第二十一話 星墜つ

 すっかり寒くなったな。楊周は焚き火の横で、白い息を吐いた。


 さすがに北方では野宿するのが厳しくなって来た。一度帝都まで戻って装備を整え、今度は少し南に下ることにしよう。


 楊周は、しばらく訪れていなかった長威ちょういまで足を伸ばすのを断念し、途中で引き返して正劫せいこう峠を越えようとしていた。峠を越せば、帝都までは三日とかからない。


 峠の辺りは木々がもう葉をほぼ落とし、辺りは寒々とした空気に包まれていた。


◇ ◇ ◇


 焚き火の煙が一筋すうっと闇夜に飲み込まれて行く。炎は、そのほんの近くしか照らさない。見上げた空は、満点の星で埋め尽くされている。


「ご主人さまあ?」

「なんじゃ」


 焚き火の真横で膝を抱いてうとうとしていた小虎子が、眠そうな声を出した。


「寒いですぅ」

「そりゃそうじゃ。もうすぐこの辺りも雪の下になるな」

「雪はやだなー」

「まあ、わしも雪中行までする気はない」

「次はあったかいところがいいなあ……」


 そう言い残して、また小虎子が寝入った。


「起きていたのか、寝言なのか分からんの」


 楊周は、苦笑いして。もう一度、空を見上げた。空気が澄んで、星が瞬いている。星はどの季節にも見えるが、この時期の星は格別だ。楊周は、その星に向かって呟いた。


「星の瞬きの間にわしらは生まれ、往んでいく。幾千万の民の死生も、星の輝きを揺るがさぬ。ならば。なぜ、わしらはここに在るのか?」


 老境に入って。しばしば楊周を襲っていた虚無感。


「小虎子のことは言えぬな」


 自分の居場所を必死に探す小虎子には、自分がすでにその場所に居るように見えるのだろうか? 四十年以上も旅を続けてなお。渇いて満たされぬ。欠けた自分が見当たらぬ。楊周は顔を伏せて、長い溜息をついた。


 もう一度顔を上げて星空を見る。いつの間にか目を覚ましていた小虎子も、同じように星空を見上げていた。


 小虎子が小声で言った。


「ご主人さま。わたしは……どの星なのでしょう?」

「さあな」


 楊周がぽつりと漏らした。


「星は誰のものでもない」

「そうですよね……」

「おぬしは、これからどうするつもりじゃ?」


 顔を伏せて小虎子が黙する。小さくなってきた焚き火に、楊周が薪を放り込んだ。ぱちぱちっと火花が散る。


 小さな小さな声で。小虎子が答えた。


「まだ……分かりません」

「そうか……」


 楊周は、それ以上何も聞かなかった。もう一度星空を見上げ、それに語りかけるようにぼそりと言った。


「己の才を活かす道を考えるんじゃな」

「己の……才、ですか?」

「そうじゃ。どのみちそれしかないでの」


 楊周は、微かに微笑んだ。


「才のないやつはおらぬ。その活かし方を知らぬだけじゃ。だから探せ。それは旅と同じじゃ。果てはない」


 二人は静かに星空を見上げ続けた。


 だが。突然楊周の顔色が変わった。天空を横切ってあけの光の筋が走り、墜ちていった。それは、小虎子にもはっきり見えた。


「ご主人さまっ、あ、あれは?」


 楊周はそれに答えず、八卦鏡を出して手をかざす。そして。力なく俯いて呟いた。


「星が……墜ちた」

「えっ!?」

「なぜじゃあああーーーっ!!」


 突然大声を出した楊周に、小虎子はのけぞって驚いた。楊周は、顔を覆って臆面もなく泣いた。


「なぜわしを置いて先に往く! 瑞賢よ! なぜ役立たずのわしを置いて往く!」


 小虎子は、肩を震わせて泣きじゃくる楊周に掛ける言葉が見つからなかった。


 焚き火がその光を失う頃。楊周は涙に濡れた顔を上げた。もう一度、八卦鏡の上に手をかざす。


「妖星か……」


 何事か考え込んだ楊周は、立ち上がって荷物をまとめ始めた。慌てて小虎子が追随する。


「急ぎ帝都へ戻り、瑞賢の葬儀に出る。それからすぐに発つ。時間がない。遅れるな!」

「は、はいっ!」



【第二十一話 星墜つ 了】

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