最終話 傀儡

 突然始まった旅だった。だから終わるのも突然だろう。


 小虎子はいつもそう思っていた。それは予感だったかも知れないし、確信だったかも知れない。信じたくはないけれど。でも。終わりというのは、いつもそういうものだ……と。


◇ ◇ ◇


 静かな朝だった。これで二人での旅が終わるとは信じられないくらいに。楊周と小虎子はすでに朝餉を済ませて村長の屋敷を離れ、人気ひとけのない畑に出ていた。


 小虎子が、その先の草原の彼方を見つめたままで楊周に尋ねた。


「ご主人さま。最後に一つだけ聞いていいですか?」

「なんじゃ」

「ご主人さまは、なぜ最後までわたしに名前を呼ばさせてくれなかったんですか?」

「ははは、そんなことか」


 楊周は、乾いた空気を震わせて高らかに笑った。


「わあっはっはっはあっ」


 くるりと振り向いた楊周が、小虎子に茶目っ気のある笑顔を見せる。


「わしはな、ちと名が通り過ぎておる。知己の仲であれば名前を呼ばれるのは一向に構わぬが、そこいら中で連呼されると旅が窮屈でかなわぬ。おぬしも、ついうっかりが多いからの」


 小虎子はその笑顔を見て、深く深く心に刻んだ。最後に見たのが笑顔で良かったと。

 表情を引き締めた楊周が、小虎子に指令を出す。


「おぬしは、避難しておる村人を守れ。兵が来ることはない。流れ矢だけを叩き落とせ。良いな!」

「はいっ!」


 小虎子は畑を駆け抜けて、集落まで戻った。


 小虎子に背を向けて、草原に歩き出した楊周を脅かすように、凄まじい地響きと軍馬のいななきが近付いて来た。もうもうと舞い上がった土煙が、地平を霞ませる。やがて土煙の向こうから、全身を黒い鎧で覆った騎馬隊が姿を現した。

 最前列の兵士の槍の先端には、すでに首がいくつか刺さっている。避難し遅れた村人が、何人か犠牲になったのだろう。最前列中央の男が、楊周に向かって大音声で怒鳴った。


「刻限が来た! 子供を渡せ!」


 要求をせせら笑った楊周が、負けじと大音声で答えた。


「ぬしらに渡すものなど何もないわ!」


 無表情に楊周を突き抜こうとした男の槍をひらりとかわして。楊周は、続けて怒鳴った。


「ぬしら、史方しほうに伝えておけ! おまえの企みなど先刻承知。首を洗って待っておれとな! むろん、ぬしらがここから生きて帰れればの話じゃがの」


 そう言い終わるや否や、楊周は懐から馬笛を取り出して力一杯吹き鳴らした。


 いいいいーーーーーーーっ!!!!

 びりびりと空気を切り裂くような音が響き渡った次の瞬間、馬が一頭残らず暴れ出し、兵士を振り落として猛り狂った。楊周は、取り囲もうとした兵の輪をひらりと飛び抜けると、暴れ馬の背に立ち、何人かの兵士の額目がけて短刀を放った。


っ!」


 額を貫かれ、どっと倒れる兵士。その兵士を踏み越えて、他の兵が楊周に殺到しようとする。しかし、それらの兵士の背後から槍が深々と突き刺さった。


 最初に倒れた兵士。その額に刺さった短刀には、呪符が付いていた。絶命したはずの兵士が、今度は楊周の操る傀儡くぐつとなって他の兵を襲い始めたのだ。訳が分からぬうちに倒れた兵士も、次の瞬間には立ち上がって、別の兵に剣を振るう。


「わしの木偶でくに傷つけられれば、そいつも木偶になるでの」


 楊周は、飄然ひょうぜんと兵士の間をすり抜けて行く。その姿に気を取られた兵士が、次々に木偶に切りつけられ、射抜かれ、突き抜かれて、新たな木偶と化していく。前列の混乱を迂回して、村人に襲いかかろうとしていた後続の兵も、木偶の追撃を避けられずに次々に倒れていった。


 刺されても、切られても、首を失っても、兵士に襲いかかる不死の木偶。


 離れたところから、村人とともに戦の様子を見ていた小虎子は唖然としていた。なぜ、同士討ちしているのだろう? ご主人さまは何をしたのだろう?


 小虎子は、ふと思い出す。ご主人さまは傀儡と言った。傀儡には感情はない。死の恐怖もない。であれば、術でその攻撃の対象を変えてやれば……。そうか。ご主人さまが直接手を下すまでもないのか。


 小虎子は、楊周がむごいと言った意味が理解出来た。殺すことも殺されることも、傀儡には分からない。分からないまま生き、分からないまま死ぬ。そのなんと無惨なこと。

 目を逸らしてはいけない。わたしは、この光景を見て。焼き付けて。自分の生き方を探さなくてはならない。自分が傀儡にならず、誰も傀儡にしない生き方。それを探さなくてはならない。


 一本の流れ矢がひょろひょろと飛んできた。小虎子は、それを無造作に掴むとぽきりと折った。目線を、片時も戦場から逸らさぬまま。


◇ ◇ ◇


 わずか半時足らず。


 まるで竜が降りて暴れ回ったかのような、ずたずたのしかばねの山を越えて。楊周は一度も振り返らずに、ゆっくりと野を分けていく。小虎子は、その背中が草影に隠れて見えなくなるまでじっと見送り続けた。


 村長が、残された小虎子に尋ねた。


「わしら、何をしたら……」


 振り返った小虎子が静かに答えた。


鐸東たくとうで軍を率いて待っているはん将軍に、早馬で首尾を知らせてください。そして、史方を決して討ち漏らすな、と伝えてください」

「へい」

「それと……」


 小虎子は顔を伏せ、小さな声で言い継いだ。


「兵を弔いましょう。彼らは、自ら進んで傀儡になったわけじゃないんですから」


 血煙が漂っていた草原を鎮め、慰めるかのように。静かに小糠雨が降り始めた。



【 了 】

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