009 永遠のライバルにして最愛の夫

 それから灰音が、銀髪を揺らしながら首をかしげた。


「ふーむ。それにしても、チュウニビョウ喫茶とはのぉ……?」

「ああ。正確には『中二病喫茶・ブラックエリクサー』って名前の店なんだけど」


 苦笑しながら僕は、店名を口にする。


「ほう……ブラックエリクサー。冬市郎よ、エリクサーとは確か『不老不死の霊薬』だったかのぉ……」

「ああ、うん」

「ブラックエリクサーということは、あの霊薬の色は黒だったのか?」

「へっ?」

「いや、わらわといえども、実際にエリクサーを目にしたことはなかったのでな。これは勉強になったぞ。黒か……」


 一人納得する少女を眺めながら、僕は何か誤解があってはいけないと説明を付け加える。


「えっと……僕だって本物のエリクサーなんか見たことはないからね」

「むむっ? どういうことだ?」

「そのぉー……『ブラックエリクサー』っていう店名にしているだけで、本当にエリクサーを売っているわけじゃないんだよ」

「そうなのか?」


 僕はこくりとうなずく。


「うん。うちの店でメニュー表に載っているブラックエリクサーを頼むと、ブルーマウンテンの特別高級なホットコーヒーが出てくるだけなんだ」


 灰音は両手をパンっと叩く。


「なるほど理解した。不老不死の霊薬にあやかって、喫茶店の店名にエリクサーとつけたわけだな」

「ああ、うん。まあ、そういうこと」

「では、エリクサーの本当の色もわからんのに、なぜブラックエリクサーと?」


 その質問に僕は苦笑いを浮かべる。


「いやー。姉ちゃんが言うにはさあ……中二病の人たちって、きっと黒が好きだろうって」

「そうなのか?」

「まあ、たぶん……」

「ふむ」


 灰音はこくりとうなずくと、銀髪をかき上げた。


「冬市郎よ。それで、そのチュウ……ニ……ビョウとは、なんなのだ? 悪い病気なのか?」

「えっ!? まあ、病気のようで病気ではないというか……」

「ふむ。どんな字を書くのだ?」

「中学二年生の『中二』に、病気の『病』で、中二病……」

「では、やはり病気なのか? 中学生の病気? 病気の中学生が集まる喫茶店なのか?」


 僕はポリポリと頭を掻いた。この子は本当に中二病を知らないのだ。

 まあ、知らない人は知らないだろう。

 自分が知っていることを、相手も当然知っていると思い込むのは、よくないことではある。

 やはりここは、僕がちゃんと説明するしかない。


「あのー、灰音さあ。よかったら、今からうちの店に来ないか?」

「ぬっ?」

「今日のおびに、何かデザートでも御馳走ごちそうさせてほしいんだけど」

「デザート……だとっ!? い、いいのか?」


 灰音の両目が大きく見開く。

 僕には、彼女のその黒い瞳の中に一瞬、ハートマークが浮かんだように見えた。

 とにかく、デザートという言葉に、好意的に反応していることだけは確かである。


「うん。それでさあ、僕といっしょに店まで移動しながら、その中二病の説明もするっていうのは、どうだろう? そのうえで、まあ、実際に店の雰囲気を見てもらえば、中二病への理解も深まると思うしね」

「ふむ。それは無駄がなくていい――と言いたいところだが、今日のところは喫茶店に行くのは止めておこうかのぉ」


 それから灰音は、まっすぐに僕を見つめると、話の続きを口にする。


「冬市郎よ。このわらわが『本物の中二病』というやつで、ウェイトレスとしてその喫茶店に必要ということならば、働くのを考えてやらんでもない」

「ほ、本当っ!?」

「ふむ。だが、それには条件がある」

「条件?」


 少女は右手の人差し指を、僕に向かってゆっくりと立てる。


「冬市郎よ、ひとつ取り引きをしようかのぉ」

「取り引き?」

「うむ。前世では、わらわたちは最終的に夫婦の関係となった――」

「お、おう……」

「だが、その関係に到るまでは、時に敵対し、時に協力しあっておったのだ。その過程で、わらわとおぬしは、様々な取り引きをしてきたのだぞ」

「へ、へえ……」


 灰音は両目を静かに閉じて、小さくうなずくと話を続ける。


「――おぬしは最初、わらわの敵として現れた。何度か争うこともあったが、利害が一致したときなどは、取り引きをして協力し合った。そして、その良きライバル関係のような繰り返しが、やがては互いの信頼を高め、友情をはぐくみ、いつしか二人の距離がぐっと近づくと、最終的には、あ、あ、あ……」


 そこまで口にすると、理由はわからないのだが、灰音が急に照れ出した。

 彼女はいったん話すことを止める。

 そして、赤面しながら一度、小さな咳払いをした。


「こぉ、こほん……」


 それは、何かのサンプル音源にしてしまいたいぐらいキチンとした『照れ隠しの咳払い』だった。

 それから灰音は、恥ずかしげな様子で僕から目をそむけると、再び口を動かし話を再開させる。

 しかし、その声がとても小さい。


「そ……そして最終的にはのぉ……わらわとおぬしの友情は……あ……い……へと……」

「うん? なんだって?」


 声も小さいし、彼女が何を言っているのかわからなかった。

 だから訊き返したのだが、それで何かが吹っ切れたのか、灰音は今度は大声で答える。


「愛だ! バカモノっ!」


 それから彼女は、顔を真っ赤にしてこう続ける。


「と、とにかく、冬市郎っ! わらわたちの関係は、途中色々あったのだが、最終的には友情が愛へと変わったのだぞ!」

「そ、そうなんだ……」

「そうだっ! 絶対に両想いだったっ!」


 それから灰音は、再び咳払いをすると話を続ける。


「だ、だから、わらわがおぬしに、ただ一方的に協力するだけでは、前世のような愛は育たん……と思う」

「お、おう」

「わらわがおぬしに協力してやる代わりに、おぬしもわらわに協力しろ――まあ、そういうことだ。というわけで、取り引きをしようではないか」


 僕は「なるほど」とうなずいた。

 一方で灰音は、その大きな胸の下で腕組みをして、顔をツンっと横に向ける。

 そして、なにやら恥ずかしそうに早口でしゃべる。


「べ、べ、別にわらわは、イジワルでこんなことを言っているわけではないのだからな! おぬしがどうしてもと望むのなら、本当は取り引きなどせずに、今回だけは初回特別サービスということで、今すぐにでもそのとやらで働いてやってもよいのだがぁ……」


 僕は首を横に振る。


「いや、灰音の言う通りだよ」

「へっ?」

「こちらのお願いだけ叶えてもらうってのは虫のいい話だ。その取り引き、受けさせてもらう」


 僕がきっぱりそう言い切ると、銀髪の少女は腕を組んだままうなずいた。


「ふ、ふむ。それでこそ時雨風月。わらわの永遠のライバルにして最愛の夫だ」


 それから彼女は両目を閉じ、うっとりとした表情を浮かべる。


「ああ……夫婦二人で切磋琢磨せっさたくました日々の記憶が、鮮明によみがえるのぉ」


 そんな少女の様子に、僕は苦笑いを浮かべながら尋ねる。


「それで、灰音。具体的に取り引きというのは?」

「ふむ。冬市郎には潜入調査をしてほしいのだ」

「はいっ!? 潜入調査?」

「ふむ。時雨風月は潜入調査が得意であったからのぉ。きっと冬市郎も上手くこなすだろう、ふふふっ」


 予想もしていなかった取り引き内容に、僕は思わず顔を引きつらせた。

 しかし、戸惑いながらも一応詳細は聞いておこうと尋ねる。


「それで、僕はどこに潜入すればいいの?」

「ふむ。実はのぉ、わらわの現世の親戚しんせきに、幼き頃から因縁いんねんのある相手がおってだな」

「親戚? 因縁?」

「ああ。まあ、そやつにはちょっと警戒されておって、わらわはあまり近づけんのだ」


 そう言いながら灰音は、少し寂しそうな目をする。


「灰音……親戚に警戒されているのか?」

「ふむ、そうだ。だから冬市郎には、普段そやつがおる場所に潜入してもらってだな、そやつの調査と……まあ、可能であれば、その他にも別にやってもらいたいことがひとつある」


 僕は小首をかしげながら問う。


「んっ? 潜入調査にプラスして、さらに何かあるのか?」

「うむ、そうだ。まあとりあえず、わらわとおぬしの連絡先を交換しておこうかのぉ」


 灰音は革のトランクからスマホを取り出す。


「さて、潜入先の調査対象に関しては、後で資料を送っておく。だから、冬市郎よ――」


 灰音は頬を染め、スマホの角でちょんちょんと僕を突っつきながら言う。


「早ぅ、わらわにおぬしの連絡先を教えてくれんか?」


 銀髪少女の黒々とした瞳が、らんらんと僕の顔をのぞき込んでいた。

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