134 先輩・後輩の上下関係
「お、お、おはようございますッス!」
そう言って店に入って来たキーナは、緊張している様子だった。
灰音と僕が店の入口に顔を向けると、私服姿のキーナが身体を少し震わせながら、深々と頭を下げていたのである。
服装の見た目は、とてもおとなしい感じである。
手にしているカバンも、薄茶色のシンプルなデザインのものだった。
「キーナ、おはよう」
僕がそう声をかけると、ポニーテールの少女は頭を上げてこちらを向いた。
そして――。
すぐに、僕の隣にいる灰音の存在に気がついたようである。
「……うっ」
と、キーナの
おそらく、灰音が先に店にいることは予想外だったのだろう。
一方で灰音の方も、
「……うっ」
と、喉の奥を鳴らした。
後輩バイトとはじめて対面したことで、緊張が高まったのだと思われる。
続いて、僕の足の裏たちも落ち着かない様子だった。
「ウッ……」と右足が声を漏らした。
「ウッ……」と左足も声を漏らす。
キーナのことが心配なのだろう。
足の裏たちは、まるで自分のことのように緊張しているみたいだった。
そんな『自分以外全員が緊張している状況』となると……。
とうとう僕まで緊張しはじめた。
「うっ……」
と、僕も最後に喉の奥を鳴らした。
結局、店内にいる全員が一度ずつ「うっ……」と声を漏らしたのである。
それから、キーナが再び口を開いた。
「そ、それじゃあ自分は、き、着替えてくるッスね! 今日もメイド服を、お姉さんからお借りすることになっているッス」
キーナは灰音に対して軽く頭を下げると、逃げるようにその場からいなくなった。
採用試験のときにキーナが着たメイド服。僕の姉がそれを、キーナの身体に合わせてサイズ調整したらしい。
これからキーナは、店の奥で姉と会って着替えることになっているのだ。
ポニーテールの少女がいなくなると、灰音がつぶやくように言った。
「冬市郎よ……。わらわ、栄町さんにあいさつを返しそびれてしまったのだが……いきなり嫌われてしまったかのぉ……?」
「えっ?」
「『あいさつも返してくれない人』と、思われてしまったのではなかろうか?」
「い、いや……。たぶん、そんなことはないと思うけど」
僕はそう答えたのだけど、灰音の心はなかなか落ち着かないようだった。
少女の銀髪が左右にゆらゆらと、不安げに揺れる。
「冬市郎よ……そんな第一印象のわらわが、栄町さんに『先輩・後輩の上下関係など気にしないでほしい』と持ちかけたところで、説得力がないのではなかろうか?」
「え、えっと……」
「『あいさつも返してくれないような人は、そもそも先輩と思わない』なんてことを栄町さんから言われやしないだろうかのぉ……」
ど、どうしたんだ……灰音?
あいさつは確かに大事だ。
けれど、あいさつを返すのに一度失敗したからって、ここまで心配になるものなのか?
「わ、わらわ……栄町さんに話かけるのが、なんだか怖くなってしまった……」
後輩となる新人アルバイトとの接触に、灰音は苦手意識を抱きはじめたみたいだ。
OFGを装着してる左手を、グーパーグーパーと開いたり閉じたりと、彼女はとてもそわそわしていた。
僕はそんな彼女の心を
銀髪の少女を明るく
やがて――。
「うむ……。すまぬ、冬市郎よ。わらわ、なんだか弱気になっておったな」
僕のささやかな努力は、どうやら灰音の心に届いたようだ。
銀髪の少女は僕に向かって微笑むと、話を続ける。
「ふむ。栄町さんが戻って来たら、勇気を出して明るく話しかけてみるとするかのぉ」
それから僕と灰音が、もうしばらく二人で会話を続けていると――。
メイド服に着替えたキーナが、一人で店の奥から戻って来た。姉はいないようである。
「う、うッス! お待たせしましたッス!」
アルバイト採用試験のときと異なり、メイド服のバスト部分は『姉サイズ』から『キーナサイズ』にきちんと調整されていた。
前回のような巨乳メイド姿ではない。
「バストサイズは調整していただけたッスよ。けれど、スカートの長さは調整していただけなかったス……。いや、自分は別に冬市郎くんのお姉さんに文句を言っているわけではないんスけど……」
キーナはそう言いながら、もじもじと両足を動かした。
スカートはあいかわらず短いままだ。今回もスパッツを
足の裏たちが、ざわついた。
「結局、『メイド姿』デ働クノカ?」と右足が言った。
「キーナダケ、中二病喫茶ジャナクテ、メイド喫茶ジャナイカ」と左足が続ける。
実は、キーナが店でどのような中二病キャラとして働くのかは、まだ決まっていなかった。
きちんとした設定が決まるまでは『ミニスカスパッツメイド』として、働くことになっている。
お客さんの立場になって考えると――。
『中二病喫茶』に来たはずなのに『メイドが出迎えてくれる』という、予想外の接客となるわけだ。
……これで本当にいいのだろうか?
銀髪の少女が僕の隣で「こほん」と
黒々とした灰音の両目に、いつもより強い光が宿りはじめた気がする。
んっ……まさか!?
いよいよ、キーナに話しかけるのかっ!
しゃべりはじめた灰音は、緊張からか普段の彼女と比べたらずいぶんと早口だった。
「栄町さん。先ほどはあいさつをお返しできなくて本当にすまなかったのぉ。わらわは瀬戸灰音――栄町さんと同じ愛名高校の二年生。この店では、栄町さんよりも『ほんの少しだけ先輩』となるわけだが、先輩・後輩の上下関係は気にせず、同い年同士どうか気楽に接してくれるとありがたい」
それを聞いた黒髪ポニーテールの少女は、銀髪の少女に向かって深々と頭を下げながら言った。
「うッス。自分は、
灰音の言ったことが、キーナにはまったく伝わっていないみたいだ。
『完全に上下関係のある先輩・後輩のいる光景』が、僕の目の前で生まれたのである。
灰音が、早口でいっぺんに多くを
キーナの方も緊張していたからか、灰音の言っていることをうまく理解できておらず、そのうえ……ちょっとだけ野球部みたいになっていた。
とにかく……。
『改造和服を身に着けた銀髪少女』と『ミニスカスパッツメイド』は、そんなズレたやり取りを僕に見せたのである。
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