第1章 『中二病喫茶』のバイト探し

002 第1章 『中二病喫茶』のバイト探し

「本物の中二病を連れてきなさいっ!」


 そう声を上げたのは、僕の姉・印場美冬いんば・みふゆだ。

 黒いゴスロリ風の衣装を身につけ、右目に白い眼帯をし、左腕を包帯でグルグル巻きにした、二十五歳の成人女性である。


 そんな姉の発言に、僕は首をかしげた。


「はあ? 姉ちゃん、いきなり何を言ってんのさ?」


 足の裏たちと話が出来るようになったあの日から、おおよそ一年が過ぎていた。

 僕は高校二年生になっていたのだ。


 姉は、包帯の巻かれた左手で、顔を半分だけおおい隠す。

 そして、不敵に笑いながらこう口にする。


「クククッ……このままでは、我が店は潰れる……」


 姉の茶色い巻き髪と無駄に豊満な胸が、小刻みに震えていた。


 四月上旬のことだ。

 古来より、春になると世間では陽気な人が増える。


 だが僕の姉が、いよいよそういった『陽気な人たちの仲間入り』を果たしたわけではない。

 姉は珍妙ちんみょうな格好で、珍妙な言動をしている二十五歳の大人の女性なのだがそれには、れっきとした理由があるのだ。


 そして僕は、姉のそういった珍妙な言動には、もうすっかり慣れっこである。

 しかし、『店が潰れる』という発言には、さすがに心穏やかではいられない。


「ねっ、姉ちゃん。この喫茶店の経営ってヤバいのかよ?」

「クククッ……そうさっ! このままでは、この地球が終わるよりも先に、我が店は潰れてしまうっ!」


 姉と僕以外、他には誰もいない店内。

 そこに姉の声が悲しく響いた。


 店が潰れるのならば、不敵に笑っている場合ではないだろう。

 だが僕の姉は、それでも不敵に笑い続ける。


「クククッ……冬市郎とういちろうよ、本当にヤバいぞ。このままでは私の世界の終焉しゅうえんは近いっ! だから、私みたいなニセモノの中二病ではなく、本物の中二病がこの喫茶店には必要なーのだよっ! なのだよっ! なーのーだーよおおおおっ! ふおおおおっ!」


 子供が大人ぶることを『背伸びしている』と言うのなら、大人が子供ぶるのは『逆背伸び』とでも呼べばいいのだろうか。

 すっかり大人になってしまった二十五歳の姉は、そんな『精神的な逆背伸び』をして無理やり中二病を演じている。

 ゴスロリ風の衣装をはじめ、右目の眼帯や左腕の包帯はそのための小道具だ。


 しかし、本人もよくよく自覚しているのだが、いまいち演じきれていない。

 それでこのように、『ただの珍妙な成人女性』として、仕上がってしまったのだ。


『中二病喫茶』という、この店のコンセプトを知らない人間が、もし、こんな姉の姿を目にしたら?

 きっと『少女趣味の衣装を身につけた大人の女性が、右目と左腕に怪我をしている』ようにしか見えないことだろう。


「なあ、姉ちゃん。本物の中二病がこの店にいれば、なんとかなるのかよ?」

「クククッ……たぶんな……クククッ」

「いや、不敵に笑ってないでハッキリしろよっ!」

「クククッ……どちらにしろ、このまま何も手を打たないでいると、我が中二病喫茶は潰れてしまうのだ」


 僕はくちびるをみ、眉間みけんにシワを寄せる。


「くっ……なんてこった。この店、そこまで追い込まれていたのかよ!」


 そんな僕の隣で姉は、巻き髪をふわりと軽やかに踊らせながら、カルト宗教の教祖の如く、両手を大袈裟にバサーっと広げた。


「クククッ……さて、危機感のまったく足りていない愚弟ぐていよ! そういったわけで、救世主となり得る『本物の中二病』が、この店には必要なのだよ! わーはははっ! わーははははっ!」


 無理をして中二病を演じている成人女性の姿。

 そんなものを目にして僕は思った。


 確かに、この中二病喫茶に必要なのは『本物の中二病』なのかもしれない――と。

 そして同時に、自分に必要なのは『まともな姉だ』とも思った。


 ちなみに、この姉とのやりとりを通して、僕には納得の出来ないことがひとつある。

 姉が僕のことをさりげなく『愚弟』と言ったことだ。


 僕は、常日頃つねひごろから思っている――。

 自分はこの姉よりはまだ、人間的におろかではない、と。


 時刻は二十二時になろうとしていた。

 閉店後の喫茶店で姉と僕は、店の今後の経営方針について無い知恵を絞り出す。

 そして、ため息ばかりをポコポコと生産するような、長い長い話し合いの末に、僕は思った。


『三人寄れば文殊もんじゅの知恵』などという言葉がある。

 だが、ここには僕と姉の二人しかいない。だから、悔しいけれど文殊の知恵は、けっして出てこないだろう、と。

 というか、自分の人生経験上、バカが三人寄ったって文殊の知恵なんて出たことはないし、ましてや今は、バカが二人で寄り合っているだけだ。


 これはたぶん……何も出ねえ……。


 僕は、ぐったりと肩を落とす。

 そんな僕を眺めながら、姉はその大きな胸を揺らし、不敵に笑う。


「クククッ……愚弟よ、何かアイデアはあるかね? この腐った世界を根底から引っ繰り返すような素晴らしいアイデアは? タイムリープは駄目だぞ? すでに十七回試行したが、その数だけ無用な平行世界が増えただけだった。我々が所属するこの現実には、何の影響も与えんようだ……。ちなみに数ある平行世界の中で、この喫茶店が繁盛はんじょうしている世界など、ひとつもなかったぞ……クククッ」


 僕はうつむき、小さくため息をついた。

 それから、前髪をかき上げて言う。


「姉ちゃん……真面目な話をするときは、その『中二病モード』はオフにしてくれ。話のテンポが悪くなるから」

「オッケー」


 そう言って姉は微笑む。


 中二病モードは終了で、不敵な笑い方は封印。

 以後の言動は、普段通りの姉に戻ることだろう。


「ねえ、冬市郎。私はね、やっぱり本物の中二病の女の子に、この喫茶店で働いてもらうのが手っ取り早いと思うのよ。本物の中二病ウェイトレスが必要なのよね」

「まあ……そうかもな」

「うん。だから『本物の中二病の女の子』を、あんたが連れてきなさい!」

「ええっ!?」


 きっと僕は、目を白黒させながら両手を上げていたはずだ。

 降参こうさんのポーズである。

 けれど姉は、うろたえるそんな僕を、まっすぐに見つめながら話を続けた。


「あんた、まだ高校二年生でしょ? だったらまだ中二病を引きずっているような子が、周りに一人ぐらいはいるんじゃない?」

「んなっ!?」

「中二から三年ぐらい経っているけど、中二病の高二が、探せば絶対にいるわよ」

「ね、姉ちゃん、それはさすがに見つけられないって。無理だよ……」

「無理じゃないっ!」


 姉よ……なぜ自信満々に無理じゃないと言い切れるのか?

 弟は途方にくれているぞ……。


 そもそも僕は、高校には友人と呼べる人間は一人しかいない。

 交友関係は極端に狭いのだ。

 そんな僕が、本物の中二病の女の子を探しだし、尚且なおかつこの店で働いてくれるよう交渉するなど……まあ、無理難題なのである。


 たとえば、口下手くちべたなシジミか、もしくはハマグリが、陸に上がって森の奥に行く。

 そして、『樹齢じゅれい千年の巨木を、本気の体当たりをすれば倒せると信じ込んでいるが、一度も実行には移したことのないメスのイノシシ』を探しだし、「や……やあ、イノシシさん。オレといっしょに海で暮らそうぜ」と誘い出して成功するのと、きっと難易度レベルは同じくらいだと思う。


 だから僕は、両目をぎゅっと閉じ、少し大袈裟なくらい首を横に振った。


「無理だ、無理だ! やっぱり絶対に無理だよ、姉ちゃん……」

「バカ! 冬市郎、何を弱気なことを言ってるのっ!」

「いや、これは弱気なわけじゃなくて正論――」

「ウルサイっ!」


 巻き髪を弾ませながら姉は、僕の胸ぐらをつかむ。


「あんた、わかってる? このままじゃ、この喫茶店、本当に潰れちゃうわよっ!」

「でっ、でもそれは姉ちゃんが、中二病のことなんかよくわかっていないくせに、勢いだけで『中二病喫茶』なんてものをはじめちゃったからだろ?」

「うっ……」

「しかも、邪気眼じゃきがん系中二病特化型の……」


 姉は「ううっ……」と顔を引きつらせると、僕の胸ぐらをつかんでいた手を離した。

 弟の言葉が正論であると、心の底では自覚しているのだ。


 そんな姉の両肩に、僕は出来るだけ優しく手を置くと、話を続ける。


「姉よ……自分の大きな胸に手を当てて、よくよく考えてみなさいな。この店の現状は、あなたの素敵なアイデア『中二病喫茶』が招いたものでございますよ」

「うう……だってぇ……」


 姉の両目に薄っすらと涙が浮かびはじめる。


「中二病ってなんか、流行はやってる気がしたしさあ……。お姉ちゃん、絶対にもうかると思ったんだもん……」


 薄桃色の下唇を前歯できゅっと噛みしめながら、姉はうつむいた。

 安易な考えで『中二病喫茶』をはじめてしまった二十五歳の僕の姉――。


 中二病喫茶をはじめる前は、


「メイド喫茶だって、本物のメイドが働いているわけじゃないでしょ? 中二病喫茶だって、本物の中二病が働いていなくたって大丈夫よっ! ふふ~ん!」


 と自信満々に言いきっていた。

 だがそれが今や、弟の前で泣きべそをかいている。


 巻き髪を揺らしながら姉は、がっくりとうなだれた。


「ううっ……お姉ちゃん、やっぱりバカだったのかなあ……」


 そんな姉の姿に、僕も泣きたくなってくる。


「まっ、まあ、姉ちゃんだってさ、元々潰れかけていたこの喫茶店を守ろうと、必死に考えたんだもんな」

「うん……まあ、それでひねり出したアイデアが、この『中二病喫茶』じゃあ……私って自分で思っていたよりも、ずっとずっと愚かだったのかもね……」


 姉はその大きな胸の下で両腕を組んだ。

 豊かなバストが、きゅっと持ち上がって静かに揺れる。


 それから彼女は、店内の内装をぐるりと見渡して「はあ」と大きなため息をついた。

 店内の壁には、それはそれはぶっとい剣が、何本か飾られている。

 姉が、どこぞの店で調達してきた『ドラゴンキラー』と『ゾンビキラー』のレプリカらしい。

 値段もそれなりにしたようだ。


 僕もドラゴンキラーを眺めて、「はあ」とため息をつく。

 見た目だけなら、ドラゴン相手でもうろこごと斬り落とせそうな立派な剣。

 レプリカではあるが、邪気眼系中二病の心をくすぐるには、充分過ぎるアイテムである。


 その他にも店内には、姉が唸りながら考えた『邪気眼系中二病っぽいアイテム』が、いたるところに飾られていた。


 オーパーツの定番である『水晶ドクロ』や『黄金ジェット』のレプリカ。

 店内の四隅に配置された四神『朱雀・青竜・白虎・玄武』の置物――これらはかなり高額だったうえに、大きくて非常に邪魔なようだ。


 そして、店の床には姉の手による『手書きの魔法陣』がいくつかあった。

 それらは特殊な蛍光塗料によって描かれている。

 おかげで、現在僕たち二人の足下にある魔法陣も、こんな気が滅入めいるような状況にもかかわらず、悲しいくらいキラキラと光り輝いていた。


 このまま姉と僕の悩みが吹き飛ぶ魔法が発動しないものだろうか?

 もしくは、悲しみを感じない肉体が手に入る魔法でもいい……。


 さて――。

 今でこそ、こんな店なのだが、実は半年ほど前までは、どこにでもあるような普通の喫茶店だった。

 だが、その経営状態は苦しく、姉が一念発起いちねんほっきして『中二病喫茶』への大リニューアルを踏み切ったのである。


 そして、この現状――。

 ……まあ、正直やっちまったよなあ、というのが僕の正直な感想であった。


 姉は涙を手で拭うと、震え声で僕に言う。


「ねえ、冬市郎……改装にはそこそこ費用が掛かっているんだからね。悪いけどもう後戻りはできないのよ……」

「うん……」

「進むも地獄。退くも地獄。同じ地獄なら、お姉ちゃんはもう前に進むわ。だから――」


 姉は肩を震わせながら、僕に頭を下げる。


「冬市郎様、お願いします。この中二病喫茶をなんとかするためにも、どうか『本物の中二病の女の子』を連れて来てください」

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