第十五霊 子供心

「優希さんはさ、子供心ってわかる?」

「こどもごころ?」


 今更言うまでもないが、授業が終わったあと第一理科室に来ていた。今日は優希玲子の生前像や、これからのことを考えたりせず、しっかり向き合って話をしようと思ってここへ来た。


「僕はまだ一応子供だと思うんだけど、ちょっと思うことがあって」

「なになに」

「自分が面白いと思った映画をさ、批判する人たちがいたりするわけ」

「うん」

「それは仕方ないけどさ、その映画は子供向けだから子供が楽しめたらいいという意見もあったりするわけ」

「うん」

「でもさ、人は皆昔は子供だったし、それに子供だから大人の心を持ってないとか、大人だから子供の心を持ってないっていうわけじゃないと思うの」

「うん」

「何が言いたいかといったら、つまらない大人にはなりたくないってこと」

「ちょっと話が飛んだね」


 僕は優希玲子に愚痴を言ってる。優希玲子に優希玲子の話を聞いてもわからないことが多いから、個人的な愚痴を言ってる。ようは自分が好きな映画を大人たちに批判されて腹が立った、という反面、他の大人が「これは子供向けだから子供が楽しめばいいの」という意見にも違和感があるという話。


「つまりさ、その映画が子供向けかどうかはともかく、面白くないと感じた自分に少しの疑問もなく批判するような人にはなりたくないの」

「うーん」

「まぁ、僕も何もかも楽しめるほど純粋じゃないけど」

「うーん」


 自分ばかり熱くなって、優希玲子がだいぶ冷静なのを感じる。


「優希さんはどう思う」

「まず根本的な話になるけど」

「うん」

「映画の感想って誰かと分け合うものなのかな」


 うわあ。それを言ったらおしまいだ。確かに、作品の感想なんて人それぞれだから、自分が良いと思えば良いし、悪いと思えば悪い。逆にこれは必ず万人にとって良い作品だ。と決めつけるのも、悪い作品だ。と判子を押すのも、きっとそんな資格は誰にもない。


 ただ、感想を誰かと共有し合う気持ちよさだってあるだろうし、僕も良いと思った映画の評判は良かった方が気持ち良いし、どれだけ論理的に説明されても悪いという意見には従えないかもしれない。そういう意味ではやっぱり好みの問題か。自分にハマるかどうかが全てなのか。


「ただね」

「な、なに」

「自分の心を疑うことも大事だけど、信じることも大事」

「考えの押し付けはよくないけど、違う意見が誰かを変えることもある」

「それは誰にとってもそう、大人だろうと子供だろうと、大事なのは心を閉じないこと」

「何かを信じて曲げないことと、何もかも信じられないことは違うから」


 優希玲子ってこんなキャラだったっけ。開けなくてもいい引き出しを開けた気分だ。ただ、すごく腑に落ちる話な気がする。今は気がするだけだけど。


「ようするに、自分を信じたらいいんだね」

「ようしたらだめ」

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