026 マッドサイエンティスト大森①

 灰音と僕が、テーブルに着いてからしばらくすると、とある人物がやって来る。

 白衣に身を包んだ科学者のような印象の女性。

 グラスを乗せたトレイを片手に持ち、長い黒髪をスイングさせながらゆらゆらと歩く。

 体格は長身でスレンダー。顔は少し青白く、目の下には薄っすらとクマがある。

 見るからに不健康そうな人間といった印象。

 肌が白いのは、美白というよりは、お日様の下で生きていないからですよ、といった様子。


 そんな白衣の女性は、テーブルの脇に立つと不敵に笑いながらこう言った。


「クククッ……弟くんではないか……」


 僕は椅子に座ったまま軽く頭を下げる。


「ああ、どうも。大森おおもりさん、お疲れ様です」


 僕が挨拶あいさつをした相手――。

 彼女は、中二病喫茶の店員『マッドサイエンティスト大森』だ。


 店長である姉・美冬が、知人から紹介してもらった十九歳のフリーターであり、「好きな食べ物は?」と訊かれたら「一人しゃぶしゃぶ」と答えるほど一人の時間を愛する女性。

 そして、普段は物静かで礼儀正しい人だった。


 だが、勤務中の今は違う。

 なぜなら、ここは中二病喫茶だからだ――。


 マッドサイエンティスト大森は、首を独特な角度でかたむける。

 それは彼女が毎朝、鏡を熱心に眺めながらようやく探り当てた、自分の顔がサドっぽく見える角度らしい。

 それから彼女は、どこか冷めた眼差しを僕たちに向けた。

 まるで、人ではなく、機械の部品でも見下ろしているかのような、そんな雰囲気で――。

 そして白衣の女は、こう口にする。


「クククッ……記憶を完全に消してから外界に放ったというのに……。お前たち、この短期間でよくぞ、このシークレットラボの場所を突き止め、再びここへ戻ったものだ。ひとまず、そのことだけはめてやろう……クククッ」


 中二病喫茶で働く人間は、一人ひとりに設定が必要である。

 大森さんの場合は、ひとたび白衣を身につけ店に立つと、その名の通り狂気を身にまとったマッドサイエンティストに変貌へんぼうしなくてはならないのだ。


「いやいや、大森さん。シークレットラボって……ここは僕の家ですから」


 僕は首を横に振りながらそう口にする。

 すると大森さんは、こんなふうに言葉を返してきた。


「クククッ……このラボを自分の家と思い込んでいるとはな。これは傑作けっさく。どうやら、研究の成果が確実に現れているようだ……クククッ」


 大森さんの見事な切り返し。

 それを耳にして僕は、「うんうん」と小さくうなずく。


 さすが大森さん! いやー、真面目に仕事しているなあ。

 本当は物腰のやわらかな常識人なのに……なんだか泣けてくるぜ。


 口にはもちろん出さないが、心の中で僕はそんなふうに、感心しっぱなしであった。

 身内相手にもかかわらず、手を抜かないこの仕事っぷり。

 正直、僕は大森さんに尊敬の念すら抱いていた。


 そんなわけで、マッドサイエンティスト大森は、責任感が強いのか、はたまた純粋に芝居が好きなのか――。客でもない僕たちに対して、その後も真剣に中二病ウェイトレスを演じ続けてくれる。


 彼女は水の入ったグラスをテーブルの上にふたつ置くと、白衣をひるがえし、長い黒髪を激しく踊らせながら言い放った。


「さあっ、今日の分のお薬だっ! 飲みなさい、お前たちぃ! 科学の神が誤ってこの世に産み落とした、熱を持たないモルモットどもよっ!」


 僕はこくりとうなずく。

 あいかわらず意味不明である……だが、それが素晴らしいっ!


 謎の感動すら覚える僕。

 その一方で灰音は、銀髪おかっぱ頭を揺らしながら当惑している様子だった。

 彼女は眉間に小さなシワを寄せながら、グラスを見つめて首をかしげる。


「冬市郎よ……」

「うん?」

「こっ、これはいったい何の薬なのだ?」

「ああ、えっと……。これは薬じゃなくて、ただのお水だよ。安心して」


 そう言いながら僕は苦笑いを浮かべる。


 さて――。

 神社からこの喫茶店まで、僕は灰音といっしょに歩き、その間に『中二病の説明』をある程度済ませていた。

 そして今現在、『ニセモノではあるのだが、中二病っぽい存在であるマッドサイエンティスト大森』が、こうして接客をしてくれている。

 だから僕はこう思うのだ。


 灰音は、マッドサイエンティスト大森とこうして実際に接することで、僕の説明以上に『中二病』の雰囲気を理解してくれるのではないだろうか、と――。


 ああ……。

 そういう意味では頼りにしているよ、大森さんっ!


 そんな想いを込めた視線を、白衣の狂科学者に向ける。

 すると、僕の勝手な期待を背負わされた大森さんが、こちらに顔を近づけてきた。

 消毒液の匂いが、僕の鼻をツンっと刺激する。

 マッドサイエンティスト大森は、キャラ設定を強めるために、勤務時間中は薄っすらと消毒液の匂いを漂わせているのだ。

 誰に言われたわけでもなく、彼女自身が自主的に考え実践じっせんしているその消毒液の匂い。

 そこには大森さんなりのプロ意識のようなものが見え隠れしていた。


 それから大森さんは、僕に顔を近づけながらも、ちゃんと灰音にも聞こえるような声量で、ささやくようにこう尋ねてくる。


「ところで弟くん……。ここに来るまでに、組織の奴らに尾行されてはいないだろうな?」

「えっと……」


 僕は戸惑う。


 どう答えたらいいものだろうか?

 まあここはひとつぐらい、大森さんの芝居に乗っかった方がいいのだろうかね?


 しかし、僕がそんなことを考えている間に、灰音が横から口を挟んできた。


「――白衣の女よ」


 呼ばれた大森さんは、髪をかき上げながら冷たい視線を灰音に向ける。


「うん? どうした、実験体ナンバー002号・シルバーボブカットよ」


 僕は思わず吹きだしかけた。


 しっ、シルバーボブカット!?

 シルバーボブカット……って、『銀髪おかっぱ頭』のことかっ!

 もう少し中二病っぽい、無駄にカッコいいネーミングは出来なかったのか?

 まっ、まあ、咄嗟とっさにしっくりくるあだ名みたいなものをつけるのって本当に難しいからなあ……。


 そうやって心の中でぶつぶつ言いながら、僕は苦笑いを浮かべる。

 案の定、灰音は戸惑ったようだ。


「しっ、シルバーボブカット……? 何を言っておるか? わらわはそんな名ではないぞ?」

「クククッ……創造主であるこのわたしの言うことを否定するというのか?」

「むむっ?」

「特別に外出を許可したことで、なにやら余計な知恵をつけてしまったようだなぁ、002号・シルバーボブカットよ」

「余計な知恵……だと?」

「クククッ……ああ、そうさ。お前には、後でまた調が必要なようだ。実験体ナンバー002号・シぃルバぁー、ボぉーブカットよぉ……クークククッ」


 マッドサイエンティスト大森は、そんなどこか人を小馬鹿にするような声でしゃべりながら、片手で顔の半分を覆う。

 そして、ニヤニヤと笑った。


 灰音は不快そうにほっぺたを、ぷくっとふくらませると、僕の方を向く。


「なあ、冬市郎よ」

「はい」

「この女、さっきからわけのわからんことを口にしているのだが……本当に大丈夫なのか?」


 問われて僕は、思わず片眉をピクっと吊り上げる。


 いやいや、あなたがそれを言うのか……?

 はじめて会った日に、神社であなたが僕にした話も、似たようなものだったじゃないか……。


 そう思うが、もちろん声には出せない。

 僕は「コホン」と軽く咳払いをしてから答える。


「まっ、まあ、大丈夫だから。灰音、ちょっと大森さんに話を合わせてあげてくれないかなあ」

「ふむ。わかったぞ」


 こくりと素直にうなずくと、灰音は大森さんに向かって言った。


「白衣の女よ」

「クククッ……どうした?」

「このシルバーボブカット。ここに来るまで、特に怪しい気配は感じなかったぞ」

「クククッ……そうか」

「ふむ。誰からも尾行などされておらんから、安心せい」


 灰音のそんな柔軟じゅうなんな対応に、僕は思わず両目を見開いた。


 ……あれ? 確かに話を合わせろとは言ったけど……。

 まさか、『シルバーボブカット』というネーミングを、こうもあっさり受け入れるなんて……。

 この子、思っていたよりも融通ゆうづうくんだ……。


 そうやって僕が、一人で感心していると、マッドサイエンティスト大森は、白衣をゆらゆらと不敵に揺らしながら話を続ける。


「クククッ……急に物分りが良くなったなあ、シぃールバぁーボぉブカットよぉ……。どうやら調整は、まだ必要ないようだ」

「ふむ。それは助かるぞ」

「クククッ……こちらも、その方が助かるぞ。調整は、あれはあれで、結構な手間だからなあ」

「そうなのか。それは、お互い助かって、なによりだ……」

「そうだな。助かってなによりだ……クククッ」

「ああ、なによりだ……ふふふっ」


 それから、灰音とマッドサイエンティスト大森は、黙ったまま不敵に微笑み合った。

 僕は「なっ、なんだ……このやり取り?」と、椅子からずり落ちそうになる。

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