3話 皇

 飛行都市『飛鳥』は雲海の上に浮いている。一般的には常に動力炉から供給されるエネルギーで推進力を得て、地球の自転と遠心力によって釣り合いをとっていると説明されている。それは半分だけ正しい。では残りの半分は何か。

『大義であった』

 透明な白色の液体が満ちた巨大な筒の中。白い着物を着て顔に白い布を垂らした白い肌の人は手を顔にかざした。布が払いのけられると、そこに出たのは少年の顔。まだ16にもなっていないような幼い顔立ちに不釣り合いに、たった二点だけ黒い目は爛々と輝いている。

 布が払われたのを合図に、これまた顔に白い布を垂らし白い着物を着た人が二人、部屋に入ってきて少年の正面にあった中継機器を移動させる。ここから顔を映していたのだ。音声は、中のマイクで拾っている。

 二人、すめらの御世話人は声を発しない。筒の前に設備されているコンソロール・パネルに触れ、また直に見て、目視と機械によって皇の状態を確認する。異常はないようだと判断して二人は下がり、一つ上の階に移動する。


 その途上のエレベーターの中、ようやく口を開いた。

「はあ――緊張した。どうして俺たちがこんなこと……」

 まだ若い男の声だ。軽薄そうな響きの中にも鋭いものが混じっている。

「一年もしてみろ。軽口すら面倒になるぞ」

 もう一人は三十路半ばの男。布を上げると厳つい顔が現れる。

「へえ、そんなに仕事がないんですか。それとも変わらないんですか?」

「変わらない方だ。俺たちがやるのは定時の見回りとモニタの監視、その報告だけだ。瞬きすらほとんどしないくせに、少しでも手を抜こうとすれば皇らしく意見してくる。さすがに頭の中は見通せないようだから、少しはいいがな」

(飼い慣らされてますねぇ……)

 エレベーターを先に出る髭面の先輩の後頭部に向けて青年は酷薄な笑みを浮かべた。

 皇はこの飛鳥を浮かべている中心だ。その力は、3000年以上続いていると言われる皇の血統にあると推測されている。それを探るために彼、大河内・光遊こうゆうはここまで来た。皇の御世話人という、真実に一番近い場所に。

 しかし与えられている作業は単純そのもので変化も何もないらしい。この様子だと、スター・ハンマーが使用された時もここだけは隔離されていたのだろう。人々の足元にいるというのにとんだ雲の上だ。

 モニタ・ルームの中はいくつもの機械が占拠し人の動ける空間を埋めている。二人が腰を下ろすのも、部屋の隅に追いやられたデスクだ。とはいえ部屋のほとんどのモニタは見渡せるし椅子の座り心地も悪くない。思索にはいい場所を手に入れられたのかもしれない。


 その平穏はいつまで続くのか。勤務時間は8時間で、人員は交代制だ。それまでの間、光遊は自分がここに来た理由に思いをはせる。

 ――自分がここにやってきたのは皇の秘密を探り、それを大主教様に伝えるためだ。自分が所属している地球回帰教団『大地の子』は地球を救う手がかりがこの飛鳥のどこかにあると信じている。そのために飛鳥の秘密を白日の下に晒すのだと。――下らない。光遊は一息に切り捨てる。

 何が地球への回帰だ、地球を救う? そんなことはエンタングルの脅威を実際に見てしまえば吹き飛ぶ。天蓋から実際の戦闘を見れば、安全な飛鳥という殻の中にいて。過去の資料には、あんなものが地表にうじゃうじゃいたとある。それを駆逐するなんて一体どれくらいの時間がかかることか。飛鳥に伝わっている文化は地球時代よりも劣っているというのに――

 だから光遊が目指すのは地球ではない。その外側、月、さらに火星だ。この飛鳥が飛行している理由を皇に見つけられれば、その技術を手にしてその先の宇宙にまで行けるかもしれない。


 その頭からは、どうして飛鳥がこれまでエンタングルが支配する地球に留まっていたのかという事実が抜け落ちている。光遊の頭の中では、月とのしがらみだの地球回帰教団の存在だのと理由が付けられていたが、それがすべてではない。

 皇の力は地球に依存したもの。地球から離れてしまえばその力が薄れ、消えてしまうことを彼はまだ知らない。


 筒の中で皇は今日の会談のことを思う。月は何をしようとしているのだろうか。飛鳥の調査に来たのは間違いないだろう。スター・ハンマーが口実になったのもそうだ。月が飛鳥の技術を手に入れたいのは分かる。その先に何かがあるのか?

 考えたところで情報が少なすぎる。皇は瞑想に入った。

 自分が筒の中の水溶液と一体になる感覚。手足が溶け落ち「自分」が消えてなくなるさまを思い浮かべる。あとに残るのは誰のものかも判然としない「意識」だけだ。そこには巨大な力が脈打ち鼓動を抱いている。

 その正体。連綿と続いてきた皇という存在。神話に語られ仕組みとして祭り上げられ、どこかで直系の血は途絶えていたとしても名は続き、人々の畏敬を集め積み重ねられてきた歴史。いつしかその重みは現実に力を及ぼす力となっていた。


 それを背負い飛鳥を動かすのが皇の役割だ。


 皇は自身に備わり『重み』として具象化されたエネルギーを雲海と飛鳥の間に挟んで飛鳥を持ち上げている。その範囲は飛鳥の中心から半径5㎞。しかしそれでは移動はできないので、エネルギー・ジェネレーターたる動力炉も必要である。

 大きなうねりの一部となった皇は力の方向を決める。愛し子のように抱える心象で、飛鳥を雲海から遠ざける。歴代の皇はそうやって飛鳥を守ってきた。新たな皇が生まれ跡を継ぐまで、男の身でありながら子を宿した母親のように飛鳥を護る。自らは飛鳥の秘奥で真綿のように包まれ、それこそ胎児のようであるというのに。

 仔であり親である皇には実の親はいない。生殖細胞が取り出されて他の卵子に組み込まれて生まれ、筒の中で産まれる。一生を子宮の中で過ごすと言ってもよい。

 飛鳥の一部となった時点で皇はただのシステムと化していた。それでも名は受け継がれ、権力を持っている。それは、脳だけが肥大した巨大な奇形の赤子にも似ている。濁った羊水の中、赤子は何を思うのか。


(――我は何なのか。歴代の皇も同じことを考えておったのであろうか――)

 この筒の中で生まれ育ちもはや外に出ることは叶わぬ身。己の使命はものを考え始めたときから脳に刷り込まれている。いっそ機械のように物を考えられなければ楽なのであろうか。それとも生あるだけで喜ぶべきことなのだろうか。

 皇には分からぬ。己が皇ではない人生など。この筒の外の人生など。飛鳥を愛さない人生など。そう、もはや皇とはのだから。


(嗚呼……我とは……)


 そう思っている最中にも飛鳥のことを想っている。自らの存在に疑問を抱きながらも飛鳥を疑うことは決してない。一見矛盾しているようでも彼にとってはごく自然なこと。

 それゆえに、月の使者との会議ができるほどの知識は与えられている。この飛鳥に関することならばほとんどのことは彼の頭の中に刷り込まれている。それでも――民衆の暮らしを知っていても同じように考えることは出来ないし、同じことができるとも思っていない。彼に許されているのはあくまでも飛鳥のために動くことだけだ。


 それでもたった一つ他の人と同じものがあった。


(そういえば、我にも名前があった……)


 彼はそれを思い出そうとして、つぅと指が震えた。

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藍空の勇者 裏瀬・赦 @selenailur

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