100 ピエレット
「ピエピエ。あらためてジャリ研さんに自己紹介するピエ。俺様の名前は『
「ピエレット?」
と、僕は小声で繰り返す。
「母親が外国人ピエ。まあ、これまで通り『ピエロ』と呼んでくれて構わないピエよ」
女子中学生はそう言うと、セミロングの金髪をさらりとかき上げながら微笑んだ。
天使のような表情だった。
仮に僕が宗教画家だったら、自分が描くべき金髪の天使の絵を瞬時に三パターンくらいは思いついたかもしれない。
それから僕とキーナもピエロに向かって、それぞれ簡単な挨拶をした。
「――ピエピエ。印場先輩と栄町先輩、今日はよろしくお願いしますピエ」
お互いに挨拶が済んだ。
この美少女が、あのピエロなのも間違いなさそうである。
けれどやはり――。
僕は彼女がピエロであるということを、もうひとつ受け入れられないでいた。
目の前にいる少女は、『白塗り顔』でもなければ『赤鼻』も付けていない。
いつものコミカルな見た目ではないのだ。
「いやー、今日はピエロのメイクをしていないから、僕は話しかけられるまでピエロさんだとはわからなかったですよ。今でも実感がわかないなあ」
後頭部をポリポリ掻きながら僕はそう言った。
「ピエピエ。さすがにいつもメイクをしているわけではないピエよ」
「ですよね」
「俺様はその代わり、メイクをしないで外出するときは、専用のお面を持ち歩いているピエ」
「お面……ですか?」
ピエロは手にしていたカバンの中をゴソゴソとあさりはじめた。
やがて彼女は、ピエロ顔のお面を取り出す。
顔の前面だけを隠すタイプのお面だった。
プロレスのマスクマンや剣道の面のように、頭全体ですっぽり被るタイプのものではない。
ただ、ピエロが取り出したそのお面は、お祭りの屋台で売られているような子供向けの安物ではなく、それなりの値段がするものだと思われた。
パッと見のクオリティが高いのだ。
材質はゴムだか
白塗り顔に赤い鼻、両目の下に青色の涙が描かれているデザインだった。
「ピエ。もし外出時にピエロ顔になる必要があるときは、このお面をさっと被るピエよ」
普通に生活している限り、外出時にピエロ顔になる必要なんてまずない――。
ねえ……。
そのお面、いつ使うの?
僕がそんなことを考えている横で、金髪の美少女がピエロ顔のお面を装着する。
いつもの赤い毛糸のカツラは、さすがに持ち歩いていないようだった。
そのため、金髪のピエロが中等部のセーラー服を着ている状態となる。
視聴覚室のカーテンもないし、首輪も飼い犬の鎖もない。
顔の前面のみピエロとなっただけだ。
これまでの彼女のピエロ姿と比べたら、ずいぶんとあっさりしたピエロ姿だった。
トッピングなしの素ラーメンのような物足りなさを感じるが、これはこれで珍妙な姿ではある。
「どうピエか?」
「ピエロさん、ちゃんとピエロっすね」
キーナがそう答えると、ピエロは「ピエピエ」と声を出して笑った。
なぜだか、とてもうれしそうである。
それから喜多山・ピエレット・千穂は、お面を顔から外してカバンにしまった。
さすがにその姿で高等部に乗り込むわけではないようだ。
ピエロのお面を付けたままではあきらかに不審者だろうし、警察を呼ばれる可能性だってある。
賢明な判断だ。
「ピエピエ。さあ、ジャリ研さん、高等部の進路指導室まで案内するピエよ」
中等部のインタビューと同じように高等部のインタビューも、どうやら進路指導室で行われるようであった。
ピエロに連れられて、まず最初に女子高等部の来客用の玄関へと向かう。
「ピエピエ。今回は一応、文化祭で開催するバンドフェスの代表者として訪問しているピエ。だから後で面倒事が起こらないように、正式な手続きを踏んでから校内に入るよう委員長さんから頼まれているピエよ」
「そうなんですか」
と僕はうなずく。
おそらく、文化祭の実行委員長であるみどり子としては、つまらないミスでバンドフェスが中止にならないよう慎重に行動してほしいのだろう。
「ピエ。普段、軽音楽部の先輩方に会いに来るときは、いちいち来客用の窓口なんか使わないピエ」
やがてたどり着いた来客用の玄関は、予想していたよりも広々としていた。
受付窓口には事務員らしき女性が待機していて、ちょっとした高級マンションのエントランスみたいな雰囲気である。
床も壁も天井も、光沢のある
それに加え、背の高い観葉植物や、趣味の良さそうな絵画、鉄の
ここは本当に学校なのだろうか?
「冬市郎くん、女子高等部ってなんだか全体的に豪華ッスよねぇ……」
黒髪を軽くかき上げながらキーナが苦笑いを浮かべた。
「ああ……。これはたぶん、学園の偉い人が、何か悪い事をしてお金を稼いでいるに違いない」
「間違イナイナ」と右足が言った。
「汚イオ金デ、
足の裏たちの声を聞きながら、僕はキーナに言った。
「それにしても、僕たちの高校だって同じ愛名学園グループなのに、どうしてここまでお金のかけ方が違うんだろうね?」
「そうッスね。とりあえず自分たちが通っている高校がこの女子校と違って、学園の偉い人から愛されていないってことは理解したッスよ」
僕は両目を細めて笑った。
「あはは。なんでも買い与えられて大切に育てられた長女と、大切にされていない下の子みたいな感じなのかな?」
愛名学園グループの三校の中で、女子高等部は一番歴史が古い学校なのだ。
キーナがこくりとうなずく。
「姉のお下がりでもいいので、自分たちの学校にも何かひとつ豪華なものが欲しいッスね」
「そうだねえ」
「たとえば、あの鉄の塊が爆発したみたいな前衛的なオブジェとか、こっちの学校にもらえないッスかね?」
「あんなものをもらってどうするのさ?」
「とりあえず意味もなく職員室の真ん中に置くッスよ」
そんな中身のない会話を続けながら僕とキーナは、リッチな雰囲気の玄関に見とれていた。
ピエロの方は、受付窓口のガラス扉をスライドさせて、中にいる事務員らしき女性に声をかける。
「すみません。女子中等部の軽音楽部の者です。高等部の軽音楽部に用事があって来たのですが」
「ピエロガ……」と右足が言った。
「普通ニ、シャベッテイル!?」と左足が続ける。
足の裏たちだけでなく、キーナも驚いているようだ。
「と……冬市郎くんっ!? 玄関に見とれている場合じゃないッスよ!? ピエロさんが、普通にしゃべっているッス!」
キーナも足の裏たちとほとんど同じ反応だった。
「お、おう……。驚いたね。別にピエピエ言わなくても、普通にしゃべることができるのか……」
時と場所と場合をわきまえた――いわゆるTPOをわきまえたピエロの振る舞いに、僕もキーナも大きな衝撃を受ける。
ピエロは僕たちの様子などお構いなく、『ピエピエ』言わずに窓口の女性とやりとりを続けた。
ピエロの相手をしている女性は、メガネをかけた物静かそうな人だった。
そして、ふざけた冗談なんかは通じなさそうな大人の人といった印象でもある。
焼肉屋なんかで、「どうする? 小ライス大盛りにしとく?」と尋ねたら、真顔で「それなら、はじめから中ライスでよくないですか?」と冷たく言いそうなくらい、そこそこ定番の軽めの冗談すら通じそうにない雰囲気の人だ。
そんな大人を相手にしているのだから、ピエロがまじめに振る舞うのは大正解である。
「ピエロさん……ちゃんとしなくちゃいけないときは、ちゃんとするんッスね……」
「ああ……。大人だね」
思っていたよりも、ピエロがまともな女の子で助かった。
もし彼女が、窓口でふざけて『ピエピエ』言い出していたら?
今頃、怖い大人がたくさん出てきて、僕やキーナは『ピエピエ』ではなく、『ピイピイ』と心の中で泣いていたかもしれないのだ。
そんなピエロは、セミロングの金髪を踊らせながら僕たちの方を振り返る。
どうやら窓口の女性から、僕とキーナについて質問されているようだ。
「あちらの二人は、愛名高校の先輩方です。同じく軽音楽部に用事があっていっしょに来ました」
金髪の美少女中学生がやわらかな微笑みを浮かべて、窓口の女性に僕たちのことを説明した。
女性は納得したようでニッコリうなずくと、ピエロに一枚の紙を差し出す。
全員の名前と行き先を、来客者用の受付用紙に記載する必要があるらしい。
さっそくピエロが、用紙の一番上に、
『喜多山・P・千穂 愛名学園中等部・三年生』
と記入した。
用紙の記入欄が狭いので、名前の『ピエレット』部分は、『P』だけで省略したのだろう。
それからピエロは金髪を弾ませながら、すかさず窓口の女性に生徒手帳を見せて言った。
「母親が外国人なんです。これが本名なんですよ」
ふざけているわけではないという、彼女なりのアピールのようだ。
質問される前に、先手を打ったようである。
窓口の女性は、生徒手帳に記載されている名前と用紙に書かれた名前とを見比べてから、納得したように優しく微笑んだ。
それから僕とキーナも用紙に名前を記入する。
そんなわけで僕たちは、無事に女子高等部の校舎内に足を踏み入れることができたのであった。
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