049 接客の練習
それから灰音が、僕に向かってぺこりと頭を下げてくる。
「――というわけで、これからここで働かせてもらうからのぉ。よろしく頼むぞ、冬市郎」
僕も深々と頭を下げた。
「こちらこそ。灰音、この店のことを本当によろしくお願いします」
姉は、僕と銀髪少女のそんなやり取りを目にすると、両手をパンパンと打ち鳴らしながらこう言った。
「さあ、これで新しいアルバイトさんも見つかったわね。まあ、しばらく仕事に慣れるまでは研修期間中のお安い時給でもオッケーってことだし、灰音ちゃんは物分りがよくて本当に助かるわぁ……クククッ」
僕は姉の様子を目にして、顔を引きつらせる。
姉のこの『クククッ』笑い――。それが、中二病を装った演技としての笑い声ではなく、なにか
一方で灰音は、給料のことなどたいして気にもしていない様子だった。
銀髪おかっぱ頭を揺らしながら、彼女は僕の方をまっすぐ向いて微笑む。
「ふふっ、冬市郎よ。これでまた昔の――
少女の優しい笑顔が、僕にはまぶしかった。
光り輝く銀色の髪と黒々とした大きく美しい瞳は、どこか神々しさすら感じさせる。
そんなものを前にして僕は、緊張しながら「お、おう……」と少し情けない声を出す。
灰音は、僕といっしょに過ごせる時間が増えることを、心の底から喜んでいる様子だった。
純粋な笑顔を浮かべる彼女。
その隣では、灰音の物分かりの良さを利用して、少しでも安い賃金で働かせようとしている姉が、イヤらしい笑みを浮かべている。
僕の目の前で対照的な笑顔を浮かべる二人。
彼女たちを見比べていると……。
僕は、自分の身内がどこか薄汚れた心の持ち主のように思えてきて、思わず顔を両手で覆いたくなった。
やがて、薄汚れた心を持つゴスロリ店長が口を開く。
「クククッ……。真面目に働いてくれそうな子が見つかって本当に満足だわ。人材を見つけるのにこれ以上手間取っていたら、疲労の
姉のその発言を、僕はすぐに訂正する。
「いや、姉ちゃん。右目のそれはサファイアじゃなくてルビーって設定だし……。そのルビーは疲れたら割れるんじゃなくて、本当の愛を知ると割れるって設定だし……」
「そうだったっけ?」
と首をかしげる姉。
「そうだよっ! 姉ちゃんが自分で決めた設定だろ? それなのに設定が、ぐらぐらだよ……」
ため息をつきながら僕は頭を抱えた。
灰音の方は、姉と僕を眺めながら「仲の良いきょうだいだのぉ」とつぶやき、両目を細めてクスクスと笑う。
それから姉が、何かを思い出したかのように、「あっ、そうだ!」と声をあげた。
彼女は僕の両肩に手を置いてこう言う。
「……ねえ、冬市郎。お願いがあるんだけど」
「なっ、なんだよ……」
「灰音ちゃんの接客練習の相手をしてくれない?」
「接客の?」
僕がそう聞き返すと、姉は茶色い巻き髪を揺らしながら、うんうんと二度うなずいて話を続ける。
「冬市郎。灰音ちゃんには、この店の接客方法を一応わたしの方で、ひと通り説明しておいたからさ」
「そうなんだ」
「うんうん。だから、彼女がその説明をちゃんと理解できているかどうか、あんたがテストしておいてくれる?」
「僕がテストを?」
「そうよ、接客のテストをするの。あんた、時々嫌味なぐらい細かいことに気がついたりするじゃない? だから、きっと適任よ」
そう言うと姉は、僕に向かって軽くウインクした。
僕は苦笑いを浮かべながら言い返す。
「……僕が細かいことに気がつくんじゃなくて、姉ちゃんが色々とおおざっぱ過ぎるんだよ」
「あはは。まあ、そんなの今はどっちでもいいわ。とにかくお願いね、冬市郎」
そう言い残すと姉は、鼻歌を歌いながら店の奥へと消えていく。
「ちょっ……姉ちゃん……」
黒いゴスロリ風の衣装を軽やかに揺らしながら、姉は振り返りもせずに遠ざかっていった。
僕の隣では、赤い改造和服を身につけた銀髪の少女が、ペコリと頭を下げる。
「ふむ。では、冬市郎よ、よろしく頼む」
「お、おう……」
そう返事をしながら僕は、OFGをはめた右手で首のチョーカーをいじった。
銀髪の少女は、どこか楽しそうな様子でこう言う。
「うむうむ、いっしょに訓練か。悪くない。二人でたくさん修行をした、あの頃を思い出すのぉ」
もちろん僕にそんな記憶はない。
そこでとりあえず、「はははぁ……」と愛想笑いを浮かべると、僕は彼女に向かって言った。
「じゃあ、灰音。さっそく接客の練習をしようか?」
「ふむ」
そして僕たち二人は、接客の練習をはじめるのだった。
まず僕は、灰音を連れて喫茶店の入り口へと戻る。
「じゃあ、灰音。僕がお客さん役で、扉を開けて店の中に入るところからスタート――ということでいいかな?」
「ふむ。かしこまりだ、冬市郎よ」
赤い改造和服を身につけた少女は、真剣な表情を浮かべて、こくりとうなずく。
「よし。じゃあ、接客テストをはじめよう」
「それでは、わらわは姉様に教えてもらった通りに接客してみるかのぉ」
「うん、とりあえずそれで頼むよ。じゃあ僕、一度店の外に出るからね」
カランコロンとノーテンキなドアベルの音を響かせながら、僕がガラス扉を開けて店の外に出る。
すると、銀髪の少女がすかさず扉の鍵を内側から閉めた。
カチャリと響く鍵の音――。
僕はすぐそれに気がつき、店の外側から扉を開けようとする。
だが、扉はゴンゴンと重い音を立てた。
鍵がかかっているので、開くことはないのだ。
店の外から僕は、店内にいる灰音に尋ねる。
「あ、あの……灰音……。どうして内側から鍵をかけて、僕を閉め出すの?」
ガラス扉の向こうから銀髪少女の、ややくぐもった声が届いた。
《ふむ。姉様が、『この喫茶店では、お客様の予想できない行動をすると喜ばれることが多い』と教えてくれたからのぉ。とりあえず先手を打ってみたのだが……どうだ、冬市郎よ》
ガラス扉越しに僕は、少女の質問に答える。
「いや……さすがにこれは予想していなかったよ……。今から接客のテストをしようと思っていたのに、試験官の僕が、こんなカタチで店を閉め出されるなんて……」
再びガラス扉の向こうから、灰音のくぐもった声が聞こえてくる。
《うむ。このような行動、普段の自分であれば、どうかしておると思うところだがのぉ。しかし、中二病喫茶のウェイトレスとして姉様の教えに従えば、わらわのこの行動はあながち間違ってはおるまい?》
そう言われて僕は、苦笑いを浮かべながら話を続けた。
「あは、あははぁ……。いやぁ、灰音は間違っていないよな。うんうん、灰音は悪くない。僕の姉ちゃんの教えに、素直に従っているだけだもんなぁ。だから、間違っているとしたら、姉ちゃんの教え方だなぁ……あははぁ」
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