第二十三話 前夜

 鬼堂村きどうそんに着いた楊周と小虎子は、すぐに村長むらおさのもとを訪ねた。村長は憔悴しきっていた。楊周は、常庸じょうよう大守の崔炎さいえんの書状を見せて、村長を安心させた。


『下記のものに事に当たらせるゆえ、よしなに』


 もっとも、村長がじじい優男やさおとこに何か期待していたわけではない。単に敵ではないということに、安心しただけだろう。村長が二人に話したのは、衝撃的なことであった。


「ここ二、三年。頻繁に盗賊が周囲の村々を荒らすようになりましての」

「ほう」

「それもただの盗賊ではありませなんだ」

「どのように?」

「必ず、予告をいたしまする」

「矢文でしょうかの?」

「そうですだ」

「予告があるなら、常庸から討伐隊が出ませぬのか?」

ことごとく、盗賊に滅されておりまする」


 小虎子が愕然とした。


「そ、そんなことが……」

「数が尋常ではありませぬ。二千ほど」


 楊周が頷く。


「騎馬ですかの?」

「はい。とても、田舎の軍勢では歯が立たぬようで……」


 楊周が口を固く結ぶ。


「そして……とうとう、この村にも矢文が打ち込まれましての」

「刻限は?」

「明朝」

「間に合うたか」


 楊周がひとりごちた。


「要求は?」


 村長が、ぐっと拳を握りしめて絞り出すようにうめいた。


「十歳に満たぬ子供全て、でございまする」


 小虎子は驚きのあまり立ち上がったが、楊周は平然としていた。


「やはりな」

「子供はわしらの宝でございまする。渡せませぬ」

「当然じゃ」

「ですが、渡さねば皆殺しにされまする」


 しばらく黙していた楊周が、静かに立ち上がった。


「なにするものぞ。相手が傀儡くぐつならば、たとえそれが数千じゃろうが、数万じゃろうが同じことよ」


 楊周は不敵に笑った。


「ふっふっふ。小虎子。わしの最後のいくさを見せてやろう」


 小虎子が慌てた。


「ご主人さま、なぜそのように死に急ぐんですかっ?」

「ははは、おぬしはわしの本気をまだ一度も見ておらぬ。傀儡如きに、手こずるわしではないわ」


 楊周は、小虎子にぴしりと言い据えた。


「これから先、わしは一人で旅をする。おぬしも一人で行け。戦はその土産じゃ。とくと見ておけ」


◇ ◇ ◇


 その夜。村は静まり返っていた。


 落ち着かない小虎子が、横になっていた楊周に聞いた。


「夜襲はないのですか?」

「ない。連中はそもそも盗賊ではない」

「えっ!?」

「あれはな。えん史方しほうの私兵じゃ。以前から不穏な動きがあるゆえ、気になっておったのじゃが」


むっくりと体を起こした楊周が、吐き捨てた。


重玄ちょうげんも、死してなおむごいことをさせよるわ。じゃから、あやつは嫌いじゃ!」

「どういうことですか?」

「史方は、重玄の傀儡使いを実践したのよ。絶対に君主を裏切らぬ、死を恐れぬ無敵の軍を作る。それが成れば、数万、数十万、数百万の軍勢が相手でも決して負けぬ」

「うわ……」

「大将と雑兵の組み合わせならば、大将を討ち取れば、軍を乱すことは容易い。じゃが、一人一人が大将ならば、打つ手がなかろう?」

「は……い」

「誰かが倒れても、それを全く気にかけぬ。残った最後の一人が目的を達すれば、誰が大将で、誰が駒でも構わぬ。そういう輩をな、二千も作ったのじゃ」

「どうやってですか?」

「子供を狩り立てて、それを蠱毒こどくで兵に仕立てたのよ」

「!!」

「互いに殺し合いをさせ、殺すことに慣らす。弱いものは淘汰され、生き残ったものに忠誠心のみを叩き込む。まさに……生きた傀儡じゃ」


 小虎子の背に戦慄が走った。楊周は、小虎子の顔をじっと見つめた。


「おぬしとの旅は楽しかった。最後まで、楽しい旅のままで終えたかったな。しかし、これが現実じゃ。おぬしの父や瑞賢が生きておれば、わしはただのしわくちゃ爺で終われた。じゃが、わしだけがこうして生き延びておる。生きておるからには、せねばならぬことがある」

「……」

「おぬしは、明日の地獄絵図を、目を閉じずにじっと最後まで見ておけ。明日戦う相手は、かつてはみな無垢な子供じゃ。誰も傀儡を望んだ者などおらぬ。そのむごたらしさを脳裏に刻み込め!」

「はい!」

「そしてな。そのあと、おぬしの出来ることを探せ」


 楊周が、空に文字を書くが如く訥々と道を並べる。


「誰かにめとられて子を為し、家を守るもよし。ならず者と、心行くまで渡り合うもよし。市井で静かに、まつりごとや商いをするもよし。のんびり田を耕して過ごすのもよし。そして。何もせぬのも選ぶ道の一つじゃ」


 楊周は小虎子の近くに寄ると、その頭に手を置いた。


「達者でな。わしは、もう二度とおぬしには会わぬ。風の便りだけがおぬしからの文じゃ」


 小虎子は何か言いたかったが、言うべき言葉が何も見つからなかった。ただ、涙だけがとめどなく流れ続けた。楊周は円窓に寄って、深い闇夜を見上げた。冷たいおぼろ月が、楊周を見下ろしている。


「小虎子。史方の軍の精鋭は、明日壊滅する。はん将軍が鐸東たくとうで控えておるゆえ、事が済んだらすぐに早馬を出して知らせよ。討伐軍が出る手はずじゃ。地獄の果てまでも追いつめ、必ず史方を捕らえて処刑するよう伝えよ」

「はい! 確かに!」

「よし」


 振り向いた楊周が、涙顔の小虎子に言った。


「一生。腹一杯食って暮らせ。それがおぬしには一番似合うておる」



【第二十三話 前夜 了】

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