051 テストを開始します
試験官の足の裏までもが、審査対象である灰音に思わず肩入れしてしまう。
それほどまでに独特な空気が周囲に漂うと、僕は妙なプレッシャーを感じはじめた。
もちろん僕だって左足が言う通り、
『灰音には、この中二病喫茶の救世主になってもらいたい』
と考えている。
野球で例えるなら灰音は、将来『不動の4番打者』になる可能性を秘めた貴重な
そして、もし契約更改なんかあれば、提示された年俸におそらく文句のひとつも言わないだろう、経営者にとっては仏のような存在でもある。
そんな灰音の心がこれ以上折れないよう、上手くテストをしなくてはならない。
緊張感が僕の背中に冷たい汗を走らせる。
首のチョーカーをいくらか指でいじった後、僕は前髪をかき上げた。両目を細め、奥歯をギリリっと噛みしめる。
これから、いくぶん神経を使う作業に挑まなければいけないのだ。
『未来の救世主』をテストするという責任重大な役目。
僕は『困惑』と『手探り感満載』といった気持ちで、胸がいっぱいだった。
「コホン」と小さく咳払いをすると、僕は覚悟を決めて灰音に言う。
「それでは、テストを開始します」
銀髪の少女は、黙ったままこくりとうなずいた。
心の準備は、もう出来ているといった様子である。
僕は続けて口を開いた。
「じゃあ、いくよ……よーい、スタート!」
言い終わると同時に僕は、開始の合図として両手をパンっと打ち鳴らした。
その音を耳にした刹那――。
灰音はすぐに、カチリとスイッチが入ったようだった。
彼女の顔つきが、仮面でも付け替えたかのようにガラリと変わる――。
「クククッ……クククククッ……いらっしゃいませだ、お客様よ」
先ほどまでのしおらしい表情は、
銀髪の少女は、不敵な笑みを浮かべる。
そして、お客様役の僕に向かって必要以上にゆったりと頭を下げた。
たっぷりと時間をかけて。頭のつむじをわざと僕に見せつけているかのように、深々とこうべを
それは、何か奥の手を二つも三つも隠し持っている人物がするような、どこか余裕と含みのある動作――。
そんな中二病フレーバー漂う振る舞いだった。
なかなかの雰囲気に僕は感心した。
おおっ! なんだか……これは……。
想像していた以上にいい感じだ!
心の中でそう声を上げながら、僕は両目を大きく見開く。
あきらかに『ただ者ではないウェイトレス』が、目の前に立っている。
奇抜なデザインの衣装。
美しい顔が浮かべる不敵な表情。
そして、全身から放たれる痛々しい雰囲気――。
どれをとっても、やはり普通の少女ではない。
僕はごくりとツバを飲み込み思った。
これは、間違いなく中二病の少女だ!
今……僕の目の前で……本物の中二病の少女が、ニセモノの中二病の姉から教わった、中二病ウェイトレスの演技をしていやがる…………って、ややこしいなっ!
僕のそんな心の声など、もちろん知ることもない灰音。
彼女は、店長から簡単に手ほどきを受けただろう『中二病の演技』を続ける。
「お客様は、お一人様だな?」
「はい」
「クククッ……そう思ったぞ」
「えっ?」
「いや、なに……お客様よ。おぬしは誰かといっしょにいるよりも、その見た目から、一人でいる方がよく似合っておると思ってな……」
「なっ……」
「だからわらわは、おぬしを一目見たときから、きっとお一人様でこの店にやって来たのだろう、と思っておったのだよ……クククククッ」
言われたことを落ち着いて分析すれば、孤独なのをなんだかバカにされているように思えなくもない。
ただ、今はそれを、特に問題にすることもないだろうと判断する。
僕は苦笑いを浮かべながらも、灰音の接客をこのままもう少し見守ってみようと決めたのだった。
やがて灰音は、僕をテーブルへと案内しはじめた。
そして、店内を二人で移動中のことだった。
銀髪の少女は突然立ち止まり、何やら意味ありげな様子で視線を窓の外へと向けた。
「んっ?」と僕は首をかしげる。
灰音が見つめた先に、僕も視線を向けた。
だが――。
特に変わったものは目に入らない。いつもの見慣れた景色が広がっているだけだ。
気がつけば灰音は、何事もなかったかのように再びテーブルに向かって歩きはじめていた。
不思議に思い、僕は尋ねる。
「あの……今の不自然な動きは何? 窓の外に何かあるの?」
「クククッ。お客様、窓の外には特に何もないかのぉ……クククッ」
「えっ?」
テーブルに向かって歩きながら灰音は話を続ける。
「ふむ。実はわらわはのぉ、お客様の姉様から言われておったことを、たった今、実践してみたのだ」
「姉ちゃんから?」
灰音は前を向いたまま、こくりとうなずく。
「うむ。『チャンスがあったら立ち止まって、とりあえず窓の外を五秒ほど眺めてみなさい』なんてことを言われておったからのぉ」
「はっ?」
「ふむ。まあ、その行動に何の意味があるのか、わらわにもわからぬ。だが、冬市郎のその様子を見る限り、何かしら意味があったのかもしれんのぉ」
――急に立ち止まり、意味もないのに意味ありげな様子で窓の外を眺める。
確かにそれは、中二病っぽい行動のひとつかもしれない。
実際に中二病の人物が、目の前でそんなことをしていたら?
周囲の人間は、それを気にしてしまった時点で相手の思うつぼである。中二病であるその人物を喜ばせるだけだ。
そして今。
灰音のそんな行動を、僕は見事に気にしてしまったのである。
普段であれば僕は、そんなことでいちいち心にダメージなど受けない。
だが、今回は違った。
その『中二病的な小技』を灰音に仕込んだのは、姉の美冬なのだ。
僕としては、灰音越しに姉から『ジャブを綺麗に一発入れられた』ような気分になり、少しだけ心がモヤモヤするのだった。
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