043 子分っぽい男友達
新校舎と旧校舎をつなぐ連絡通路。
そこに向かって僕たちは、廊下を歩きはじめる。
キーナが前を歩き、その少し後ろを僕が緊張しながらついていく。
少女の黒髪ポニーテールが弾み、制服のスカートが軽やかに揺れていた。
前方のそんな素敵な光景を眺めながら僕は思う。
今、自分の目の前を歩く彼女は、本当にあの栄町樹衣菜なのだろうか、と――。
それに、あの語尾などに『ス』を付けるしゃべり方は本当に何なのだろうか、という疑問も胸の内で息を吹き返し、どんどん膨らんでいった。
「印場くん。まあ、こんなことになって質問のひとつやふたつ、当然あるッスよね?」
前を歩く少女は、僕の何か物言いたげな気配を察したのだろうか。軽く後ろを振り返ると、僕に向かってそう言った。
「うーん。まあ、質問というか……」
僕はポリポリと後頭部を掻きながらそう言うと、続けてこんなことを口にする。
「ねえ、栄町さん。今から簡単なクイズを出してもいいかな?」
「ん!? クイズっすか?」
きっと、僕のその発言は、キーナにとって予想外だったのだろう。
小さく首をかしげながら彼女は歩く速度を落とすと、やがて僕のすぐ隣に並んだ。
横並びになると、少女のほんのりとした甘い香りが僕の鼻に届く。
少しドキッとしながらも僕は、隣を歩くキーナにクイズを出しはじめた。
「……では、問題です。すっぱい調味料といえば?」
「お酢ッスか?」
「正解。続いて――性別でメスの反対は?」
「オスっす」
「じゃあ、ロウソクなんかを燃やしていると、天井などに黒いものが……」
「すすッスね」
「北海道の
「すすきのッス――」
そう答え終えると同時に、キーナはピタリと足を止めた。
旧校舎へ続く連絡通路までは、まだ距離がある。だが彼女は、廊下の途中で立ち止まった。
そして、アゴの下に手を当てて何やら考えはじめる。
キーナにあわせて僕も歩くのを止めた。
周囲をキョロキョロと見渡す。
人影はない。その場には僕たち二人以外、誰もいないようだった。
「あのぉ、印場くん……。このクイズなんスけど……」
探りを入れるような上目遣いで、キーナは僕の顔を見上げる。
「たぶん印場くんは、自分に『ス』って言わせるのが目的なんスよね?」
「う、うん……まあ」
「やっぱり、そうスか……」
キーナは、うんうんとうなずくと話を続ける。
「印場くんが、この簡単なクイズで自分に伝えたいこと……それはわかっているつもりッス」
「お、おう……」
「要するに、自分のこのしゃべり方が気になって仕方がないってことを、印場くんは遠回しに言っているんスよね?」
僕は、キーナから目をそらして答える。
「そのぉ……こんな遠回しなやり方でごめん。気にするなと言われたけれど、やっぱりそのしゃべり方がすごく気になって……」
「そうスか」
僕は首の後ろをポリポリ掻くと、再びキーナに視線を戻す。
「えっと……。僕の知っている栄町さんは、そんなしゃべり方じゃなかったし……この短期間で何だか栄町さんが別人になってしまったような、そんな気がするくらいだよ……」
「別人……スか……」
「ああ、うん……。ねえ、栄町さんがそんなしゃべり方になったのって、やっぱりあの事件が原因なんだよね?」
僕がそう質問すると、キーナは観念したような表情を浮かべた。
それから彼女は、『ス』を付けて話す理由を、説明しはじめる。
「うーん。この『ス』を付けるしゃべり方なんスけどね……」
キーナは少し恥ずかしそうな様子でそう口にすると、一度「コホン」と咳払いをしてからこう言った。
「ま、まあこれは、自分なりに『子分っぽい男友達のしゃべり方』を研究した結果なんスよ」
それを聞いて僕は、思わず大きな声を出した。
「はっ!? 子分っぽい男友達のしゃべり方!?」
「えっ!? そ、そうッスよ? どこか変スか?」
「えっ?」
「はっ?」
僕たち二人は見つめ合う。
僕は口をぽかんと開けており、キーナはその大きな両目でパチパチと、まばたきを繰り返した。
「え、えっと……印場くん。自分のこのしゃべり方、子分っぽくないスか? 駄目ッスか?」
「へっ?」
「これでも、すごい練習したつもりなんスけど……」
落ち込んだ様子で、キーナはうつむく。
僕は右手をぶんぶん振りながら慌てて話を続けた。
「い、いやいや、栄町さん……そういうことが問題じゃないんだ」
「んっ?」
「僕は、『子分っぽいしゃべり方』の完成度を問題にしているんじゃなくて……。そのぉ……『まるで話が見えてこないこと』に混乱しているんだよ……」
「話が……見えてこない……スか?」
ポニーテールの少女が不思議そうな顔で僕を見上げる。
そんな彼女の視線を受けながら、僕は苦笑いを浮かべた。
「ううっ……。なんだか、お互い思っていることが噛み合っていないみたいだなぁ……」
「そ、そうスね……。なら、印場くん。とりあえず一度、一緒に深呼吸をしてみないスか?」
「う、うん……。それがいいかも」
僕と彼女は荷物を置き、お互い両手を上げながら大きくゆっくりと息を吸い込む。
そして、
「「ふー……」」
と、同時に息を吐き出した。
それから再び顔を見合わせて、うなずき合う。
「よし、少しは落ち着いたッスね」
「ああ」
「では、印場くん。話を続けてくださいッス」
「うん。そのぉ、僕がよくわからなくて混乱しているのは、どうして栄町さんが、『子分っぽい男友達のしゃべり方』なんてものを研究して、それを実践しているのかってことなんだよ」
キーナは、アゴの下に手を当てて考え込む。
「うーん……そうッスよね。落ち着いて考えてみれば、自分がその理由を印場くんに説明し忘れていたことに気がついたッス……」
「やっぱり」
「自分、さっきまで印場くんと話をすることに必死で、段階をすっ飛ばしていたんスね」
「ああ、うん。じゃあよければ、これからその理由を説明してくれるかな?」
こくりとうなずくキーナ。
だが、ポニーテールを踊らせながら彼女はすぐに首をかしげる。
「……でも、一体どう説明すればいいんスかね? うーん……。印場くん、説明をはじめる前に一度、頭の中でシミュレーションする時間をいただいてもいいスか?」
僕が「もちろん」と答えてうなずくと、キーナはニコリと微笑んだ。
「ありがとうッス。それでは、自分は歩きながら頭の中で考えをまとめるッスよ」
「そうか。じゃあ僕の方は…………何を言われてもいちいち驚かないよう、とにかく心の準備をしておくよ」
「ぜひお願いするッス。では、旧校舎に向かうッスよ、印場くん」
旧校舎に向かって歩き出すと、僕とキーナはどちらからともなく自然と横並びになった。
そして、黙々と足を動かし続ける。
キーナは頭の中をフル回転させているといった様子で、僕はとにかく呼吸を整えて少女の説明を待つのだった。
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