長された、そしてよく自分の使命を果たされた。だがこれで終わりではないぞ。これからも精進しなされ。そうすればお前さんの見たかったものが、見えてくるかも知れぬ」

「蕪村さん……」


 ショウは言葉に詰まって蕪村の手を握った。その時、蕪村はショウの後ろから自分を見ているコトに気づいた。


「あれは……そうか、あれが野武士の彼女か」

 ショウが頷くと蕪村の顔に笑みが浮かんだ。

「あの娘はお前さんよりもお前さん自身を知っている。大事になされよ」

 蕪村はショウから手を離すと、その手で芭蕉の手を握った。

「芭蕉翁、ようやく約束を果たすことができましたな。そろそろお暇しようと思うのだが、その前に願いがひとつある。聞いてもらえますかな」

「なんなりと」

「わしの臨終吟を以って送ってはくれぬか」


 芭蕉は杖を置き、その手を顔の前にかざすと発句を詠んだ。


「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」


 東の地平線の一点が輝いたと思うと、夜が明け始めた。星は光を失い、空の黒さが青色に染まり始める。その空からまるで雪の様に白梅の花が降ってきた。己が体に降り積もる白梅の香りを楽しむ蕪村の顔は安らかであった。


「芭蕉翁、礼を言いまずぞ。この蕪村、もはや何の未練もなく最期を迎えられる。芭蕉翁と出会えて本当に良かった、本当に……」


 蕪村の言葉が消えると梅の花が降り止んだ。地には既に蕪村の姿はなく、ただ降り積もった白い花だけが残った。


「蕪村殿、感謝いたす。そなたのおかげで我ら蕉門の望み、叶えられました」

 芭蕉は杖を持って立ち上がり頭を下げる。門人一同もこれに従う。

「では、我らも還るとしよう。既に我らは宿り手から離れている。再び己が言葉に戻ることになるが、此度は封はせぬ。一同よろしいか」

「勿論じゃ、なあ去来殿」

「其角殿は元々封をされておらぬであろうが」

「わしはしばらくゆっくりと眠りとうござる」

「うむ。許六殿の言葉通り己が言葉で休むのもよい」

「嵐雪殿は禅問答に明け暮れそうでございますね」


 一同の明るい声、ようやく戦いの緊張から解き放たれた喜びがそこにあった。


「ショウ殿、こちらへ」

 芭蕉に言われてショウが側に寄る。

「これはそなたに預けよう」

 差し出されたのは丈草の数珠だった。

「これには我が門人一同の言霊、そしてそなたの母の想いが籠もっておる。そなたが持つのが相応しいだろう。コト殿」

 今度はコトが側に寄る。

「そなたにはこれを託そう。寿貞尼の数珠だ。これからもショウ殿をよろしく頼む」

 コトは数珠を受け取ると、大きく頷いて「はい」と答えた。


「あの、芭蕉さん」


 おずおずとショウが話し掛けた。


「何か?」

「ひとつ聞いてもいいですか」

「構わぬぞ」

「どうして僕を宿り手に選んだのですか?」


 ショウの問いに芭蕉は苦笑しながら寿貞尼を見た。寿貞尼も口に手を当てて微笑んでいる。


「まだ気づいておらなんだか、ショウ殿。簡単な話だ。寿貞の宿り手の想い人がそなたであった、それだけの事だ。そなたが想いを抱く、ずっと前からのな」

「コトの想い人が、僕」


 ショウは思わずコトを見た。コトは恥ずかしそうに顔を伏せた。芭蕉がショウ達六人を見回す。


「言霊を持たぬそなた達の体は命の力で形作られておる。長居は無用。そろそろこの吟詠境も閉じるといたそう。宿り手の方々、世話になったな」

「芭蕉さん、お別れですね」


 ショウの言葉に芭蕉は首を振る。


「お別れではない。我らは常にそなた達と共に居る。我らの言葉、我らの発句をそなた達が忘れぬ限り、我らはいつもそなた達の中に居るのだ」

「それにしても芭蕉翁、この枯野は興がなさすぎませぬか」

「うむ、そうか、ならば」

 寿貞尼にそう言われて芭蕉は発句を詠む。

「さまざまのこと思ひ出す桜かな」


 発句と共に辺り一面は春の景色となった。満開の桜の木が立ち並び、花びらが降りしきる中、ショウは驚きの声を上げた。


「この句は!」

「そう、そなたとわしを結びつけた発句。全てはここから始まったのだ」


 ショウは花びらを両手に受けながら、この句に初めて触れた時の自分を思い出した。何も知らなかったあの頃の自分。だが、今、この句から感じる想いはあの頃とは比べ物にならない程豊かで大きい。


「蕉門の宗匠、芭蕉、挙句を申す」


 ショウは舞い散る花びらの中で暖かい春のぬくもりを感じていた。寿貞尼の去来の其角の許六の嵐雪の、そして芭蕉の自分に対する想い。それと同じぬくもりを持ったこの桜吹雪の中で、ショウは芭蕉の挙句の声を遠くに聞きながらつぶやいた。


「みんな……みんな、ありがとう」


 吟詠境と共に全てのものが消えていく。けれどもショウの感じるぬくもりだけは、いつまでも心に残り続け、決して消えることはないように思われた。


 * * *


 長い旅路から帰ってきて、家の玄関を開けるように僕は目を開けた。先輩の顔が目の前にあった。


「ショウ、気がついたか、よかった、本当によかった」


 泣き顔の先輩が両手で僕の顔を挟む。


「先輩、やめてくださいよ」

「心配掛けさせやがって。お前にもしものことがあったら、俺はどんな顔してお前の親父さんに会えばいいんだよ」


 先輩に顔を挟まれたまま僕は身を起こす。どうやらここは病室みたいだ。窓の外が明るい。夜はとっくに明けたようだ。着ているのは服ではなく寝巻き。濡れていたので病院が貸してくれたのだろう。


「ショウ君、体の具合はどうだい」


 セツだ。初対面の印象は最悪だったが、今では頼りになる友人のひとりだ。「うん、だいぶ良くなったよ」と返事をする。と、不意に僕の頭にあの人の顔が浮かんだ。


「そうだ、蕪村さん、あのおじいさんはどうなったの?」


 僕の問いに先輩もセツも何も答えなかった。それだけで僕には十分だった。あの吟詠境での言葉通り、蕪村さん自身も自分の最期を悟っていたのだろう。

 父つぁんが見当たらないのでどうしたのかと尋ねると、住職と一緒に警察に行っているとのことだった、人一人が亡くなっているので無理からぬ話だ。最後に僕は一番気になっていることを尋ねた。


「えっと、コトさん達はどうしているのかな?」

「ああ、病院にいるよ。女性陣は隣の女性用の病室に全員いる」


 僕はベッドから起き上がり、裸足で床に立った。


「おい、無理するなよ」


 先輩の声を後にして隣の病室へ行く。中に入ると、四人部屋の片隅のベッドに足を投げ出して座っているコトが目に入った。その右足首には包帯が巻かれている。ベッドの横にソノさんとモリとリク、他の三つのベットは空いていた。僕を見たソノさんが驚いた顔をする。


「ショウちゃん、起きても大丈夫なの?」


 ソノさんの声は相変わらず明るい。僕は頷くと、

「コトさんこそ、どこか具合でも悪いの」

 と尋ねる。


「ううん、軽い捻挫です。でも気を失って倒れていたので、大事を取って簡単な検査入院って形になりました」


 モリがはきはきと答える。寿貞尼は現し身が詠まれた吟詠境で無季の業を使っている。きっと疲れてすぐには目覚めなかったのだろう。それよりも気になるのは足首の包帯だ。きっと僕が突き飛ばした時に捻挫したんだな。これはただでは済まないなと思いながら、僕はコトに話し掛ける。


「あの、コトさん、ごめん。あんな状況とは言えあんな事をしちゃって」

 コトは顔をそむけて窓の外を見たまま何も言わない。

「えっと、怒っているよね、当然。許してもらうにはどうすればいいのかな」

 やはりコトは何も言わない。いつもならマシンガンの如くに文句を並べ立てるはずなのに、少し様子がおかしい。物も言いたくない程に怒っているのだろうか。


「コトさん?」


 僕はベッドに身を乗り出して、コトの顔を見ようとした。その時突然、コトは僕の胸に自分の顔を押し付けてきた。


「えっ、あ、あの」

「黙って」

「でも、コトさん」

「いいから、何も言わないで」


 困った僕がソノさんを見ると、両手を口に当てて頬を赤く染めているモリと、今にも僕に掴みかからんばかりの剣幕のリクを急き立てて、三人で出口へ歩いて行く。そして、頑張ってねと言わんばかりにウインクするとドアを閉めて出て行ってしまった。

 僕はコトの頭を両手で抱いた。すると不思議と気分が落ち着いた。あの時、二人で吟詠境へ行こうと手を繋いだあの時と同じ感覚だった。


「終わったのね」

「うん」


 胸と手から伝わるコトのぬくもり、それはまるでコトの想いのようだった。言葉も交わさないのにコトの安堵の気持ちが僕には感じられた。そう、言葉。この世界でも吟詠境でも、僕らは言葉に翻弄され続けてきた。言葉によって傷つき慰められ怒り悲しむ僕ら。でもわかり合おうという気持ちがあれば、きっと言葉は必要ないのだ。少なくとも今の僕にはコトの想いがわかる。コトも僕の想いをわかってくれているだろう。コトの肌に触れながらそんな感慨に浸っていると、コトが話し掛けてきた。


「ね、ショウ君」

「何?」

「ひとつ、聞きたいことがあるのだけれど、いい?」

「うん、いいよ」

「吟詠境にいた時、蕪村さん、私のことを『野武士の彼女』って言ったわよね」


 僕は全身の血液が一気に凍りつくのを感じた。背中を冷や汗が流れ始める。


「き、聞こえていたのですか」


 震える僕の声を聞いて、コトが勢いよく僕の胸から自分の体を引き離した。その顔にはいつもの悪戯っぽく、鋭く、そして少々怒りに満ちた瞳が輝いている。


「あれ、どういう意味なのか、説明していただけないかしら」


 * * *


 これまでひたすら隠していた春の大惨敗告白失恋事件は、結局全員に知られることになってしまった。ソノさん以下五名は病室のドアを少し開けて僕らの様子をしっかり覗いていたからだ。野武士の由来を説明するには、あの恥ずかしい恋文事件を省く訳にもいかないので、結局、全てを全員の前で話してしまった。ただ、僕が思っていた程、五人は驚きはしなかった。もしかしたら、皆、言わないだけで一度は経験しているようなことなのかも、と思ったりもする。

 父つぁんと住職が警察から帰ってきて蕪村さんの詳しい話を聞いた。蕪村さんは一度意識を取り戻し、溺れた自分を二人の高校生が救ってくれたと告げたそうである。父つぁんも住職も蕪村さんの意を汲んで、警察ではその様に説明していた。僕にも簡単な事情聴取があったが、勿論、話を合わせておいた。蕪村さんの心配りは本当に有難かった。

 蕪村さんの遺体は、実際に蕪村さんの墓がある京都の金福寺に引き取られていった。身分上はその寺の寺務職員になっていたからだ。後から聞いた話だが、蕪村さんが生きていることは、代々の住職も承知していたそうだ。荼毘に付された蕪村さんの遺骨は寺に安置され、三百年前に作られた自分の墓に入る日を待っている。


 言霊が離れた僕らにはようやく普通の生活が戻ってきた。セツはすっかり人気者だ。学力優秀、長身、イケメン、ちょい悪、もてる要素を全て備えているのだから当然だろう。巷では、六月の生徒会役員選挙に生徒会長として立候補するんじゃないか、なんて噂まで出回っている。一年生の生徒会長は過去一度しか例がないそうだ。無論、本人は我関せずとばかりに、毎日モリに会いに来ている。

 セツに対するモリの態度は、以前と変わらず素っ気無いが、最近ではそれを面白がっている様でもある。まあ、学年トップと二位の秀才同士なのだから、お似合いと言えばお似合いと言えるだろう。

 ソノさんは来週から教壇に立つということで、いつにも増してテンションが高くなっている。僕のクラスの授業の受け持ちにならないようにとそればかりを祈っている。

 リクは早々と受験勉強を始めたようだ。志望校は勿論僕らの高校。


「ショウ先輩が合格したんだから、ボクが合格しないはずがない」


 と相変わらず生意気な口を叩いている。来年あんなのが後輩になるのかと思うのと、少しばかり気が重くなる。

 三年生が引退する剣道部では、先輩が次の主将に決まり、こちらも意気揚々の日々である。ただ、父つぁんだけは元気がない。僕と蕪村さん、二人の頭を両脇で抱えて岸まで泳ぎ着いた父つぁんは、これで二人共必ず助かると確信していたようだ。それなのに蕪村さんが亡くなってしまったことで、少なからぬ責任を感じたようだ。勿論、蕪村さんの死に父つぁんは関係ない。死因も溺死ではなく老衰による心不全だったのだから。父つぁん自身も頭ではわかっているのだろうが、気持ちが整理できないようだ。

 でもいつも前向きな父つぁんのこと、いつかは元に戻ると信じている。それに校内では父つぁん人気は急上昇中なのだ。二人を川から救出した勇気と、校内新聞に掲載された、制服の下に隠されたムキムキの肉体がその人気の理由。父つぁんに可愛い彼女が出来る日もそう遠くない気がする。

 一方、僕は助けに行って溺れてしまった情けない男ということで、すっかり落ち目の日々である。まあ、過度に期待されるよりもダメだと思われていた方が気が楽ではあるので、僕としては別段気にも止めていない。


 こんな感じであっと言う間に一週間が過ぎ、ほっと一息入れたくなった週末土曜日、僕とコトは川べりに来ていた。僕が蕪村さんに出会い、コトと初めて一緒に歩いた場所だ。

 コトは桜の木の下に持ってきた牡丹の花を置くと、目を閉じて手を合わせた。もう一度ここに来たいと言い出したのはコトの方だった。会いたがっていた蕪村さんに会いながら、何も話せずにお別れしてしまったことを随分悔いているらしかった。

 牡丹の花は蕪村さんの句によく出てくるので、わざわざ用意したのだそうだ。コトは目を開けると流れる川を眺めながら言った。


「私、蕪村さんにお礼が言いたかったの」

「お礼?」

「ショウ君、蕪村さんに会わなかったら、私への想いを捨ててしまったでしょ。だから、あなたの意識をもう一度私に向けてくれた人にお礼が言いたかったの」


 気づいていたのか、と僕は思う。確かに、今こうしてここに二人で立っていられるのも蕪村さんのおかげだ。


「何百年も一人で生きてきて、蕪村さん、幸せだったのかな」

「私は幸せだったと思うわ。どんなに辛い道のりだったとしても、最後は自分の望みを叶え、尊敬する人に看取ってもらえたのですもの」


 芭蕉との約束を果たす、ただそれだけの為に三百年以上も生き続けてきた言霊の俳諧師。その人生は僕には到底想像も出来ないが、その最後に少しでも触れられたことは、僕にとって何よりも得がたい幸福だった。


「秋になったら京都へお墓参りに行こうよ、みんなを誘って。紅葉の名所らしいよ」


 僕の言葉にコトは頷くと「ね、ちょっと歩かない」と言って、一人で歩き始めた。コトの後ろを付いて行く僕。


「今頃、其角や去来はどうしているかなあ」

「新しい宿り手を見つけて遊んでいるんじゃない」

「芭蕉さんも新しい宿り手を見つけちゃったかな」

「どう転んでもショウ君に宿ることは二度とないでしょうね」


 相変わらず厳しいコトの毒舌である。思わず愚痴る僕。


「ひどいなあ。これでも結構芭蕉の句や季語を覚えたんだよ。意味だってわかるようになってきたし」

「そういう意味じゃないのよ」

 僕の先を歩くコトは、前を向いたまま話す。

「もうショウ君には宿る必要がないのよ。芭蕉さん、宿り手を選んだ本当の理由を言わなかった。私にもソノさんにもライさんにも、他の誰にも持てない可能性、それがショウ君にはある」


 コトは真っ直ぐ前を向いていた。見えるはずのない未来が見えているかのようだった。

 やがてあの時と同じベンチが見えてきた。僕らはそこに座る。


「でも、もう宿り手でもないのに、コトやショウなんてあだ名も変だね」

「あら、いいじゃない。割と気に入っているのよ、私。それに芭蕉さんも言っていたでしょ。いつも私達と一緒にいるって。だからいいじゃない」


 本名以上に馴染んでしまった僕らのあだ名。このあだ名で呼び合っていれば、もう一度言霊が帰って来てくれる、そんな気もするのだ。不意にコトが真顔で尋ねる。


「ね、ショウ君、芭蕉さんが吟詠境を閉じる時、挙句を詠んだでしょ。私、あの挙句、はっきり聞こえなかったのよ。何て言ったか覚えている?」

「僕も、はっきりとは聞こえなかったけど……」


 コトの耳に顔を寄せて小さな声でささやく。コトが笑顔になった。


「さてと、じゃあ、お昼でも食べに行きましょうか。駅前に気になるお店があるの」


 勢いよく立ち上がるコト。爽やかなシトラスの香りが鼻をくすぐる。僕の返事を待たずに歩き始めたコトを追いながら、僕は思い出していた。吟詠境に降り注ぐ桜の花びらの中で、最後に僕の為に詠んでくれた芭蕉の発句と挙句を。




 さまざまのこと思ひ出す桜かな


 挙句 

 花は散れども想いは散らず……




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