040 尋問

 職員室にある担任教師の机は、書類や筆記具、雑多な小物などであふれかえっていた。

 中年の男性担任と僕は、そんな雑然とした机の前で、キャスター付きの椅子をふたつ向かい合わせに並べて腰を下ろす。


 担任教師はまず、こう質問してきた。


「印場。昨日はどうして、授業を途中で抜け出したんだ?」


 膝の上に乗せた両手で僕は、ぐぐっと握りこぶしをつくる。

 そして、緊張しながら答えた。


「足を捻挫したからです。体育の先生に伝えて、ちゃんと許可をいただいてから保健室に行きました」

「ああ、聞いている。体育の先生からも、保健室の先生からも」


 じゃあ何で訊くんだよ……。

 そう思いながら僕は、くちびるを少しとがらせて話を続ける。


「先生。先にはっきりとお伝えしておきたいのですが、盗んだのは僕じゃないですよ」


 そう口に出してみて、僕は相手の反応をチラリとうかがう。

 だが、無罪を主張したところで、教師の顔が目尻のシワひとつピクリとも動かないのを確認すると、


「まあ……言っても無駄かもしれませんが……」


 と、僕は弱々しい声で付け加えた。


 駄目元で投げた言葉は、やはり効果を発揮しない。

 僕は、小さくため息をつく。


 中年の教師は、少しを置いてから、軽く咳払いをすると言った。


「印場、無駄なことはないぞ。別に私は、お前のことを犯人だと決めつけているわけでもない」


 それから教師は、胸の前で腕組みをして背もたれにもたれかかる。

 長年使い倒された椅子が苦しそうにギイギイ鳴くと、教師は言葉を続けた。


「ただな……カタチとして一応面談をやらなければいけないからな」


 言われた僕は、「はあ」と声を漏らすと、力なくうなずいた。


 周囲にいる他の教師たちは、僕たち二人の様子を特に気にすることもなく、各々の活動をしている。

 助けも邪魔も入りそうにない。

 そんな雰囲気の中、担任教師とその生徒である僕は、向かい合ったまましばし沈黙の時を過ごした。


 しばらくすると教師は、再び身体を起こす。

 もたれていた椅子が、またギイギイと音を立てた。

 それから、教師は僕の顔をのぞき込むと、少し強い口調で会話を再開させる。


「まあ、なんにせよ、印場。お前は昨日、疑わしい行動をとってしまったんだ。そのことは理解しているよな?」

「はい」


 もちろん、自分の行動に非があることは、僕もよくよく理解していた。

 だから素直にうなずく。

 すると、教師はさらに質問を続けてくる。


「印場。なぜ昨日は、体育の授業に戻らないで、私にも黙って帰宅してしまったんだ?」

「病院に行こうと思ったんです。帰宅するのを直接伝えなかったのは、そのぉ……」


 僕は、『栄町さんに伝言を頼んでいたからです』と言いかけて口ごもった。

 あの親切な少女の名前をここで安易に出すことで、彼女になにかしら余計な迷惑をかけてしまうのではないか……。

 そう迷い、僕が答えるのを躊躇ちゅうちょしていると――。


「栄町が伝言するって言ってくれたからだろ?」


 と教師が口にする。

 仕方なく僕は、「はい」とうなずいた。

 教師は、再び軽く咳払いをすると話を続ける。


「栄町が、『自分が、上手く先生に説明しておくから早退したら』というようなことを、お前に提案した――。私はそう聞いているぞ」

「はい、その通りです。早退することを先生に直接伝えなかったのは、そんな栄町さんの厚意に僕が甘えてしまったからです。……けど、それを知っていたのなら、どうして先生はわざわざ僕に質問したんですか?」


 問われて教師は、鼻から「ふーん」と息を出す。

 それから、後頭部をポリポリ掻きながら担任教師はこう言った。


「いや。私に黙って帰宅した理由を、お前の口からも直接聞いておこうと思ってな。まあ、一応確認のために質問したんだ」


 すでに知っていることを、改めて本人の口から確認をとっていく。

 取り調べをする以上、担任教師がそういった手順で尋問じんもんを誘導していくのは仕方がないのかもしれない。


 だが、そういったやりとりのわずらわしさは、容疑者扱いされ余裕のない当時の僕を、それなりにイライラさせるのだった。


 担任教師は、僕から目をそらすと話を続ける。


「栄町なんだが……。彼女、可愛そうにな。お前に早退を勧めたことで、ずいぶんと責任を感じていたみたいだぞ」


 そう言われて僕は、階段の踊り場でキーナと会話したことを思い出しながら答えた。


「はい、知っています。栄町さんとは今朝、話をしましたので……」


 中年の男性教師は、「そうか」と言ってうなずく。

 それから教師は軽く咳払いをした後で、少しわざとらしいぐらいに遠い目をしながらこう口にした。


「栄町なあ……昨日はうっすらと涙を浮かべながら、『ごめんなさい。印場くんに、あんな提案をしなければ……。やはり、先生に許可を取ってから帰ってもらうべきでした。本当にすみません』というようなことを、私の前で口にしてだなあ……」


 どこか芝居がかった口調だった。

 僕の心に揺さぶりをかけようとしている。そんないやらしさが、教師の声の中には見え隠れしていた。


「そうなんですか……。それは彼女に、なんだか申し訳ないことをしました」


 僕は、ぼそっとつぶやくようにそう言った。


 自分の行動のせいで、職員室でキーナを泣かせてしまった。

 そのことを知って僕は落ち込む。

 あの親切な少女が担任教師の前で涙を浮かべる場面を想像して、僕は前歯で下唇を噛みしめた。


 教師は、僕のそんな様子には構わず話を続ける。


「ああ、それとだなぁ。栄町に、『印場がものを盗んでいるところを見ていないか?』と尋ねたんだが……」


 そこまで口にすると教師は一呼吸置き、僕の様子をチラリとうかがった。

 もしこいつが犯人なら、ここで動揺してそれらしき反応を見せるのではないか――おそらくそんな淡い期待を含んだ視線が、僕に向けられる。

 けれど僕は、唇を噛んだままピクリとも動かない。


 僕の様子からは特に何も読み取ることが出来なかったのだろう。

 教師は、仕方ないなぁといった表情を浮かべて、再び口を動かすと、


「まあ……栄町は、お前が盗んでいるところは見ていないと答えたよ」


 と言葉を続けた。

 僕はうつむき、職員室の床に向かって吐き捨てるようにこう言った。


「そりゃそうでしょうね。そもそも僕は盗みなんてしていませんから、そんな場面を目撃されるわけがない」


 それから僕は、顔をあげると教師に尋ねた。


「それで、先生。栄町さんは、他に何か言っていましたか?」

「ん? ああ……そうだな。栄町は、お前をかばうような発言もしていたぞ。『印場くんが教室で、ものを盗んでいたような状況とは思えなかった』とも言っていたな」

「そうですか。本当にありがたいです」


 僕は微笑みを浮かべると、キーナに心の底から感謝した。

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