003 ポニーテールの少女

『本物の中二病の女の子』を探してくるようにっ!


 姉から、そう懇願こんがんされた翌朝。

 僕は高校に着くと、期待を胸に抱かないまま、とりあえず教室内をぐるりと見渡してみた。


 紺色のブレザー制服を身につけたクラスメイトたちが、授業前の教室で思い思いに過ごしている。

 男女比は、おおよそ4:6で女子の方が多い。


 三十人前後の生徒たちが、すでに登校していた。

 だが、その中に僕と積極的に関わろうとする生徒は、誰一人としていなかった。

 一年生の時から僕は、教室で浮いた存在であり、それは二年生となったこの四月でも、絶賛継続中なのである。


 朝から下校時まで、僕の姿を一度も視界に入れずに過ごす生徒たちが、ほとんどだった。

 きっと『危ない人とは目を合わせちゃいけない』という、親の教えをキチンと守っているのだ。


 そんな教室の闇の住人のごとき僕は、中二病の女の子を探すために、息を潜めながらクラスの女子を観察し続ける。


 この中に、邪気眼系中二病の女の子はいませんか?

 うちの喫茶店の救世主になってくれるような、そんな本物の中二病の女の子はいませんか?


 しかし、該当しそうな人物は、一人も見当たらない。

 皆、普通の女子高生のように見える。


 どの女の子も、『右腕から黒い炎を出したいっ!』と願ったことはないだろう。

 そして、『何もない空間から伝説の剣を召喚する練習』をしたこともなさそうだ。


「本物ノ中二病ナンテ、コノ教室ニイルノカ?」と右足が言った。

「マア、イナイダロウナ」と左足が続ける。


 足の裏たちに言われなくとも、僕だってそんなことはわかっていた。

 それに、万が一いたとしても、こうしてただ眺めているだけでは、なかなか見つけられそうにない。


 たとえば、テロリストでも突然教室に押し掛けてくれたら、


『その時にニヤリと不敵に笑った女の子がビンゴっ!』


 なのだが当然そんなこともなく、僕の不毛な観察は昼休みになるまで続く。

 そして結局、なんの成果もあげられずに、時間だけが過ぎていった。




 昼休みになると僕は、カバンを持って教室を飛び出す。

 行き先は、人がほとんど立ち寄らない旧校舎。その中でも、さらに人が立ち寄らない最上階の三階。


 生徒の中には、旧校舎の三階に一歩も足を踏み入れることなく高校を卒業していく者も、たくさんいるだろう。

 そんな人の寄りつかない旧校舎の廊下を、僕は軽やかな足取りで進む。


 やがて、足を止めたのは、


『ジャーナリズム研究会』


 というプレートが掲げられた教室の前だ。


 三階の端にあるその一室。

 横開きの扉を静かにスライドさせると、ぎ慣れたいつものコーヒーの香りが立ち込めている。


 僕は思わず両目を細めた。

 すっかり鼻が覚えてしまっているこの香りを嗅ぐと、僕の脳がそうプログラムでもされているかのように、自然と笑顔になってしまうのだ。


 ここは、この高校で唯一、僕が心から安らげる場所。

 目に飛び込んでくるのは、いつもの光景。


 パイプ椅子と、少し古びた本棚。

 長机と、その上に置かれた二台のノートパソコン。

 コーヒーの注がれたマグカップもひとつ、机の上でひっそりとたたずんでいる。


 そして、パイプ椅子に座りながら大人しく本を読む、黒髪ポニーテールの少女。

 紺色のブレザー制服姿。

 長いまつ毛を瞬かせながら、栗色くりいろの大きな瞳で、ページをじっと見つめている。


 そんなジャーナリズム研究会の部室に、僕が足を踏み入れると、彼女はポニーテールを弾ませながら椅子から立ち上がった。


「おお、冬市郎とういちろうくん。こんにちはッス!」

「うっす! キーナ、今日は部室に来るのが、ずいぶんと早いんだな」

「えへへ。自分のクラスは、たまたま昼休み前の授業が自習だったんで、さっさと部室に移動したんスよねぇ」


 彼女こそ、この高校で僕が『唯一の友人』と呼べる人物――栄町さかえまち樹衣菜・きーなである。


「冬市郎くんのコーヒーも、ちゃんと入っているんスよ。飲むッスよね?」


 僕は「うん」とうなずき、パイプ椅子に腰を下ろした。

 ポニーテールをリズミカルに踊らせながら、キーナはコーヒーメーカーに向かう。

 やがて、コーヒーの注がれたマグカップが、手際よく僕の前に置かれた。


「相変ワラズ、気ガ利ク娘ダ」と右足が言った。

「モウ、嫁ニナッテ頂ケ」と左足が続ける。


 足だけど、にキーナを称賛しょうさんする足の裏たち。

 しかし、彼女は、何の反応も示さない。

 足の裏たちの声が、キーナにはまったく聞こえていないからだ。


 一方で僕の耳には、足の裏たちの甲高い声が、ちゃんと届いている。

 足の裏たちの声は、不思議なことに僕以外の人間には聞こえない。


 僕は足の裏たちの声に特に反応することもなく、無視してコーヒーに口をつける。

 それは、いつもより少しだけ苦い。


「ああ、言い忘れていたッス。自分、今日はちょっと眠気が強くて。だから濃い目に入れたんスけど、苦くないスか?」

「大丈夫。おいしいよ、キーナ」


 僕がそう答えると、キーナはホッとした様子でニッコリと微笑んだ。


 さてさて――。

『普通の喫茶店でアルバイトをしてくれる女の子を探す』

 そんな条件だったら、僕は真っ先に、このキーナにお願いしたことだろう。


 しかし今回は、『本物の中二病の女の子を探す』という条件だ。

 中二病でもないキーナを、誘うわけにはいかなかった。


 いつもより苦めのコーヒーを口にしながら、僕はどうしたものかと頭を悩ませる。

 一方でキーナは、再び椅子に座ると、カバンの中から弁当箱を取り出した。


「さあ、冬市郎くんも来たことですし、楽しい楽しいお弁当の時間ッスね!」

「えっ、僕が来るまで、弁当を食べるの待っていてくれたの?」


 キーナは当然といった表情で、こくりとうなずく。


「そりゃそうッスよ。冬市郎くんと一緒にお弁当を食べるのが、自分の日課ッス。それは二年生になって、クラスが別々になってからも、まったく変わらないッスよ」


 キーナの優しい言葉に僕の胸は、じーんと熱くなった。

 馴染なじみの陽だまりが、今日もちゃんと暖かい――そんなことを、あらためて確認できたかのような、安堵あんどの気持ちがき上がる。


 僕が高校に入学して良かったことといえば、キーナと仲良くなれたことだけ――。

 本当にそれだけかもしれない。


 そして僕たち二人は、笑顔と雑談を交わしながら、弁当を食べはじめた。

 昼休みのこの時間は、僕にとっても、おそらくキーナにとっても本当に大切な時間である。

 お互い、他に友人のいない身。

 ここで会話をしておかないと、高校でひと言も発することなく、下校時間を迎えることだってあるのだ。


「なあ、キーナ。ちょっと変なことを訊いてもいいか?」

「いいッスよ。難しい政治の話から、同性同士でも引くような下ネタまで――冬市郎くんだったら特別に、何を訊いてくれてもいいッス」

「い、いや、さすがにそこまでは求めていないんだけど」

「求めてくれてもいいんスよ?」

「あはは……」


 愛想笑いを浮かべると、僕は「コホン」と軽く咳払いをし、話を続ける。


「キーナ。実はな、中二病の女の子を探しているんだ。の人ね」

「んっ? 冬市郎くん、中二病の女の子を探しているんスか?」


 キーナはアゴの下に手を当てると「うーん」と唸り、やがて小さくうなずく。


「わかったッス。では、明日までにこの自分が、中二病の女の子になってくるッスよ」

「はいっ!?」

「とりあえず包帯と眼帯と……うーん……あとはマントとか必要なんスかね?」

「いやいや、キーナ。ありがたいんだけど、それじゃ駄目なんだ」

「んっ?」

「そういった、ニセモノの中二病じゃなくて、『本物の中二病の女の子』が必要なんだよ」


 キーナはがっくりとうなだれる。


「そうスか。自分では力になれませんか。残念ッス」


 それから僕は、詳しい事情を説明した――。


 姉の美冬みふゆが経営する『中二病喫茶』が潰れそうなこと。

 そして、状況を挽回ばんかいするためには、『本物の中二病の女の子』が必要であることを。


 キーナは、うんうんとうなずきながら納得する。


「なるほど。そういうわけだったんスね」

「まあな。しかし、中二病の女の子なんて、やっぱり簡単には見つからないよなぁ……」


 するとキーナが、僕に向かって人差し指をピンっと立てながら言った。


「いえ、冬市郎くん。実は中二病の女の子でしたら、一人だけ心当たりがあるんスよね」

「えっ!?」

「冬市郎くん、これは噂なんスけどね。二年五組に、いつも左手だけに革の手袋をはめている女の子がいるらしいんスよ……」

「なっ!?」

「指の部分が覆われていない『指ぬきタイプの手袋』ってわかります? 彼女、それを左手だけに、はめているみたいなんスよね」

「ほうほう」

「それで、古文書みたいな難しそうな本を、教室で一人、にらみつけているそうッス」


 僕ののどが、「ごくり」と音を鳴らした。


「それは……かなり期待できそうだ……」

「ふふっ。あと彼女、顔もけっこう可愛いって噂ッスよ」


 その言葉を耳にした刹那せつな、僕は机をバンっと叩いて立ち上がる。


「なんてこったぁ! 今の僕に必要な、そんな『ど真ん中ストレートみたいな奇跡』が、すぐ近くに転がっていたなんてぇっ!」


 思わず興奮してしまった。

 そんな僕の様子を目にしても、キーナは優しく微笑んでくれる。


 大切な親友である僕に、『有益な情報』を提供できた――そのことに静かな喜びを感じている、といった様子。

 僕の唯一の友人であるキーナは、そんな健気けなげな少女なのだ。


「冬市郎くん。もしお急ぎなら、今日の放課後にさっそく接触してみるッスか? よかったら自分もお手伝いするッスよ」

「ああ。助かるよ、キーナ。よろしく頼む」


 そんなわけで僕たち二人は、放課後に二年五組の前で落ち合うことを約束したのだった。

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