053 コーヒーにミルクを入れたい

 灰音の様子をもう少し観察してみよう――。

 そう思った僕は、こんなことを口にしてみる。


「あっ、そうだ。すみません、店員さん」

「クククッ……どうした、お客様。もしかして、料理のあまりのおいしさに、シェフにひとことお礼でも言いたくなったのか?」

「――ああ、いえ。そうじゃなくて」

「ふむ。では?」

「食後の飲み物を注文したいのですが、そのぉ、何かおすすめはありますか?」

「クククッ……食後におすすめの飲み物か――」


 灰音はOFGを装着した左手で顔の半分を不敵に隠すと、質問に答える。


「クククッ……この店では、『ほど温かい漆黒の雫の集合体』に余計な物は何も加えず、深淵しんえんの黒のままで飲むのがおすすめだ」


『ほど温かい漆黒の雫の集合体を、深淵の黒のままで飲む』


 ――つまり、『コーヒーをブラックで飲む』ということだ。


 僕は小さくうなずいた。


「わかりました。では、そのおすすめの、『ほど温かい漆黒の雫の集合体』をひとつお願いします。ただし、店員さん……」

「んっ?」

「僕はえて、その深淵の黒に、『けがれ知らずの白き心』を少量加えたい――」


 灰音の目をまっすぐ見つめながら、僕はキリリっとした表情でそう口にした。


 中二病ウェイトレスとして働いていれば、逆に客から『中二病的な注文』をぶつけられることもあるだろう。

 その場合の灰音の反応をテストしようと、僕は仕掛けてみたのだ。


 銀髪の少女は、両目を細める。


「ほう……。お客様は敢えて、『穢れ知らずの白き心』を加えると?」

「ああ。そうすることでカップの中に、黒と白が同居してマーブル模様のダンスを踊るような、そんな平和な新世界を創りだしてみたい。だから、それ相応の準備をお願いします」


『深淵の黒に穢れ知らずの白き心を少量加えたい』


 つまり、『コーヒーにミルクを入れたい』と、僕は遠回しにお願いしているわけだ。

 そして、僕がそれに続けた言葉――。


『カップの中に、黒と白が同居してマーブル模様のダンスを踊るような、そんな平和な新世界を創りだしてみたい』


 これに関しては、自分でも意味不明である。

 僕が何を言っているのか、僕自身にもわからない。


 灰音は、声を出して笑った。


「クククッ……なるほどのぉ。まさかお客様が、カップの中に黒と白が同居する新世界を創ると……」

「ああ」

「つまり……お客様よ…………それって、どういうことかのぉ?」


 銀髪の少女は、そう尋ねながら小首をかしげる。


「ふふふっ……店員さん。詳しく訊かれると、僕もよくわからん」


 そう言うと僕は、両目を静かに閉じた。

 これ以上の質問は受け付けない……なんだか恥ずかしいのでシャットアウトである。

 僕は再び両目を開くと、こう口にした。


「店員さん。とにかく、ミルクも下さい」


 注文を受けた灰音は、オーダーを厨房に伝える芝居をするために、再びテーブルの前から立ち去った。

 その間に僕は、『エア穀物を包みし黄色き被膜(オムライス)』を食べ終える芝居をする。

 すると灰音が、食後の『エアほど温かい漆黒の雫の集合体(コーヒー)』と『エア穢れ知らずの白き心(コーヒーミルク)』をテーブルに運ぶ演技をした。


 こうして、テストを兼ねた接客練習は一通り終わったのである。




「とりあえず今日は、これで終わりということで」


 僕は微笑みながらそう言うと、灰音を自分の向かいの席に座らせた。

 赤い改造和服を揺らしながら銀髪の少女は、椅子に腰を下ろす。

 笑顔の僕とは対照的に、灰音はその顔に不安の色を浮かべている。

 しかし、続けて僕がこう言うと――。


「僕が言うのも偉そうなんだけど。はじめてなのに灰音は、上手に中二病ウェイトレスをやれていたと思うよ」


 灰音は勢いよく立ち上がり、銀髪と大きな胸を嬉しそうに弾ませた。


「そっ、そうか!」

「うん。正直、想像していたよりもずっと良かった。姉ちゃんにも、灰音の接客は上手だったって伝えるつもり」

「あ、ありがとうだ、冬市郎!」


 灰音は、バンっとテーブルに両手をつくと椅子から腰を浮かせる。

 そして、前のめりの姿勢になって僕の顔をのぞき込んできた。


 銀髪からだろうか、それとも彼女の首筋からだろうか――。

 柑橘かんきつ系の甘い香りが漂ってくる。


 気がつけば僕の視界には、灰音の胸の谷間が飛び込んできていた。

 彼女がテーブルに両手をついて前のめりの姿勢になっているせいで、赤い改造和服に包まれた胸の谷間が丸見えなのだ。

 心臓が、バカみたいにバカバカと早鐘はやがねを打ちはじめた。


 僕の眼前に無防備にさらされた、とても柔らかそうな胸部。

 そこに薄っすらとにじんだ少女の汗が確認できる。


 接客テストの緊張からか、灰音はそれまでずっと発汗していたのだろう。

 汗が一筋、胸の膨らみの上をなめらかな曲線を描いてすべり落ちていった。


 僕は少し落ち着こうと、軽く咳払いをした。

 それから名残惜なごりおしくはあるが、灰音の胸の谷間から目をそらして話を続ける。


「う、うん……接客も特に大きな問題はなかったと思うし、僕はもう明日からでも、灰音に働いてもらいたいぐらいの気持ちでいるよ」


 嬉しそうに、こくりとうなずく灰音。


「うむ。わらわはすぐにでも働けるぞ、冬市郎」

「ありがとう。でもまあ、それを最終的に決めるのは姉ちゃんだからさ。灰音のその気持ちは、ちゃんと僕の方から姉ちゃんに伝えておくよ」


 そう言って僕は、微笑む。

 しかし心の中ではひっそりと、こんなことも思っていた。


 ――灰音の場合、下手に大森さんを真似まねて、中二病を演じるよりも、素のままで接客した方が中二病レベルは高そうなんだけどなぁ……。


 そのことは後で、姉にきちんと話しておこうと思った。

 それに、灰音がこのままの方向に進んでいくと、マッドサイエンティスト大森とキャラがかぶってしまう。きっと、いくらか調整も必要である。


 一方で灰音は、すっかり緊張が解けたのか再び椅子に腰を下ろし、リラックスした様子で微笑んだ。


「もし、姉様に採用していただけたら、わらわはたくさん練習して、出来るだけ早く一人前の中二病ウェイトレスにならんとな、ふふふっ」


 彼女につられて僕も、にこりと笑う。


「ふふっ、よろしく頼むよ灰音。ところで――」


 僕はキーナが持ってきたアイメイボックスを、テーブルの上に並べはじめた。


「あのさ、灰音。ずっと言いそびれていたんだけど、この箱……中等部で集めて来たよ。全部で六つある」


 僕と灰音の間に、オレンジ色の小箱が六つ並ぶ。

 それを目にした刹那――。

 銀髪少女の表情が、ガラリと変わった。

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