019 シグーレ・グリーン

 大曽根みどり子は、僕にもたれかかったままこう言った。


「やはりセンパイは、転生前のことを何も覚えていないんですね?」

「転生前のこと?」


 僕は、首をかしげる。


「センパイ、やっぱり覚えていないんだ……。うんうん、そんな気がしていましたよ」


 そう言うと緑髪の少女は、両目の涙を指で拭き取った。

 それから話を続ける。


「センパイは、あちらの世界では『ナイトメア・ブルー・サーカス』を率いた、若き夜襲やしゅうの悪魔――」

「や、夜襲の悪魔!?」

「はい。若き夜襲の悪魔にして、あの『漆黒しっこくのレッドライン』が……まさか、こちらの世界では普通の高校生だなんて……。本当に不思議なものです」


 緑髪の少女は背中を僕に思いっきり預けたまま、胸の前で腕組みをする。

 そして、こくりこくりとうなずいた。


 相変わらず僕を、リクライニングチェアーのように扱っている。

 彼女の身体の揺れを感じながら、僕は尋ねた。


「い、委員長さん? 僕があちらの世界では……何だって?」

「ええ。ですから、あちらの世界ではナイトメア・ブルー・サーカスを率いた若き夜襲の悪魔・漆黒のレッドラインです」


「んっ? んん?」


 と眉間にシワを集合させて、僕は口をすぼめた。

 突然口の中に放り込まれた異物を上手く飲み込めない、といった気持ちになる。


 ナイトメア・ブルー・サーカス? 漆黒のレッドライン?

 それって、青なの黒なの赤なの?


 彼女の話の中には、なんだか色が多かった。

 それで僕は、目と鼻の先に広がる少女の緑髪を眺めながら質問する。


「ね、ねえ、委員長さん。それって結局、青なの黒なの赤なの?」

「ふふっ、それ大事ですか? ああ、ひょっとして『世界の色ワールド・カラー』に関してのご質問でしょうか?」

「はいっ?」

「世界の命運を左右するその色を決めるのがセンパイの――漆黒のレッドラインこと1stサイキックソルジャー『シグーレ・グリーン』の役目だったわけですからね」


 ちょっと何を言っているのかわからない……。


 そして、聞きれない言葉の連続に僕は、首を右に左にかしげ続けた。


「1stサイキックソルジャー? シグーレ・グリーン? んんっ?」

「そうです。センパイのことですよ」

「グリーンって今度は緑色か? おいおい、委員長さん。また色がひとつ増えたぞ……」


 すると少女は、そっと頭上に手を動かし、自身の緑髪を軽くでた。

 クセの強い髪が、もじゃもじゃっと僕の目の前で音を立てると、彼女はこう言う。


「ふふっ……。『緑色』は、センパイが一番お好きな色でしたね」

「んっ? 緑色が僕の一番好きな色だって?」

「はい。緑色が一番お好きでしたよ」

「また、どうして?」

「センパイのファミリーネームが『グリーン』だからです」

「シグーレ・グリーンのグリーン?」


 大曽根みどり子は、ゆっくりとうなずく。


「はい、そうです。そして、緑色が好きだから……そんな単純な理由でセンパイは、緑髪のボクのことをすごく可愛がってくれました」

「僕が、委員長さんを可愛がったの?」

「ええ。こんな駆け出しの低レベルの、誰も見向きもしないような最下級・サイキックソルジャーの小娘に、あちらの世界で唯一優しく接してくれたソルジャーがセンパイ――つまり『シグーレ・グリーン』だったんです」


 すると突然、みどり子が僕の左手をつかむ。

 それからその手を、自身の頭上に持っていき、僕に緑色の髪を触らせる。


 スチールウールのような手触り――とまではいかないが、それなりに硬質な感触が僕の手に伝わってきた。


「ど、どうですか、ボクの髪は? 相変わらずちぢれ毛ばかりでゴワゴワですよ」

「お、おう……」

「――でも、センパイはこの手触りが、お好きでしたよね」

「そ、そうなの?」


 少女は「ふふっ」と笑い、これまでよりも少し明るい声で言った。


「はい。ボクの出撃が決まると、センパイは時間を見つけて必ず会いにきてくれました!」

「えっ? 出撃?」

「ええ。それで出撃前に緊張しているボクをリラックスさせようと、このゴワゴワの髪を触って、よくからかってくれましたよ、ふふっ」

「いや、思い出話をされても、そんな記憶、僕には……」


 そう言って僕は、彼女の髪から手を放す。

 緑髪の少女は、自身のお腹の上で手を組むと、まぶたをそっと閉じた。

 そして、両目をつぶったまま、口の中で何か懐かしい味のする飴玉でも転がしているかのような、そんな表情を浮かべる。


 少しの間、沈黙が訪れた。

 それは僕が、ほんの二、三回呼吸するくらいの短い時間だった。


 それから彼女は目を開けて、また、昔話を続ける。


「……センパイ。ボクは幼い頃からずっと、この緑色の髪も、ゴワゴワの縮れ毛も大嫌いだったんです。でも、あちらの世界でセンパイに出会ってからは、ボクは自分のこの髪が大好きになりました」

「そ、そうなんだ」

「はい」


 うなずくと彼女は、自分の髪を撫でる。


「この通り、くしゃくしゃの癖毛くせげで、可愛らしい髪型はあまりできないんです。――けど、この緑色の髪がきっかけで、センパイと仲良くなれましたしね」

「なるほど」

「それに……この髪がこんなにゴワゴワしているから、センパイがボクをからかってくれる……。好きにならないわけがないじゃないですか……この髪も……そして、センパイのことも……」


 緑髪の少女は、「ぐすん」と鼻をすすると、また泣き出した。

 先ほどよりも、ずっと大粒おおつぶの涙をこぼしはじめているようだった。


「ちょっ!? い、委員長さん?」


 僕はオロオロと身体を揺らすことしかできなかった。

 膝の上で女の子に泣かれた経験など、今日まで一度もない。だから、先ほどの涙も、そして今回のこの涙も、上手い対処の仕方がわからなかった。

 まあ、過去に経験があったところで、この対処は難しそうである。


 小柄な少女は、ぷるぷると全身を震わせながら、僕の膝の上で話を続けた。


「ボクは下っ端のサイキックソルジャー。そしてかたや、センパイは世界を救った英雄。ああ……この恋は絶対に片思いで終わるんだろうなって……ボクは、ずっとそう思っていました」


 言いながら大曽根みどり子は両目の涙を指で拭き取り、「ふふっ」と微笑む。


「ねえ、センパイ。あちらの世界でセンパイは、ボクのことを『亡くなった妹によく似ている』なんて言っていましたよね」

「な、亡くなった妹!?」

「はい。ですからボクは、『ああ、自分は恋愛対象じゃなくて、妹さんの代わりとして扱われているんだな……』って、ずっと思っていました。けれど、当時のボクはそれでもセンパイに会えるのなら、妹さんの代わりでも別に構わない、と……ううっ」


 少女はうつむき、口元を手で押さえる。

 それからすぐに、がばっと顔を上げると、彼女はこう言った。


「でも、ホント! 本当にひどいですよ! センパイ!!」

「えっ!?」

「ボク、センパイがあの世界から消滅した後、あらゆる方法で調べました……。けど……」

「けど?」

「けど、センパイには、妹さんなんていなかったじゃないですかぁああああ!」

「ええーっ!?」


 僕の膝の上に座ったまま、少女は両手足をバタバタ振って暴れる。


「アナタ、あっちの世界じゃ一人っ子でしたからね! この嘘つき! 嘘つきサイキックソルジャーのシグーレっ!」


 そう言うと彼女は、僕の太腿ふとももをギュッとつねった。


「痛たたっ! 知らねえよ! それは、僕じゃねえから!」

「センパイは覚えていなくても、ボクの乙女心をもてあそんだのは、確かにアナタなんですよ!」


 少女は再び太腿をギュッとつねる。

 つねり方に、手加減や迷いは一切ない。


「おい、痛いって!」

「だからその仕返しに、この世界で再会できたら、今度はボクがアナタを誘惑してやるって……ボクがそう思うのは、ごくごく自然なことでしょ?」

「すごく不自然だよ!」

「いえ、自然です!」


 大曽根みどり子は、またまた太腿をつねる。

 膝の上に座らせた女の子に、僕は太腿をつねられ続けるのだ。


 ――こんな理不尽な仕打ち、もう我慢できない。


 小柄な少女を膝の上に乗せたまま、僕は無理やり立ち上がろうとする。


 少女のお尻の感触とサヨナラするのは、正直とても名残惜なごりおしい。

 しかしこのままでは冤罪えんざいで、太腿の肉が引き千切ちぎられそうなのだ。


 そして、強引に立ち上がった結果――。

 僕の膝の上にちょこんと座っていた少女は、当然バランスをくずした。


「わっ……ちょっ……センパイ!?」


 大曽根みどり子は、咄嗟とっさに僕にしがみつく。

 そのせいで、僕までバランスを崩してしまう。


 そして僕たちは、もつれ合いながら二人で椅子から転げ落ちた。

 緑髪の少女を押し倒す形で、僕は床に横たわったのである。


「痛てて……」


 そうつぶやきながら僕は立ち上がろうと、やおら手を伸ばし床を押した。

 すると――。



「あっ……んぅっ……」



 と、少女のどこかつやっぽい声が、部屋に響く。

 同時に僕は、自分の左手が妙に温かい床を押していることに気がついた。


 そして、手に伝わる、ほんのわずかなふくらみ。

 微少びしょうだが、確実にやわらかいその感触。

 首をかしげながら、僕はもう一度その床を押す。


「ひぅっ!?」


 と、再び少女の声が部屋に響いた。


 何かがおかしい……。


 僕は緑髪の少女の顔に視線を向けた。

 すると彼女は赤面し、今にも泡を吹きだしそうな勢いで口をパクパクさせているではないか。

 オレンジ色の瞳は左右に行ったり来たりと、何やら制御不能な様子だ。


 そこで僕は、ようやく気がついた――。

 自分の左手が少女の胸を、くにゃりとつかんでいることに。

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