039 説明と謝罪のイメージトレーニング
僕が持っている事件の情報――。
それは教室で、隣の席の少女から得たものだけだった。
やはり、事件に関して情報が不足している。
断片的な情報はあるのだが、穴だらけで事件全体がぼんやりとしか見えてこない。
だから、歯抜けのジグソーパズルを眺めているときにも似た気分で、僕は事件と向き合っていた。
しかし、キーナの説明を聞いているうちに……。
僕は、足りなかったピースを次々と手渡してもらっているかのような心持ちとなる。
それだけ彼女の説明は、簡潔かつ的確に要点を捉えていたのだった。
「――すみません、印場くん。時間がないと思うので、もう少し早口でしゃべりますね」
そう口にするとキーナは、残り少ない休憩時間中に自分の知っているすべての情報を僕に伝えようと、宣言通り早口でしゃべりはじめた。
薄桃色の可愛らしい唇が、せわしなく動く。
だが、その口から発せられた話の内容は当然、可愛らしいものではない。
彼女は語る。
前日の放課後に、自身も『盗難事件の容疑者』として職員室に呼ばれたことを。
そして僕は理解する。
目の前の親切な少女もまた、自分と同じように事件の容疑者であることを。
「栄町さん、ありがとう。だいたいの状況がつかめたよ」
キーナの説明に対して、僕はお礼を言わずにはいられなかった。
知りたかった事件の情報が、短時間でほとんど手に入ったのも彼女のおかげである。
僕は思った。
『たとえば、優秀な秘書がいる生活ってこんなものだろうか――』と。
そんな感想を抱きながら、僕は彼女を褒める。
「それにしても栄町さんって、人にものを説明するのが上手だね」
キーナは首を横に振った。
「いえ、普段はそんなに……。今回、上手く説明できたのは、きっと特別です」
「特別?」
「そのぉ……。実は、印場くんに説明する練習を、昨日から何度もしていたものですから――」
どうやら彼女は前日から、事件の説明をするこの場面を想像して、シミュレーションを繰り返していたようであった。
キーナは話を続ける。
「そんなわけで、要するにイメージトレーニングをたくさんしていたからなんですよ」
「僕に事件の説明をするイメージトレーニングを?」
「はい、そうです。ですから、普段から説明が上手いわけではなくて、何度も練習をしていたから、今回だけ特別なんだと思います」
彼女はそう言うと、どこか照れくさそうな様子で髪をかき上げた。
ポニーテールが静かに揺れて、階段の踊り場には、ほのかに甘い香りが広がっていく。
「栄町さん、そんなに繰り返し練習を……? でもどうして僕に、ここまで親切にしてくれるの?」
「それは……。こんな面倒なことになったのは全部、私のせいだからです」
「えっ? 全部、栄町さんのせい?」
「はい。昨日、印場くんに早退するよう私が言わなかったら、たぶんここまで
それからキーナは、早退するよう提案した件について、僕に何度も何度も謝った。
印場くんが事件の容疑者として疑われる原因――それを作ったのは私だ、とキーナは自身を責め続ける。
「印場くんが、みんなから犯人扱いされているのって、本当に私のせいなんです――」
彼女から謝罪を受けた僕は、逆に申し訳ない気持ちになった。
早退するよう提案したことを、キーナがずいぶんと負い目に感じていることは、よくよく理解できたし、彼女の真面目さや優しさ、そして誠実さも充分に感じた。
そこで僕は、ぎこちなく作り笑いを浮かべながら、こう口にする。
「あっ、あはは……。栄町さん、あの早退は僕の自己責任だよ。だから栄町さんが謝ることなんてないんだ。さすがに栄町さんは、勝手に責任を感じ過ぎだって」
そもそも僕は、事件のことでキーナを責めるつもりなど最初からなかった。
確かにキーナの言葉に背中を押されて早退したのは事実だ。
けどその行動は、最終的には自分自身で選び取ったものである。だから自己責任――僕はそう自覚していたのだ。
「でも、栄町さんってホント、良い人なんだね」
「えっ?」
「だって、その気になれば僕のことなんて無視出来ただろうに。それなのに責任を感じて、手を差し伸べてくれたんだろ? こうしてわざわざ声をかけてくれて、教室から僕を連れだしてくれて……そしてなぜか謝罪までしてくれた」
するとキーナは、首をぶんぶんと横に振った。
「それは……別に良い人だからじゃありません。私はただ、なんとか責任をとろうと……」
「その反応も、本当に良い人だなあ。たぶんだけど栄町さんは、事件の説明だけじゃなくて、謝罪する練習も昨日からしていたんだよね?」
「は、はい……。謝罪の練習もしました」
その言葉を聞いて、僕はうんうんとうなずいた。
「説明と謝罪のイメージトレーニングをしてきたのかぁ……。そんなことを前日から繰り返していたかと思うと、栄町さんの
「うう……。今日は私、印場くんから責められることを覚悟していたんです……。けど、まさかそんな感想を持たれるなんて、想像もしていませんでした」
ポニーテールを揺らしながら、キーナは恥ずかしそうにうつむく。
そのとき、短い休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
それは僕たち二人が、あの公開処刑場のような教室に戻ることを意味している。
「栄町さん、チャイムだ。教室に戻ろう」
「でも、印場くん……。その……だ、大丈夫ですか?」
「うーん……正直、大丈夫ではないかな? ……けど、栄町さんのおかげで、少し気が楽になったから」
事実、教室を出る前と比べれば、僕の心はずっと軽くなっていた。
少し前までは、世界中が全部敵にまわったかのような酷い気分に、心底叩き潰されていたのである。
だが、ここに一人だけでも味方がいることがわかり、僕はずいぶんと救われたのだ。
「本当にありがとう、栄町さん。さあ、教室に戻ろっか」
やがて教室に戻った僕は、キーナ以外の誰とも会話をしないで午前中を過ごした。
そして昼休みになると、すぐに職員室へ向かったのである。
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