第二霊 議論

 何時間ほど眠ってしまっただろうか。理科室の黒板横にある時計の針を見ると意外に進んでいない。ただ周りを見渡すと先輩たちが来ており何らかの実験に励んでいた。


 自分はこうして居眠りに励んでいたのに声をかけないなんて優しいのか興味ないのか。ありがたいはありがたいけど。


 そんなことよりあの目の前に突然現れた女性は何だったのか。夢だったのか。一瞬頭を悩ませたが無駄だった。まだ目の前にいた。それも顔を上げて。


「あのぉ、大丈夫ですか」

 女性の顔は白く細く。顔立ちは整っているが、どこか病的でこの世のものとは思えない存在感だった。


「いったい、あなたは何なんですか」

 一応声を小さくして聞いてみた。


「私は、私です」

「それがよくわからないから聞いているのですが」

「私だって、よくわかりません」


 その女性は頬を少し膨らませて、まるで怒ったような仕草をするけど、こっちの方がちんぷんかんぷんだ。


「わからないって……じゃあもう気にしなくていいですか」


 気にしないことなんか無理だと思うけど、とっさにそう口にしていた。まだ宿題が残ってるというのもあるかもしれない。


「気にしなくてもいいですけど、私のことに気づいたのはあなたが初めてなんですよね」


 もうゾッともしないというか、うっとうしいくらいに思った。出会ってから意味深なことばかり言うのに、自分が何だとはハッキリ言ってくれない。だったらこっちから聞いてやろうと。


「もしかして、幽霊なんですか」


 相手の目は見ずに、ノートに何か書き込むようなフリをしながら単刀直入に聞いた。ちなみに右ページの真ん中にはよだれの跡がついてふやけてることに気づいた。


「幽霊ではないと思います」

「でも、生きてる人ではないんでしょ」

「それはそうです」

「なら幽霊だ」

「そうではないと思います」

「なぜ」

「死んでみたらわかります」


 何だか話にならない。シャープペンシルごと折ってしまいたい気分だ。でもこの禅問答ぜんもんどうのようなやり取りを終えないと、家に帰れない気がする。


「死んでみたら何がわかるんですか」

「私が幽霊ではないということです」

「それはどうしてですか」


 そうたずねると、一瞬の静寂せいじゃくがあってから、耳に高くかすれた声が入ってきた。


「宇宙人は自分のこと宇宙人とは思わないでしょう」


 なるほどと言っていいような、違うような……。とりあえずシャーペンを置いて、相手としっかり向き合ってみることにした。


「じゃあ、僕から見たら幽霊ということでいいんですか」

「それはあなたの勝手ですけど、私は幽霊ではありません」


 なかなか強情ごうじょうのようだ。こっちはこっちで狂った質問をさっきからしてるような気がするけど。


「幽霊じゃないとしたら、何なんですか」

 この質問にはきっと返答を悩ませるだろう。まさか、天使とか言い出すわけじゃあるまいし。


「幽霊的な何かです」

 お、おぉ。これだったらまだ天使でも悪魔でも適当に言ってくれた方がよかった。


「的な何かって、何ですか……」

 僕がうたぐぶかい目というか、失望の眼差しを向けたせいか、女性は身振り手振り慌てて、

「あ、でも名前はありますよ」

 と、言ってのけた。


「幽霊に名前があるんですか、ひょっとして生前の」

「いや、自分で付けたものです」

 自分で付けたのかい。


「生前とか、記憶ないので……」

 女性は目を伏せて、しんみりしたムードにさせてしまったが、これは僕のせいなのか。


「とりあえず、何て言うんですか」

「へ」

「いや、名前」

「い、言いたくありませんっ」


 ちょっと強めに怒鳴られた。そして恥ずかしそうだった。何でだ。もう本当に意味わからない。この相手を幽霊だと認めてる自分もおかしいし、会話しちゃってる状況もおかしいし。


「僕は梨田夢人(なしだゆめと)って言います、おかしな名前ですよね」

 父が夢を持つ人になれと名付けてくれた名前。でも、名字が梨田だから、夢がなしと言ってるみたい。そしてその名通りの日々を過ごしてる。


「素敵な名前じゃない」

 口を広げて、目を細めた顔に、一瞬ドキッとする。でもすぐ本題に戻る。


「じゃあ、あなたの名前は」

「優希玲子」

「は」

「だから、ゆうき、れいこ」

 ゆうき、れいこ。ゆう、き、れい、こ。ゆう、れい。ゆうれい。


「あの、わざとやってます?」

 優希玲子が僕の問いかけの意味に気付いたとき、あからさまに真っ白な頬が真っ赤に染まった。逆に、こんな人間らしくて本当に幽霊なのかな。と思った。

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