最終霊 玲

 結局、僕は。優希玲子に何をしてあげればいいのか、どうすれば二人にとって良い未来が来るかはわからないままこの日を迎えた。でも、楽しかった。本当に楽しかった。涙が出そうになるくらい。


 でも、今は泣かない。卒業式で泣くなんて、まるで学校生活に思い出があるみたいだ。もちろん、まるでなかったわけじゃない。ただ、僕の思い出は、青春は、第一理科室にある。


「おい、夢人、元気か」

「あっ、先生」

「卒業おめでとう」

「ありがとうございます」


 今日はまた一段と、バーコードが光ってますね。とは、言えない。


「優希玲子ちゃんはどうだ、元気か」

「それが……」

「どうした、何かあったのか」

「いえ、何も」

「おいっ」


 僕も先生も、顔じゅういっぱいに笑う。我ながら、こんな明るい姿、公共の場で見せたことはない。そして僕は先生に目一杯手を振って、体育館を出た。


「おーい、夢人」

「なんだい父さん。母さんは?」

「母さん泣いちゃって化粧直しだよ、それより夢人、お前これから」

「うん、行ってくるよ」


 胸を張って、ハキハキした声で父に宣言する。


「おう、行ってこい」


 父はいつも、行ってくると言うと行ってこいと言う。実にシンプル。でもちょっと、だから行くっちゅうねんという思いにさせられる。


 さあ、これから、おそらく最後の第一理科室へ。何を話そう。そこまでは考えてない。でも、泣きたくなったら素直に泣こうかな。前も告白したとき情けなく泣いちゃったしね。何とかなるだろう。


「失礼します」


 職員室で第一理科室の鍵を取る。良かった、まだあった。ここにいる先生方は何をしに来たんだろうと思ったかもしれない。でも、僕だって何をしに来たかなんてわからない。いつだって、何かをしに来たわけじゃないんだ。僕は、生きているから。鳥が大空を羽ばたくように。魚が海の中を泳ぐように。僕は優希玲子に導かれるように、第一理科室へ向かうんだ。



「優希、来た」

「夢人くんっ、卒業おめでとう」

「うわぁっっぃ」


 クラッカーが鳴ったわけじゃない。

 ただ、扉を開けたらすぐ目の前にいた。久しぶりに驚かされたけど、目の前にいる。それだけで嬉しい。

 そして、僕らはいつもの席へ向かう。


「遂にこの日が来ちゃったんだねぇ」

「来ちゃったんだねぇ」

「本当に、卒業おめでとう」

「ありがとう」

「私、ここを出て行く人をこんなに祝ったの初めてだよ。これまでだって、心の中ではおめでとうなんて思ったりしたけどね」

「はっはっはっ。それ想像するとシュールだなぁ」

「それに声に出したら聞こえないにしても迷惑な気はしてたから、黙ってるのが大変だったの」

「はっはっはっ」


 思っていた以上に、会話がスムーズにいく。


「ねぇ、そういえば夢人くんはこれからどうするの」

「高校へ行くよ」

「大丈夫かなぁ、夢人くん。高校行った先でも私みたいな幽霊がいるといいね」

「いやいや、そんなのいるかよ。え、いるのかな」

「それより、私なんかに心配されてることを心配しなさいよ」

「はっはっはっ。実際、心配だからなぁ」


 喉唾のどつばをゴクリ、と飲み込む。


「もう、大丈夫だよ、夢人くんは。私が鍛えてあげたから、うへへへへへへ」


 その奇妙な笑い声は最後まで変わらなかったか。可愛いからいいけど。てか僕は何を鍛えられたんだろう。


「ところで、夢人くんは高校より先の予定とかあるの」


「うーん……あるっ」


「えっ、本当?」


「おれは、先生になるっ。僕みたいな子を救ってあげるような、先生になるっ」


「え、そうなの!? ユメガナシダくんが、夢を持つなんてねぇ」


「ちょっと待て。ユメガナシダって、ユウキレイコには言われたくねぇぇぇぇ」

 変なテンションに拍車はくしゃがかかってきた。


「でもね、僕の夢は、先生になることじゃない。それは夢ではなく目標だとか、そんな話じゃなくて。僕には他の夢があったんだ」


「おお。遂に明かされる、それは何」


「もう、散々叶ってるんだよ。夢を見ることは、叶うとか叶わないは関係ないって優希に教えてもらったけど、叶っちゃってたんだよ」


「では、それは何!?」


「優希玲子と一緒にいることだよっっっっ」

 だいぶ、僕もぶっちゃけるようになってきた。


「うへへへへ、嬉ひいよ、夢人くん」

 女幽霊の目から、あのときぶりの涙がこぼれる。袖でぬぐっても拭えないような涙が。



「ねえ、夢人くん。私、ちょっとだけ隠してることがあるの」

 で、出たー、最終話まで秘密を隠しておくやつ


「それは、言える秘密と、言えない秘密があるんだけど……」


「何だよ、れったいな」


 優希玲子は、おもむろに立ち上がり、僕に背を向け、開いた窓の向こうに叫んだ。


「私、優希玲子は、梨田夢人さんのことが、大好きぃぃぃぃ」


 ええええええええ。それ今言うか。秘密だったんか。だいたい、過去に二度も「私はあなたに会えたのが今の全てよ」とか言っといて、それ今言うか。大好きって言葉のチョイスも、シンプルだな。でも、嬉しい。はっはっはっ。


「おい、やめろよぉ、みんなに聞こえるだろ」

「いや、聞こえないでしょ」


 はっはっはっ。うへへへへ。思いきり笑いあったあとは少し、しんみりした空気になる。


「ねぇ、優希、さん。これからどうなるの、また会えるの」


 窓越しの空を見て、隣同士話し合う。


「そのことなんだけど……ね」

 妙な間を空けた喋り方がまた焦れったい。


「どうしたの、何かわかることがあるの」

「そのね、キスしてほしい」


 うええええええええええええええええ。自分じゃ自分の顔は見えないが、たぶん優希さんに向かって目ん玉飛び出してたと思う。


「きすって、どうやって」

「くちびるとくちびるを合わせるの」

「いや、そんなの知ってらいっ、そうじゃなくて、幽霊と人なのにどうするの」

「人と人がするようにしてくれたら、それで大丈夫だから……」


 優希玲子はどうしたのか。壊れちゃったのか。


 いや、違う。きっと何か意味がある。


 卒業の日だから気分が高まったみたいなのとは違うはず。


 優希さんは、たぶん僕とキスをしてしまうことで成仏する気なんだ。ジョウブツゥ?


 新しい出会いの中でキスすることが優希玲子のシュクダイだったのか?


 しかし、それを許していいのか、梨田夢人。もう、優希さんとは会えなくなるんだぞ。やめておけ梨田夢人。ここはいいからやめておけ梨田夢人。


 そんな声が、確かに僕の中からした。だけどそのボリュームを、一つずつ、一つずつ、下げていく。右から左へ回していく。押しボタン式でも構わない。何だっていいから、下げていく。


 僕は、優希玲子とのお別れを覚悟している。


 三年間の日々をこの胸に、覚悟している。


 何、初恋が破れたって父みたいに新しい人が見つかるさ。たいしたことじゃないさ。それに思い出は消えない。


 きっとこの少し不思議な日々は、いや、だいぶ不思議な日々は、呆けたって忘れることはないだろう。だから。


「わかった」


 そう言った。すると、優希玲子がまぶたを閉じる。


 この場合、僕も閉じるべきなのか。でもそしたら、くちびるの位置がわからなくなるんじゃないか。


と、その前に、優希玲子との身長差を感じる。僕の身長は伸びた。優希玲子も立つと(立ち姿はほとんど見なかったが)わりと大きめな方だったと思う。それでも、今では少し見下ろせる感じに。


 それでは、キスしたいと思う。何だ、この文章。とにかく、ブラックホールに吸い込まれていくように、無我夢中むがむちゅうでいきたいと思う。


「優希玲子、さよなら」


 唇と唇が、重なるか重ならないかの瞬間。突然、目を閉じていても目の前が真っ白になったのがわかるような光に包まれた。手をかざし、目を開けると、優希玲子がふわぁっと宙に浮いている。


「え、ええええええええええええ」

「夢人くん、ごめん。本当にごめん。でも大丈夫、心配しないで」

「心配って何、何が起きてるの」

「私、生まれ変わるの。あなたのおかげで。愛のおかげで」


 何だこの展開……。って成仏するんじゃないんかい。


「夢人くん、ありがとう。本当にありがとう。私、あなたに会いたい。生まれ変わったらもう一度あなたに会いたい」


「う、うん……」


 イマイチ状況が飲み込めないけど。


「でも、無理は言わないから。そのとき、あなたに新しい恋人がいても、仲を割くようなマネはしない。それに、私また記憶をなくしちゃうから。あなたのこと、忘れちゃうからっっっっ」


「はぁっ!? 急に意味わかんないこと言うな! お前が忘れても、俺が忘れないなら、俺が記憶を取り戻させてやる! それが無理なら、また一から始めて、前の人生より、今の霊生れいせいより、素晴らしい人生を過ごさせてやる!」


「うん、うん」


「だから玲子っ、玲子さん、優希さん。待ってるぞ。僕は待ってるぞ。優希さんが僕のことを長年待ってくれていたように、今度は僕が待つ番だ」


「うん、うん」


「わかったらさっさと行ってこいっっっっ。元気で行ってこい」


「私、あなたに必ず見つけてもらうからっ、必ず見つけてもらえるようにするからっっっっ」


「え? ㅤあっ、そうしてもらえると助かる」


 眩しい光と、世にも不思議な騒音で聴き取りづらくなったため、そんな僕の格好つかない言葉で、光は閉じた。


 優希玲子の姿も見えなくなった。





*👻*


 十三年後。


 僕は無事、先生になり、働いていた。


 行き場のない生徒たちを受け持つような部活を作りながら、毎日を過ごしていた。


 そして、とある四月三十日。


「せんせぇ、わたしたちもこの部活に転部していい?」


「うん、いいよ」


「この子がちょっと、前の部活がいやだって言って」


「うん、名前は?」


有田ありたれいです……」


 窓の向こうに広がる空は、どんな色でも美しかった。





 蛇足だそくになるが、この後、二人がどうなったかの記述は避ける。


 おそらく、幸せになったけど、その経緯については、それぞれの想像で。


 学生と幽霊の関係から、先生と生徒の関係になってしまったので。


 それでは、ここまで見苦しい文章を読んでいただいてありがとう。なしだ夢人ゆめとでした。


「君は幽霊を名乗らない」 終

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