113 異世界の吸血鬼の女王様
「あの、幽霊さん。僕たちがこれからやることに、少し付き合ってもらえませんか?」
「ウィ。別に構わないデスますけど。その黒髪の女が、ワガ輩様に何かするデスますか?」
「ええ」
「ワガ輩様の姿は、その黒髪の女には見えてイないんデスますよネ?」
「はい。でも大丈夫ですよ、幽霊さん」
金髪の幽霊と僕がそんな会話をしている横で、キーナがピクッ、ピクッと身体を小さく震わせていた。
『幽霊さん』と、僕が口にしているのが原因だと思う。『幽霊などいない』というのがキーナの主張なのだ。
それでキーナは、『幽霊さん』という部分を『世界のバグさん』に訂正したくて、身体を震わせていたのだろう。
しかし――。
話がややこしくなりそうなので、僕はキーナのそれには気がつかないフリをした。
目の前の金髪の少女を『幽霊さん』と呼び続けることにしたわけである。
「とりあえず幽霊さんは、しばらくそこでじっと立っていてください」
「ウィ。わかったデスます。ワガ輩様はここで、廊下の壁を背にして立っていレば、いいデスわネ?」
幽霊の立ち位置が決まると、僕はキーナにそれを伝えた。
キーナは少しだけ何か言いたげな表情をこちらに見せる。
けれど、「こほん」と軽く一度咳払いをしただけで、彼女はすぐに幽霊に向かって右手をかざした。
「うッス! では、冬市郎くん。はじめるッスよ!」
もちろんキーナには、幽霊の姿は見えていないはずだ。
そのため彼女は、何もない空間に手をかざしている感覚だろう。
それから数分間――。
キーナは何も見えない空間に何度も右手をかざしては、その手を左から右へとスライド移動させ続けた。
キーナの
やはり、体力と集中力をかなり必要とする作業のようだ。
後でコンビニにでも寄って、チョコレートか、
そんなことを考えながら僕が、キーナのがんばりを見守っていると――。
タイミングの悪いことに、女子生徒二人組が、僕たちのいる廊下を通った。
女子高等部のセーラー服を着た女の子たちである。
キーナは集中しているため、彼女たちの存在に気がついていない様子だった。
ポニーテールを踊らせながら、何も見えない空間にかざした右手を、左から右へと繰り返しスライド移動させ続けていた。
女子生徒二人にも、まず間違いなく金髪の幽霊の姿は見えていないだろう。
だから――。
かわいそうにキーナは、
『廊下で不思議な踊りを踊っている他校の変な女子生徒』
と、白い目で見られてしまったと思われる。
「気ノ毒ダナ、キーナ」と右足が言った。
「冬市郎ノセイダゼ」と左足が続ける。
足の裏たちの言う通りだった。
僕の頼みごとのせいで、キーナには悪いことをしてしまった。
やがてキーナは、右手の動きを止めて僕の方を向く。
「冬市郎くん。ここにある『世界のバグ』の正体が、少しだけわかったッスよ……」
ポニーテールの少女はそう言うと、「ふー」と大きく息を吐き出して呼吸を整えた。
それから彼女は、額の汗にハンカチを当てながら話の先を続ける。
「この世界ではなく異世界で、身体を
「吸血鬼の女王様……」
僕がそう繰り返すと、キーナはこくりとうなずいた。
「そうッス。身体を消滅させられた吸血鬼の女王様が、この世界に転生しようと
「転生に失敗したのか……」
「それで、肉体を持てなかった
それを聞いて僕は、ごくりとつばを飲み込んだ。
とあるひとつの考えが、自分の中に浮かんだからである。
「――もしかして『ヴァンピール団長』さんの身体って……。吸血鬼の女王様が、この世界で肉体にする予定だった身体なのかな? 金髪碧眼で、見た目がすごく似ているし……」
そんな僕の質問に、キーナは首を横に振った。
「ごめんなさいッス。自分には、さすがにそこまではわからなかったッスよ」
「ああ、うん」
「でも、団長さんがバンドで『吸血鬼キャラ』を演じているのは、何かしら影響を受けている可能性が高そうッスよね」
僕とキーナがそんな会話を続けていると。
突然――。金髪の幽霊が深くうつむき、身体を小刻みに震わせはじめた。
金色の長い髪が左右に揺れる。
「んっ? 大丈夫ですか、幽霊さん?」
僕がそう尋ねると、幽霊はうつむいたまま答えた。
「トウイチロウ……思い出したデスわヨ……」
「えっ、何か記憶が戻ったんですか?」
「ウィ。その黒髪の女の話を聞いてイたら、少しばかり思い出せたデスます……。ワガ輩様は確かに、転生に失敗した吸血鬼の女王かしらネ……」
どうやら彼女の正体は、キーナの言った通りのようだった。
幽霊は話の先を続ける。
「そして、トウイチロウ……」
「はい」
「貴様があのときの……『吸血鬼殺し』の生まれ変わりなのデスますっ!」
金髪の幽霊は、ガバッと勢いよく顔を上げると、その青い両目で僕のことを
そして彼女は、
しかし、僕はその姿を目にして――。
なんとなく『飛び掛かってくる前の猫みたいだなぁ』という感想がすぐに浮かんでしまう。
そのため、驚きはしたのだが、彼女に対して恐怖を抱くことはなかった。
それに――。
『吸血鬼殺し』だって……?
僕は異世界で『ヴァンパイアハンター』みたいな職業に
そんなことも気になってしまったのである。
「トウイチロウ! ワガ輩様の身体を消滅さセた、憎っくき人間の生まれ変わりデスわネ!」
金髪の幽霊は、その青い両目をギラギラさせながら僕の顔を睨み続ける。
そして再び「シャー!!」と、二本の牙を僕に見せつけるとこう言った。
「貴様、ここで殺してやるのデスますっ!」
「なっ! ぶ、
「
「いやいや、幽霊さん。転生には失敗しているんですよね?」
「オー! うるさいデスます! まずは貴様のその
吸血鬼の幽霊が、僕の首に両手を伸ばす。
だが――。
「クゥゥ……。触ることができないのデスますっ!」
彼女の両手は、むなしく僕の身体をすり抜けていくのだった。
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