姉の中二病喫茶が潰れそう

岩沢まめのき

序章 印場冬市郎の異能

001 序章 印場冬市郎の異能

 僕が『自分の足の裏たち』と会話できることを知ったのは、高校で『とあるトラブル』に巻き込まれていたときのことだ。


 それは、高校に入学したばかりの春。

 入学して早々に巻き込まれたそのトラブルが原因で、僕はあっという間に、クラスの中で孤立した。


「自分はこのトラブルの犯人ではないです。冤罪えんざいです」


 当時の僕は、クラスメイトや教師に対して、ハッキリとそんな主張をしたわけだ。


 けれど、僕のそんな主張を心から信じてくれたのは学校内で、ただ一人だけ――。

 同じクラスの黒髪ポニーテールの少女だけだった。


 しかし悲しいことに、その少女もまた、僕と同じようにクラスの輪から退場させられた人物だったのだ。


 結局、僕とそのポニーテールの少女は、一年生の間ずっと、クラスメイトたちに馴染なじむことは出来なかった。


 高校一年目のあの春――。

 クラス内で孤立したばかりの僕と彼女は、毎日ひどい顔をしていたと思う。


 僕たち二人は、両目をにごらせ、顔色をくすませながら息を殺し、まばたきの音さえ響かせずに、それぞれの高校生活を、それはそれは静かにスタートさせたのだ――。




 と、まあ……ざっくりそんなわけで、とにかく僕は、教室のはみ出し者として高校生活をはじめた。

 そして、そんな僕の身に、学校でのトラブルとは別の、さらに予想もしていなかったことが起こる。



 僕は、『自分の足の裏たち』と、会話を成立させたのだ。



 はじめて会話を成立させたのは、色あせたたたみの上だった。

 自宅にある六畳間ろくじょうまの自室での出来事である。


 時刻は深夜二時を過ぎていたのだが、僕は部屋の明かりをつけていなかった。

 四月の中旬で、春の強い雨が、窓ガラスを暴力的に叩き続けていたのをよく覚えている。


「どうしてみんな、僕を犯人扱いするんだっ! おかしいだろ? なあ?」


 黒髪をクシャクシャとかき上げながら僕は、眼下がんかの物静かな畳に、文句を聞いてもらっていた。

 どれだけ心と身体が疲れていても、すんなりと眠れるような夜ではなかったのだ。


 それで布団には入っておらず、深夜の粗暴そぼうな雨音に心を乱されながら、僕は畳の上であぐらをかいていた。

 きっと両目なんか、怒りと悔しさによって赤くにじんで、鋭くツリ上がっていたんじゃないだろうか。


 冤罪だ! 冤罪だ! 冤罪だ!

 どうして高校入学早々、こんなことになってしまったのか!?

 この状況を変えるためには、どうすればいい?

 そうだ!

 いっそ、僕を疑っている奴らを、一人ずつ順番に締め上げ、のどをクシャリと潰して黙らせるか?


 窓の外に広がるやみよりも、僕の心の中はずっと黒く、そして荒んでいたかもしれない。


 夜半やはんの雨音に包まれた暗い部屋の中で、そんなふうに僕はぶつぶつと汚い言葉をつぶやいては、打楽器のごとく奥歯をカチカチと鳴らしていた。


 すると、下半身の方からその奇妙な声は聞こえてきた。

 声の発生場所は、両足の裏だ。


「ソンナニ腐ルナヨ、印場冬市郎インバ・トウイチロウ」と右足が言った。

「イツカ疑イハ晴レルサ」と左足が続けた。


 ひょうきん者の中学生が、さらにふざけて作った合成音声といったイメージだ。

 甲高かんだかく人工的な声の中に、どこかコミカルな響きを存分に含んでいる。

 そんな足の裏たちの声だった。


 そのとき僕は、裸足はだしだった。

 足のサイズは二十七センチ。

 特に問題のない普通の足をしている。

 詳しく調べたことはないが、きっと医学的にもなんの問題もない普通の足であるはずだ。


 過去に捻挫ねんざして病院に通ったときも、「キミ、特殊な足をしているねえ? もしかして、しゃべるんじゃない?」なんてことを、医者から言われた記憶はない。


 僕としては、少しも嬉しくない足の裏たちとのファースト・コンタクトだった。

 望んでもいないし、喜べもしない。



 そもそも、誰が足の裏なんかと話したいと思うものか?



 そんなわけで当然、僕は大いに戸惑とまどった。

 明かりもつけていない暗い部屋の中で、当時の僕は、きっと青ざめた顔を、これでもかと引きつらせていたことだろう。


 そして僕は、足の裏たちに向かって問いかけた。


「お前たちが、しゃべっているのか?」


「ソウダゼ、冬市郎」と右足が言った。

「コウシテ、オ前ト話ヲスルノハ、ハジメテダナ」と左足が続けた。


 甲高い声。深夜の超常現象。しゃべる足の裏。人体の奇跡。


 オカルトなんかはどちらかと言えば好きな方だ。テレビのUFO特番なんかも、小学生の頃からよく観ている。


 でも当時の僕は、その不可思議な現象を追究していこうとは思わなかった。

 そんなことよりも、足の裏たちを黙らせることを選択したのだ。


 あの頃の落ち込んでいた僕には、足の裏たちの甲高い声が、とても耳障みみざわりなものに思えたのだろう。


「お前たち……悪いが、しばらく黙っていてくれ……」


 僕のその言葉を受け入れたのか、足の裏たちはピタリと声を発しなくなった。

 それから僕は、畳の上で「まいったな……」と頭を抱えた。


 自分はショックで、いよいよ頭がおかしくなってしまったのだろうか?


 高校に入学して早々の大きなトラブル。

 続いて、しゃべる足の裏。

 そんな厄介事やっかいごとが、立て続けにふたつも身に降り注いでいたのだ。


 この後、ひざひじわきの下なんかも声を出し、全員で気楽なおしゃべり会でもはじめられたら、僕の頭はおそらく命日を迎えていたことだろう。

 自分の膝や肘や脇の下に、クッキーと温かい紅茶でも提供して、目をクルクル回しながら、そのおしゃべり会に参加していたかもしれない。

 けれど、ありがたいことに、そこまでの異常事態は訪れなかった。


 時刻は深夜三時過ぎとなっていた。

 足の裏たちを黙らせた後、僕はもう、布団に潜り込んでじっと両目を閉じる以外、その夜の過ごし方を思いつかなかった。




 その翌朝、午前六時には目を覚ましていた。


 目を覚ましていたといっても、そもそもほとんど眠れていなかった。

 意識はほとんどずっと起きていた気がしていた。

 悪夢にさえ面会させてくれないような、そんな眠りの手前で僕は、うつらうつらと首を振っていただけだったのだ。


 学校には余裕で間に合う時間だった。

 けれど、僕はその日、休むことをディベート無しの脳内会議で決定していた。

 賛成も反対も、誰の意見もいっさい聞く必要はない。

 こんな日は、学校を休むに決まっていた。


 それから、布団に入ったまま、ふと、足の裏たちに声をかけてみようと思った。

 深夜のあの出来事が、夢ではなかったか――それをちゃんと確認したかったのだろう。


「おい、そこにいるのか?」


 あの甲高い声が、僕の耳に届いた。


「オハヨウ」と右足が言った。

「オハヨウ」と左足が続けた。


 おいおい、嘘だろ……と、僕は自分の顔がゆがんでいくのがわかった。


「やはり、今日は学校を休もう……」


「シッカリシロ、冬市郎」と右足が言った。

「学校ヲ休ムニシテモ、朝食グライハ食ベテオケ」と左足が心配してくれた。


 今度は、自分の顔から血の気が引くのがわかったし、背中を何やら冷たいものが走っていった。


 やはり学校に向かおうと思った。

 当時の僕には、高校の教室に居場所はなかった。

 学校に行ったところで毎日、気が狂いそうな時間が待っていた。

 それでも、自室にいるよりはマシだと思えたのだ。


 こんな足の裏たちといっしょに、部屋の中に閉じこもっていたら?

 ああ……きっと確実に気が狂うな……。


 そう考えたその日の僕は、深いため息を何度もつくと、やがてモソモソと布団から抜け出し、制服に着替えたのだ。


 甲高い足の裏たちの声――それが、耳の奥の奥にまで、ビッシリとこびり付いているような気がしていた。


 この気持ちの悪い声を、上書きして消したい!

 そのためにも僕は、出来るだけたくさんの『普通の人間の声』を聞く必要があるのではないか?


 耳の穴を指で何度も何度もほじくりながら僕はそう考え、唇をぐっと噛んだ。




 これが、今からおおよそ一年前の四月に、僕の身に起きた奇妙な出来事である。

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