089 泣きながら嫉妬するどこかの誰かさん
「ところで冬市郎くんの方は、誰かから告白されたりしたんスか?」
キーナからそう質問された僕は、「はあ?」と声を漏らした。
こちらの反応にポニーテールの少女は、不思議そうに小首をかしげる。きっと僕は、きょとんとした表情を浮かべていたに違いない。
「いや、冬市郎くんってカッコいいじゃないスか。窃盗事件の疑いも完全に晴れたわけですし、これまで冬市郎くんのことを密かに想っていた女の子たちが、これを機会に続々と告白してくるとかあり得るッスよね?」
それは『あなただけに起きた現象』だろう――と心の中でツッコミながら僕は首を横に振った。
「誰からも告白なんてされてないよ」
「へっ? そうなんスか?」
「ああ。そもそも僕は、守山さんの地下室で、『キーナが悲しむ限り、恋人をつくらない』って約束したよな」
「はいッス」
「だから、告白されない方がいいんだよ。告白されて恋人なんか出来ちゃったらさ、どこかの誰かさんが泣きながら嫉妬するから」
「はあっ? ……『泣きながら嫉妬するどこかの誰かさん』って、ひょっとして自分のことッスかね?」
そう口にするとキーナは、僕に向かってあっかんべーをする。
「そうッスよね、自分が勘違いしていたッス! こんな冬市郎くんが告白されるなんてあり得ないッスよね! だいたい、冬市郎くんがどんなにカッコよくたって、そんな変な手袋と首輪をしている限り、誰からも告白なんてされるわけがないんスよ!」
「うっ……」
「いい加減、瀬戸灰音と交渉して、その変なアクセサリーをするのをやめさせてもらうことッスね!」
キーナはパイプ椅子から立ち上がると、残りのコーヒーをぐいっと飲み干す。
「そもそも、冬市郎くんの唯一の友人が、知らない男から告白されているのを目にしたくせに、全然嫉妬していないとか、バカじゃないスか? 自分、今日はもう帰るッス! たまには冬市郎くんが、飲み終わったコーヒーの後片付けをするといいッスよ!」
マグカップを長机の上にトンッと置くと、キーナはさらに話を続ける。
「コソコソのぞいていたくせに、冬市郎くんは何食わぬ顔で部室に入ってきやがったッスよね! もっと取り乱しながら部室に入ってきても良かったんスよ!」
「えっ?」
「あまりのショックに上靴を左右逆に履いて来るとか。ズボンを上着にして、ブレザーをズボン代わりに穿いて、顔の右半分で笑い、左半分で泣きながらやって来るとか。冬市郎くんは、それぐらい取り乱すべきだったッス!」
「お、おい、キーナ……無茶言うなよ……」
「ああ、もう! こっちだけ瀬戸灰音とか委員長さんに嫉妬して、本当いつもバカみたいなんスよね!」
キーナはカバンを手に取ると、部室の入り口に向かって歩き出す。
「自分、思い切ってさっきの人の告白をオッケーすればよかったッスよ! それでフリフリの可愛らしいお洋服を着て、生まれてはじめてのデートでもしたらよかったッス!」
「なっ!?」
「ふふっ……それで当日、冬市郎くんを呼び出して、そのデートの光景を見せつけてやるんスよ。大切な唯一の友人が自分以外の異性とイチャイチャしているのを目にすると、どれだけ悲しい気持ちになるのか……この胸の苦しみを冬市郎くんにもわからせてあげればよかったッス! まあ、告白を断わっちゃったんで、もう無理ッスけどね!」
その言葉を最後に、キーナは部室を後にした。
黒髪のポニーテールを振り乱しながら部屋から出ていく少女を見送ると、僕は机の上に残された二人分のマグカップを片付けはじめる。
「キーナ、嫉妬シテイタナ」と右足が言った。
「アレハ完全ニ、『恋スル乙女』ニ見エタノダガ?」と左足が続ける。
そんな足の裏たちの会話に、僕も加わった。
「本人にその自覚がないのが厄介なんだよ。僕も今のあれは恋愛感情なんじゃないのかって思っているんだけどさ。でもキーナは、なんでもかんでも友情に結び付けちまうからな」
そう言って僕は、苦笑いを浮かべた。
* * *
「あの……。右手のこのオープンフィンガーグローブと首のチョーカーなのですが、そろそろお返ししてもよろしいでしょうか?」
僕がそう切り出すと、瀬戸灰音はその黒々とした大きな瞳に涙を浮かべた。
「ふむ。ま、まあ……冬市郎がそれを望むのであれば、ぐすん……わ、わらわは、別に構わ……ぐすん……構わぬが……」
銀髪のおかっぱ頭が静かに揺れると、少女はポロポロと大粒の涙を流しはじめる。
コーヒーの後片付けを終えてジャリ研の部室を後にした僕は、自宅である『中二病喫茶・ブラックエリクサー』に帰ってきていた。
いつも通りガラガラの店内。
そこに僕が顔を出すと、すぐに灰音が駆けつけてきたのである。
赤い着物を洋風に改造したような衣装で上半身を覆い、下半身はそれに合わせたミニスカート。そして左手には、僕とおそろいのオープンフィンガーグローブ。
『
だが僕は、そんな少女を泣かせてしまったのである。
「うっ……うう。すまんな、冬市郎。わらわも突然のことで、心の準備が出来ておらんかったでのぉ……ぐすん。そうか、わらわとの思い出の品は、お、おぬしにはもう不必要なものとなったのか……ぐすん」
そう言うと灰音は、両手で顔を覆ってその場でしゃがみ込んだ。
スカートが短すぎて、その気になればおそらく少女の下着をチラ見することもできただろう。おまけに彼女がしゃがみ込んだことで、その恵まれた豊かなバストが生み出す美しく魅力的な胸の谷間が僕のすぐ眼下に広がっている。
だがもちろん、それらを観賞している場合ではない。
「のぉ、冬市郎よ……」
「はい……」
「毎日欠かさず身につけてくれていた、わらわとの思い出の品をいきなり返したいということは……やはり、わらわに何か落ち度でもあったのかのぉ……ぐすん」
「えっ……」
「わらわと距離をとろうということなのか? わらわがこの店で使えない子だからか?」
「い、いや……そういうわけじゃ」
灰音は両手で顔を覆ったまま銀髪を静かに震わせる。
「ぐすん……。ここ最近、この喫茶店で毎日のように奉公させてもらっておった。だが、わらわは接客術において、他の先輩方の足下にも及ばん。正直、自分で思い描いておったレベルの接客には到底達しておらんでのぉ……ぐすん。まあ、自分でいうのもなんなのだが、普段は強気なわらわも、さすがにここ最近は毎日くじけそうで……ぐすん」
驚くほど弱気な少女の姿に、僕は話を切り出すタイミングを完全に間違えたことを悟った。
きっと、OFGとチョーカーの返却交渉は、灰音の心が弱っている今ではなかったのだ。
すると店長である僕の姉・印場美冬が、灰音の異常に気がつき駆けつける。
「どうしたの、灰音ちゃん!?」
ふわっとした茶色い巻き髪と豊満なバストを弾ませながらやって来た二十五歳の女性。
いつも通り、黒いゴスロリ風の衣装を身につけ、右目に白い眼帯をし、左腕を包帯でグルグル巻きにしている。
灰音は立ち上がると、涙で濡れた両目を
「姉様、申し訳ないです。ちょっと、動揺してしまって……」
「灰音ちゃん、大丈夫?」
「も、もう大丈夫です」
「灰音ちゃん……まだ少し早いけど、先に休憩に入ってもらってもいい?」
「……はい。すみません」
灰音はこくりとうなずくと、素直に店の奥へと引っ込んだ。
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