033 怪しげなお客さん
一方で怪しげなお客さんは、おびえる僕に向かって、こう言った。
「ふふっ、冗談ッスよ。顔をこちらに向けてくださいッス」
どこかイタズラっぽい響きを含んだその声を耳にして、うつむいていた僕は、ゆっくりと顔を上げる。
「んっ……? この声としゃべり方は……」
「ふふっ。自分、冬市郎くんが一人になるのを、さっきからずっと待っていたんスよ」
怪しげなお客さんは、そう口にすると、深々と被ったニット帽をおもむろに脱いだ。
黒髪のポニーテールが、ほんのりと甘い香りを振りまきながら帽子の下から出てくると、彼女の背中に向かってさらりと流れる。
明らかに、とある特定の人物を連想させる、その
それは、向けられた僕の視線を
「そのポニーテール! やっぱりかっ!」
黒髪ポニーテールの振り子運動を目で追いかけながら、僕はそんな声を上げる。
「ふふーん。瀬戸灰音が席を立ってくれたおかげで、ようやくこうして声をかけることができたッスね」
そして、お客さんが大きなマスクを外す。
案の定そこには、可愛らしいキーナの顔が現れたではないか。
栗色の大きな瞳が、くりくりと僕を見つめてくる。
そして薄桃色の唇は、元気よく動いてこう言った。
「冬市郎くん、どうもッス!」
「キーナ……」
ひとまず、怪しげなお客さんの正体が判明した。
そのことで僕は、ほっと胸を
それにしたって、僕の唯一の友人は、実に心臓に悪いことをしてくれたものだ。
僕はムスッと、ほっぺたを膨らませる。
それから、キーナに向かって口をとがらせると、不満を声に込めてこう言った。
「おい、キーナ! どうして電話に出てくれなかったんだよ?」
「ムムっ? 電話スか?」
「ああ、そうだよ! キーナが中等部から出ていった後、僕は何度も連絡を入れたんだぜ?」
少々強めの口調で、僕は彼女を責める。
しかしキーナは、まったく動揺することもなくニコッと微笑みを浮かべた。
それから彼女は、練習不足の素人役者が、まるで台本に書かれているセリフでも読んでいるかのような、そんな一本調子でこう答える。
「な、な、な、何度も電話をー!? あははー、そうなんスかぁー? 冬市郎くんからの電話にはー、自分まったく気がつかなかったッスねー。あははー、すまないッス。本当にまったく気がつかなかったスよー。あははははー、あははははー」
明らかに
こう質問されたらこう返そう――と、あらかじめ用意していたかの
その『セリフ棒読み口調』は、素なのか……それとも狙ってやっているのか……。
おそらく後者だと直感した僕は、心の中でこうつぶやく。
ううっ……キーナめ。
こりゃあ、電話に気がついていたのに、わざと出なかったんだな……。
足の裏たちがしゃべり出す。
「キーナ、ヤッパリ怒ッテイタンダナ……」と右足が言った。
「アノ女子中学生ト、イチャイチャシテイタカラ、嫉妬シタンダ」と左足が続ける。
足の裏たちのそんな声を耳にすると、僕の脳内で中等部での出来事がよみがえった。
密室で、小柄な女子中学生を押し倒したこと。
大曽根みどり子の体温や、その
恥ずかしそうに頬を染めたロリ少女の顔。緑髪から漂ってきた甘いミルクのような香り。
「はあ……はあ……」と漏れ聞こえてきた彼女の吐息。
下腹部に押し付けられた、小さくて柔らかなお尻。そして左手で
それらを次々と思い出すと、顔や耳が熱を帯びてくる。
きっと僕は赤面していることだろう。
「な、なあ、キーナ……。僕、みどり子と別に変な事とかしてないからな? ご、ご、誤解してるぞ?」
キーナの誤解を解こうと、僕はそう口にする。
「はあ? なんのことスかね? 別に自分は、冬市郎くんと委員長さんが密室の床で抱き合っていようと、特に何も気になんかしていないんスけど? んっ?」
「うぅっ……」
何も言えず黙ってしまう僕。
キーナはその栗色の瞳で、そんな僕の顔をのぞき込んでくる。
「それにしても、どうして冬市郎くんは、ほんのりと顔を赤くしているんスか? やっぱり女子中学生と、密室で何か楽しいことでもしてきたんスかね? んっ? んっ?」
図星をつかれて僕は思わず、彼女から目をそむけた。
そして気がつくと、首のチョーカーを、ほとんど無意識に指でいじりはじめていたのである。
この行動は、少しショックだった。
自然にそんな行動をするということは、もはやチョーカーは僕にとって『身につけていて当たり前のアクセサリー』となっているのかもしれない……。
動揺する僕とは対照的に、キーナはケロッとした表情で話を続ける。
僕がキーナから視線を外したところで、彼女の
「それよりも冬市郎くん。いつの間にか委員長さんを、『みどり子』なんて、ナチュラルに下の名前で呼んでいるみたいッスけど……。あの短時間でずいぶんと仲良くなったもんスね?」
「おっ……おぉ、まあな」
「うーん……おかしいッスねぇ。自分の知っている冬市郎くんは、そんなに『コミュ
そう言うとキーナは、形の良い鼻をツンっと上に向ける。
それから、僕にゆっくり顔を近づけると両目を閉じ、ポニーテールを揺らしながら、くんくんと鼻を動かしはじめた。
「くんくん……くんくん……ムムっ! この匂いは、やはりニセモノ! 取材対象を床に押し倒すことを密着取材だと思っている、けしからん人間の匂いッスよ!」
「うっ……も、もうそれはいいだろ? 女子中等部のあの出来事は、とにかく事故だったんだよ」
「ほーほー。それはそれは素敵な事故ッスね」
「む、むうぅ……」
この話題を続ける限り、常に防戦一方となる――。
そのことを僕は、充分に悟ったのだった。
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