133 はじめての出勤日

「ところで幽霊さん。どうして今日は最初、カーテンの裏に隠れていたんですか?」

「ウィ?」

「そちらから声をかけてくれるつもりだったのなら、別に隠れていなくてもよかったのでは?」

「ヌー……」

「これから会うたびに毎回、最初は部屋のどこかで隠れんぼしているとか、そういうわけではないんですよね?」


 僕の質問に幽霊は、少し恥ずかしげな表情を浮かべながら答える。


「トウイチロウ。やっぱり、謝るのにも心の準備がいるデスますヨ……」

「んっ?」

「今日、貴様たちが来ることは、団長たちの会話から事前に知っていたデスます」

「はあ」

「だから会ったらまず、こちらから声をかけて、タイミングを見計みはからって謝ると決めてイたデスますが……。いざとなったら、急に緊張きんちょうしたかしらネ」


 幽霊はそう言って微笑むと、話の先を続ける。


「ワガ輩様はしばらく、カーテンの裏に隠れてドキドキしながら様子をうかがっていたデスますヨ。そして、表に出て行くタイミングを見失ったというわけデスますポス」

「なるほど……。あれは、表に出るタイミングを逃していたからなんですね」


 そのわりには、僕とキーナがバンドのメンバーたちとわいわい騒いでいたら、


『みんなで何を楽しそうに話しているデスますポス?』


 と、つぶやきながらこの幽霊は特に何にも考えていないような感じで、ふらふらっとカーテンから出てきたような気がしたけど……。

 あれでも登場のタイミングを考えていたのだろうか?


 吸血鬼の幽霊が、金髪を揺らしながらペコリと頭を下げる。


「とにかく、今日はワガ輩様を許してくれて、貴様たちありがとう。お話もしてくれて、貴様たち本当にありがとう」

「はい……どうもです」

「ウィウィ。ワガ輩様、黒髪の女を元に戻す方法をがんばって考えてみるデスますヨ。だから今後も貴様たちは、ワガ輩様に会いにキてくれるとうれしいかしらネ」


 幽霊からのそんなメッセージを僕はキーナに伝えた。

 キーナも、幽霊に再び会いに来ることに同意してくれる。


 それからもう少しだけ僕たちは幽霊と雑談を続けた後、解散したのだった。




 そんなわけでこの日、事前に考えていた荒っぽい作戦――。


『団長を連れ出して電車かバスに飛び乗る』


 は、実行されなかった。

 僕たちはそんなことをしなくても、吸血鬼の幽霊と会うことができたのだ。


 けれど……。

 キーナを元に戻す方法には、たどり着けなかった。

 あいかわず彼女は、この先も『僕の首筋を舐めながら過ごす』ことになったのである。


 こんな生活がこれからもずっと続くのか……。


 僕とキーナは先のことを考えて不安な気持ちを抱えたまま、女子高等部を後にしたのだった。



   * * *



 瀬戸灰音せと・はいねが、銀髪おかっぱ頭を弾ませながら愛らしく微笑んだ。


「わらわ、本当に楽しみでのぉ」


 日曜日の朝のことだった。

 灰音がずいぶんと早く店に顔を出したのである。


 まだ開店前で、お客さんは一人もいない。

 もしかすると開店後も、このままお客さんが一人もいない状態が続くかもしれないけれど――。


「冬市郎よ。わらわ、楽しみすぎて開店時間よりもずいぶんと早く来てしまったのだが、本当に迷惑ではなかったかのぉ?」


 僕は朝早くから、中二病喫茶『ブラックエリクサー』の店内で待機していた。

 キーナの『はじめての出勤日』だったからである。

「初出勤の日は早めに店に行くッス」と、キーナが口にしていたので、僕は店で待っていたわけだ。

 けれど、彼女よりも先に灰音がやって来たのだった。


「栄町さんは、わらわにとってはじめての後輩だからのぉ! まあ、後輩といっても、わらわの方がほんの少しだけ早く働きはじめただけで、同期の仲間と思って接するつもりではあるのだが……」


 灰音はすでに例の『赤い改造和服』に着替え終えていた。

 赤い着物をところどころ洋風に改造したような和風中二病的な衣装にである。

 上半身はおおむね和装で、下半身はひらひらとしたミニスカート姿。

 左手には、いつも通り革製の黒いオープンフィンガーグローブ(OFG)を装着していた。


「そんなわけで、冬市郎よ。栄町さんは、わらわと同い年なのだから、こちらはあまり先輩・後輩を意識しないほうがいいかと考えておるのだが……おぬしはどう思う?」


 灰音は小さく首をかたむけながら、黒々とした綺麗な両目で僕のことを見つめてきた。

 あいかわらず、どこか神々こうごうしさを感じさせる美しい瞳である。


「そうだなあ。はじめてのアルバイトで、たぶん緊張しているだろうし……。『先輩・後輩の上下関係がない同い年の女の子』がバイト先にいてくれるのは、ありがたいだろうな」


 灰音の下半身のミニスカートが静かに揺れるのをチラチラと盗み見しながら、僕はそう答えた。

 特に外出の予定もない日曜日だったので、僕はラフな私服姿だ。

 とはいえ、首にはしっかりとチョーカーを、そして右手にはOFGを装着している。


「うむ。栄町さん……どんな子なのかのぉ」


 灰音は、キーナのことをよく知らないようだ。

 もちろん同じ高校なので、学校ですれ違ったりはしているだろう。

 それに昨年、僕やキーナが窃盗せっとう冤罪えんざいをかけられて、悪い意味で有名になったとき、その噂は灰音の耳にも届いていたかもしれない。


 けれどまあ……。

 僕と灰音の間で、あの冤罪事件のことが話題に上がったことは一度もない。

 だから、世間の噂話なんかに興味を持っていなさそうな灰音は、本当に何も知らない可能性だってある。


 一方でキーナの方は、灰音のことをそれなりに知っていた。

 黒髪ポニーテールの親友は、僕と灰音がを以前から警戒けいかいしているのだ。


「冬市郎よ。それでもやはり、わらわの方がほんの少しだけ先輩なわけだからのぉ、栄町さんが困っているときは積極的に力になってやりたいと思っておるがな。栄町さん、わらわと仲良くしてくれるといいのぉ!」


 そう言って灰音は、にこりと微笑んで僕のことを見つめた。

 目の前の銀髪の少女が本当にワクワクしている感じが、こちらが少し恥ずかしくなるくらい充分に伝わってくる。

 やっぱりこの銀髪の美少女は『とても良い人』なのだと思う。


 足の裏たちが、ざわつきはじめた。


「キーナノ方ハ、『仲良クシタイ』ト思ッテイルダロウカ?」と右足が言った。

「タブン、思ッテイナイダロウナ」と左足が答える。


 そんな足たちの会話に僕が苦笑いを浮かべかけたところで、店のガラス扉がカランコロンとドアベルを鳴らした。

 キーナが店にやってきたのである。

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