第四話 直

 かっぽ。かっぽ。


 驢馬のひずめの音が、のんびりと川縁の道に響く。澄み切った秋の日差しを浴びて、ご機嫌の小虎子が、どっ外れの歌を歌いながら手綱を引く。


「やかましいわい」


 楊周は、眉をひそめながら呟いた。


 まあ、気持ちは分からぬでもない。寨城さいじょうを発つまでは、糜公びこうの厚遇に甘えて十日ものんびりさせてもろうた。その間、おいしいものを食べ放題。わしの世話もせんで済むから、遊び放題。おまけに、孫翔そんしょうの庵にはほんの二日ほどで着く。また羽を伸ばせるからの。


 ふう。楊周は、小虎子を見遣りながら一つ溜息をついた。


「瑞賢も、厄介なものを押し付けよって」


◇ ◇ ◇


 五年前のことじゃったな。

 小虎子から目を逸らし、晴れ渡った青空を見上げた楊周は、ふと回想した。


 その日楊周は、ふらりと寄った瑞賢のところで夜通し飲み明かし、瑞賢に管を巻かれた。


「楊師ももう若くはないのですから、そろそろ自重なさいませんと」

「たわけ。何を言うか。腰を落ち着けたら尻が腐るわ」

「相変わらずですなあ……。でも、楊師は御自ら災厄を引っぱり込まれる。心配でたまりませぬ」

「おまえの方が、わしより早く禿げそうじゃのう」

「また、そんなことを!」

「わっはっは」


 心配顔の瑞賢が、隣室から呼び寄せたのが小虎子だった。きりりとした顔付きの少年。眉を高く吊り上げ、目に炎を宿し、小柄ながら所作の端々に鋭い切れを感じさせた。


「楊師。こやつは小虎子と言って、亡くなった魏封ぎほう将軍の一人娘です」

「むすめぇ!?」


 いきなり、ぎりぎりと睨みつけられる。おう、気が強そうじゃのう。


「女ではいけませんか!?」


 小虎子がまなじりを決して、声を荒らげた。


「ふむ……」

「将軍は、小虎子をかわいがりましてな。奥方が止めるのも聞かず、幼少時から武術全般を仕込んだそうで」


 瑞賢が頭を抱えた。


「将軍が亡くなる間際に後見を頼まれたのですが、ご覧の通りの男勝りで。入内じゅだいなどとんでもない。嫁に出すのも、この有様ではどうにも……」

「なるほど」

「女では、武官への取り立ても難しかろうと思います。せめて楊師の警護に当たらせてはくれますまいか? 腕前は保証いたしますゆえ」


 楊周が、見るからに不満顔の小虎子を見回しながら尋ねた。


「そなた、年はいくつじゃ?」


 まだ膨れっ面をしていた小虎子が、ぶっきらぼうに答えた。


「十七」

しつけがなっとらんの。客の前で答えるなら、それ相応の言い方があろうて」


 小虎子は、楊周をただの口の悪い老人と見くびったのだろう。食ってかかろうと、ずかずか楊周に近付いた。楊周は、右手をひょいと上げて何か空中に字を書くような仕草をした。直後。肩をいからせてにじりよる姿勢のままで、小虎子が固まった。


「動けぬだろう? せつに針を打った」


 小虎子の体の随所に、細い針が深々と刺さっていた。


「隙だらけじゃ。警固じゃと? まるで使えぬわ。うわーはっはっはあ!」


 席を立った楊周が、高笑いをしながら寝所に下がった。


 翌朝。目を真っ赤に泣き腫らした小虎子が、正座をして、寝所を出た楊周を迎えた。


「ご主人様。おはようございます。これからお側でお世話させていただきます」

「懲りぬやつよのう。わしは一人が気楽でいいのじゃが」

「わたしが勝手に付いていきます」

「好きにせい」


 そういう短いやり取りがあって。二人旅は始まった。


◇ ◇ ◇


 あれから五年か……。楊周は、つらつら考える。


 あやつは男として育てられながら、男の中には入れぬ定めを心底いとうておったのじゃろう。わしとて、世の些事に捉われるのが嫌いなはみだし者じゃ。あやつは、あれこれ指図せぬわしの気風に慣れてすぐに素が出るようになった。それは、あやつにとって良かったのか悪かったのか。


 二十二か。もう男のなりをしても、女であることは隠せぬ。いずれ近いうちにこの旅は終わる。いや、終えねばならぬ。その時、あやつが再び女の型に押し込められて、曲がらねばいいがのう。


 考え込む楊周の頭上がふっと翳って、何事かと見上げる。道に差し掛かった一本の大きな青竹が、すらりとその背を伸ばし、楊周を見下ろしていた。楊周はそれを見て、どこまでもやるせない気持ちになった。


 知ってか知らでか。小虎子は、屈託なく楊周に話し掛けた。


「ご主人さまぁ! お昼にしましょうよう!」



【第四話 すぐ 了】

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