第七話 壺

 楊周と小虎子は、商都の甘鐸かんたくにほど近い山道を歩いていた。夕日を見ながら小さな峠を越えると、足取りは軽くなる。


「ご主人さまあ。今日はどこで休むんですかあ?」


 小虎子の口調には、寒くなって来たから野宿はいやだなあという気持ちが込められている。楊周はそれを斟酌しんしゃくせず、つらっと言った。


「降りたところに旅籠はたごがあったはずじゃが、なければ野宿じゃ」


 とっぷり暮れた山裾に、灯りの漏れる屋敷が見えて来た。急にはしゃぎだした小虎子を、楊周がたしなめる。


「これ。喜ぶのはまだ早いぞ。ここは細いとはいえ、行商人が繁く通る要道じゃ。盗賊を怖れて夜行を避ける商人が多く泊まる。部屋に空きがあるかどうか分からぬ」


 そう言いながら、楊周は背後を気にしていた。


「ご主人さまあ。どうしたんですかあ?」

「さっきからつけられておる」

「へ?」


 振り返った小虎子の目にも、さっと木陰に隠れた小さな影が見えた。


「男の子……ですね」

「うむ。村の子ではないな」


 言い終わるや否や、楊周は素早くその子の背後に回って襟首を捕まえ、道に引きずり出した。


「何するんだよう!」

「おぬし、夜盗どもの手下じゃな」


 男の子はべそをかきだした。


「親方に、みそっかすはじゃまだって追い出されたんだよう」


 しかし、楊周はその子に一切同情の色を見せなかった。


「わしらにつきまとうな」


 言い捨てた後は、その子を無視した。


 ご主人さまにしては珍しいな。そう思いながら、小虎子もなんとなく違和感を感じて、その子から距離をとった。


 ほどなく旅籠に着いた。驢馬を門外の立柵につないだ楊周が戸を叩くと、ひどく陰気くさい痩せた男が出て来た。


「泊まりたいのじゃが、空いてますかの?」

「へい」


 それだけ? 客商売にしては、あまりにも愛想がないなあ。小虎子は、訝りながら旅籠の敷居をまたいだ。旅籠は、建屋は小さいものの造作がよく整っており、内外ともにこざっぱりしていて田舎宿にしてはくたびれた感が一切なかった。しかし……。


 先を歩いていた楊周の顔が急に険しくなった。


人気ひとけがない」


 そう言って。足を留めた。


 かわやの前に、まるで不釣り合いな青磁の大壷が置かれている。楊周はそれをじっと見つめた。


「こいつのせいか……」


 案内あないの男が振り返る。


「どうなさいました?」


 楊周は無言で仕込み杖を抜くと、やにわその男を切り払った。だが男はふっと姿を消し、剣はくうを滑った。


「あっ!」


 異変を察した小虎子が、素早く身構える。その横を先ほどの男の子が駆け抜けて、壷の蓋を外そうとした。楊周がすかさず襟首を捕まえて、男の子を引きずり戻した。


「おぬしの仕業か!」

「だ、だって、そうしないとおらが食べられちまう……」


 蓋をずらした楊周は、問答無用とばかりその子を壺の中に放り込んだ。予想外の楊周の振る舞いを目の当たりにして、小虎子が慌てて咎める。


「ご、ご主人さま、なんとむごいことを!」


 構わず、楊周は杖で壷を叩き割った。


 がしゃあん!


 割れた壷の中は驚くほどきれいで、先ほどの子の気配などどこにもない。破片の間から太った蜘蛛がのそりと這い出してきたのを、楊周が躊躇せずに踏み潰した。


 ぐしゃっ!


 小虎子は、その有様を呆気にとられて見ていた。


「あ、あの、ご主人さま。一体どういうことなんでしょうか?」

「おぬしは強くなりたいか?」


 突然思ってもみなかった問いを投げかけられて、小虎子は返答に窮した。


「相手に勝てば、相手の全てを奪える。強者の理屈はそういうものじゃ。当然、負ければ全てを失う。命さえもな」


 楊周が、足下の破片を蹴る。


「こいつは蠱毒こどくを作るための壷よ。中に虫やら獣やらを入れて、唯一つ生き残ったものを呪術に使う。じゃが、術者がんで使われなくなった。そして、中に作られた蠱毒が潜んでおった」

「……それが先ほどの?」

「そう。蜘蛛よ。あやつには勝ち残るという欲しかない。妖術を駆使して、手当たり次第誰も彼も壷に引きずり込んでむさぼり喰った」

「じ、じゃあ、さっきの子は?」

「とうの昔に喰われとる。あれは傀儡くぐつじゃ。喰う前に脅して、その恐怖だけを取り出す。それに人の皮を張っただけよ」


 絞り出すように、楊周が言葉を闇にねじ込んだ。


「のお、小虎子よ。強くなろうと思うな。それはいずれおぬしの身を滅ぼす。どんなに強くなろうと、食うものがなければ往ぬるだけじゃ。人は所詮そこまでしか強くなれぬ」

「……はい」

「覚えておけ」


 割れた壷の破片の影で、弱々しい声でこおろぎが鳴いた。


 りぃりりりぃ……。



【第七話 壺 了】


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