108 彼女は「オー、フー……」とため息をついた
金髪の少女は間違いなく僕の背後に立っていた。
けれどキーナの目には、彼女の姿は映っていない様子だった。
「キーナ、確認なんだけど。ここにいる金髪の女の子、見えていない?」
「冬市郎くん、ごめんなさいッス。自分には、そこには誰もいないように見えるッス」
金髪の少女は、『それ見たことかデスますポス!』とでも言いたげな様子で、僕の顔を見ながらニヤリと笑った。
彼女が笑うと、口から二本の
僕はすぐに、ヴァンピール団長の『
団長の吸血鬼の牙とそっくりだった。
「オー。だから言ったかしらネ。ワガ輩様は『吸血鬼の幽霊』デスわヨ。その黒髪の女には、ワガ輩様の姿は見えないのデスますポス!」
こりゃあ、もしかして……。
本当に吸血鬼の幽霊なのかっ!?
それを確かめるために僕は、キーナの異能に頼ってみることを思いつく。
「キーナ、悪いんだけど僕の背後のこの辺りを、例の異能の力で調べてみてくれないか?」
キーナは「うッス」と、うなずいてからこう言った。
「背後といえば、冬市郎くん――」
「んっ?」
「実は自分、背中が
「お、おぉ……」
「けれど、冬市郎くんの頼みとあらばそちらを最優先し、背中を掻くのを後回しにして、異能の力を先に使うッスね!」
「い、いや……。別に背中を掻いた後でもいいんだけど……」
しかしキーナは背中を掻かずに、すぐに右手の手のひらを広げると、僕の背後の空間に向かってその手をかざした。
その顔は、背中の痒みと戦っているのか、眉間に小さなシワが寄っている。
続いてキーナは空間を
「うッス! 確認したッスよ。確かに冬市郎くんの背後には、なんらかのバグがあるッスね」
背中をポリポリと掻きながらキーナはそう言った。
キーナによると――。
僕たちが生きているこの世界は、何者かの手によるプログラムである。『プログラムによって創られた世界』だそうだ。
そして『幽霊』や『心霊現象』みたいなものは、この世界におけるプログラムのバグとのことだった。
まあ、それはあくまでもキーナの考えであって、真実かどうかは判断しようがないのだけど――。
「ありがとう、キーナ」
「いえいえッス。冬市郎くん、自分には見えていないんスけど、そこにあるバグが金髪の女の子なんスか?」
「うん。詳しいことは後で説明するよ」
「うッス」
「僕はこれからしばらく、このバグと会話してみるから」
「わかったッス。それでは自分は、ここで冬市郎くんのことを見守っているッスね」
そうしてキーナと話が付くと、僕は再び金髪の少女と会話をはじめた。
「お待たせしました、吸血鬼の幽霊さん」
金髪の少女は、胸の前で腕組みをしながら口を開いた。
「ンー。貴様らが二人で何をしてイたのか、ワガ輩様にはよくわからなかったデスますが――」
「あはは……」
「とにかくワガ輩様のことを、幽霊だと理解してくれたようかしらネ?」
「はい。本当に幽霊のような存在なんですね。正直、完全に疑っていました。すみませんデスますポス! どうか僕を許してほしいデスますポス!」
僕は『ポスポス』言いながら頭を下げて謝罪した。
普通に謝罪するよりも、相手をマネて、相手と同じように謝罪した方が、より誠意が伝わるのではないかと考えての行動だ。
「ウィ。いやいや、わかればよいのデスわヨ」
吸血鬼の幽霊は、にこやかな表情を浮かべる。
二本の牙が、口からほんの少し顔をのぞかせた。
どうやら、『ポスポス』言いながらの僕の謝罪は、正解だったようだ。
「それでは、吸血鬼の幽霊さん。まず、名前を教えていただけませんか? 僕の名前は
「貴様の名前は、『トウイチロウ・インバ』デスわネ――」
金髪の少女は、僕の名前と名字をわざわざ入れ替えて言うと、話の先を続ける。
「オー。まあ、進路指導室にイたときから、貴様のことはずっと観察していまシたデスから、ぼんやりと名前は知っていたのデスます」
「進路指導室にいたんですね。気がつかなかったです」
「ウィウィ」
「それで、幽霊さんのお名前は?」
「ノン。いや、悪いのデスますが……。実は、ワガ輩様は、自分の名前すら思い出せなくて困っているかしらネ?」
「えっ?」
幽霊は、金髪の頭をポリポリと掻いた。
それから「オー、フー……」とため息をつくと、自分の置かれた状況について語りはじめる。
「ンー。あれは
んっ? その人って……。
確か、ピエロの姉の名前だ。
「『ヴァンピール・モンスターサーカス』のボーカル……『ヴァンピール団長』さんのことですか?」
「ウィ。そうデスます。一月ほど前にワガ輩様は、彼女の背後に立っていたのデスます。それがこの世界において、ワガ輩様の持つ最初の記憶なのデスわヨ」
「それが、最初の記憶……」
僕がそう繰り返すと、金髪の幽霊は苦笑いを浮かべる。
「ウィ。デスから、この世界でワガ輩様が最初に目にしたモノは、『ヴァンピール団長』と呼ばれている少女の
話を聞く限り――。
この金髪の幽霊の見た目や雰囲気が、あの団長と似ているのには、何か理由がある気がした。
そして団長が『吸血鬼キャラ』を演じているのも、この『吸血鬼の幽霊』と何か関係があるのかもしれない。
「とにかく幽霊さんの記憶は、一月前の団長さんの背後からスタートしているんですね?」
「ウィ」
「そして、自分の名前も思い出せない、と――」
「ウィ。その通りデスます」
そう口にすると吸血鬼の幽霊は、長い金髪を一度かき上げてから、こう話を付け加える。
「ただし、記憶はないのデスますが、ワガ輩様の心の中ではっきりとわかっていることが、いくつかあるのデスわヨ」
「んっ? はっきりとわかっていること?」
「ウィ。まず、ワガ輩様が『吸血鬼の幽霊』であるということデスわネ」
「ああ、はい」
「ワガ輩様は自身の名前すらわからナイのに、自分が吸血鬼であるということは、はっきりと自覚しているのデスます」
そう言って幽霊は、二本の牙を見せながら薄っすらと微笑む。
「ああ……まあ、その牙は確かに吸血鬼っぽいですよね」
「ウィウィ」
「他に自覚していることはなんですか?」
「オー。あとは、ワガ輩様は本来『この世界』の存在ではなく、『別の世界』から来た存在であるということかしらネ――」
「えっ……別の世界?」
金髪の少女は、こくりとうなずく。
「ウィ。ワガ輩様は、別の世界からやって来まシた。そのことも、はっきりと自覚しているのデスます。そして、トウイチロウ――」
僕の名前を呼んでから少女は、こちらを指差してこう告げる。
「貴様は、ワガ輩様にとって『何か重要な存在である』ということ――そのことも、はっきりと自覚しているのデスますポス!」
「えっ……?」
と、僕は首をかしげた。
金髪の少女は話の先を続ける。
「ウィ。進路指導室で貴様の姿を一目見たときカラ、『重要な存在である』ことは、わかったのデスわヨ。けれど、貴様がワガ輩様にとって、どう重要な存在なのか……正直そこまではわからないのデスますポス」
そう言うと吸血鬼の幽霊は、僕の肩に手を伸ばしてきた。
けれどその手は、僕の身体を通り抜けていく――。
空気でも切り裂いているかのように、少女の手がスカッと僕の身体を通過していった。
これは……。
彼女は本当に『幽霊』的な存在なのだろう……。
「オー……。やっぱーり、肉体がないデスから、ワガ輩様はトウイチロウに、触れることができナイのかしらネ?」
そう言うと金髪の少女はそっと両目を閉じ、どこか悲しげに首を横に振った。
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