041 無責任で残酷な噂

 それから僕は、教師の目をのぞき込んで話を続ける。


「でも、先生。栄町さんがそこまで言ってくれているのに、どうして僕は今、疑われているんですか?」


 僕がそう質問をすると、教師は眉間にひび割れのようなシワを寄せた。

 そして一度だけ、「ふーん」と鼻息を出してから説明をはじめる。


「印場、それはな。栄町では、証人として不充分だからだ」

「栄町さんでは不充分……ですか?」

「ああ。彼女では、お前の潔白けっぱくを証明することはできない」


 そう言いながら教師はゆっくりうなずくと、僕にこう尋ねてきた。


「体育の授業中、栄町が教室に薬を取りに来る前から、お前は教室にいたそうじゃないか」

「はい。確かに僕の方が先に教室にいました」

「それだと、栄町が教室に来る前に、お前が財布なんかを盗むことは充分可能だっただろ?」


「はっ……?」と声を出しながら、僕は教師の言葉に大きく目を見開いた。

「いや、例えばの話だ、印場」と教師は苦笑いを浮かべて、さらに話を続ける。


「あらかじめ盗むターゲットを絞っておいて、彼女が来る前までに手早く済ませることだって出来たんじゃないか。どうだ?」


 僕は、ため息をつきながら首を小さく横に振る。


「さあ? 自分は、そんなことはしていないのでなんとも……」

「そうか。まあ、とにかく栄町では、お前の潔白を証明できないということだ」


 僕は、「はあ」と力なくうなずく。


「そして印場。逆にお前も、栄町の潔白を証明することはできない。お前が帰った後も、栄町はしばらく教室に残っていたそうだからな」

「僕が帰宅した後に、教室に一人残った栄町さんが盗んだ可能性があるってことですか?」

「あくまでも可能性だ。とにかくお前たちは、お互いがお互いの証人としては不充分だということを、はっきり説明しておきたいんだよ」


 僕は「ふー」と大きく息を吐き出すと、こう言った。


「理屈はわかります。でも、僕のことはともかく栄町さんは……さすがにあんな生真面目そうな人が犯人だとは思えませんが」

「まあな。私もそう思う」


 そう言って教師は、軽く微笑むと話を続ける。


「ちなみに、栄町に関しては昨日の放課後、彼女の財布やカバンの中、それと個人ロッカーなんかも確認したんだ。けれど、盗まれたものはどこからも出てこなかったよ」

「らしいですね。その話は本人からも聞いています」

「そうか」

「はい。それで、先生が調べてみたら、栄町さんは犯人じゃなかった。だから消去法で、もう一人の容疑者である僕が犯人だって……そういうことですか?」


 僕のこの発言に、教師の表情がくもった。


「おい、よせ。私は何も、自分のクラスの中に犯人がいるとは思っていない。カタチとして事情聴取をしているだけなんだ。お前が犯人だと決めつけているわけじゃないっ!」


 担任教師はやや興奮したのか、机を叩いた。

 周囲の教師たちが数人、僕たちの方にチラリと視線を送る。

 僕はごくりとツバを飲み込むと言った。


「先生。盗んだのは外部の人間かもしれないじゃないですか。そっちの方の可能性は考えないんですか?」

「私だって、外部の人間の仕業しわざだと願っている。私のクラスの生徒が盗んだとは思っていないし、ましてや、他のクラスやこの学校の生徒が盗んだとも思っていない。きっと外部の人間が学校に侵入し、たまたま体育の時間で誰もいなかった教室に忍び込み、盗んでいったのだと考えているさ。でもな……」


 担任は肉厚なその両手で、僕の両肩をがっしりと握る。

 僕が座っている椅子の背もたれがキイキイ鳴った。教師は僕の両肩に、ぐぐっと圧をかけながら言う。


「いいか、印場。お前は、ものを盗んだとか盗んでいないとかそれ以前に、その生活態度に問題があるんだからな。もう、私に無断で学校を早退するなよ。そのことをよくきもめいじておきなさい」



   * * *



 担任に許可を取らずに早退したこと。

 そのことに関しては、僕もさすがに反省していた。

 もちろん僕は犯人ではないので、窃盗犯であることは最後まで認めない。しかし、無断早退に関しては自分の間違いを認め、僕は担任に謝罪する。

 それから、反省文の提出を言い渡されると、窃盗犯の疑いを晴らせないまま教室に戻るのだった。


 その日の昼飯は喉を通らなかった。

 今にも泣きだしそうな精神状態が、海岸の波の反復運動のように続いた。

 けれど僕は、午後の授業を投げ出さず、気力を振り絞ってすべて受ける。


 授業で当てられたら真剣に答えた。

 黒板に書かれた問題を解けと言われたら、ちゃんと黒板の前まで出ていき、クラスメイトたちの冷たい視線を背中で受け止めながら、震える手で問題を解いた。


 そして一日をきっちり最後まで終えてから、僕は帰宅する。

 だが、心の中ではずっと、行き場のない怒りがこみ上げ続けていたのだった。




 職員室に呼び出されたその日の夜。

 僕は布団の中で眠れないまま一晩を過ごす。

 そして翌朝。寝不足と心労で重くなった身体を引きずるようにして、学校へ向かう。


 どうか話しかけないで、そっとしておいてほしい――。


 そんな雰囲気を全身から漂わせながら、教室で一日を過ごした。

 だが時々、好奇心旺盛おうせいな生徒がやって来ては、事件のことを尋ねてくる。


 僕はそのたびにまず、自分は盗んでいないことを告げた。

 それから、体育の持久走中に右足をひねった話と、早退することをキーナに頼んで授業の途中で帰宅した話をする。


 すると決まって、


『保健室から戻った後、体育の授業に顔を出した方が良かったのではないか?』

『学校から早退するのなら、自分の口から直接担任に伝えた方が良かったのではないか?』


 というようなことを指摘されるのだった。


 その指摘は正しい――と僕本人も思う。

 だが、そんな自分でもわかりきって後悔していることを、あらためて他人の口から聞かされるたびに、僕の心は締めつけられていくのだ。




 それから、幾日いくにちか過ぎたある日のことだった。


『印場冬市郎と栄町樹衣菜は共犯』

『印場と栄町の二人が、警察に呼び出されて事情を訊かれた』


 そんな噂が学校中に広がりはじめていた。

 もちろんそんな事実など、どこにもないのにである。


 当然、僕とキーナは戸惑った。

 一体誰が、『このような無責任で残酷な噂』を流したのだろうか、と二人で絶望的な気持ちになる。


 それまでクラスの中には、この事件のことをあまり気にしない、興味がないといった生徒たちもそれなりにいたようだ。

 だが、噂も大きく影響したのだろう。

 僕やキーナに対する周囲からの風当たりを理解した上で、わざわざ僕たち二人と仲良くしようという物好きは一人もいなかった。

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