008 本当のことを正直に話そう

 灰音から充分に離れると、僕は一度振り返ってみる。

 銀髪の少女は、再び老木に手を押し当て、両目を閉じていた。


 そんな彼女を尻目に、僕は深呼吸をして心を落ち着かせる。そして、スマホを取り出し、キーナに電話をかけた。


《――もしもし。冬市郎くん、どうしたんスか?》

「聞いてくれ、キーナ。あの女の子、手の平に『鬼』って書いてあるんだよっ!」


 一瞬の沈黙が訪れる。


《えっ……? ちょっと、何を言っているのかわからないんスけど? 鬼ってなんスか、冬市郎くん》

「いや、左手のオープンフィンガーグローブをだなぁ」

《うん? オープン……? なんスか、それは?》


 僕は少し声を荒げる。


「オープンフィンガーグローブだよっ! 略してOFG!」

《んんっ? ごめんなさい、冬市郎くん。ちょっと一度、深呼吸して落ち着いてもらってもいいスか?》

「深呼吸なら、もうさっきしたよ!」

《もう一度するッス! そうッスね、たとえば月夜に産卵するウミガメの母親なんかを想像しながら、できるだけ深く》


 言われた通り素直に、産卵するウミガメの母親を想いながら、もう一度大きく深呼吸をする。

 月夜の砂浜を走る波の音が、なんとなく聞こえた気がした。


「ふうー……オッケー。落ち着いたよ、キーナ」

《そいつは、何よりッス》


 それから僕は、あらためてOFGの説明をする。


「えっと、それでオープンフィンガーグローブってのはな、彼女が左手にしているあの指ぬきの手袋のことだ」

《ああ。あれのことスか……。今、冬市郎くんが右手にしているやつッスね。ぷぷっ……》


 ほんの一瞬だったが、それでもあきらかに笑い声が聞こえた。


「……今、キーナ、笑っただろ?」

《わ、笑って……笑ってないッスよ……ふふっ》


 キーナはすぐにバレる嘘をついた。


「ううっ……完全に笑っているじゃねえか」


 僕は顔を引きつらせながら話を続ける。


「ま、まあ、とにかくそれを、彼女がさっき外してな、左手を見せてもらったんだ」

「ほう」

「そしたら手のひらに『鬼』って文字が書いてあった」



《…………》

「…………」



 それからキーナの、なんとも言えない乾いた笑い声が、僕たち二人の会話を再開させる。


《……あははっ……あははっ。よかったスね。手のひらに『鬼』って書いてる女子高生なんて、なかなかいないッスよ》

「そっ……そうだよな……」

《どうやら彼女、本物みたいッスね。本物の中二病ッス》


 スマホを手に、僕は小さくうなずく。


「ああ、うん……僕もそう思うよ。しかもこちらの希望通り、邪気眼系の中二病」

《本当によかったッス。では、本物の中二病が見つかったところで、ミッション・コンプリート。お手伝い出来るのは、ここまでってことで。じゃあ、自分は帰るッスよ》


 そう告げられて、僕は少し情けない声を出してしまう。


「えっ? キーナ、帰っちゃうの? これからあの子を、うちの喫茶店に連れていこうと思っているんだけど、いっしょに行かない?」

《いえ、帰るッス。自分がここで二人の前に登場したら、彼女から逆に怪しまれちゃうッスよ?》

「うっ……確かに」


 僕は彼女の言葉に納得する。

 それからキーナは、淡々と話を続けた。


《ここまでは上手くいっているみたいですし、もう今日は合流しない方がきっといいッスよ。あとは冬市郎くんが、彼女をちゃんと喫茶店まで連れていくだけッスね》

「ま、まあなっ……」

《冬市郎くん。初対面だってのに、いきなり彼女と抱き合ったりして、なかなかいい雰囲気だったッスよ》

「はっ?」

《彼女、おっぱいもすごく大きいですし、やっぱり気持ちよかったスか? あははっ》

「キーナ?」


 スマホを手に、僕は首をかしげる。

 キーナはスマホの向こうで口を動かし続ける。


《その首輪も彼女とおそろいの手袋も――確か、OFGでしたっけ? すごく似合っていますし、自分、なんだか冬市郎くんが彼女に盗られちゃったみたいな気持ちになって、ほんのちょっとだけいちゃったくらいッス…………なーんてのは嘘ッスよ、あはは……》


 キーナの明らかな空笑い。

 僕は疑問符を頭の中で踊らせると、目をぱちくりさせながら問う。


「キーナ……なんかちょっと怒ってる?」

《ん? 怒ってる? 怒ってなんかないッスよ。怒るわけないじゃないスか。冬市郎くんの健闘を、ただただ心より祈っているだけッスよ、じゃあ――》


 キーナはそう言って電話を切る。そして、黒髪のポニーテールを暴れさせながら、さっさと神社から出ていってしまった。


「キーナ、本気デ嫉妬シットシタノカ?」と右足が言う。

「彼女自身、案外ソノ自覚ガ無イノカモナ」と左足が続けた。


 足の裏たちの会話に僕も加わる。


「まさか……キーナはずっと、僕のことを友達としてしか見ていないって。さすがに嫉妬なんかしていないだろ」


 しかしそうは言っても、もう少しだけキーナと話をした方がいい気もした。

 いっそのこと、キーナの後を追いかけてしまおうか、と思う。

 だが、姉の喫茶店のことや、待たせている灰音のことを考えると、そうもいかない。


 僕は「はあー」と、大きなため息をつく。

 今、自分がやっていることが突然、馬鹿らしく思えてきたのだ。


 そもそも、キーナを巻き込んで中二病の女の子なんて探そうとしなければ良かった……。


 やむも、もはや後の祭り。

 重ねて、瀬戸灰音に嘘をついていることも、心に鬱々うつうつと、のしかかってくる。


 僕が今できること……。

 そうだ。せめて、灰音には本当のことを正直に話そう。


 そう覚悟を決めて、僕は灰音の元へ戻る。



   * * *



 再び僕の顔を目にした灰音は、頬を薄っすらと染める。

 そして、どこかくすぐったそうな様子で、うっとりと微笑んだ。


 昨日今日結婚したばかりの、もぎたての新妻にいづまを連想させるような表情で、こんな嘘つきな僕を、彼女は迎え入れたのである。


「ふふっ。おかえりだ、冬市郎よ。電話はもう済んだのか?」

「あっ、ああ、うん……お待たせ」

「ふむ。それでこの後、おぬしはどうするつもりなのかな?」

「えっ?」

「いや、もし時間があるのなら場所を変えて、わらわたちの前世の話でも、出会いからじっくりと聞かせてやろうか? うん?」


 嘘をついていたことを告白して、これから謝ろうと決心した矢先。灰音がかもし出すこの雰囲気は、僕の胸をさらに締めつける。

 正直、言い出し辛い。

 けれど僕は、なんとか話を切り出す。


「あのー、瀬戸灰音様に……ひとつ謝りたいことが……」

「ふふっ。なんだ、言ってみよ。わらわとおぬしの関係だ。ひとつと言わず、ふたつでもみっつでも。ちゃんと謝れば、わらわはすべて許してやるぞ?」


 灰音は両目を優しげに細めた。

 柔和にゅうわな女神が、愛おしいものでも眺めているかのような、そんな表情である。


「心ノ優シイ娘ダナ」と右足が言った。

「ソノ上、美人ダシ」と左足が続ける。


 僕はそんな彼女と、どうしても目を合わせることができなかった。それで、彼女の顔もまともに見ないまま、真実を口にしはじめる。


「ごめんなさい……実は――」


 灰音をだましていたことを正直に謝った。

 もちろん理由もちゃんと話す。


 姉の『中二病喫茶』で働いてくれるアルバイトの女の子を探していたこと。

 お店の経営状態がひどいこと。


 それらを包み隠さずに説明したのだ。


「――というわけで、本当にすみませんでした」


 すべてを打ち明けた後、僕は深々と頭を下げた。


「もちろん、この手袋と首のチョーカーも、すぐにお返しします。そしてこれから土下座を致しますので、どうかお時間の許す限り好きなだけ御観賞ください」

「いやいや。けっこう」

「へっ?」


 僕が顔を上げると、灰音が真顔でじっと見つめてくる。


「土下座など見たくもない。それに手袋とチョーカーも、もうおぬしのものぞ」

「えっ? いやお返しします……」

「だからそれは、おぬしにあげたもの。もう、わらわはいらぬ」


 言いながら灰音は、顔をプイっとそむける。


 ぜひともお返ししたいんですけど……。

 流石にそうは口に出せず、僕は彼女を、ただただ見つめ続けた。


「冬市郎よ、そんな申し訳なさそうな眼差まなざしで見つめんでもよい。本当に返さなくてもよいのだぞ?」

「えっ、いや……」

「その代わり、どうか毎日大切に身につけておくれ」

「毎日!?」

「ふむ。どちらも冬市郎にはよく似合っておるし、遠慮するでない。ふふふっ。その姿、りし日の時雨風月を思い出すわ」


 微笑む灰音。細めたその両目が、ふたつのゆるやかな弧を描く。

 一方で僕は、ゲッソリとした気分で右手のOFGを眺めると、続いて首のチョーカーをその右手でいじった。


 ううっ……このふたつを、毎日身につけて生きていくのは、さすがに避けたいぜ。

 なんとか両方とも、返してしまいたいのだが……。


 僕は、どうにか食い下がる。


「でも、灰音。僕は嘘をついていたわけだし、本当はその時雨風月ではないんだよ? この手袋やチョーカーをもらう資格は、僕には……」

「いやいや、わらわの目に狂いはない」

「えっ……」

「おぬしは時雨風月の生まれ変わりに間違いあるまいぞ」

「まさか!? 違うって」

いなっ! まあとにかく、そのOFGとチョーカーは、おぬしが大切に身につけておれ。絶対に返却不可だ!」


 灰音からピシャリと言われてしまった。

 それから僕は、自分の胸に手を当てて思う。


 そもそも、自分が嘘をついたために、こうなったのだ。

 己へのいましめのためにも、この恥ずかしい手袋と首輪を身につけながら、しばらく生きてみよう――。


 深く反省すると同時に僕は、OFGとチョーカーを身につけて生活することを、受け入れたのである。

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