第七霊 命にまつわるエトセトラ

「こないだはどうしたの」

「何が」

「ほら、走ってどこか行っちゃって」


 やっぱりそうだったか。あわよくば、あのときの記憶は全部前日からの妄想で、実際は呼び名のくだりもないものだと思っていた。というか、そう思いたかった。何で僕はあのとき全速力で逃げてしまったんだろう。


「ちゃんと覚えてるんだね」

「そりゃそうよ、昨日のことだもん」


 優希玲子は生前の記憶をなくしてるらしいが、幽霊的な何かになってからの記憶はちゃんとあるらしい。


「あ、夢人くん、こんにちは」

「え、こんにちは」

「そうじゃないでしょ」


 今日も僕は授業後、第一理科室に来た。窓際の理科用実験台を間に座り、優希玲子とちょっとしたおしゃべりをする。


「優希さん、こんにちは」

「そうそう、こんにちは」


 うっとうしく感じることもある。元々一人でいた自分だから。でも優希玲子もずっとここに一人でいた。僕が初めての発見者らしい。さすがにそう聞かされると、無下むげにはできないような気持ちが僕の中にもある。


「今日は何話そっか」

「うーん、これという話はないよね」


 優希玲子が微笑みを浮かべながら話しかけてくれたけど、素っ気なく返してしまった。でもこれは心を閉じてるんじゃなくて、素直な返事をしただけ。それが意外と人は難しい。


「そっか、そっか」

 こういうとき優希玲子は必死になったりしない。さすがに幽霊的なものらしく(?)、いさぎよさを持ってる。


「じゃあ聞くけどさ」

「うん」

「優希さんは幽霊になった自分をどう思う?」


 幽霊、という言葉に気づくと否定してくるのはこれまでと同じだけど、そこはともかく、その先の話を聞いてみた。


「どうって聞かれても難しいな、私もわからないことは多いから」

 神妙しんみょう面持おももちで語り始めた。

「でも、生き物だって自分の誕生にあまり疑問を持たないように、私だって気づいたら幽霊だったから」

「あれ今、幽霊って」

「ああ、優希玲子の略ね」


 略したらユウレイになるところがおかしいんだけど、今はあまり突っ込まない。


「結局、生きていようと死んでいようと、そこが大事じゃないというかね」

「うん」

「想えるか想えないかじゃないかと思うの」

「何か急に難しくなったなぁ」

 そうつぶやくと、優希玲子はふふふと笑って、

「私はあなたに会えたのが今の全てよ」

なんて言った。正直、あまりピンと来なかった。


 僕は孤独だけど、優希玲子の孤独とは少し違う気がする。話しかけようと思えば、目の前にいる誰とだって会話することができる。幽霊と会話できることの方が異常なはずだ、本来は。


 なぜか今はそれが逆転してるみたいだけど、優希玲子が会話できるのは今のところ僕だけ。三十年ほど幽霊的存在としてやってきて僕だけ。そんな孤独はいかなるほどか。想像するのは難しい。


「じゃあね」

って言うと、

「じゃあね」

って言う。先輩たちが理科室に来ているとさすがに手は振れないけど、もうお互い認識しあって別れの挨拶をする。そういえば、初めて会ったときの別れは優希玲子が僕に背を向けていた。僕もそれまで宿題を熱心にやっていた。


 そのシュクダイと同じように優希玲子と挨拶を交わすことは、今やるべき重要なことなのかもしれない。

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