027 マッドサイエンティスト大森②

 しばらくすると灰音が、銀髪を軽くかき上げる。

 そして、マッドサイエンティスト大森に、こう尋ねた。


「ところで白衣の女よ」

「なんだ、シルバーボブカット」

「組織の奴らとやらを、おぬしはどうして警戒しておるのだ?」


 そう問われると大森さんは、突然その場でターンした。

 灰音にくるりと背中を向ける狂科学者。

 長く美しい黒髪がふわりとを描き、白衣は「バサッ」と無駄に鋭い衣擦きぬずれの音を店内に響かせる。

 消毒液の匂いがその動きに合わせて、僕たちの周囲に散った。


「ぬっ?」


 と、灰音が小さく声を漏らす。

 一方でマッドサイエンティスト大森は、テーブルに背を向けたままの状態で、顔を片手で覆った。

 そして、ようやく灰音の質問に答えはじめる。


「クククッ……組織の奴らを警戒している理由わけ……か」

「うむ」

「なあーに……それは、わたしが組織からを盗み出したからさ」

「チップ?」

「ああ。とある機密データが入ったチップをだ……。まあ、そのせいで少しばかり命を……な。クククッ」


 背中で笑う大森さん。黒髪と白衣が小刻みに揺れた。

 すると灰音は、その大きな瞳で彼女をキッと見つめる。続いて、少し強めの口調で、狂科学者をたしなめるようにこう言った。


「いや、白衣の女よ。どのような理由があるにしろ、盗みはいかんぞ?」


 そう言われた大森さんは、再びターンを決めて今度は、灰音と真正面から向き合う。――と、そのまま顔をぐぐぐっと近づけ、狂科学者は銀髪少女の両目をのぞき込みながら、逆に問いかけた。


「クククッ……確かに盗みはいけない。だがしかし、わたしがあのデータを盗み出さなければ、今頃この世界は滅んでいたのかもしれないんだぞ? それでも、お前はいいのか?」

「なっ!? 世界が……滅ぶ……?」

「クククッ……この場合の正義とは……何かね?」

「!?」


 狂科学者から打ち明けられた衝撃の事実に、灰音は椅子から立ち上がった。

 それから小さくうつむくと、不安げな表情を浮かべ、銀髪と大きな胸を震わせる。

 革手袋を装着した左手が、ギュッと強く握りしめられていた。


 世界が滅ぶ。そして正義とは何か? シリアスな雰囲気が、灰音を包み込む。


 そんな中、世界が滅びるというのに大森さんは、どこか余裕のある態度で平然と話を続ける。すべて作り話だからだ。


「仕方なかったのだ。なんせ、あのデータの中には『世界を七回半崩壊させ得る方法』が記されていたのだからな……クククッ」

「なん……だとっ!? 世界を七回半も……」

「クククッ……だからわたしは、あの悪の組織から世界を守るためにデータを盗み出したのだよ」


 大森さんの発言に、僕は再び椅子からずり落ちそうになった。


 いっ、いや、大森さんよ……マッドサイエンティストなんでしょ?

 なんで急に、世界を救った正義の科学者みたいになっているの? ちょっと設定ブレ過ぎじゃないかなぁ……。


 僕は苦笑いを浮かべる。

 しかしそんな僕とは対照的に、銀髪の少女は真剣な表情を浮かべて大森さんに尋ねた。


「それで、その世界を七回半崩壊させ得るデータとやらは、今はどこにあるのだ?」

「クククッ……隠し場所の詳しい話はできない」

「ふ、ふむ……そうか……」


 作り話なので、大森さんは本当はチップを盗んでいない。

 そして、そもそも『世界を七回半崩壊させ得るデータ』など存在しないだろう。


 それでも、データの隠し場所を秘密にされたことで、銀髪の少女はどこか寂しげな表情を見せた。

 灰音のそんな様子を目にして、僕は戸惑う。


 彼女のこの表情は、大森さんに付き合っての演技なのだろうか?

 それとも……。

 もしかすると灰音は、すでにこれが芝居であることを忘れており、大森さんといっしょに世界を守りたいと本気で思っている?


 そんなことを考えながら、僕は「うーん……」と唸った。

 一方でマッドサイエンティストは、銀髪少女の寂しげな様子を見かねたのだろうか。両目を閉じて鼻で「ふんっ」と笑ってから、こう話を続ける。


「隠し場所を教えることはできない。だが、シルバーボブカットよ。ヒントくらいなら与えてやろうか」

「よ、良いのか?」

「ああ」


 うなずくと大森さんは、自分の口を指差しながら言った。


「それでは、ヒントだ。データの入ったチップは、このわたしの奥歯のどこかに埋め込んである……とだけ話しておこう」

「おぬしの……奥歯の中に……」

「お前に言えるのはここまでだ……クククッ」


 狂科学者からそう告げられると、灰音は真顔でこくりとうなずく。

 そんな二人の様子に、僕は吹きだしかける。


 お、大森さんっ!

 ヒントどころか、ほとんど隠し場所を暴露ばくろしちゃってますよっ!

 いや……それともまさか……。

 この人は灰音をガッカリさせないために、わざとマヌケを演じて隠し場所を……?


 そう思うが、僕はもちろん口には出さない。

 灰音の方は再び椅子に腰を下ろすと、その大きな胸の下で腕組みをしながら言った。


「ふむ、そうか。まあ、世界を守るためにもその奥歯は、ぜひ死守してほしいものだぞ」

「クククッ……任せておけ、シルバーボブカット。ちゃんと毎日、歯を磨く」

「うむ」

「それに、多少虫歯になったところで歯医者には行かない。わたしの奥歯の秘密が漏れてしまうかもしれんからな……クククッ」


 マッドサイエンティストが笑い、その笑い声を耳にしながら銀髪少女が「うむうむ」とうなずく。

 それから灰音は、OFGをはめた左手を大森さんに向かって突き出すとこう言った。


「ふふふっ、白衣の女よ。もし、わらわの力が必要とあらば、いつでも声をかけるが良いぞ。そのときは、この左手と共に協力は惜しまぬ。世界を守るためにっ!」


 嘘か真か、鬼が封印されし灰音の左手。

 しかし大森さんは、もちろんそんなことは知らない。

 白衣の女は首を横に振りながら自身の手を伸ばし、灰音のその左手をそっと押し戻す。


「クククッ……バカを言うな、実験体ナンバー002号・シルバーボブカットよ。世界を守るのに、出来損ないの実験体の力など借りるか!」

「なっ!?」

「ハーッハハハッ! 世界を守る戦いにお前が参加するだと? クククッ……やめておけ。役立たずでは無駄に命を落とすだけだ」

「くっ……わらわは決して、役立たずなどでは……」


 下唇を噛みしめながらうつむく灰音。

 その一方でマッドサイエンティスト大森は、自分の顔が最大限にサドっぽく見える例の独特な角度で首をかたむけると、こう言い放つ。


「この身のほど知らずが! お前は安全なこの喫茶店で、毎日面白おかしくわたしの薬を飲んでいればいいんだよ! 科学の神が誤ってこの世に産み落とした、熱を持たないモルモットよっ! ハーッハハハッ!」


 白衣と長い黒髪を踊らせながら、マッドサイエンティストは大声で笑った。

 しかし灰音は、大森さんのその冷たい言動の裏側にあるものを、すっかり見抜いていたようである。


「……白衣の女よ。まさかおぬし……わらわを戦いに巻き込まぬために、わざとそんな嫌われるようなことを口に……?」


 大森さんは両目をそっと閉じ、首をゆっくりと横に振る。


「クククッ……よせよせ、シルバーボブカット。まさか、そんなわけがあるか。わたしはそこまで器用な人間ではないのだ。お前のことを本当に役立たずと思っているだけなのだよ……」

「いや、それは嘘であろう」

「ふっ……そう思いたければ、そう思うがいいさ。しかし、面白いことを言うようになったなあ、シルバーボブカットよ。やはり、お前には調が必要なのかもしれん……クククッ」


 大森さんは笑いながら、黒髪をゆっくりとかき上げた。

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