第六霊 呼び名をつけてやる

 家に歩いて帰る途中、優希玲子を何て呼ぶか問題が僕の中で再浮上していた。さっきは、「君」と呼んでしまったけど、これからずっとそう呼ぶのはどうかと思う。一応、本人が付けた名前もあるわけだし。


 ただどうしても僕と優希玲子の関係性が掴めないから、悩む。単純に第一理科室に先にいたものとして「先輩」と呼ぼうか。だめだ、しっくりこない。実際に生きている他の先輩方を差し置いて幽霊を先輩扱いするのはおかしいだろう。それに優希玲子がセンパイの意味を知らなかったらまた説明しなくちゃいけないし。


となると、名前で呼びたいが。やはり、「優希さん」が無難ぶなんか。じゃあ、どのタイミングで呼びかけよう。いきなり「優希さん、こんにちは」みたいに挨拶あいさつを兼ねて呼ぶのがいいか。それとも、どこかのタイミングで自然に「優希さんはさぁ」と呼ぶのがいいか。


 長い橋の上から見える夕陽は今日も綺麗だ。もう、くだらない悩み事は忘れてしまうことにしよう。



「あ、あのさぁ」

「何ですか」

「君のこと、何て呼べばいいかな」


 考えるのをやめた結果がこれだ。この選択に後悔はない。きっと、素直に相手に聞いてしまうことが自分の中で自然だと判断した上での行動だ。


「何て呼ぶって?」

「君の呼び方だよ」

「それって何か大事なことなの」


 いちいちつまずくなぁ。核心をついた質問にも聞こえるけど、適当に答えてくれたらそれでいいのに。


「大事か大事じゃないかなんてどうでもいいの」

「大事か大事じゃないかなんてどうでもいいの?」

 早口で、無表情で、こっちの言葉をそのまま返してくる。


「とにかく、何て呼ぶか教えてくれたらいいの」

「とにかく、何て呼ぶか教えてくれたらいいの?」

 優希玲子は壊れたのか。最後の発音を変えただけじゃないか。


「もう、優希さんでいい?」

「いいよ」

 最初からそう呼べばよかった。なぜだか腹が立った。


「何でさっき、呼び方教えてくれなかったの」

 そんなあっさり、「優希さんでいい?」と聞かれて、「いいよ」と答えるくらいなら、何でも言ってくれたらよかったはずだ。何かしら言ってくれたら僕も楽だったし、嫌なものは嫌と言えたし。って何でも従うわけじゃないんかい。


「あなたに決めてほしかったの」

「え」

 今日の優希玲子は、表情こそあまり変わらないが、話す言葉は刺さるものがある。


「あなたに決めてほしかったの」

「うん」

「あなたに決めてほしかったの」

「うん」

「あなたに……」

「やっぱり優希玲子は壊れてるんじゃないか」

「え」


 しまった。心の声が漏れてしまった。どこかロボットのような印象を受ける今日の優希玲子への感想を、思わずそのまま口にしてしまった。


「壊れてなんかないよっ」

 座りながらも袖振そでぶり激しく、僕は怒られた。

「壊れてるのは夢人くんのほうじゃない」

 どういうことかわからないので、続けて意見を聞いてみた。


「あなたに決めてほしかったの、って言ってるのに、『え』と『うん』しか言わない」

「だから何度も続けて言ったのに」


 つまりそれはどういうことだ。何か明確な返事をすればよかったということか。


「ごめん……」

 幽霊に頭を下げたのは初めてだ。僕は赤ちゃんだった頃、自分は幽霊に頭を下げるような人間になるんだと、思いもしなかっただろう。


「じゃあ、どうして僕に決めてほしかったの」

「それは、色々あるけど、自分の名前を自分で付けた私だよ?ㅤ呼んでもらう名前まで自分で決めるなんて嫌じゃん」


 それはなかなか正論だと思った。だから優希玲子はそうなるよう仕向けたのか。思ったより賢い。でもこちらにはまだ、秘策ひさくがある。


「そうか、そういうことだったんだね、わかったよ」

「やっとわかってくれたのね、夢人くん」

「今考えたらとても失礼なことをしていた気がする」

「シツレイ?」

「これからはちゃんとこちらの決めた呼び方でいかせてもらうよ」

「それでいいのだ」


 僕はこの後、優希玲子に対して先ほど決めた「優希さん」という呼び方じゃなく、「幽霊」と呼びかけようと思ってる。どうして自らを生きた存在じゃないと認めながら、幽霊と呼ばれるのをこばむのか。それについてはまだどうしてかわからないけど、こう呼びかけるのは、からかいがいがある。だから、呼ぶぞ、呼ぶぞ。


「ユウキレイ」

「え、何その呼び方」

 しまった。気づいたら汗だくになって、橋の上から夕陽を眺めていた。ふくらはぎが痛い。

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