088 組織的なイタズラ

 それから僕は、男が立ち去ってからさらに充分と思えるほどの時間を廊下で潰した。

 そして、何事もなかったかのようにジャリ研の部室に顔を出す。


「ただいま、キーナ」


 ポニーテールの少女は、どこか少し落ち込んだ様子でマグカップを握り、パイプ椅子に座ってぼーっとしていた。

 先ほどのダメージを、まだまだ引きずっているといった雰囲気である。

 しかしそれでも彼女は、僕の姿を目にすると、またたく間に明るい笑顔を浮かべたのだった。


「おかえりなさい、冬市郎くん」


 いつも通り部室の中は、コーヒーの香りで満たされていた。

 すぐにキーナは、いつもそうしているように、僕のマグカップにコーヒーを注ぐ。

 僕の方はパイプ椅子に腰を下ろすと、女子中等部でみどり子との間にあったことを何も隠さず正直に報告した。


 今日も相変わらず奇妙なブログを二人で読んだこと。

 やめろと言ったにもかかわらず、みどり子がまたスクール水着みたいな衣装で待ち構えていたこと。

 ちゃんと睡眠をとれと彼女に強く言ったこと。


 そんな報告が一通り終わると、キーナはうんうんとうなずいて微笑む。

 それから僕が、マグカップに口をつけたところで彼女がこう言った。


「ところで、冬市郎くん――」

「んっ?」

「さっきのあれ……廊下の陰からコソコソ見ていたッスよね……」


 僕は、「ぶっ!」とコーヒーを吹き出した。

 そんなこちらの様子をキーナは、栗色の瞳で少し憂鬱ゆううつそうに眺めている。

 僕は床に広がったコーヒーを手早く拭き取りながら苦笑いを浮かべた。


「の……のぞいていたの……ば、バレてた?」

「バレバレっすよ。自分、けっこう勘が鋭い方なんで――」


 キーナはそう言って静かにうなずくと、話を続ける。


「それに、部室に入って来たとき、冬市郎くんの様子がかなりそわそわしていたんスよね。それで確信に変わったッス」


 僕は、「はあ……」とため息をつくと、床から顔を上げて言った。


「キーナ、告白されていたんだよね。けっこうカッコいい奴だったよな」

「そうッスね」


 そう答えると少女は、顔をやや斜めに傾け、細めた両目で品定しなさだめでもしているかのように僕の顔を眺める。


「まあ、ルックスなら冬市郎くんの方が、遥かにカッコいいと思うッスけど」


 すぐに足の裏たちが、不満気に訴えた。


「キーナノ目、節穴フシアナ!」と右足が言う。

「良イ眼科医ヲ、今スグ探セ!」と左足が続ける。


 僕は、顔にこそ出さないが、足の裏たちの反応に心の中でムッとした。

 キーナの方は、さらに両目を細めると、じとーっと僕を見つめ続けながら言う。


「――でも、ルックスはともかく、女の子が百人いたら、百人が冬市郎くんではなく彼の方を選ぶんじゃないッスかね?」

「えっ……」

「彼はたぶん、人の告白を廊下の陰からコソコソのぞき見するような悪趣味な人間ではなさそうッスから」


 僕は心臓の辺りを手で押さえつけながら、「うっ……」と顔を引きつらせる。


「き、キーナ……怒ってる……よね? のぞき見したのは悪かったよ。あれは本当、たまたまタイミングが悪くて、つい……」

「そうスか」

「ごめん」


 と、僕は頭を下げる。

 するとキーナも、こちらに向かって頭を下げてきた。


「いえ、いいんスよ。こちらこそすみませんッス。そんなつもりはなかったんスけど、どうやら自分、冬市郎くんに八つ当たりをしてしまったみたいッスね……」

「まあ、あんなことがあった後だと、キーナだって心に余裕がなくなるよな」


 僕がそう口にすると、キーナは少し遠い目をしながら話の先を続ける。


「……自分では出来るだけ失礼のないように、彼の告白を断らせていただいたつもりなんスけど……。どうだったスかね……?」

「いや、それなりに丁寧に断っていた方だと思うけど」

「彼が、『友達からお願いします』なんてことを言い出すから、途中で一回キレかけちゃったッスよ。はあ……。自分、心が狭いッスね。駄目駄目ッスよ」


 その件に関しては僕も、フラれた男のことをさすがに気の毒に思った。

 彼は友達になってほしいと頼んだ相手が悪すぎるのだ。『友達』に対するキーナの思い入れや価値観は、特殊過ぎるのである。


「でもさあ、キーナってやっぱりモテるんだな。ははは……」


 僕がそう口にするとキーナは、ムッとした表情でにらんできた。


「全部、冬市郎くんのせいじゃないッスか!」

「えっ?」

「こんなことになっているのは、窃盗事件の真犯人が捕まった直後からなんスよ? 冤罪えんざいだとわかった途端、知らない男子たちが急にチヤホヤしてきて困っているッス」

「はあ……?」

「あの人たちの目には、この栄町樹衣菜のことが『無実の罪で苦しんだ悲劇のヒロイン』として映っているんスかね? だからきっと錯覚で、実際の一〇八倍ぐらい可愛く見えているとか、そんなんなんスよ! そうとしか考えられないッス!」


 そう言い終えるとキーナは、両目を閉じて首をブンブンと横に振る。


「イヤ、錯覚デハナイダロ。キーナハ元々可愛イ」と右足が言った。

「アア。キーナは元々可愛イ」と左足が続ける。


 それからキーナは、僕にこう尋ねてくる。


「冬市郎くん。そもそも、これまで一度も話したことのない人たちばかりだったッスけど、急に告白とか出来るもんなんスか? 自分は恋愛には疎いので、ちょっと……」


 彼女の言葉に僕は首をかしげた。


「んっ? ちょっと待てよ、キーナ。『これまで一度も話したことのない人たちばかり』って……『人たち』ってことは、告白されたのは、さっきの男からだけじゃないのか?」

「い、いえ……。まあ……」


 キーナの声量がぐっとしぼられる。

 僕はキーナの目をまっすぐ見つめながら質問した。


「おい、キーナ。今日の奴を含めて二人か?」


 キーナはピクリとも動かない。


「じゃあ、三人? ……えっ、四人?」


 少女の栗色の瞳が、ツーっと右に動いた。


「えっ、四人! 窃盗事件の真犯人が捕まって、まだ一週間ちょっとしか経っていないのに!? この短期間で、もう四人から告白されたのかよ! 嘘だろ!?」

「じ、自分だって信じられないッスよ!」


 キーナは顔を引きつらせると、アゴの下に手を当てて両目を細める。


「うーん……。だからこれはきっと『組織的なイタズラ』だ、と自分は疑っているんスよね……」

「組織的なイタズラって……」

「校内になんらかの闇の組織があって、この栄町樹衣菜を誰が最初に落とせるか、ゲーム感覚で競争とかしているんスよ」

「はあ?」


 今度は僕が両目を細めたのだが、キーナはこちらの様子には構わずに自論を披露し続ける。


「自分が告白を受け入れるじゃないッスか。それで、舞い上がってオシャレして、のこのこと初デートの待ち合わせ場所に行くんスよ。そうしたらきっと、ニヤニヤ笑った怖い男たちが、たくさん待ち構えていたりするッス。おお、怖い怖い!」


 キーナは両手で頭を抱える。

 僕は後頭部をポリポリと掻きながら言った。


「えっと……。キーナのその発想も、どうかと思うけど……」

「いやいや、きっとそうッスよ。でも、今日で四人目でしたからね、これで『告白四天王』は全員倒して、組織のイタズラはきっともう終わりッスよ……あはは。この栄町樹衣菜、騙されませんでしたよ! セーフ、セフセフっす!」

「なんだよ、告白四天王って……」


 僕は苦笑いを浮かべると、キーナに告白した四人の男たちのことを少し気の毒に思った。

 けれどその一方で、とりあえずキーナが誰からの告白も受け入れていないことがわかり、ものすごくホッとしたのである。

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