090 扉の向こう側にいる少女

 姉は銀髪の少女が完全にいなくなるのを見送ると、その大きな胸の下で腕組みをする。

 そして、ため息をつくと僕に説教をしはじめた。


「はあぁ……冬市郎。あんた、このお店の未来の大エースをなんで泣かせるのよ!」

「うっ……」

「近い将来、きっとあの子が看板娘になって、私たちは彼女に食べさせてもらうことになるかもしれないのよ? 今、じわじわと人気が出てきたところなのに!」

「いや……そのぉ」


 僕は困ってしまい、姉にとにかく理由を話す。OFGとチョーカーを返却しようとしたら彼女に泣かれてしまったことをだ。


「はあ? あんたねえ! あんなに素直で可愛い美少女が、生まれてはじめてアルバイトをして、色々とナーバスになってる時期なのよ? それなのに、どうしてそういう余計なことをするの!」

「これには、色々とワケが……」

「そんなの知らないわよ。せっかくプレゼントしてもらったものなんでしょ? いらないから返すなんて言われたら、灰音ちゃんもそりゃあショックを受けるわよ」

「う、うん……」


 それから姉は頭をポリポリ掻くと、僕が身につけているOFGとチョーカーをじろじろ眺めながら言った。


「まあ、中二病アイテムとして見れば、わたしはそのふたつは正直地味過ぎるとは思うけどね」

「へっ?」

「それでもあんたは、引き続き毎日身につけなさいよ。あんた、今度灰音ちゃんを泣かせたら、この建物内出入り禁止にするからね!」

「いや、姉ちゃん……。ここ僕の家でもあるんだけど……」

「うるさい! とにかく、灰音ちゃんを急いで追いかけて慰めてらっしゃい! 自分がれた女の子なんでしょ! 灰音ちゃん、すごく真面目な子だから、もう仕事中ずっと肩に力が入り過ぎちゃってて、そのせいで長いこと情緒不安定なのよ。ここは彼氏であるあんたが慰めてやらなくちゃ!」


 そう言って姉は、僕の背中をバシンっと叩く。


「は、はあ? いや、姉ちゃん、僕、灰音の彼氏じゃねえし」

「ああ、そうだったわね。確か灰音ちゃんの話だと、恋人じゃなくて、前世か何かで夫婦のちぎりを交わしたって設定だったかしら? とにかく、早く行け行けっ! ゴー! このボンクラ!」


 姉に背中をバシバシ叩かれると、僕は店の奥にある従業員用の休憩室へ向かったのだった。




 こげ茶色の木製扉を前にすると、僕は一度だけ大きく深呼吸をした。

 扉のすぐ向こうは従業員用の休憩室であり、灰音が中にいるのだ。

 小さくノックをしてから、僕は扉の向こうにいるだろう少女に尋ねる。


「灰音、入ってもいいか?」

「なっ!? 冬市郎か?」

「うん」

「ど、どうぞだ、冬市郎……」


 そう言われたので僕は、緊張しながら扉を開けた。

 そして、次の瞬間――。

 目に飛び込んできた光景に思わず、「ぶっ!」と吹き出す。


「は、灰音!? どうしてそんな格好なのに、ど、どうぞって言うんだよっ!?」


 僕の視線の先には、上半身下着姿で、ぼーっと突っ立っている灰音の姿があった。

 純白のブラジャーが、銀髪少女の大きな胸を包み込んでいる。


 灰音は「むっ!?」と声を漏らすと、すぐに我に返ったようで、慌てて胸を両手で隠した。

 ――が。その大きな胸は、彼女が両手を使って隠そうとしてもこぼれ落ちそうであり、結局あまり隠せてはいない。

 赤面しながら灰音は言った。


「す、す、すまぬ、冬市郎。胸の谷間の汗やら涙やらを拭いておった途中で、ぼーっとしておってな……。服を脱いでおったことをすっかり忘れておったわ」

「んなっ!? そんなことってあり得るのかよ!? と、とにかく僕、外に出ますっ!」


 名残惜しい気持ちはあったのだが、僕はあたふたと扉の外へ出た。

 そして、目に焼きついた美少女の下着姿を思い出しながら、「灰音の奴……こりゃ重症だ……」と小声でつぶやき頭を抱える。

 すると、扉越しに彼女が話しかけてきた。


「と、冬市郎よ……は、恥ずかしいところを見せてしまったな。友人であり、夫婦であり、ライバルでもあるおぬしに、こんな失態を見せてしまうとは、本当に……すまぬ」

「お、おうっ……」


 僕はうなずくと、そのまま扉越しで灰音との会話を続ける。


「あ、あの……灰音さあ、姉ちゃんが色々褒めてたぞ」

「ぬっ?」

「『灰音ちゃんは、真面目で素直で、将来はうちの店の大エースになる』ってさ」

「ふ、ふむ。ありがたい話だのぉ。冬市郎の姉様には本当によくしてもらっておる。出来ることならば、その期待に応えたいものなのだが……」


 褒められたというのに、どこか寂しく響く少女の声。

 無理もないのかもしれない。

『本物の中二病』と断定されてもおかしくない少女が、中二病喫茶でニセモノの中二病ウェイトレスたちから仕事と演技を学びながら必死に働いている――だが、なかなか自分の思うようには上手くいかない。

 自身の不甲斐なさに彼女は、ずっと苦しんでいるのだ。

 少し褒められたところで、気持ちは簡単に上向かないだろう。


「灰音……あと、姉ちゃんは、こんなことも言っていた。『灰音ちゃんはずっと、肩に力が入り過ぎちゃってる』って」

「う、うむ……。それはまあ、自分でも頭ではわかっておるのだが、なかなか……のぉ……」


 扉の向こうから聞こえてくる少女の声に明るさは戻らない。

 なんとかしようと僕は、さらに話を続ける。


「灰音、さっきはごめんな……手袋とチョーカーを返したいなんて言っちゃってさ。僕が間違っていたよ」

「んっ?」

「灰音は、こんなにも真剣にうちの店のために頑張ってくれているんだ。それなのに、その恩人を僕は、すごく傷つけちゃったんだよな。本当にごめんなさい」


 それから僕はしばらく口を閉じた。

 そして、灰音からは見えないとわかっていても、こげ茶色の扉に向かって深く頭を下げる。


 しかし、待っていても灰音からの返事はなかった。

 扉の内側からは衣擦きぬずれの音が漏れ聞こえてくるだけだ。休憩室の中で灰音が服を着ているのだろう。

 僕は頭を上げるともう一度、扉の向こう側にいる少女に話しかける。


「この店もさあ、灰音が加わってくれてから、売り上げが少しずつアップしているみたいなんだ。その売上げがアップした分は、完全に灰音のおかげだよ」


 そう言い終わると僕は、「コホン」とひとつ咳払いをした。

 けれどやはり、扉の向こうから灰音の反応はない。

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